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番外編-7- ステールメイト

   
         
(6)一日目 19:18

     

「その」電信を自宅で受け取り、指定された時間に合わせて登城したミナミが最初に立ち寄ったのは、呼び出して来た陛下の元ではなく電脳班の執務室だった。

 毛先の跳ね上がった鮮やかな金髪とダークブルー。擦れ違う時誰もが一瞬ぽかんと見つめてしまう綺麗な青年は今日、デフォルメされた黒い花模様のラインが胸の辺りに入った白いハイネックに、細い足をぴたりと包んだ黒いパンツというラフな格好で執務室に現れた。当然、左腕に真紅の腕章を掲げるのを忘れてはいなかったが。

「おう、どうした、ミナミ。急用か?」

 うん、まぁね。と気持ち歯切れ悪く言いつつ後ろ手にドアを閉ざす、直前、なぜかミナミは一瞬だけ背後の衛視室に視線を送り、淡い桜色の薄い唇に少しだけ笑みを浮かべて目で頷いたように見えた。それが何を意味するのか、電脳班執務室に篭っていた三人…ドレイク、ハルヴァイト、デリラは詮索しなかったものの、閉ざされようとするドアの隙間から入り込む探るような気配に、知らず苦笑を漏らす。

 判っている、とでも言えばいいのか。ミナミがこんなおかしな時間に私服で現れる理由に、思い辺りはある。

 いつもなら華やかな笑顔を振り撒いて青年を迎えてくれるだろうあの赤色の美女が居ないのは判っていたが、ミナミの完璧を誇る記憶によればここに居るのは目付きの悪い砲撃手ではなく、色の薄い金髪の健やかな少年魔導師だったはずだ。しかし事実アン少年の姿はなく、代わりにデリラが難しい顔でソファに座り込んでいるのを少し不思議そうに見つめながら応接セットに歩み寄る青年のために席を空けてくれたドレイクが、どこか弱ったような笑みを口の端に載せる。

「コーヒーでも差し上げますか? アイリー次長」

 勧められてソファに腰を下ろしたミナミに、ドレイクがふざけて言う。それを無表情に見上げて少し迷い、結局青年は小さく首を横に振った。

「陛下に呼ばれて来たんだよ、俺。二十時までにはさ、私室に行かなくちゃなんねぇ」

 だからゆっくりは出来ないという意味なのか、それとも違うのか、言ってミナミはすぐに視線を正面に戻し、相変わらず偉そうに足を組んでにこにこしているハルヴァイトを見つめた。

「…出来たら、アンくんに会いたかったんだけど…なんでいねぇの?」

 一瞬で恋人から逸らされたダークブルー。

 ハルヴァイトは、あくまで穏やかに微笑みながら答える。

「少々体調が悪いらしくて、休みを与えたんですよ。どうしてもお話になりたいのであれば、官舎に連絡して差し上げますが?」

 なぜ、と彼は問わない。

「いや、いい。そんな…急用とかじゃねぇし」

「そうですか」

 その奇妙な会話に、デリラとドレイクは思わず顔を見合わせた。

 何か、おかしい。

「……もしかしてよ、ミナミ。おめー、ハルに何か用事でもあんのか? だったら、俺たちゃ席外すぜ?」

 どうもミナミらしくない戸惑った様子に、当然、ドレイクは黙っていなかった。元よりこの「兄貴」は、とにかく弟とその恋人が平穏無事且つ幸せに暮らしてくれる事を誰よりも、何よりも望んでいるのだ。仕事中だろうがなんだろうが、ふたりのために職場放棄するくらいはなんでもない。

 話し合いを。理解を。一分一秒の停滞もなく相互の意見を曝け出し、一分一秒の遅れもなく誤解や擦れ違いを取り払って。

 ただ、溺れるような、しあわせに。

 すぐに答えないミナミに何を思ったのか、ドレイクは目だけでデリラを促し、ソファを離れようとした。こちらも少々…頭の痛い問題を抱えてはいたのだが、ドレイクの中で優先すべきはハルヴァイトであり、ミナミなのだ。大の男が三人で額を突き合わせて唸っていても解決しない事柄をさっさと無視して、その場を明け渡そうとする。

「いいんだ、ミラキ卿。っていうか、その…、今気付いたんだけどさ」

 向かいのソファ、どこかしら底冷えのする笑顔を浮かべたハルヴァイトの隣に座っていたデリラが立ち上がろうとするのを制するように、ミナミが慌てて顔を上げる。その時青年はやっぱり恋人に視線を当てず、というよりは、意図的に逸らしたまま、座面から腰を浮かせた砲撃手を見つめていた。

「デリさんでも、用事足りる」

 でも?

