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番外編-6- **まで残り、1センチ

   
         
(10)過去ログ-2

  

 撤収時間が遅れたと急に慌て出したレスキンを勢いで手伝ったアンはその後、打ち上げだというパブまで連行されるハメになった。

「ぼくは監督だけどつまり雑用みたいなものでさぁ、ロケ場所探したり、エキストラとの交渉したり、時にはカメラマンにもなってね? でも貧乏映画なんだからそれって当然なんだけど」

 強固に帰りますというアンの言葉に耳も貸さず、レスキンは嬉々として喋り続ける。凄いよ、新しいタイプのキャラかもしれない。っていうか、ぼくの生活に今以上新しいタイプが出て来るなんて、さっきまで想像出来てなかった自分が情けない。などと適当に困った相槌を打ちつつ嘆息するアンの内情などお構いなしに、のっぽの素人監督は飽きもせず、喋る喋る。

「感動を与えたいとか、世間の注目を浴びたいとか、もっと大袈裟に、世の中のなんたるかを変えたいとかそういう事はこれっぽっちも思わないんだよ。ただささやかに、ぼくの感じた幸せとか悲しみとかを伝えたい、残したいと思うだけで、だから万年下っ端の、無名監督なんだろうけど。

 今回の脚本(ほん)を書くきっかけはね、監督に叱られたぼくが落ち込んでたら、かのリリス・ヘイワードが急にさ、ぼくに近付いて来て訊いたからなんだ。きみ、メブロ・ヘイメス・クラウンの歌い出しを知らない? って。メブロ・ヘイメス勇名無名天下無敵の冴えないピエロ。サビの部分はしっかり思い出せるのにどうしても最初が思い出せないって言って、あちこちのスタッフに訊き回ったらしいんだけど、そんな超がみっつも付くようなマイナーな曲誰も知らなくて困ってるって、すごくつまらなそうに言ってさ、ぼくはそのときリリスってこんな顔もするんだって思ったよ」

 下手くそなフレーズ交じりの長広舌に辟易しつつ、「はぁ」と答えたアンに、のほほんとした笑顔が降り注ぐ。

「売れないピエロ。笑えない道化。生真面目過ぎの…、て、えと…」

「ぼくらの英雄。でしょ?」

 天蓋に向けた人差し指を左右に揺らしながら歌詞に詰まったレスキンの後を、くすくす笑いながらアンが続ける。

「裏路地で喧嘩。似合わない衣装。完全無欠ぼくらのピエロ」

 確か、一時期しか放映されなかった子供番組の主題歌だったはずだと思いながらアンは、呆然と目を見開いたレスキンの顔を見上げた。

「中途半端な三流ヒーローで、人気が出ないまますぐ打ち切りになったんですよね、メブロ・ヘイメス・クラウンて」

「よく知ってるね」

「なぜか、最近深夜のキッズチャンネルで再放送してましたよ? ほら、少し前にニューースペーパーを騒がせた記事があったでしょう? あの後くらいです。ぼく、勤務が不規則で…」

 言いながらも、果たしてどこに連れて行かれるのかと、見知らぬ路地の左右をきょときょと眺めるアン。その、いかにも少年臭い横顔をじっと見つめていたレスキンが、不意に首を傾げる。

「勤務…って、きみ、学生さんか何かじゃないの?」

「………。そう、見えます…よね? やっぱり」

 失敗した、黙ってればよかった。とアンは大きな水色に苦笑を浮かべ、どこかしら訝しそうなびっくり顔をちらりと見遣った。

 いや、まさかここで、衛視ですとは言えないだろう。

 しかも、一般衛視でもないし。

 気まずい空気を振り払うように「まだ進むんですか?」と明るく言いながら、アンはディスクドラムを抱えたレスキンの先に立って歩いた。これで、適当な所で帰りますと言えなくなってしまったのに少年が気付いたのは、男が派手なネオンを顎で示して「あの店だよ」と答えてからだったけれど。

 貸し切りという張り紙を目にしてアンは、最早自分の迂闊さを呪いたい気分にまでなった。気を取り直したらしいレスキンはまた何かを喋り始め、口を挟む暇さえ与えてくれそうもない。

 痩せた身体全部をぶつけてドアを押し開けながら、スタッフといっても十人程度だし、みんないい奴ばかりだから気にしないで、というレスキンの腑抜けた笑顔に苦笑を返したアンが、最後の抵抗を試みようと口を開いた。

「だったら余計に知らないぼくが行ったらご迷惑でしょうから、この辺で…」

「遠慮しなくていいって。観衆代表としてさ」

 言うなり、レスキンは思いのほか機敏な動きでアンの腕を引っ掴んだ。

 いや、もう、ホント勘弁してくださいよ、という空気を微かに放ちつつその手を振り払おうとした瞬間、まだぴくとも動いていないアンの腕からすぽんとレスキンの手が離れ、ついでにその長身が見事に吹っ飛ばされて、床に尻餅を突いたではないか。

 アン少年、唖然。

 何が起こった?

