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番外編-7- ステールメイト

   
         
(11)二日目 15:42

     

 正式に話が決まった訳ではないので、とりあえず、報告だけ。と固い笑顔を見せたアンに、ハルヴァイトはいつもと同じ適当さで判りましたと答えた。

 小さなモニターの中、戸惑うように揺れた水色に当たり障りなく微笑みかけ、お気を付けてと意味不明の激励を。それに一瞬訝しげな顔をした少年には発言を許さず、一方的に通信を切断してしまう。

 さ、て。

 と、人気のない電脳班執務室内でハルヴァイトは、自分のデスクに着いたまま肘掛付きの回転椅子に納まって横柄に足を組み、壁に向き直った。

 今回ばかりは、関わってしまったものはしょうがない、とも行かないか。と小さく落胆の吐息を漏らす。

 こうなる事は判っていた。全くの予想通りだ。所詮ハルヴァイトがハルヴァイトであるように、ミナミもミナミなのだから、黙っていられる訳などないし。しかし問題は、青年の関わり方だった。いつ、どのタイミングで、どんな行動に出るのか。どの順番で誰に接触するのか…。

 もちろん、今のハルヴァイトにそれを知る手立てはない。

 しかし「悪魔」は、確信する。

 昨晩、ミナミは休日にも関わらず陛下に呼ばれて登城している。それは、判っている。その後すぐに、室長室に人の気配を感じた。確認のためにバックボーンで隣室の端末稼働状況を探った所、一件、外部への電信信号も拾った。まさかプライヴェートまで覗き見するつもりはないので発信元と受信先だけを調べてみれば、クラバインのIDから自宅への短い通信文だった。

 となれば、だ。

 推理でも予測でもなんでもない事実として、ミナミが陛下自室に入って少し、クラバインはその場を離れ、室長室に戻った事になる。

 肘掛に腕を預けて長い指を身体の前で組み合わせ、ハルヴァイトは短い溜め息を吐いた。

 ミナミとウォルが組んで相談するというのは、あまり有り難くないと自分の事は棚に上げ、思う。アドオル・ウインの一件がそうだ。ひそひそでもこそこそでもなく堂々としている癖に、腹の中では突拍子もない計画を練っている。

…もしもハルヴァイトの胸の内を聞いたら、ミナミなどは確実に突っ込んでいるだろう…。

 それ、あんたが言うな。と。

 ただし今回はその「計画」ないし「企み」の全景が朧に見えているので、結果がどうであっても慌てたり心配したりする必要はない。

 ウォルは、ヒュー・スレイサー失踪の鍵を握っている。というか、犯人か? その陛下がクラバインを追い出してミナミとだけ会談したとなれば、確実に、彼らの話題はあの銀色だったはずだ。

 何を相談したのか。

 何を訴えたのか。

 何を決めたのか。

 何を…。

「…………。これは、驚き」

 半ば瞼を閉じて壁の一点を睨んでいたハルヴァイトが、失笑交じりにぽつりと呟く。室内備品よろしく微塵も動かぬままながら、鉄色は「自分の思考の変化」に驚いていた。

 アン少年の、酷く固い笑顔を思い出した。

 戸惑うように揺れる水色。しかしそれが「肝心な時」には、ぴたりとハルヴァイトに据わる。

 意志を持って。

 真っ直ぐに。

 そういうものだとずっと思っていたし、今日までのアンというのは、そうだったはずだ。

 それなのに。

「戸惑いは、傾きか。何が? どれが? 何でもいいし、どれでもいい。けれど、まぁ、わたしの考える事にしては珍しく…」

 揺れる、水色。

 何か問いたげに。何か言いたげに。しかし喉まで出掛かったそれを、少年は口にしなかった。

「アンに「そういう顔」をさせた班長には、それなりの責任を取って貰おうと思ってみたり」

 呟いて、それまでの苦笑を決定的に物騒な冷笑に変え、ハルヴァイトは組んでいた指を解き、足を解き、椅子から腰を浮かせた。

 午後の休憩時間などとうに終わっていたが、気にせず執務室を出る。なんとなく鼻歌でも出そうな? 微妙に笑いたそうな顔で衛視室に顔を出すと、相も変わらず端末前に陣取っていたジリアンが気付いて視線を上げ、直後、ぽかんとした表情でハルヴァイトを凝視する。

