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番外編-6- **まで残り、1センチ

   
         
(3)

  

 そこで済めばいい話だったで終わる。

 しかし、そこで済まないからファイラン家なのか?

「じゃぁ、初恋が成就しないっていうのは?」

「根拠のねぇ俗説みてぇなモンじゃね? 統計とか取ってる機関あんなら別だけど、そんな話し聞いた事ねぇしさ」

 っていうか、いくら暇な学者か何かがいても、そんな統計取らねぇだろ、普通…。などとミナミが薄く笑い、アリスとマーリィも、そうねと安堵に似た笑みを返す。

「では、判りましたっ!」

「…何がだよ…」

 鼻息も荒く握り拳を差し上げて立ち上がったルニの顔をげんなりと見上げ、ミナミ、とりあえず普通に突っ込む。なんとなくこの姫君が何を言い出すのか判ったが、あえて質問ではなく突っ込みで切り返すあたり、随分青年の調子も戻って来たようだ。

 平和だわぁ。とアリスが苦笑し、ルニ様、はしたないですよ? とマーリィが注意する和やか(?)な室長室に、飛んで火に入る…。

「お茶の支度が出来ましたよ、皆さん。なんです? 随分楽しそうですね」

 クラバイン・フェロウ再度登場。

「その、世間の興味を一身に集めつつも今まで誰も成し得なかった偉業は、このルニ様が樹立するです!」

「…だから、なんで時々口調がおかしいよ」

 内心誰に助けを求めていいのか不安になりつつも、ミナミはなんとなく、笑顔でアリスにトレイを手渡しているクラバインをじっと見つめた。

 室長、タイミング悪ぃな…。くらいの、突き放した感想を抱きつつ、か。

「まずは手近な所で特務室からっ! はい、クラバイン」

「やっぱな…」

 ミナミ、嘆息。

 ぴし! と突如指を突き付けられたクラバインが、小首を傾げつつ「ルニ様、はしたないですよ」と…。

「クラバインの初恋の相手って、レジーなの?」

 言うが早いか、ルニが満面の笑顔で地味な男を睨んだ。

「…………………………」

 先とは違う緊張が、刹那で室内を食い潰す。

「それと、ファーストキスの相手は? レジーじゃないの?」

「……………………」

 クラバイン、なぜか、硬直。

「この間って、微妙じゃねぇ?」

「意外と興味あるわぁ、それ」

「家族としては、内緒にしますって言った方がいいの? こういう場合」

 唐突な展開に無言且つ貼り付けた笑顔で狼狽えるクラバインを無視してアリスの手から茶器を受け取ったミナミ、マーリィがそれぞれ呟き、笑顔を交わす。

「ミ…ミナミさん…」

「何か」

「会議の資料は…」

「出来てます。つうか、室長判ってたはず」

 ミナミ、微かに意地の悪いところを発揮。

「………………………」

 こういう時に限って陛下からの呼び出しもなく、クラバインは優雅にお茶を頂くミナミとアリスとマーリィを順番に見回し、最後に、恐る恐るルニの笑顔を見遣って、がくりと肩を落とした。

「ルニ様…」

「なぁに、クラバイン」

 少年のような少女のような愛らしさで小首を傾げた姫君から視線を逃がしたクラバインが、いかにも渋い顔付きで溜め息を漏らす。

「それは、何か、重要なご質問なのでしょうか?」

「もー大変なくらい重要」

「周りがな」

 確かに。とミナミの呟きに、無言で頷くアリスとマーリィ。

「ですがそれは、これ以上ないくらいプライベートな事柄でありまして」

「…みんな、今日、口調おかしくねぇ?」

 珍しく動転しているらしいクラバインをからかって睨まれたミナミは、ぷいと窓へ顔を向け知らぬ振りを決め込んだ。

 その、奇妙に余裕のある青年の横顔をアリスが内心笑う。原因というか、理由は判っている。なんの事はない。自分はもうその質問に答え終わったし、ついでに、ハルヴァイトは休暇中だ。

 だから、今日ここでルニの好奇心を満足させられれば、これ以上飛び火しない。

 と、思う。

 意外と賢しい、ミナミ…。

「大丈夫! 内緒にするから」

「そういう問題ではありません」

 にー。といやーな笑顔でクラバインの肩をぽんと叩いたルニを諌めるように、どうしてもその答えを出し渋る男が小声で言い返す。

「つうかさ、なんで室長はそんな拒否するワケ?」

 ここで、俺だって答えたのに、と言わないあたりが最終的にミナミっていいコだわ。とアリスは思った。青年の事情を知っているならば、それは。

 拒否出来ない脅し文句以上の効力をもってして、受け取った者を複雑な心境に落とし入れる事請け合いだろう。

「そもそも、初恋がどれを指して言うのか、判断しかねます」

 とここで、クラバインは生真面目な性格全開で反撃に出た。

「ルニ様にも憶えがございましょうが、幼少のみぎり、初等院の教授を指して「先生が好き」というのもある意味「初恋」でしょうし、隣家の幼馴染と「将来結婚しようね」というのも「初恋」かもしれません」