「何やってんの、レスキン・バルコフ。返答次第じゃ、お前そのまま蹴り落とすよ?」

 で。

 瞬きさえ許さない刹那でアンの前に立ったそのひとの爪先が、ひゅ! とレスキンの鼻先を掠めた。

「…脅す前に理由訊きましょうよ、まず。そう思いません? ……えーと」

 立ちはだかる華奢な背中に不似合いな気迫と、どこかしら聞き覚えのある横暴全開な台詞に、アンは溜め息を漏らすより前に突っ込んだ。

 その名前を呼ぶのに、ちょっと戸惑ったけれど。

「うん? ああ、ここじゃセイルでいいよ。素顔オープンだから」

 で。

 くるりと振り返った青年の暗い琥珀が、俄かに緩む。

「セイルさん…、そういうトコおにーさんそっくりです。うんざりするほど」

 床に尻餅を突いて呆然としているレスキンと、がっくり肩を落として嘆いたアンの間に割って入ったのは、他でもない、今日の映画で一言の台詞もなく、その表情とブルースハープだけで全てを演じきったリリス・ヘイワードこと、セイル・スレイサーだった。

       

        

 レスキンとアンが店の前で揉み合っていた(とセイルは思った)理由を聞いてから青年は、その華奢な体躯に似合わぬ力強さでのっぽの男を引っ張り上げて立たせ、「よくやった、レスキン・バルコフ」と薄い肩をばしばし叩いた。

「あ、じゃぁ、やっぱりセイルくんと知り合いなんだね、君……、って、あれ?」

 で、そこでようやく、レスキンはアンの名前を訊いていない事に気付く。

「アンです」

 あえてそれしか伝えないアンを不思議だとも思わないのか、レスキンは擦り切れたベルベットのソファにディスクドラムを置いてから、改めて握手を求めた。

「よろしく、アンくん」

 なんか物凄く順序が逆です。と思いつつ笑顔でレスキンの手を握り返したアンの傍らには、護衛よろしくセイルが貼り付いている。とうに集まっていた残りのスタッフから順番に握手を求められ、最後の、タイムキーパーだという青年がアンの手を離した途端、それまで無言だったセイルが、いきなり、少年の首に後ろから腕を回し抱きついた。

「はい、おしまい。ぼくのアンさんにべたべた触んじゃない」

 ぎょっとして振り返ったアンにウインクして見せたセイルの笑顔を、周囲の仲間たちが驚愕の表情で眺めている。っていうかスキャンダル? 写真撮れ、写真! などと囃し立てる声に慌てて言い訳しようとした少年の背を軽く押したムービースターは、わざとのように不機嫌な顔で「訴えるぞ、お前ら」と…誰かみたいに言い放った。

 促されて最奥のソファに連れ込まれたアンは、最早抵抗する気力もなくぽとりとそれに座り込んだ。レスキンさえも振り切れなかった少年に、セイルを黙らせる手立てがある訳もない。

 乾杯のグラスが回される光景を、アンはぼんやり見ていた。なんだか酷く落ち着かない。ただ単に場違いだというだけでなく、こういう空気に…馴染みがない。

「ミリオンムービーの記念パーティーでも笑顔ひとつ振り撒かない彼のスターが、今日は随分ご機嫌だね」

「スポンサーに見せる営業スマイルにはリミットがあるの。それに、素顔のぼくはクールで懐かないのが魅力なんだよ?」

「…普通に不機嫌で横柄全開なだけじゃないんですか? 人として」

 アンに寄り添ったセイルにグラスを手渡しながらからかうレスキンに、ふん、と鼻を鳴らして答えた青年の顔をちらりと見上げ、アンがぽつりと呟く。それで、リリス・ヘイワードというスターの素顔を知る趣味のスタッフたちは唖然とし、当の…とはいえ今日は、短く刈り込んだ栗色の髪に暗い琥珀の瞳というまるで別人の顔をした青年だけが、弾けるように笑い出した。

「ぼく、アンさんのそういうトコ大好きかも」

「辞めて欲しいならいつでも言ってくださいね、セイルさん。心を入れ替え殊勝に振る舞いますから」

 セイルを経由したグラスがアンの手に握られる。どこからどう見ても青年より年端の行かぬ姿ながら、少年、意外にも堂々と…というか、極めて周りの空気を気にかけていないような、奇妙な感じがした。

 アンにしてもセイルにしてもそれは今更気に留める要素でなかったから、囲むスタッフの妙な気配に首を捻っても、どうしたのかと問う事はない。青年は青年でそれらしくそれなりに振る舞い、少年は少年で、「そういう」態度にすっかり慣れているのだし。

「知れば知るほどそっくりです、おにーさんに」

「ぼくほど可愛げないよ、あいつ」

「可愛げとかあったらびっくりしますけどね」

 真正面に顔を向けたままくつくつと笑うセイルの横顔から顔を背け、アンはふうと疲れた溜め息を吐いた。そういうところもそっくりですと言ってやろうかどうか少年は心底悩み、レスキンを含むスタッフたちはこの見知らぬ少年の度胸と態度に舌を巻く。

