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番外編-10- からくりキングと嘘つきピエロ

   
         
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「だからつまり、ソレのどこがどう良いのか悪いのか、平凡な一般市民の俺にはさっぱりなんだがな」

と、小振りな会議室に運び込まれた大型のテレビモニターと、そのモニターの足元から流れ出る濁った泥のようにも見える幾条ものケーブル類を視界に収めたまま華奢なパイブ椅子をぎしりと鳴らしたヒューが、眉間に皺を寄せて唸りながら首を捻った。

その、掛け値なしに意味が判らん。とでかでか書いてある渋い表情をちらりと横目で見遣ってから、すぐ正面に視線を戻して、モニターから伸びるケーブル類を繋いだ端末を弄り回していたアンが、ふと口元に苦笑にも似た薄い笑みを載せる。

ラド邸で何らかの事件が起こったと連絡を受けてすぐ、特務室に詰めていたヒューはミナミとハルヴァイトと共に城を飛び出して行った。それから、数時間。思いの他早く帰投した上官の命令に従って慌ただしくテレビモニターを会議室に運び込み、ベッカーから指示された周波数の電波を拾って、更にもう一手間、臨界式プログラムによる王城エリア全域を観測するための準備をしていたアンの元に仏頂面のヒューが現れたのは、つい先程だ。

始めはかなり重量のあるケーブル類を繋いだり伸ばしたりするのを黙々と手伝っていた銀色が口を開いたのは、モニターの準備があらかた終わり、今度は監視用機材の設定に入ろうかという頃合いだった。

「何が判らないんですか?」

ソレ、と言われても何の事だかさっぱりで、しかし思い当たる事柄も決して少なくはないアンが、観測機材に繋がれた信号変換用ボックスをちまちまと接続しながら訊き返す。

「ラド副長がわざと「犯人」を泳がせたというのは、まぁ、判る」

元々のターゲットがセイル…ヒューの弟なのだから、これ以上彼に危害を加えさせないために目標を分散させた、というベッカーの言い分に対しては、有り難いと思いこそすれ意味が判らないなどと考える理由が無い。

「そのターゲットにミナミが含まれたせいでガリューが少々機嫌を損ねたのも、当然だ」

その下りを聞いて、電脳班の隊員などはかなり本気で苦笑を漏らした。これは一大事だ。犯人を追うはずのこちらが下手を打ってミナミに何かあれば、今度こそ、間違いなく、ファイランが墜落しても文句は言えない。

「だが、その後あのガリューがラド副長に向かって、感心していいのか嘆くべきなのか、複雑な気分だと言っていた意味が、判らない」

あの、ハルヴァイトが、だ。

バラバラに分散していたケーブル類を纏めて結束したアンは、ようやくひと息ついてヒューに向き直ると、自分もパイプ椅子を引き寄せて腰を下ろした。

「まず、稼働テストもしていない急ごしらえのプログラムを相手電脳にアップロードするのには、意外と度胸がいります。何せ、まっとうに動くのかどうかも判らないプログラムですから、電脳に接触してデータを転送している間にバッティングとかフリーズとか、ハッキングに気付いた向こうが逆に防衛攻撃してくるかもしれませんよね? そもそも、そのプログラム自体がこちらの電脳になんらかの不都合を引き起こす可能性だってありますから、殆どの場合、まさか生死を掛けるとまでは言いませんけど、かなりの緊急事態でなければそんな無茶しませんよ、普通。…多分、ガリュー班長は想像さえもしないでしょうし」

