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番外編-10- からくりキングと嘘つきピエロ

   
         
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許し合いましょう、成長しましょう。

最早私たちはお互いが向かい合って躍起になって、自分の居場所を護るためにそれ以外を排除し、頑なに「ここ」と「家族」に拘ってばかりはいられないのです。

だって…。

     

     

ほんの少しの時間ながらドイルと言葉を交わし、一時的に悪くなっていた執事との関係をどうにか平常ラインに戻した…と言い切れるかは甚だ疑問だが…セイルは、とにかく、とドイルに促されて食堂に足を運び、テーブルを見て、唖然とした。

「………」

「…………」

執事に引いて貰った椅子に腰を据えながら、既に隣の座席に着いていたクレイに当惑した視線を向ければ、こちらもなぜか微妙に渋い表情のまま無言で頷く。

だって…。

「ウチのラム肉が人工じゃなかったのに、心底驚いた、オレは」

「私は、この短時間で中までしっかり肉に火が通っているのに驚きですが? 旦那様」

言われたベッカー…そう! 呆気に取られるセイルとクレイの前に、いい具合に焼けたラム肉の香草ソテーが美しく盛り付けられた皿を置いたのは、他でもない、いつものようによれよれの白シャツに細身のデニム、今日は深緑色のバンダナを海賊被りにして…、洒落た黒いサロンエプロンを腰に巻いた、ラド家当主だった。

「オレは電磁調理器よりも優秀だぞ」

そういう問題じゃねぇぇええ! と内心悲鳴を上げたクレイを、ベッカーの玉虫色が捉える。

「とりあえず、遠慮しないで食え、脚本家。毒は入れてない」

いかにも面白そうに言われて、掌でテーブルを示され、セイルとクレイは固唾を飲んだ。その口ぶりと、その格好。間違いがないのなら。

「ああ、味は私が保証しますので、ご安心ください」

実の所、ドレイク曰くの「社交的な引きこもり」であるベッカーの趣味は、室内で出来る事ならばからくり人形(ドール)の組み立て以外にも幾つかあった。ただ、一番繊細で神経を研ぎ澄まし、余計な心配に意識を割く必要がないという単純な理由で、しょっちゅう人形にかまけていただけだったのだ。

で。

いい時間潰し且つ実のあるものとしては、手の込んだ料理、というのもある。

「さすがに大して時間掛けてなからねぇ、適当なモンばっかだけども」

と、本人は言うが、テーブルの上に並んでいるのは見た目も美しくバランスの良い食事。前述のラム肉(曳航する擬似生態系の中でちゃんと育てられた、高級天然物らしい)は純白の皿に敷かれた鮮やかな緑の敷布…何かの葉物野菜…に鎮座し、赤と黄色とオレンジ色の細切りにされた何か…セイルやクレイは正直なところ食材になど明るくない……を添えられて、ブラックペッパーのふんだんに使われたソースを垂らされていたし、やや茶色味がかった、厚めにスライスされたパンには少し甘酸っぱい匂いのするジャムと、ハーブか何かを練り込んだバターが付けられていて、ガラスの器に満たされているのは、柔らかな乳白色の表面で天井からの光をちかちかと瞬かせる、冷製ポタージュスープ。サラダは緑、紫、薄黄緑色の葉物野菜を千切って混ぜ合わせ、そこに極薄く千切りにした深緑色の何か…どうやらこれは、ピーマンのようなものらしかった…を表面に散りばめ彩りを締めていて、脇に置かれた小瓶には自家製のドレッシング…レモン果汁ベースの、やや辛味のある物だった…まであった。

「デザートのババロアには手が周らなかった」

「ミルクが切れましたか?」

「粉のヤツならあったんだけどさぁ、あの匂いがイヤなんだよなぁ」

眉間に皺を寄せて首を横に振るベッカーを、ドイルがくすりと笑う。

「昔からパウダーミルクだけはお嫌いですね」

と、和やかに会話する主従を、セイルとクレイが呆気に取られて見ている。合成ではないミルクは、基本、目玉が飛び出るほど高価なものなのだが…。

「ご主人、地味に贅沢してんだ」

勧められてなんとなくフォークを握ったクレイが呟くと、ようやく自分の席に腰を落ち着けたベッカーが、ドイルにワインを給仕されながら、少しだけ口の端を吊り上げる。

「オレで始まってオレで終わる予定でも、一応貴族様なんでね」

言われて、一瞬、ドイルの頬が硬直し、ぴくりと手が止まる。しかし執事はすぐ何も無かったかのように移動して、セイルのグラスにロゼのワインを注ぎ始めた。

少しして、行儀悪くテーブルに頬杖を突いたベッカーが、普段ならばここに用意されている筈のないもう一人分の食事を空いた手で指差して、給仕の仕事を終えたドイルに座れと命じる。それで、なぜなのか、驚きと和やかさに満ちていた食卓が、一気に緊張した。