「って、おれスか?」

 もう一度ソファに座り直したデリラが片方の眉だけを吊り上げて首を捻る。

 その時ハルヴァイトは、薄笑みのまま恋人を見つめていた。

 ハルヴァイトには、陛下がミナミを呼び出した…しかもこんな中途半端な時間に…理由は、判っている。その「判っている」はデリラやドレイクが朧に感じた「判っている」ではなく、もっとはっきりと明白なものだ。

 思考は事実を繋ぎ合わせて、進む。

 点在する定点を一箇所に集めるための半透明な道筋を、彼は恋人の前に提示する。

 消えた、ヒュー・スレイサー。

 戸惑う、ミナミ。

 別々の進路にあるだろう彼らを同列に押し込もうとするならば、ここは、ハルヴァイトにとって「手を打つ」場所か。

 だから彼は。

「では、わたしはちょっと席を外します。ミナミ、わたしには用事ないですよね?」

「ねぇ。つうか、どこ行くんだよ、あんたは」

 言うなり席を立ったハルヴァイトが、ぽかんとするミナミに笑顔を見せる。

「まぁ、こちらも色々と騒動がありまして。ちょっと、スゥのところに」

「スゥさん?」

 いや待て。折角ミナミが来たのにえらくあっさり退室かよ、おめー。と今にも言いたそうな顔でハルヴァイトを睨んだドレイクにこれまた薄ら寒い笑顔を叩き付ける、弟…。

 黙れドレイク。あなたはせいぜいわたしの思い通りミナミに「余計な事」でも吹き込んでいろ。全開の冷えた笑みに、思わずドレイクも怯んだ。

 本日も悪役決定か、ハルヴァイト。

「キャロン嬢について、ちょっと訊きたい事があるので」

 言い置いて、ハルヴァイトはさっさとソファを離れ執務室から出て行ってしまった。

 唖然とする、ミナミ。

 呆然とする、ドレイク。

 ひとりデリラだけが、渋い顔で溜め息を吐く。

「…まぁ、こういう面倒な事に首突っ込むの嫌なんでしょうから判んですけど、今日の大将、機嫌悪ぃっスよね、ダンナ」

「まぁな…。そんでも一応アンが絡んでんだろ? 十分我慢してくれってと思うけどよ」

 答えて苦笑を漏らしたドレイクが、今までハルヴァイトが座っていた席に腰を落ち着けるのを目で追いながら、ミナミはごく自然にふたりに問いかけた。

「面倒な事って、なんかあったの? アンくん」

「ああ? ああ…。ミナミ、おめー、アンがヒス・ゴッヘル家のキャロン嬢と婚約するかもしれねぇって、知ってるよな?」

 正式発表はまだにせよ婚約直前まで話が進んでいるのだから、当然ミナミの耳にもそういう話は届いているだろうとドレイクは思った。アンと婚約しルー・ダイ家に入るという事は、つまりファイラン王家とも近しい部分に食い込む事になる。衛視は陛下直轄の部下であり、余程の理由で更迭ないし馘首(かくしゅ)されない限り、衛視の家族もまた陛下に関わるとみなされるのだ。

 だから衛視に婚姻の話が来た場合、特務室ではその婚約者の身辺調査を実行する。生存している親族に犯罪者や謀反を企む者が居るか居ないか、この婚約に王家転覆を狙う意志が働いているかいないかは、重要な問題だった。

「…知ってる」

 やや沈んだミナミの声に不審を抱きながらも、ドレイクはひとつ頷いただけで話を続ける。

「その婚約話がよ、ここに来て急転してんだよな。早いトコ婚約を済ませちまいてぇって兄貴の催促に、今まではのらりくらり返事してなんとか引き延ばしてたらしいアンのやつが、急に、今度の休みに屋敷に戻るからキャロン嬢と引き合わせてくれって言い出したらしい」

