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番外編-6- **まで残り、1センチ

   
         
(4)

  

<ルニ様メモ>

 ミナミ・アイリー=気持ちとして同じでありたい(?)

 クラバイン・フェロウ=どちらもレジーではない。

      

        

「…………………はぁ…」

 結局、ルニの熱意(?)に負けて初恋とファーストキスの関係を白状させられたクラバイン最後のセリフは、マーリィとアリスに対する、「レジーには絶対教えないでください」という悲痛なものだった。

 きっと今の話を聞いても、レジーナは怒らないだろうとミナミは思う。しかし、あのクラバインの抵抗ぶりから考えて、何かネタにされる要素はあるのか。ヒューの話しによれば、クラバインとレジーナは十代半ばからスレイサー道場に通い、警備軍に入り、同時に衛視に召し上げられた仲なのだ。なんだかんだで幼馴染みたいなものだから、都合の良いも悪いも、ある程度は筒抜けだろう。

 クラバインからの調査結果をその辺りに散らかっていた書類の裏にしたためたルニが室長室を飛び出し、次に向かったのは、当然、お隣の衛視執務室だった。

 で、冒頭の腑抜けた答えを返したのは。

「初恋の相手ですか? 特務室(うち)のひめさまの兄上です」

 九割以上嘘っぽく即答する、ジリアン・ホーネット。

「やだ、嘘。知らなかったわ」

「ぼく、警備軍入隊当初は執務課データ分析班所属の事務屋で、その時の上官がひめさまの兄上なんです」

 黒いセルフレームの眼鏡を指で押し上げにんまりと微笑むジリアンの笑顔に、嘘だよー、と書いてある。確かにミナミの鮮明な記憶によれば、ジリアンはかのカイン・ナヴィの部下だったはずだ。

 こちらも六割くらい嘘臭く驚いてみせたアリスに、ルニが「アリスのおにーさん? ってどんな人?」と質問している。

「どんなって…気の弱い人」

 そして地獄のようなシスコンで、アリスを溺愛していて、報われてないのに一般警備部の連隊長になってしまって可哀想な人。と、ミナミはドレイクが言っていたのを思い出した。

 ただし。

           

「姉妹に挟まれてちっこくなってるようにしてよ、カインくんは結構頭切れんだぜ?」

        

 とも、貴族会で顔を合わせるミラキ家の当主は、意味ありげに笑ってもいたけれど。

「じゃぁ、ホーネットのファーストキスの相手は?」

 メモメモ、と手にした用紙にペンを走らせるルニの痩せた肩を見下ろしつつ、ジリアンがまたも「はぁ」と答える。

 事務職専門で執務室に居残っている事の多いジリアンは、陛下の我侭だとか、姫君の突拍子もない発言だとかに慣れているのだろう、余計な事など言わず、少女の満足しそうな答えをすらすらと並べ立てる。

「それも、ひめさまの兄上です」

 うわぁ、すげぇ。とミナミは、無表情に感心した。

 ここまで潔く白状されると、嘘か本当かちょっと不安になる。

「…なんか、凄く複雑な気分だわ…」

「なんで?」

「カインくん、酔っ払うと誰彼構わずキスして歩く悪癖があんのよ…」

 だから十割嘘だとも言い切れないらしいアリスの表情を、当のジリアンが笑う。

「ひめさまに似てらっしゃるお綺麗な方ですから、まぁ、ソンはしなかったって事で」

「やっぱ怖ぇわ、特務室」

「ぼく、アイリー次長の部下ですからね」

 それってどういう意味だよ。と無表情に責めるミナミから視線を逸らし、急がしそうにキーボードを叩き始める、ジリアン。

「ねー、モルノドールの初恋の相手はぁ」

「…って、なんで隠れてるのに訊くんですか、ルニ様!」

 足音を忍ばせて壁際に設えられている応接セットに近付いたルニがソファの後ろ側を覗き込んで問えば、背中を丸めてそこに隠れていたクインズが半泣きで背凭れの向こうから顔を出す。