この晩餐は。

ただの、「晩餐」ではない。

主人自らサラダに手を付け、それを合図にセイルとクレイは探る視線を食卓に上滑りさせながら、食事を始めた。ゲストの口腔に当主手ずから作り上げた料理が食まれて、ようやく、ドイルが静かにスプーンを手に取る。

「近かろうが遠かろうが、この未来は変わらない。突然この世に現れた魔導師系貴族「ラド家」は、後にも先にもオレでお仕舞いだ」

二口か三口自分で作った料理を口に運んでから嚥下したベッカーが、淡々と述べる。それは、決定事項。彼の決心は、揺るがない。

では。

「発言しても?」

一旦水で口を潤したクレイが、ナプキンで口元を拭いながら問う視線と共にベッカーに尋ねれば、主人は摘んだパンにバターを塗りながらどうぞと答えた。

「悪足掻きで結構。それが未来…つまりご主人の考える「この屋敷」の終点がそこであるならば、おれたちに許されたのは、その終点をどれだけ先延ばしに出来るかという理解でよろしいですか?」

どことなく芝居がかった言い方に、ベッカーは小さく笑った。

重畳、重畳。こちらは幾重にも折り重なった未来を虱潰しに予測する人外。片やあちらは物事を思い通りに操りたい脚本家。だとしたら誘導は至極簡単で、つまり、こちらはあちらの望むアンサーに至るルートを確実に選び出せるようなチョイスをすればいい。

脚本家の望む回答に至る経緯を確実に選び出せるような選択が、出来る、ようにすればいい。

多分、普段は面倒だからやらないだろうが、もしかしたらドイルと出会ってから十六年分の憂さを全てクレイで晴らしてやろうというおかしな気概に満ちているらしいベッカーは、今日ばかりは本気で、本気を出していた。

じっと無感情に、というよりは、比較的冷静ながら極力感情を抑えた態度と口調でベッカーに挑みかかるクレイを、冷製スープを口に運びながらドイルが見ている。

多分…、今、クレイがベッカーに噛み付いているのは、この屋敷を出たくないと思っている自分のためなんだろうなぁ、と思いはするが…。確かに、そうなのだろうが。

なんとなく、胸の奥底がむず痒い。と十六年間、この屋敷の中で主人に対して偉そうに進言するのにも、説教するのにも慣れ親しんでいた執事は思った。

そう、彼の主人が滔々と語る時は、要注意。殆ど意識が飛んでいる状態で、脳内に莫大な量の情報が流れている時ほど、主人は良く喋る。それからもう一つ。正しく質疑応答する姿勢を見せたら、もうその時点で着地する「答え」は決まっている。主人は、魔導師なのだ。「判っている未来に現在を繋ぐ事さえ可能」な…。

瑞々しい緑の柔らかな葉を口に運びながら、ドイルは不意に、思った。

自分は、そんな主人を一度だって、「人外」などと畏れた事はなかったな、と。

そして多分…。

「主人が魔導師である以上、罷りなりにもラド家は貴族でなければならないでしょうに!」

「だからつってもねぇ、無駄にデカイ屋敷与えられて、でも殆ど使ってない訳だしさぁ。都市の住宅事情を鑑みてだな」

「ここは上級庭園! 一般居住区の住宅不足と関係ありません!」

「じゃぁ、誰かに貸す? どっちにしても、行く末ラド家は畳むけども」

「それじゃぁ意味ねぇええ!」

頭を抱えて悲鳴を上げたクレイを、セイルがぽかんと見ている。さて、つい先程まで自室に引き篭もっていた俳優には、何ゆえ脚本家がこんなにも必死になってラド家存続? を訴えているのか、理由が判らない。

いや。セイルにしても、ラド家が失くなるのを、自然の成り行きなんだからしょうがないよね、などとあっさり受け入れられるかと言えば甚だ疑問ではあるが、言ってしまえば「今の所居候させて貰っているだけの、つまり部外者」にカテゴライズされるだろうクレイがここまでムキになる意味があるのか? と…。

ラム肉のソテーにフォークの先端を向けたまま呆気に取られているセイルの、どこか幼い表情にちらりと視線を流したベッカーが、ふと、その薄い唇に笑みを浮かべる。

「意味ねぇ…。まぁ、ここに「ラド邸」って看板が有っても無くても、中身が変わらんのだったら、構わなくないか?」

す、と極自然に逸らされた、玉虫色の光を回す、暗い黄金(きん)。

「ラド家は畳むが、おれが生きてる間はどうあったって名前は残る。それはだから、まあ、しょうがない」

で、問題は、この広い屋敷だ。と、ベッカーは、行儀悪くも手にしていたフォークをサラダの皿に放り込んで、硬い背凭れに身体を預けた。

「だから、この屋敷の所有者はオレで間違いない。だからオレは、この屋敷を「管理人付き」で「誰か」に貸そうと思うんだけどねぇ…。脚本家の先生?」

ゆっくりと、薄い唇が弧を描き。

クレイと、ドイルが一瞬ぴたりと動きを止め。

セイルは。

向けていたままのフォークの先端をラム肉にぐさりと突き刺して、いかにも呆れたように、肩を竦めた。

「それじゃ、やっぱり意味ないんじゃない? だって」

     

