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番外編-6- **まで残り、1センチ

   
         
(2)

  

 事の起こりは今日、電脳班ではハルヴァイトとデリラが休暇を取り、居残りはドレイクとアン、それから、ルニの遊び相手としてアリスだけが登城しているという、非常に珍しいシフトの最中に勃発した。

 昼食を挟んだ会議の資料を作成していたミナミが一通りの仕事を終え、デスクにばたりと突っ伏したのを見て、これまた珍しく在室だったクラバインがお茶でも差し上げましょうかと笑顔で青年を労った途端、クラバインが背にした王城最深部に繋がるドアが盛大に開け放たれ、ファイラン運航システムに入っていたはずのルニがひょこりと顔を出したのだ。

「アイリー、暇?」

「…非常に残念ですが、暇です」

 姫君の顔に浮かんだ、何やら嫌な感じのにこにこ笑いにきっぱりと失礼な答えを返したミナミがデスクを離れて、ルニに窓際のソファを勧める。その、微妙に疲れた無表情を短く笑ったクラバインは、お茶の支度をしましょうと再度言い残し、続いて顔を覗かせたマーリィとアリスに一瞬だけ視線を流してから退室した。

 クラバイン・フェロウ、慎ましくも地味に避難終了。ミナミ、絶対絶命か。

 ここでミナミに何かあったら小一時間は説教します。と無言の笑顔で威圧されたアリスとマーリィが顔を見合わせて苦笑するも、ルニは気にした風なく勧められたソファに飛び込み、とんでもない事を言い出す直前のウォル…陛下…そっくりの表情で、向かいに座ったミナミを見つめる。

「ルニ様、システムは?」

 ぴかぴかの黒瞳(こくとう)に一抹の恐怖を抱きつつも、ミナミは無表情を崩さない。

「うん。今日はもうお終い。朝が早かったから」

 ついこの間までどこかしら幼い口調で、自由に振る舞っているようにしながら城の生活に戸惑っていたこの癖っ毛の姫君も、「あの騒動」のおかげですっかり未来の女王陛下然として来たなとミナミは思う。

 とにかく、あり得ない事ばかりがばたばたとたたみかけるように持ち上がり、不運にも関わってしまった…強制的に関わらせられた、か…それぞれが、多分、その時自分に出来る、それから、この先自分がしなければならない事を否応なく目前に突き付けられ、抵抗しようが否定しようが、「やれ」と無言で背中を押された。

 そういう事件だった。

 ただ、悪い事ばかりではなかったのだとも思う。

 例えば、目の前でにこにこしている姫君の存在理由を城中の「新女王否定派」に嫌という程知らしめたのや、逆に「陛下肯定派」の無体な主張をあっさり引っ込めさせたの、それから、ミナミを含む大多数の当惑や、目の前に立ちはだかっていた「壁」のようなものを、綺麗さっぱりとまでは行かないが、ある程度取り払ったのも、アレ、があったからこそだろう。

 それにしても、乱暴この上なかったけれど。

 ホント参るよな、あのひと…。

 ミナミは一連の事件に関わる全てをその一言で締め括り、で? と、相変らずにこにこしたまま青年を見つめているルニ=ルニーニ・アリエッタ・ファイランW世に、小首を傾げて見せた。

「つまりね!」

「いきなりかよ」

 ぴかん! と天井に向けた人差し指を顔の前に突き出したルニの唐突なセリフに、ミナミが突っ込む。それを、姫君の背後に立っていたマーリィがくすりと笑った。

 しかし、果たしてルニがミナミに何を言おうとしているのか、実のところ、同行して来たマーリィにもアリスにも判らない。ただ、朝早くから進んでシステムに入り暫く、唐突にそこから抜けて来た姫君に、特務室に遊びに行こうと半ば強引に連れて来られただけなのだ、ふたりは。

 そう、だからまさか、少女の好奇心がこんな…些細でとんでもない騒動を起こすとは、その瞬間まで誰も思っていなかった。

 アリスも。

 マーリィも。

 ミナミも。

 そして、ルニ本人でさえ。

 いつも誰か彼かが座って意味もなく寛いでいる印象のあるソファ。大抵それはミナミに会いに来た陛下だったり、本当に意味なく現れるハルヴァイトだったり、件の青年に呼び出されてあれやこれやと相談を持ちかけられるヒューだったりするのだが、今日は少し趣旨が違って、華やかだ。

