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番外編-5- 夢が見れる機械が欲しい

   
         
(8)

         

 赤い文字列が消えた。

 青緑の陣も消えた。

 だから、その場に残ったのは。

 鋼色の髑髏。骨格の悪魔。雄々しく巻いた厳しい角と空洞の眼窩、剥き出しの心臓は漆黒の回転球。背骨から続く刺々しい長い尾もそのままに、ただ、全高がヒューよりやや小さくなっている、それ、「ディアボロ」。

 それにどんな高等技術が使われているものか、背丈が百八十センチに変更されている「ディアボロ」が一歩動くなり、普段よりも各段に大量の自由領域を立ち上げたドレイクとハルヴァイトが同時ににやりと笑った。瞬間、攻撃態勢で相手の動きを待っていたヒューが、その腕を下ろす。

 何をしようというのか、元より少ない瞬きをまた減らした男が、にやにやと悪魔を見ている。確かめているのか、何か待っているのか、どちらにしてもどちらかが動かなければ、始まるものも始まらない。

 だから、ではないのだろうが、当然、「ディアボロ」が滑るようにヒューへと肉迫する。体表で細かな光を散らす、固い金属で構築された骸骨が正面から迫る光景に、しかし、ヒューは笑みさえ消そうとしない。

 サファイヤが微かに動く。足の運び、腕の動き、頭部のブレ、肩の上下…。見るべきものを瞬間で見たヒューは、左下から急上昇して来た拳の気配を察して、軽く左肩を開いた。しかしそれでは、腹部を狙って来た固い拳が胸を強打し兼ねない。

 右は空振り、左は健在…。厄介なのは。

 通常の人体よりも長い手足のリーチにヒューが入った、瞬間、「ディアボロ」の拳が速度を増す。びゅ! と大気を切り裂く甲高い音。一撃目が避けられるのは予測の範疇内だったのか、追って繰り出された左の拳は、ヒューの肩口に水平に襲いかかろうとしていた。

 左右の拳は死んだ。次は。

「尻尾がな…」

 吐く息と伴に小さく呟いたヒューの身体が、かくんと沈む。

 左右から時間差で迫る拳を避け沈んで床に手を付いたヒューの上下が逆転し、長い足が「ディアボロ」の首に左から絡み付く。身長が同等であればこれくらいなんでもないのか、悪魔に対してやや左に開いた逆立ちの姿勢から器用にも身体を捻って首に足をかけた男は、その、骨格剥き出しの肩に半ば身体を預けた格好のまま、両手で床を突き放したのだ。

 瞬間、指先と床の間を走った、刺だらけの尻尾。ずしゃ! と床材を抉り出したそれだけが惰性で前方に振り抜けるのを感じながら、誰もが唖然と、「ディアボロ」を見つめる。

「すげー…非常識…」

「………黙れ、ミナミ」

 流れて来るだろう尾の動きを読んでいたのか、ヒューはなんと、床を突き放す勢いで曲げた膝を「ディアボロ」の首に引っ掛け、その肩に、ひょいと…身体を預けたのだ。

「さすがに骨だけだとバランス悪いな。上がり難い」

 フィルムの逆回しみたいに足から「ディアボロ」の肩に上がったヒューが、振り落とされて床に降りる。ありえない。アクロバットじゃあるまいし。確かに打撃を仕掛けようとしていた悪魔の上半身は前傾していたが、だからといって、足と腕の力でその肩に飛び乗るか? 普通。

 確かに「見た目」は単純で非常識だとしか思えないが、それにしても、とんでもない筋力とバランス感覚だとギャラリーは唸った。

 ヒューの爪先が床に到達して、間を置かず、「ディアボロ」の尾が跳ね上がりその足を掬おうとする。それさえ見切っていたのか、ただの反射行動なのか、その人は、殆ど後方に倒れるような格好でまたも軽く床を蹴り離した。