「アンくん、承諾するつもりなの? その…」

 ミナミはテーブルに乗り出すようにして、正面で顔を顰めているドレイクを睨んだ。

「婚約して、次代当主に指名されるって、それをさ」

「そういう事になんじゃねぇですかね」

「……随分急いでんじゃねぇ? アンくん」

 拭い切れない不審感。

「兄貴が喧しく言って来てるのも理由だろうけどよ、こっちの事情として、今なら手が空いてるってのもあんだろ。「例の騒ぎ」は一段落したモンの、未だグロスタン・メドホラの所在は不明。アリア・クルスとアドオル・ウインの取り調べだってそろそろ再開しなくちゃなんねぇし、こう見えて、電脳班(うち)だって暇じゃねぇ」

 確かに、それは判る。

 あの時無茶をし過ぎた魔導師に休息を与えるという意味であちこち待機に継ぐ待機ではあるが、あと数日でここにも元通り忙しい日常が戻る。そうなれば、そんな…個人の煩雑な事情に構っていられないと判断するのも、判る。

 判るが、納得出来なかった。それでない理由を提示された方が、余程説得力があるだろうとミナミは思った。

 例えば。

 少年が全てを「斬り捨てた」と言われたりしたら納得する。

 そんなものは、認めないけれど。

「しかしまぁ、情けねぇっちゃぁ情けねぇ話なんだけどよ」

 刹那の静寂を振り払うように失笑したドレイクが、ソファの背凭れに身体を預ける。

「そういう、自分の人生に関わる大事な事をよ、一言の相談もなしにきっぱり決めちまうアンは立派なんだろうが、じゃぁ、お前は迷わねぇのかって俺たちに言わせてもくれねぇってのは、ちと寂しい気もするな」

 偉そうに言える立場じゃねぇけどよ、俺だって。と、言い足された台詞。ミナミは一瞬デリラに視線を送り、デリラは一瞬ミナミを見た。

 だから確信する。

 誰だって迷うのだ。

 纏わり付く本当を無理矢理引き剥がして嘘でその身を固めようとする時、誰しもが、想像を絶する苦渋の決断を下す。

 ドレイクのように。

 そしてアンが誰にもそれを打ち明けなかったのは…。

 少年もまた、迷ったのだろうと。

「その、キャロン嬢ってどんな人? デリさん」

 無表情ながら怒っているような口調でミナミに問われたデリラが、眉間に皺を寄せる。

「どうって…、まぁ、見た目は悪くねぇですよ。並べたら、正直ボウヤの方が迫力負けすると思いますけどね。中身についちゃ、一応親族として良く言っとくべきなんでしょうが」

 迫力負け? と、思わず顔を見合わせる、ミナミとドレイク。その奇妙な表情に苦笑を向けたまま、デリラは濃茶色のボウズ頭をがしがし掻いた。

「考え方はひめと似てんじゃねぇかと思うんですけどね、おれは。だからね、おっかさんの言いなりになって大人しくルー・ダイ家に嫁ぐってのが、不思議でしょうがねぇんですよね」

「そのおっかさんてのは?」

 微妙に渋い表情のデリラにぽかんとした顔を向けていたドレイクが、気を取り直して問いただす。

「ゴッヘル邸のリビングを半壊さした原因つうんですか?」

 引き攣った笑いの混じったデリラの台詞に、今度はドレイクが顔を顰めた。

「ルー・ダイ家乗っ取るつもりか? そのおっかさんはよ…」

 その噂(?)はミナミも知っている。あの大人しそうなスーシェの暴挙(……)を耳にした時は、さすがのミナミも突っ込み忘れたくらい驚いたものだが。

「スゥが言うにゃぁですね、おっかさんは別にして、キャロン嬢にはキャロン嬢の考えがあんじゃねぇかって、そういう心配してんですよね。正直、彼女自体はそう悪い人間じゃねぇと思いますからね、おれは。さばけ過ぎたトコあって、慣れてなきゃ面くらいますけどね」