 低いテーブルを挟んで座っているのは、ミナミと、ルニ。ルニはスカイブルーのシャツに黒いハーフパンツという…到底姫君らしくない服装だったが、その背後に控えたマーリィ・フェロウは淡い藤色のワンピースの上にエプロンドレスを重ねていて、今日も非常にかわいらしい。

 その光景を、ミナミの執務ブースを仕切る衝立に寄りかかって眺め、ホント、どうしよこのコたち。かわいいわぁ。などとアリスは思った。今度マーリィのドレスとかミナミに着せてみようかしら? とついでに恐ろしい事も考えてみる。

 ハルヴァイトに内緒でやってみたい。いや、知っても邪魔しそうにはないが。

 マーリィならきっと喜んでドレスを提供してくれるだろう。アリスのものではちょっと露出が高過ぎて、逆にハルヴァイトを敵に回しかねない。というか陛下を仲間に入れたら面白いかもしれない。きっと、ミナミに似合う豪華なドレスを作ってくれるに…。

 と、アリスはひとり楽しい事を考えていた。

 だから、反応が遅れたのか。

 ルニの、爆弾発言に。

        

       

「アイリーのファーストキスの相手って、ガリューなの?」

      

       

 瞬間、マーリィの笑顔が凍り、アリスの亜麻色が撥ね上がって、にこにこしたままのルニを捉える。

 反射的になのだろう、ミナミはルニの背後で硬直したマーリィに視線を流し、同時に、軽く差し上げた左手でアリスを制した。

 ミナミは、ルニが何も知らない事を知っている。いつだったか、ウォル…陛下が丁度今ルニの座っている場所に座って、ぼんやりと外を眺めながら青年に告げた。

 まだ、あの少女には、教えてやる気になれない。と。

 だから、いつかこんな都合の悪い話題が出ても不思議ではないとミナミは思っていた。ルニにしてみれば、たった一度擦れ違い、それから何年も経って再会(?)し今に至るミナミとハルヴァイトは、恋愛もののファンタジーを素で行っているように見えるはずだ。

 実際は、幻想などという美しい理想とは程遠い場所に、ミナミはあったのだけれど。

「…気になんの?」

「うん、結構」

 マーリィとアリスの発散する奇妙な空気に首を傾げつつも、ルニが答える。それをミナミは、あのダークブルーの瞳でじっと見つめ、それから、短く息を吐いた。

「だって、初恋は成就しないと言うじゃない?」

「つか、なんでそこ微妙に口調がおかしいよ」

「うーー」

 尋ね難いのか、それとも単に気持ちが言葉に変換されていないだけなのか、ミナミの冷静な突っ込みに唇を尖らせて唸る、ルニ。よもやこれ以上都合の悪い方向に行ったらルニ様だって容赦なく引っ叩くわよ、的顔つきで握り拳を固めたアリスの切羽詰った気配と、硬直したままおろおろと視線だけを泳がせているマーリィを順繰りに見回してから、ミナミは…小さく笑った。

「初恋とさ、ファーストキスって別じゃね?」

「同じ人もいるじゃない」

「そっか」

 言われてみればそうだ、といかにも納得したような無表情で…ミナミ、こういう所が器用だ…頷いた青年が、ソファの背凭れに身体を預ける。

「えーと、じゃぁアイリーは、初恋の人とファーストキスの相手、違うの?」

「うん、違う」

 ミナミ、即答。アリスが一瞬、妙な顔をする。

「…違うつうか…、まぁ、結果的につったらいいのか、事実としてつったらいいのか、さ、すげーややこしいトコなんだけどな、俺は」

 いつもと同じ無表情。どこも変わりなどない。

 それがなんだか心に引っかかるのか、アリスがますます眉根を寄せる。

「……………………でもさ」

 ゆっくりとルニの上から動きマーリィを経由したダークブルーが、ひたりとアリスの亜麻色を捉えた。

「気持ちとして、同じでありたいと思う」

 呟きのお終いを飾るのは。

 ふわりと淡い弧を描いた唇。

 その、柔らかな笑みは。

「…アリス…。これ、内緒な」

 唇の前に立てられた人差し指にすぐ隠れてしまったけれど、アリスは、その瞬間でとても幸せな気持ちになった。

 気持ちとして。恋と。くちづけ。

「そういう内緒話なら、大歓迎だわ」

 同じでありたい。

 そのひとでありたいのだと、ミナミは、どこかしら恥ずかしげに微笑んだ。

  

   
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