 身体が宙に浮く。多分、背中から叩き付けられる。それを確実に圧し込もうというのか、悪魔は床すれすれを流れた尾の動きに習わずその場に踏み止まって、固めた拳をハンマーのように振り上げ、ヒューの鳩尾に上空から突き刺そうとした。

 刹那で、ヒューの長身が半分以下に縮む錯覚。瞬転する衣擦れの音。瞬きもせず息を詰めるギャラリーを嘲笑い、床に食い込んだ悪魔の拳を蔑むように、その。

 サファイヤの双眸が物騒ににやと笑う。

「抜群に身体の使い方が上手いつうのか? こいつぁよ…」「警護班班長の、というよりは、武道家としての看板はダテじゃないという事ですかね。呆れますけど」「失敗すりゃ頭から床に落下すんだろ、あんな強引に捻って回ったら」「失敗しない自信があるとしか思えませんね、どう考えても」

 データを閲覧していたドレイクからの呆れた通信に、ハルヴァイトも呆れて答える。

 まさか、地上一メートルもない位置で、誰が、捻りを加えた後方回転回避行動を取るなどと想像するのか。中心点を胸に据えて手足を縮め、床すれすれで回転しながら百八十度身体を捻って、「ディアボロ」の拳を回避。

 さらに。

「ディアボロ」に背を向ける格好で四肢を突き床に着地したヒューの足が、刹那でぐんと背後へ伸びる。その先には、床に食い込んだ拳を引き抜いたばかりの悪魔がいた。

 空中で遊んでいた拳を、ヒューの踵が水平に蹴り付ける。それはいかなる力だったのか、ついに、真後ろに押された「ディアボロ」はよろけて後退し、それでもなんとか、刺の生えた尾を床に擦って踏み止まった。

「手強いな」「人間じゃないですよ…」「…同感だ」

 正面を睨んだまま、思わず苦笑を浮かべるドレイクとハルヴァイト。

 それとは別な意味で苦笑を浮かべたヒューは、「ディアボロ」に向き直って攻撃の構えを取ったまま、なぜか、自分の足をじっと見つめていた。

「…これはこれは、驚きだな」

 打撃反動が殆ど感じられない。機械式相手に組み手した時は、後半、さすがのヒューでさえ攻撃を躊躇してしまうほどの衝撃が返り、それからの十日余り、身体中の骨がばらばらになるような思いをしたのに。

 ゆっくり一度瞬きをしたヒューが、殊更ゆっくり顔を上げ悪魔を見つめる。サファイヤの瞳。

 佇むドレイクと、ハルヴァイトと、警戒しているのではなく怒りに震えて見える、「ディアボロ」と。

 真円を感じた。それが、サークル。完璧な形状で、独立しても美しいその形はしかし。

 関わり合って尚強く優美なのだと、ヒュー・スレイサーも知った。

「無効化率九割弱です。これで限界ですね、ヒューさん。出す打撃が強ければ強いほど、リバウンド率も上がります」

「機械式の間接をへし折った時は、この百倍痛い思いをしたがな」

「シェル追加で残りの一割強って数字も減らせそうだけど、どうする?」

 アンとタマリに答えつつも振り返ろうとしないヒュー。

 間合いを取って睨み合う、悪魔と人と。

「このくらい残ってた方がいい」

 痛みを感じない悪魔を見据えて、人は言う。

「気持ちも、身体も一緒だよ。

 どんな理由であれ誰かを傷付けようとする時、痛みを感じないような人間になったら、終わりだな」

 わたしは人であり人の中にあり人を守り時に人を傷つけようとするのだから。

「俺はそんな、麻痺した人間になりたい訳じゃない」

 痛みは、感じるべきである。と。

 だからその時、誰もが判る。

 世界が丸い理由。浮遊する都市の丸い理由。電脳陣が丸い理由。

 魔導機と人が、イコールになる理由。

「班長は、やはり、真理をご存知のようだ」

 ハルヴァイトが呟いて、瞬間、彼を取り囲んでいた青緑の文字列が、爆裂するように四方へ吹っ飛んだ。

  

   
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