ぴんと立てた指先を天井に向けて難しい顔をしたアンの小さな顔を、銀色が珍しくも目を見開いて凝視する。

「ガリューは、やらないと言う事か?」

「やるやらない以前の問題です。ガリュー班長は攻撃系魔導師ですから、戦闘中に誰かの電脳にハッキングしてやろうなんて考えません」

またもやぎしりと椅子を鳴らしたヒューが長い脚を組み替えて、首を捻る。

「なら制御系、ミラキ辺りなら?」

「ミラキ副長なら想像くらいはするかもしれませんが、やっぱり諦めるでしょうね」

少年の、諦める、という言い方が、少し気になる。

「やらないのでもなく、やれないのでもなく?」

こういった話になると自分はいつもこの少年に質問してばかりだなと、ヒューはなんとなく思った。

「魔道機を操作しながらプログラムを組み、ハッキングも同時に行うのは、決して楽な仕事ではないですよ。まず、僕には無理ですし」

「しかし、ミラキは容量? が桁違いに多いんじゃないのか?」

だったら、出来ない事もないのでは? と言いたげなヒューのサファイヤ色の中で、アン少年が小首を傾げた。

「でも、ミラキ副長の「脳」はひとつだけです」

「ラド副長にしても、脳は一つだろう」

「いえ。ラド副長は「二つ」ですよ」

再度ぴんと伸ばした二本の指先を天井に向けたアンが、いかにも真面目くさった顔で大きく頷いた。

「ラド副長は臨界に「コア」を二つ持ってるんです。今回、戦闘中に出たのは「ビートル変異だけですから、本来四機を二機ずつのペアで動かすはずの「コア」に、余裕を持たせたと言う事になります」

もうこのあたりでまたもやさっぱり意味が判らなくなってきたヒューが、ますます渋い顔で眉間に皺を寄せる。

自称平凡な一般市民代表のヒューにしてみれば、アンを含む「魔導師」たちが、ああなるほどねとあっさりと納得する事柄ですら、なぜそこで納得なのか? と不思議に思う。これで相手がドレイクやハルヴァイトだったりすると、ムカつく事に、判らないんなら黙っていろ、くらい言うのかもしれないが、魔導師にあるまじき健やかさと素直さを持ってしまった少年は、ちょっと小首を傾げて何か考える様な顔をした。

「えーと、例えば僕なんかだと、一つの「脳」で五機の「キューブ」のフォーメーションを考えながら、「キューブ」を操作したり他のプログラムを使用したりするんですが、ラド副長の場合、その「脳」が二つあって、全く機能の違う魔道機を操作してるんですよ、普段。その内の片一方を完全に空き領域としてハッキングとプログラムの構築なんかに当てたんだと思いますが、そもそも、いかに簡易操作とはいえ「からくり人形」と交戦している訳ですから、どちらか一方にだけ掛かりきりにはなれませんよね? その、ラド副長では手の回らない部分を、「コア」に任せたんじゃないかと」

つまり?

「ラド副長には魔道機を動かす「脳」の他に、ハッキングしてくれる「脳」もあったという事か?」

まぁ、概ねそんな理解で良いのでは? と首を捻ったヒューにアンが小首を傾げて返す。

「器用だな…」

意味が判らない程に。

疲れたようなヒューの呟きに、アン少年が今度は苦笑を見せる。

「器用というよりも、無茶ですね。九九の暗唱と年表の暗記をいっぺんにやるようなものですから」

「そんな事をしたら、脳が痒くなりそうだ」

どうやら勉強はあまり好きでないらしいヒューが溜め息混じりに漏らして、アンは本気で吹き出しそうになった。

「それと、ラド副長の言っていた、「最後の最後で手を抜いた」というのは?」

ここまでのアンの解説を念頭に考えれば、ベッカーはむしろ「誰も実行しないような方法で犯人ないしその一団に首輪を付けた」という事にはならないだろうか。確かに、一見すればターゲットをセイル以外にも広げたように見えるかもしれないが、その実、今回「からくり人形」を動かした魔導師が臨界に接触、つまりは少しでも何らかの動きを見せれば、すぐにその居場所が特定されて警備兵が急行する手はずになっている…はずだ。

腕を組んだまま、今はまだ何も映さない真っ黒なテレビモニターと、それに繋がれた様々な機材を見るもなしに眺めながら、ヒューが目を細める。

「例えばの話ですけど、今回ラド副長の取った手法で完全に相手を追い詰めようとするなら、相手魔導師が一度臨界に接触した時点で常に現在地を発信するようなプログラムを割り込ませる方が確実だと思うんですよ。でも、ラド副長が相手魔導師の臨界領域に置いたのは、電脳に接触した際現在地を、公共の電波を使って、報せる、もので、つまり、前者のような手法も取れたにも関わらずそれをやらなかったから、ついでに言うなら、発信される信号も臨界式でなく公共電波で拾える「程度」のものにした、という事だと思います」