 ルニを説き伏せるのか? クラバイン。

「………………そっか、基準の問題ね、基準の」

 言い返されて、途端に難しい顔をしたルニが顎に手を当て、うーむ、と唸る。そういう顔が少し陛下と似ている、などとどうでもいい事を思い浮かべつつ、ミナミは無表情に納得した。

 そういう言い逃れもあったのか。まぁ、ミナミには、出来そうもなかったが。

「初恋の相手がはっきりしないんじゃ、ファーストキスの相手を訊いても統計は取れない? アイリー」

「つか、なんで俺に訊くよ」

 巻き込むな。と、青年は失礼にも言ってやりたい気持ちになった。

 だが、しかし。

「初恋の相手つわれて、ぱっと思い浮かべた人でいいんじゃねぇの?」

 ミナミ、妙な所で世間に不都合だったりもする。

「あ、それいい。それでいいや、クラバイン。で? 誰?」

 いかにも感心したようにぽんと手を打ったルニの視線がミナミからクラバインに戻り、アリスとマーリィは思わず後退さりそうになった。

 怖いぞ、ミナミ。それはあまりにも正直過ぎて、怖い。

 そして、笑顔のルニに見上げられて、クラバインはまたも心底狼狽えた。

「答えなくて失職するならば、それでもいいかと…」

「いや、それはねぇだろ。だって、室長の進退決めんの陛下だし」

 全くもってその通りだ。

「で、なんで室長がそこまで返事を渋ってるかつうのが、問題なんだと思うんだけどさ、俺は」

 お願いだから黙っていてくれという上官の視線を完璧に無視して、ミナミがぽそりと呟く。

「アリスさんの予想としては、そうねぇ、まず、どちらもレジー」

「それなら逆に、どちらもレジーじゃないというのもあるんじゃない?」

「片方がレジーさんで、片方が第三者とかさ」

「初恋の相手がレジーなのに、ファーストキスの相手が他の人だったりすると、ちょっとややこしい感じ?」

 そこでミナミは、…また、か?…、余計な一言を付け足した。

「しかもその第三者が俺たちの知ってる人だったりすると、案外気まずかったりな」

「………………………」

 再来する微妙な間は、果たして何を意味するのか。

 さすがに、ルニ以外の三名はそこで、そろそろマズいと思い始める。が、しかし、されどしかして、だから余計にクラバインを問い詰めたい気持ちもあったりなかったり。

「…いまここにタマリとか居てくれてたら、すっげー感謝したかも、俺…」

 かなり本気で唸ったミナミの横顔を、クラバインの刺すような視線が射抜いた。

「判りました」

 そこで観念したのか、それとも何か有効な言い逃れが思い浮かんだのか、クラバインは無個性とも取れる地味な顔に胡散臭い薄笑みを貼り付けて、一瞬退いたミナミとアリス、それからマーリィを順番に見回し、最後に、相変らずにこにこするルニに顔を向け直した。

「まず、目的をはっきりさせましょう、ルニ様。

 なぜ、そのような質問をわたくしに?」

 完璧にいつもの調子を取り戻した風…あくまでも、風、だが…でぴしゃりと言い切ったクラバインから顔を背けずに、ルニがうんと頷く。

「統計を取ります。初恋は成就しないという俗説は、果たして本当に事実無根の通俗的言い伝えなのか、それとも紛う事無き真実から産まれたものなのか!」

 こちらもぴしゃりと言い切ったルニに、クラバインが小さく頷き返す。

「つか、マジだよ、この人たち…」

 ミナミ、ちょっと呆れた。

「では、その統計を取るに当り、ファーストキスの相手という要素は必要ないのでは?」

「統計を取ろうとする時、より多くの判断材料として必要とあたしは思うわ。初恋がイコールファーストキスではないけど、それがイコールだった場合とイコールでない場合に結果がどう推移するのか、というのも、統計を構成すべき要素でしょ?」

 真剣な面持ちで言い合うクラバインとルニの横顔を眺めながらミナミは、冷め始めた紅茶を一口啜り、人知れず溜め息を漏らした。

        

 つうかさ? 初恋は成就しない。の、成就、って何?

        

 面白くなってきたなぁ。と青年は、会議までの短い時間、ルニにくっ付いて暇潰そう、と、周囲の人間には恐ろしいほど迷惑な事を、本気で考えていた。

  

   
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