「バスクさんはこの屋敷に誰かと居たいんじゃなくてラド副長の執事で居たい訳で、そこにクレイが居るか居ないかは、正直、どうでもいいんでしょ?」

     

やれやれ、と付け足しそうな口調で言い置いて、セイルはソースをたっぷり載せたラム肉の欠片を、ぽいと口に放り込んだ。あ、このブラックペッパーのソース、美味。とか。

「「それだ!」」

途端、ぱちんと指を鳴らしたクレイがセイルを振り向き、ドイルがエメラルドグリーンの双眸を爛々と輝かせて俳優に顔を向ける。

「………あのね、ムービースター…」

うんざり気味に言ったベッカーに視線を向けたセイルが、もぐもぐと口を動かしながらことりと首を傾げる。

「オレの話し、聞いてたでしょ?」

「―――多分」

多分?!

ごくりと口の中のものを嚥下したセイルがさらりと答えて、ベッカーは意味も無く眉間に皺を寄せた。いや、意味が無い、訳では、ないのだが。

「じゃぁもう単刀直入に言うけどもさ、オレ個人はこの屋敷を引き払って、城の官舎に行こうと思うワケだ。でも、屋敷自体は手放さないで、ドイルもここに置いたまま、脚本家クレイ・アルマンドに屋敷を無償で貸す。部屋は余ってんだしさ、個人用のスタジオなりオフィスなり書斎なりに好きなだけ使えばいいし、上級庭園中央区…スゥやらミラキやらが住んでる辺りに比べると、ここらは外苑上空で入退場も多少は緩いから、お客の出入りに神経を尖らせる必要もない。ここまで、いい?」

「ラド副長の言ってる事は判りますけど、そもそも、そこまででもう間違ってるじゃないですか。看板が有っても無くても中身が変わらないんなら構わない、ってラド副長、さっき言いましたけど、主人が居ない時点でアウトでしょう?」

いやいやいや、そうなんだけど。と、ベッカーは本気で嘆息した。これは、とんでもないイレギュラー。

近々未来を自由に操ろうとした魔導師の描くルートに、ムービースターの介入は無かった筈だ。

「むしろ、ぼくに言わせたら逆? です。ここがラド邸でもなんでも、もしかして貧乏長屋の一室でも、ラド副長が居てバスクさんが居るっていうのがバスクさんの望みであって、ラド副長が居なかったらクレイが居たって意味ないんですよ、バスクさんの」

ドイル・バスク、の。

なんでこんな簡単な事をわざわざ言わせるかな、的空気を撒き散らすセイルを、今度はベッカーとクレイがきょとんと見つめる。

「セイル様!」

「え、あ、はい…っ! とっ!」

がたっ! と椅子を蹴倒さんばかりの勢いで立ち上がったドイルが座したままのセイルに横から抱きつき、一瞬バランスを崩したものの、俳優は器用に身体を捻りながら執事が突進して来たのとは逆の足を一歩横に出して転倒を堪えた。

首元にぎゅうと抱き付いたドイルの鮮やかな金色を視界の隅に、セイルは少し困ったように、少ししてやったりの表情で苦笑する。

「なんだか判んないけど、別に、それぞれが相手の事「だけ」を想わなくちゃならない訳じゃないでしょう? いいじゃないですか、時々自分の我侭入れたって。別に遠慮し合ってるワケでもないのに、なんでそんなにスレ違うかなー」

溜息混じりに言われて、クレイはなんだか噴き出しそうになった。そうかもしれない。そうだったのか。主人は、自分の手を離れても執事に安定した生活を約束したい。執事は、主人の傍に「執事」として…この場合は最早家族かもしれない…居たいと願っている。そのために片一方は屋敷を明け渡し、片一方は屋敷にしがみ付こうとする。

そして、俳優は。

「ああ…家族か」

はたと気付いて漏らしたクレイを、ベッカーが睨みセイルの首元から顔を上げたドイルが見つめる。

「? そうでしょ? ラド家は別に「屋敷の名前」なんかじゃなくて、ラド副長とバスクさんの事だよね?」

俳優は。

「フォンソルとリセルと、ヒューとラスとロイとマキと、ぼくは、どこに居て何をしてても、他人だけど「家族」だよ?」

だから何をそんなに難しく考えてるのかな。と再度呆れた溜息を漏らされ、ベッカーはうんざりと肩を竦めた。

     

   
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