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番外編-2- その頃、少年? |
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「キューブ」の破壊したピンポン玉については、誰も、それ以上質問するつもりも、意見を交換するつもりもなかった。今ここで何が起こったのかはアンの「戦略」であり、だから、理論や構築式をあれこれ外部が弄り回したり、論議したりしてはいけない。 とにかく、どれだけの重量を浮かせられるのか試そうという事になって、ヒューはさっきからずっとピンポン玉の数を数えつつ「キューブ」の餌付けに勤しんでいた。かなり近い位置でこの群れを観察しているとなかなか面白い、などと彼が言ってしまったものだから、箱を抱えてピンポン玉を放るヒューの傍らには、ミナミも並んでいる。 丁度ピンポン玉が百六十個、「キューブ」と同数になった時、アンはふと気付いた。もしもこの仮定が正しければ、重量というデータは無視されているかもしれない、と。 (問題は伝達可能密度? というか、仲介にあたる「大気」が途切れていないなら、「キューブ」有効範囲内は端から端まで同じ振動を反射させる事が出来る?) ピンポン玉は薄い表面を持つ、空気の詰まった物体。 「もういいですよ、ヒューさん。今日の実験はこれくらいにしておきます。それに、ヒューさん、飽きたでしょ?」 持ち上げる、浮かせる訓練でないものも、やってみる必要がありそうだ。 「キューブ」に触らないで有効範囲内に箱を置いて離れるよう言われたヒューは、身を屈めて白い立方体の傘下に入り込み、適当な位置に箱を置いてから引き返した。その後「キューブ」たちは器用にも、浮かせたピンポン玉を落とすことなくくるくるとフォーメーションを入れ替え、漏斗のような形状で箱の上空に留まる。 「これで…」 呟いたアンが相互間通信の出力を弱めると、「キューブ」間でやりとりされていた「音声」というデータの波が微妙に変わる。しかし浮遊するピンポン玉は解放されずにまた震えただけで、箱に戻ってはくれなかった。 「えーーーーー。こういう時は…」 「外部から、ピッチの違う音声データを差し込め、ルー・ダイ。それで先のデータとの衝突を起こせばいい」 言われた通りのデータを展開した、直後、「キューブ」製の漏斗内側にくっついていたピンポン玉が一斉に跳ね、雪崩るように落下し箱の中へと踊り込む。 波長の違いという要素。アンは始めその波長を小さくしようとし、グランは逆にその波長を大きく揺さぶる方法を少年に教えた。 「…………まだ色々と研究する事多いですね、ぼくは」 てへへ、と照れたような笑みを零し、佇むグランに小さく会釈する、アン。その真っ直ぐな水色の瞳を好ましげに見つめていた電脳魔導師隊大隊長も、鷹揚な頷きで少年に答える。 その間もアンは、「キューブ」の位置固定機能を使って百六十個の白い立方体をくるくると動かしていた。漏斗状に整列していたものが広がり、上下に分かれ、縦に一本線を入れたように並び替え、それから…………。 「アンくん、これさ」 いつの間にか「キューブ」にぎりぎり寄っていたミナミが、その、動き回る群れからアンに視線を移し、小首を傾げる。 その何気無い仕草に、アンはぼんやりと見とれた。 ほっそりしているが凛とした印象の、立ち姿。片腕は軽く身体の横に垂らし、もう一方の腕は持ち上げて肘から折り曲げ、その先端の白くて綺麗な指と淡い桜色の爪が…………。 「…これ? って…それですか?」 「キューブ」たちを指差していた。 「うん。これ。触っていい?」
出た。
とアンは思った。 基本的には無表情ながら、普段ならばどこか胡乱なダークブルーが、今日はぴかぴかと輝いて見えるから不思議。 極度接触恐怖症という神経の病を患っているミナミは、ハルヴァイト以外の人間には触れる事が出来ない。しかしながら青年はその…反動? とでも言おうか、やたら「魔導機」には触りたがり、その、強烈に周囲を凍らせる奇行の最初は、あの「ディアボロ」の顔に触れる事だったのだ。 「相互間通信してるつったっけ? それってさ、なんか危ねぇ電気とかなの?」 「いえ…電気ではないです…けど…」 瞬きの少ないダークブルーが、硬直した…ように見える…「キューブ」を見つめる。 「じゃぁさ、触っていい?」 少年は、迷った。迷ったが、ちょっと羨ましくもあった。データとして「キューブ」が何で作られているのか知ってはいるが、アン自身は、絶対に触れる事の出来ないものなのだから。 陣に取り巻かれて動けない魔導師たちには、永劫やってこない、ささやかな喜び。 