「…ガリュー班長…、何かいい事でもあったんですか?」

「いいえ、別に。デリ、どこに行ったか知ってます?」

「急用なら探しましょうか? 城内に居るはずですから」

 というか自分の部下の所在くらい確認しときましょうよ、と思いつつも、ジリアンは黒いセルフレームメガネを指で押し上げた。とはいえ、このひとにそんな常識的な事を説いても多分空しいだけだと思ったのは、速攻で「是非」と返答されたからなのか、それとも、常からドレイクやアリスがハルヴァイトに常識を求めたら負け、みたいな事を言っているからなのか。

 どこかへ行こうとしていたらしいハルヴァイトがホワイトボードの前に立って何か眺めているのを恐々見つつ、ジリアンはデリラの携帯端末を呼び出した。すぐに応答した彼は、どうやら今頃昼食にありついていたらしく、「はいよ」というやる気のない返事の背景が、カフェテリアの緑だった。

「ガリュー班長が…」

「デリ、明日のシフトは?」

 ご用時だそうです。と言い終える前にジリアンの背後に回ったハルヴァイトが、端末の中のデリラを見つめていきなり切り出す。それに事務専門の衛視は気の短いひとだと思ったが、目付きの悪い砲撃手は慣れているらしく、気にした風もない。

『勤務っスね』

「じゃぁ、スゥは?」

 重ねて問われ、さすがに、デリラも怪訝そうな顔をする。

『第七小隊なら、今日の夕方下城で、明後日から通常勤務だったと思います』

 それでもデリラは、余計な事など聞き返さずに答えた。

「そうですか。どうもありがとう」

 一方的に質問したハルヴァイトは、一瞬だけデリラに朗らかな笑みを見せ、何も言わずにジリアンの背後を離れてそのまま退室して行った。その背中を半ば呆然と見送った青年が、慌てて繋がりっぱなしの端末に視線を戻すと、画面の中にはただでさえ悪い目付きを益々剣呑にしている、砲撃手。

『…大将、何かあったのかね』

「さぁ。デリさんにも判らない事、ぼくに判る訳ないですよ。ただ、さっきアンさんから電信が入って、少しして執務室から出て来た時から妙に…機嫌良さそうに見えましたけど?」

『ぼうや?』

 微かに吊り上った眉を寄せたデリラが、確かめるように呟く。

「はい。なんでも、最初は電脳班の執務室に直接電信したらしいんですけど、ほら、今日ひめさまがお休みで、ミラキ副長も昼過ぎに帰ってしまわれたじゃないですか。それでデリさんも居ないから、ガリュー班長、電信に出なかったみたいなんですよ」

 言いながらジリアンは、なんとなく、あのひとは…なんでそこまでずぼらなんだろうと、ちょっと思った。

「それでアンさん、困ってこっちに連絡して来て、電脳班の誰かそこに居ませんかって言うんで、内線で繋いだんですよ、ぼくが」

『…で? 大将どこ行ったのかね?』

 最早溜め息さえ出ない諦め顔で言って来たデリラの顔を見つめ、ジリアンは猛烈に後悔する。

「聞き忘れました」

『……。とりあえず、急いでそっち戻るかね…』

 すいません。と恐縮するジリアンにデリラは、薄い唇を歪めるようにして笑って見せると、こう言って青年を慰めた。

『ジルが気にする事じゃねぇよね、そんなの。あのひとがどっか消えるなんてのは、日常茶飯事だからね』

 そんな日常茶飯事嫌だなぁとジリアンは、デリラの笑顔を見つめて、曖昧に頷いた。

          

        