 アンに迫力で勝りさばけ過ぎているとは、一体どういう女性なのか…。

「あーーーー、判り易くつうか、とりあえず知り合いに当て嵌めんなら、医療院のノーキアス女医系統つったらいいと思いますよ? キャロン嬢ってのは」

 と、ステラ・ノーキアスという…小柄ながら相当な威圧感を誇る男言葉の外科医の名が出た途端、ミナミがソファの中でぎくりと震えて小さくなった。

「か…関わりたくねぇ…」

 その、常に無表情を貫く青年の珍しくも明らかに怯えた反応を、デリラとドレイクが苦笑いしながら見つめる。果たして、「あの騒ぎ」の直後ハルヴァイト共々医療院に呼び付けられたミナミと彼女の間で何があったのか。特務室内では「女スレイサー」だと密かに囁かれているステラの話題が出る度、ミナミはかなり本気で身震いしては、ハルヴァイトか、ステラとは旧知の仲であるヒューに助けを求めるのだ。

「ちっと乱暴じゃぁあるが別に悪ぃ人間じゃねぇだろ、ノーキアス女医ってのはよ。なんでそんなに苦手なんだ? ミナミ」

 無表情に蒼褪めた青年の綺麗な顔を笑うドレイクを、当のミナミがじろりと睨む。

「好きか嫌いかつわれたら、迷わず好きだって言うよ、俺だって。でも、それとこれとは話が違う」

 どう違うんだよおめー…。というドレイクの突っ込みに、なぜかデリラが乾いた笑いを吐き付けた。

「おれもスゥもね、別に嫌いじゃねぇんですよ、キャロン嬢の事はね。あのおっかさんはちょっとどうかと思うんですが、彼女自体をどうこう言うつもりはねぇです。

 でもですね、精神的に余裕ねぇ時はあまり会いたくねぇって方向で、話着いてまして」

 は、は、は。と、虚空に放たれた笑みの意味は。

「話着いてるって、スゥとか?」

「いや、本人とです」

「……。そういう話は本人としねぇだろ、ふつー」

 ミナミはそこで、かなり不吉な予感を抱きつつも、一応、突っ込んでおいた。

           

           

 結局ミナミはその後もキャロン・ヒス・ゴッヘルについての話をデリラから聞き、時間が来たからと言って慌てて退室して行った。

 部屋を辞す時青年はドアの前で立ち止まり、迷いに迷ってから、ヒュー・スレイサーの失踪をアン少年は知ってるのか? と居残りのドレイクとデリラに尋ねたが、彼らは今日少年と一度も言葉を交わしていなかったので、「俺たちは連絡していない」と答えた。

「ミナミさん、キャロン嬢の事訊きたかったんスかね、おれに」

「なんか、それっぽかったよな」

 さて、青年が陛下拝謁前にここへ立ち寄った真意はなんなのか。ドレイクとデリラは並んでソファに座ったまま顔を見合わせる。

 そこへ、スーシェのところへ行っていたはずのハルヴァイトが戻って来た。

「おう。もう行っちまったぜ、ミナミのやつ」

「そうですか」

「? で? おめーはスゥから何を訊いて来たんだよ、ハル」

 涼しい顔で執務室に戻って来たハルヴァイトが、ミナミが消えて空いていたソファに腰を下ろす。

「いや。途中で気が変わったので、スゥには寄らずに帰って来ました」

「はぁ? つか、えれぇ無駄足踏んでんじゃねぇかよ、そんじゃ」

 いい運動くらいにはなりましたけど? などと腑抜けた笑顔をドレイクに返しつつも、ハルヴァイトは思考する。

 ここで必要な要素は青年が正しい情報(データ)を受け取る事で、ハルヴァイトが行動を開始する事ではない。だから彼は恋人の邪魔をしてしまわないように、少し距離を置いただけだ。

 そして。

 陛下がミナミを、こんなおかしな時間に呼び出したとするならば。

 と、ハルヴァイトは、またもや難しい顔で唸りはじめたドレイクとデリラの横顔を見るともなしに見ながら、確信する。

          

        

「今回ばかりは、さすがのミナミも…わたしの予測通りに動くかな?」

          

           

「それで? 途中でミナミが来ちまって話が途切れたけどよ、結局、どうするよ、アンの事」

 ドレイクが何か確かめるようにハルヴァイトの鉛色を覗き込む。

「どうもこうもないでしょう。それは全て、アンが決める事ですよ」

 言ってハルヴァイトは、人知れず、くすりと…笑った。

  

   
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