「……………いいですよ」 それでもなぜかヒューとグランの様子を窺い、一方は呆れたような溜め息を、一方はどこか面白がっているような笑みを零しているのに苦笑いを向けてから、アンはミナミの華奢な背中に答えた。 「あ、でも、「キューブ」の内側には入らないでくださいね。跳ねたら危ないですから」 「じゃぁ、さっきのヒューは良かったのか? とかも思う。まぁ、結果オーライだけど」 呟くようなミナミの突っ込みと自己完結に、ヒューは思わずアンの引き攣った顔を見てしまった。 「事無きを得ましたっ! 無事終了したし!」 「そうだよな。うん。そうとしか思えねぇ」 「というか、その当時の俺の安全は無保証だったのか?」 ヒュー・スレイサー、かなり複雑な気分。 口元に微かな笑みを浮かべてヒューをからかいつつも、ミナミがまた数歩「キューブ」の群れに近付く。無造作とも取れる気安い動作で腕を伸ばし、大体顎の高さまで下がって来ていた一個の「キューブ」に、ちょん、と指先で触れてみる。 「…………………」 ミナミ、そこでなぜか、手を引っ込めた。 「? どうした? 実は電気が通ってたとか…」 「ううん、違う」 アンから見て、やや右斜め前方に位置するミナミの視線が、水平に滑り少年を捉える。 「これってさ、「キューブ」たちって、何で出来てんの?」 「? 密度の高い発泡ゴムみたいなものです。弾力あるハズですけど? 結構」 素材が金属ではないから、他の魔導機に比べれば柔らかいだろう、と少年は付け足した。 「つか、ふにっていった…」 そこでミナミの笑みが、刹那だけ、赴きを変える。 ふわりと。 なんだかすごく、うれしそうに。 「うわーーー。今きっとぼくら、ガリュー班長に怨まれましたよね」 「…ああ、多分な。だからこの事は、内緒にしないか?」 「ふむ、それにはわたしも同意する、スレイサー衛視」 口々に言いながらも、呆然とする、アンとヒューとグラン。 ハルヴァイトのいない所でミナミのこんな表情を見たなどとバレたら、何をされるか判ったものではない、という背筋を這い上がる悪寒と、偶然とはいえ、ただでさえ綺麗な青年の澄んだ笑顔を見たという光栄。 そのミナミの笑顔は、本当に穏やかで華やかで柔らかく、綺麗。 何がどう良かったのか、気に入ったのか、ミナミはじっと動かない「キューブ」の群れに微笑みかけたまま、一番手前に留まっている一個をふにふにと指先で押していた。確かに柔らかい素材なのか、押されるたびに「キューブ」の表面が微かにへこむのが、傍目にも判る。 「結構柔らかいものなのか?」 「と思う…。「ディアボロ」とか「サラマンドラ」ってのは、純粋な鋼だった合金の複合だったりしてさ、冷てぇしすげぇ固ぇもんなんだけど、「キューブ」は、なんつうのかな、手触りが…そもそもそういう魔導機と全然違う」 何か興味が沸いたのか、腕組みしたまま近寄ってきたヒューに答え、少しだけ考えてからミナミは、一辺が五センチという「キューブ」を、まるで本か何かを取り出すかのように掴んだ。 「…………………」と、ミナミ。 「………………」と、ヒュー。 ふに。 「…」と…、ミナミ。 ぷる。 「…………………………」と…、ヒュー。 ミナミに掴まれた「キューブ」が、微妙に位置をずらした。というか、かかる力の作用で、ミリ単位で動いてしまった? とにかく、一個の「キューブ」が跳ねるほどでもなく位置をブレさせたから、他の百六十個にもその小さな波が伝わる。 つまり、全体が微かにぷるぷる震え、必死になってその場に留まろうして「我慢」するかのように、見えた。 「これってさ、結構ヤバくねぇ?」 「何がだ?」 ミナミが溜め息のように呟き、ヒューが嘆息で答える。 別に支えがある訳でもなく中空に浮いている「キューブ」は、ミナミの腕が微かに動くだけで位置をずらし、結局全体が震えた。 ぷる。 ぷる。 ぷるぷるぷるぷるぷるるるるるるるるるる……。 「だからさ、これはマズいって」 「だから、何がだ」 ミナミ、完全に面白がっているらしい。 「………………アンくん。これ、一個くれねぇ?」 「いや、それは無理です、ミナミさん。というか、ミナミさんがボケてどーすんですか!」 印象として、半泣きでふるふる震える「キューブ」の群れを背景に、ミナミは無表情にアン少年を見つめる。しかし、絶対に一個の「キューブ」から手を離そうとしないまま、魔導機をペットみたいに愛でたい青年は、アンの突っ込みに落胆して呟いた。 「マジで残念。ふにふにでぷるぷるでかわいいのに…」 「ふむ。ミナミくんはそういうふにふにでぷるぷるが好きなのか…。では、是非今度「ヴリトラ」にも…」 「いや、十三メートルもあるふにふにでぷるぷるは、あんまかわいくねぇだろ」 言い終わる前にすかさず突っ込まれて、グランはがっくりと肩を落とした。
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