 例えば「それ」が、定点でないと誰に言えるのか。

 アンからの電信をハルヴァイトが直接受け取らなかった意味は、本当に「面倒だから」だったのか。

 痕跡を残したのではないか。

 休暇を取っているアン少年がハルヴァイトに接触して来たという事実を、第三者の内に。

「世界は二次元ではない」

 薄暗い非常階段室から天井の高い本丸エントランスへ出る、ハルヴァイト。年中開催されているなんらかの小委員会に出向いたのだろう本丸に出入りしている貴族、城詰めの衛視、近衛兵、技師たちが笑いながら、難しい顔で何事か相談しながら、むっつりと黙り込んで足早に行き交うその場所を、硬質な鉄色が斜めに切り裂く。

 その背を見送るのは、畏怖か嫌悪か。複雑に絡み合った感情を物語る、つまり好奇心と呼ぶのが一番近いだろう視線を一心に集めても、悪魔は常にそうであるように平然としている。

 しかし彼は、もう、判っている。

 世界は二次元ではない。乱立するフラグで足の踏み場もない、広大で煩雑な場所だ。では世界は四次元なのか? 点と、線と、高さと、無限。無秩序にあれもこれもそれも繋がり、何かがどれかに影響し、それがあれを滅ぼすのか。

 それもまた、否。

「世界は三次元。それがこの世の不文律。立体が実態であり、そんな事は火を見るよりも明らか。なんて簡単な法則でしょうね」

 会釈して来る入城口警備の近衛兵に一瞥くれるでも無く、ハルヴァイトは幅も奥行きも無駄に広い階段を下り、電脳魔導師隊執務棟へ爪先を向ける。

「しかしながらこの法則は、簡単であっても極めて強固。絶対という冠詞を未来永劫、この世から全ての存在、全ての事象、全ての時の流れが失われても、「この世」が微塵に崩壊し消失しない限り、外される事はない」

 停滞ない足取りに習って、黒い長上着の裾がひらりと翻った。手足の長い長身を包むその色は他の誰よりも彼を鋭利に、冷たく見せていた。

「だから。忘れているだろうあなた方に、わたしがそれを思い出させてやろう」

 不思議な光沢の鋼色が、広い背中で踊る。

「世界は、二次元ではない。あなたとあなたは、関わり合わずに離れたままの点ではない。例えあなたが二次元で留まろうとしても、この世の法則はそれに従ってはくれないものだ。絶対。

 何も難しい事などない。点と点しかないのなら、あなたがそれしか見えていないのなら、わたしがひとつ定点を増やそう。ひとつだけ。ただし、極めて曖昧で不明瞭、推測と憶測の余地を十二分に内包した、酷く危なっかしい点を、一箇所」

 穏やかな印象とは程遠い、不透明過ぎる鉛色の双眸を微かに眇め、悪魔、は、唇の端をごくごく小さく吊り上げた。

「それは、急激に増殖するウイルスと似ている。点は時間という制限を受け劇的に成長し、点と点しか存在しないあなたの世界に入り込んで、正しく、その姿を構築する」

 三次元として。

 この世界として。

「…………」

 保養施設の緑地が見えた所でハルヴァイトは、ふと笑うのを止めた。

 ゆったりした足取りで緑の間をくねる通路を通り抜けつつ、人工木を見上げる。天蓋の向こうから差し込む蔭り始めの陽光が折り重なった緑の表面で弾け、ハルヴァイトの足元に木漏れ日を撒いていた。

「…世界は、真円で出来ている…」

 呟いて、彼の悪魔は非常に不吉な予感を抱いた。

「もし、あなたとアレが絶対に関わり合わない点同士だったとして、しかしそれさえ関わる事が出来るという事実を、あなたが正確に捉えていたとしたら…」

 思わず、ハルヴァイトが足を止める。

 折りしも周囲には誰も居らず、ただ木立だけが静謐に鋼色の悪魔を見つめるその場所で。

「……どちらも計算ずく…と言ったのは、ドレイクでしたっけね」

 彼は彼らしくなく、呆れたように疲れたように言い捨てて、嘆息した。

「まさか利用されてるなんて、わたしは思いたくないんですが? ねぇ、班長」

  

   
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