「だって、在室ってなってるもの」

 アレ、と細い指が差したのは、ドアの横に掲げられたホワイトボード。

「侮れねぇ…」

 勝手にヒューのデスクに座ったミナミが、溜息交じりに唸る。

「皆様の全くご存知ない一般市民です」

「どっちも?」

「どっちも」

「じゃぁ、初恋の相手とファーストキス相手は…」

 同じなの? とソファの背凭れにしがみ付いてクインズの顔を覗き込んでいたルニが言いかけた、途端、ノックの音と同時に執務室のドアが開け放たれた。

「………………………」

「…。おかえりなさいませ」

「ある意味最高にいいタイミングで面白い人が帰って来たと思うのは、あたしだけ?」

「……………………。なんだか判らないが急用を思い出したんで、どこかに行っていいか?」

「いいワケねーだろ、この空気でさ」

 タイミング良くなのか悪くなのか、一般警備部実戦訓練の指導に行っていたヒュー・スレイサー登場で、執務室内が俄かに色めき立つ。

 ここに居るはずのないルニとマーリィの奇妙に愛想いい笑顔に戦々恐々としつつも、ヒューがボードに掲げられていたネームプレートを在室に移動する。目を合わせたら噛まれる。みたいなわざとらしい顔つきをミナミは笑い、ルニは。

 ソファにちゃんと座り直してから、はりきって「スレイサー!」と彼を呼ばわった。

「ここ座って」

「さて。姫君に説教されるような事はしてないと思いますが」

「お説教とかじゃないってば」

 いや、そっちの方がいいのかもしれない。

「統計を取っています!」

 バシン! と意味もなく勢いを付けてテーブルに叩き出された一枚の紙を覗き込みながら、ヒューはルニの正面に座った。

「…ミナミ、気持ちとして同じでありたい? クラバイン、どちらもレジーではない? ジル、アリスのおにーさん? クインズ、不良標本? って、なんです、これは」

 というか、自分で最後まで訊かなかったくせに不良標本かよ、クインズ。とミナミが内心思いきり突っ込む向こうで、また何をやってるんだかこの姫君は。という呆れた空気を撒きながらも、ヒューがルニに小首を傾げて見せている。

「スレイサーの初恋の人って、誰?」

「…………………」

「初恋って言われて、ぱっと思い浮かんだ人、教えて」

「誰も」

 少しくらいは考えてやれよと言いたくなるほどきっぱりと、ヒューはルニの小さな顔を見つめて答えた。

「誰もって…。ちょっと班長、本当に誰も思い浮かばなかったの?」

「誰も」

 思わずルニの隣りに滑り込んだアリスに問い詰められても、ヒューの涼しい顔は崩れない。

「いや、ここまで清々しく言い切られると、コメントしようもねぇよな」

 普段ならここで「それ嘘だろ」くらいは自然と出るはずのミナミでさえ、偉そうに腕を組んで座っているヒューを見ても、言葉が浮かばなかったらしい。

 それくらい、きっぱりと。

 初恋などなかった。と、そのひとは。

 過去の恋人たちが聞いたら憤激しそうなくらいにあっさりと言い放つ。

「最初の恋人も、初恋じゃなかったんですか? スレイサー衛視」

 ここで黙っている訳には行かなかったのか、ルニの背後に控えていたマーリィがふかふかと笑みを零しつつヒューに問いかける。その、笑顔に潜む冷たい怒気? みたいな不穏な空気にわざとらしく肩を竦め、ヒューはほんの少しだけ考えるフリをした。

 惚けたルニの頭上に移る、サファイヤ色の瞳は。

「初恋と言われて思い浮かぶのが「初恋」だというなら、違うな」

 嘘を言っているのではないと、真白い少女は思った。

「そういう曖昧なものは苦手だ。最初の恋人が「初恋」だというなら、その方が答え易いかもしれない」

 きっぱりと、しかし、何かが、心に引っかかるこの言葉は。

 ミナミはそこで思い出す。

 何度か、そんなどうでもいい話しをした。恋人がいなかった訳でもなく、恋をしなかった訳でもないのに、なぜ、ヒューは誰も思い浮かばないというのか。

 噛み合わないばかりの、記憶。

 与えているつもりの誰か。

 期待するばかりの誰か。

 彼はただ、自分をすり抜けていくそういうものを、見送っただけ。

「じゃぁ、班長、初恋じゃないにしても、こういう話題になったら誰か一人くらい思い出す人とか、いないワケ?」

「そのくらいは居るだろう…。俺をなんだと思ってるんだ?」

「つか、アリスの質問が尤もで、人間らしく扱って欲しいならヒューがなんか改めるべき」

 なんて失礼なヤツだ、と言わんばかりのヒューに、ミナミは謹んで言い返した。

「だがそれでは、ルニ様の質問の返答としては適切じゃないだろう。尋ねられたのはあくまでも初恋で、別に、昔の恋人じゃない」

 ここまで横柄になり切られると最早苛立ちさえも感じないのか、アリスもルニも、涼しい顔をミナミに向けたヒューを唖然と見つめている。

「…班長って、無駄に男らしいわ、もしかしたら…」

「っていうかアリス、それ違う、多分」

 ミナミばりに突っ込んだルニの癖っ毛をぐしゃりと掻き回したアリスが苦笑いして、瞬間、ソファの後ろで難しい顔をしていたマーリィが、ぱしんと両の手を胸の前で叩き合わせた。