 横柄と可愛げのなさには定評のある「リリス」にこれだけぽんぽん言い返して睨まれないとは、かなりのつわものか…。

「まさかアンくん、セイルの恋人?」

「うん、そう」

「ってそんな事あるワケないじゃないですかっ! 適当な事いかにも信用出来ない顔で言わないで下さいよ、セイルさんも!」

 レスキンの問いかけにしれっと言って退けたセイルを、アンが高速で振り返る。

「やだなぁ、適当だなんて。ぼく今、結構本気だったんだけど?」

 ソファにふんぞり返って小首を傾げたセイルの笑顔をぐったり見つめ、アンは謹んで、「帰っていいですか?」と無茶な要求をきっぱり言ってみた。

        

        

 当然それで帰れる訳もなく、たった二週間、裏路地の小さな上映室で公開された地味なシネマの打ち上げに巻き込まれたアンは、観衆代表と称して感想を求められ、率直に、「感動したというよりは、泣きたくなりました」と答えた。

 それに、囲むスタッフたちは満足したように微笑み、「ありがとう」と言った。

 目の前のテーブルに次々運ばれるのは、大皿に載った様々な料理。とはいえ、アンが馴染んだ体裁のいい上品なものではなく、大抵がジャンクフード紛いの安価なものばかりだった。

 それにも、なぜか少年は戸惑う。盛り上がる宴席。戦わされるのは創作意欲か。次はあれを撮ろうとか、こんな事をしてみたいとか、希望、切望、実現しそうもない夢物語だよと笑いながら、誰もが屈託なく語る。

 アンはそれを、どこか遠い世界の物語みたいに見ていた。

「アンくんてさ」

 と不意に、傍らのレスキンに問われて、アンは小首を傾げた。

「学生さんじゃないってさっき言ったよね?」

「あ…えぇ、まぁ…」

 忘れてなかったのか、と人懐こい笑みを崩さないレスキンの顔を見つめ、アンは人知れず困惑する。

「でも、育ちは悪くないとぼくは思うんだけど、どうかな」

 さらりと続けられた台詞に、アンは背筋を強張らせた。

「いや! あの、そんな身構えてくれなくていいんだけどさぁ、つまり、これも何かの縁? とか思って、その…ぼくが何か撮りたくなったりしたら…」

「ダメだよ、レスキン。それは、ぼくが許さない」

 身振り手振りを交えて何かを言い募ろうとしたレスキンの笑顔に、アンを挟んだ反対側に座っていたセイルがぴしゃりと言い返す。

「ぼくのアンさんなんだからって言ったよ、ぼくは。だから、ダメ」

「…でもそれは、セイルくんの決める事じゃなくてだね…」

 意外にも強情なのか、レスキンは眉を吊り上げて睨んで来るセイルの顔を真っ向から見つめ、気弱そうな笑顔を引き攣らせつつも、まだ食い下がろうとした。

「あの、すいません、レスキンさん。…ぼく、学生でもなければ、どこかの書生とか、そういう…一般職に就いてるんじゃないもので、実は、あまりこう…」

 例えば自主制作の単館上映だとしても、そういう不特定多数に顔を見せるような事は、避けなければならない。そもそも警備兵の副業は禁止されているし、アンは「警備兵」でもないのだし。

 陛下直属の、衛視。しかも、彼の電脳魔導師なのだ。見た目はどうあれ。

「ぼくは見られるのが仕事で、レスキンたちは「見せる」のが仕事。でも世の中には、他にもたくさんの仕事があるって、そういう事」

 だからダメ。と殊更目付きを険しくしたセイルに押し負け、レスキンが口を噤む。

「本当に、すみません」

 改めてぺこりと頭を下げたアンの恐縮した様子に、レスキンは慌てて首を横に振った。

「こっちこそ、無理言ってごめんね。アンくんて、なんかこう大人しくて清楚な感じするから、純愛ものとか似合いそうだなーと思っただけなんだ」

 くしゃくしゃ頭の下の細長い顔がへにゃりと笑い、瞬間、セイルが飲みかけのカクテルを吹き出した。

「つうかそれこそぼくが許さないっ! アンさんが出たいって言っても、絶対ダメ!」

 いや言わないから。と苦笑を漏らしつつ少年が、物凄い剣幕で言いながらレスキンを締め上げようと腕を伸ばしたセイルを必死になって停める。

 そうなると必然的にアンはセイルに抱き付くような格好になり、気がつけば、細くは見えるがその実相当鍛えてある青年の腕に、しっかり背中を囲われていた。

「…相手役がセイルくんでも?」

「…うわ、すごい魅力的な誘いで、本気で迷ったよ、今」

「迷わないでくださいよ、セイルさん…」

 あと、離してください。と、もごもご身じろぐアンの金髪を見下ろし、ふと、セイルが口元を綻ばせる。

「迷うよ、凄く。でも、…命が惜しいから結局は断るだろうけど」

「?」

 きょとんと見上げてくる大きな水色に笑顔を返してからセイルは、こっちのハナシ、と茶目っ気たっぷりにウインクした。

  

   
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