すらすらと難なく言ったアンが俯いて、テーブルの上を這うケーブル類にまたも指を伸ばす。その、天井からの光に滲む白く細い先端に視線を当てたまま、ヒューは内心嘆息した。

何が何やらもう全然さっぱり判らない。魔導師の皆様方に言わせればそれは「なんだか凄そう」な事で、しかし「ある部分では凄く適当」な事らしいが…。

「まぁ、最終的にラド副長が手を抜こうが抜くまいが、何の手がかりも足がかりもなく王城エリア中を駆けずり回り、他人のふりをしてのうのうと生きている奴らを探せと言われるよりも百倍マシじゃないのか? と、思うんだがな」

組んでいた腕を一方だけ解き、その拳胼胝の浮いた手でがしがしと銀髪を掻き回したヒューの呆れを含んだ呟きに、パイプ椅子から腰を浮かそうとしていたアンがぴたりと動きを止める。

ふ、と。

厳冬の晴天にも似た薄水色の瞳だけがゆるりと動き、ようやく完全に腕を解いて立ち上がったヒューの横顔に据わる。

だからつまり、この人の意識はいつも「フラット」なのだと少年は思った。確かに、軍に所属しこれだけ「魔導師」というものの近くに居るのだから多少の慣れはあるのかもしれないが、正直、今乞われて話したような内容を他の、もっと明らかに「魔導師」というものを畏れ、恐れ、どこかで理解し難い「人外」だと、判っているよ大丈夫と言いながら無意識にそう感じている誰かに話したのならば、きっと彼らは目の前の銀色と違う意味で「理解不能」だと言うだろう。

ごく近くから注がれる何か言いたげな視線に気付いて、ヒューは掻き回して乱れてしまった銀髪を手で掻き上げながら、無言で首を傾げた。

まず、動くのは視線。それからゆったりとその端正な面がアンに向けられ、最後は。

きら、と、天井からの光を鮮やかに散らす銀色の毛先が、肩先で踊る。

「なんだ?」

問われて、アンは慌てて椅子から腰を上げた。

「いえ…、ヒューさんにかかったら、習いたての数学の公式も、僕たちも、同じレベルだなーと思って」

「…いくら俺が、ステラ曰く脳まで拳士でも、まさか数学の公式と君たちが同じだとは思わないがな。第一、数学の公式は俺の質問に答えてくれない」

いや問題はそこじゃねぇし。とミナミなら絶対に切り返すような事をさらりと言ってのけたヒューが、肩を竦めておどけたように小首を捻る。

わざとのように芝居がかったそれを笑いながら、少年は思った。

良くも悪くも、この人はこの世の全てを特別扱いなどせず、ただ、その背に護ろうとするのだろう。と。

そしてそれが果たしてヒュー・スレイサーという個人にだけ当て嵌まるものなのか、「スレイサー」という名を冠した一族に共通のものなのかと思って、不意に。

「―――ところで、セイルさん」

小休止はここでお終いにするつもりだったのだろう少年は、言いながら一旦腰を浮かせた椅子にまた舞い戻り、身体全体で佇む銀色に向き直った。

「様子がおかしかったって、ミナミさんが心配してたみたいですけど。何かあったんですか?」

問われて、今度はヒューが「ああ」とどうでもいいような声を漏らした。

会議室の中央付近に置かれた大型のテレビモニターから少し離れた位置、唯一の出入り口を背にするように置かれた長机の上には、目的の判らない機材やらペーパー端末やらが所狭しと並べられていて、その幾つかは無数のケーブル類で繋がれている。それらを視線だけでさらりと撫でながら、ヒューは再度小さく息を吐いた。

「何か…ね」

ラド邸応接室に移動するまでの短い時間、様子のおかしいセイルを気にしたミナミに言われて傍についてはいたものの、実際、ヒューは青年から何も聞いてはいない。

ただ、白く、無表情で、ひび割れた仮面を胸に抱きかかえた弟の瞬きしない横顔を、泣いている、と感じたのは、きっと自分だけだろうとヒューは思った。

あの、白い仮面。

「――あったんだろうな」

その、ヒューらしくない小さな声を耳にして、アンは少しだけ不安そうに眉を寄せた。

     

   
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