「判りました、スレイサー衛視!」

 きらきら光る紅玉色の双眸が、ヒューを捉える。

「これから先スレイサー衛視に好きになって貰える誰かは、きっと幸せですね」

 その意味不明な発言に、ミナミは突っ込まなかった。

 だから、マーリィはさも得意そうに、嬉しそうに、いかにも少女らしい発想と経緯によって導き出された解答を、呆気に取られるヒューに突き付けて見せる。

「初恋で誰も思い出さないって事はですよ? 過去は過去で、スレイサー衛視にとって恋はいつでも新鮮なんです!」

「………………………ああ、そう…」

 何か、他人の入り込めない世界に片足を突っ込んであらぬ方向をうっとりと見つめた真白い少女に、吐息とも返答とも付かない弱々しい空気だけを返したヒューが、ぐったりとソファの背凭れに沈む。さすがに、ここまで曲解されると言い返す気力も果てるのか、それきり、件の銀色は苦笑するばかりで、口を開こうとはしなかった。

 そしてミナミも…。

 いや、つうか、いつも新鮮なのか実はもう腐ってて正体ねぇのかどうかは判んねぇにしてもさ、欠片も思い出して貰えねぇ「過去の恋人」つうのの立場はどうなんだ? っていうか、そもそも「初恋」とか聞いて、迷わず「誰も」って答えるヤツが、いつも新鮮な恋とか出来るのか?

 と、言ってやりたい気持ちはあったが、あえて突っ込みもからかいもなしで、無言のヒューを無表情に眺める。

 もしかしたら、言えなかったのか。

 ミナミだから。

 気が付いてしまった、ミナミだからこそ。

 躊躇ったのか。

      

        

 多分、ヒューの思い浮かべた人物と同じ人物を思い浮かべた、ミナミだから。

       

         

「…じゃぁ、スレイサーのファーストキスの相手も、初恋じゃない?」

 一瞬の茫然自失から立ち直ったルニが、未だどこかから戻って来ていないマーリィを恐る恐る振り返りつつ、尚も食い下がる。

「ああ、それはない」

「つかここでも即答かよ」

 そこでは思わず突っ込む、ミナミ。

「班長と人間の人間性について議論したい気持ちになってきたわ、あたし…」

 額に手を当てて、うんざりと肩を竦める、アリス。

「待て待て待て…。お前たち、何か誤解してないか?」

 背凭れに預けていた身体を起こしたヒューが、引き攣った笑みに口元を歪める。

「いや、ぜってぇ誤解とかしてねぇ」

 絶対してない。うるさい、ヒューのばか。(…)とでも言いそうな空気を纏ったミナミの横顔を、いつの間にか仕事の手を停めていたジリアンがくつくつと笑う。

 最近のミナミとヒューは、仲の良い兄弟みたいだった。面倒見のいい兄と、我侭も言うが言う事も利く弟といった所か。

「同意もなしで、出会い頭事故みたいにいきなりだったんだがな」

 きっと、ミナミの機嫌が微妙に傾いて来た理由に思い当たりがあるのだろうヒューが、少し困ったように銀色の髪を掻き上げながら呟く。

「って? 事故?」

「というか、まぁ、つまり」

 腕を組み直して、それまであらぬ方向に視線を逃がしていたヒューがきょとんとするルニとマーリィ、それからアリスに顔を向け直し、にやりと笑った。

「レミー・バートンのスキャンダル騒動に発展するから、これ以上は明かせない」

「「「…………………」」」

 レミー・バートンって確か、ゴールデンタイムの人気刑事ドラマシリーズに主演している、渋い二枚目俳優だったなぁ。と誰もが思い、ミナミだけが妙に的外れな感想を漏らす。

「もしかして、暴露本とか出す?」

 それにヒューは、失職したら考えてもいいなと答えて、笑った。

  

   
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