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番外編-7- ステールメイト

   
         
(19)三日目 12:44

     

 室内に居た大半の人は、王下特務衛視団電脳班班長ハルヴァイト・ガリューの「噂」は知っていても、実際、こんな風にすぐ傍で話すのを見た事はなかった。

 そこに立っているだけで言い知れないプレッシャーを感じる。それでもキャロンは小さく会釈したが、ベラフォンヌとセリスは完全に硬直し、レバロは傍らにある妻の手をしっかり握った。

「面倒な挨拶など抜きにして本題に入りたいんですが、構いません?」

 ところが、というか当然、ひたすら困惑する旧知の一部と半ば恐慌状態のその他大勢などまるで無視したハルヴァイトは、当代ルー・ダイ卿への礼も女性であるミリエッタ、ベラフォンヌ、キャロンに対する礼もすっ飛ばして、いきなり偉そうに腕を組み、ソファの前で唖然としているアンに、あの、光のない鉛色の双眸を向けた。

「…はい?」

 本題。と言われて、アンがようやく復旧した脳に疑問を浮かべる。一体、それはなんの事だろう。

 しかし、相手は良くも悪くもハルヴァイトなのだ、アンにそんな質問を繰り出す暇を与える訳もなく、いつにない饒舌さで停滞している室内の空気を強引に引っ掻き回す。

「まずは事実確認。執事の方」

「はい」

 ハルヴァイトが開けっ放したドアを律儀に閉めていたソマスが、呼ばれて身体ごと黒い長上着に向き直った。

「客観的に、こちらのお話がどこまで進んでいたのか、教えて頂けますか」

 客観的にと言われて、一瞬戸惑うような顔をする、ソマス。ハルヴァイトの意図がなんんなのか測りかねているのだろう事は明白で、更には突然現れた「第三者」である彼に何をどこまで話していいのか判らない様子だった。

 つまりは、ただひたすら困惑しきりといったところか。

「構わないよ、ソマス。見た通りに、簡潔且つ的確に、全部班長に話して」

 確かめるような視線を向けられて、アンは諦め顔のまま小さく頷き執事を促した。

 その間、ハルヴァイトは黙って腕を組み、じっと室内を眺めている。それを横目で確かめたスーシェが、不意にくすりと口の端を綻ばせた。

「ガリューにしては奇跡的に我慢強いね、ちょっと驚いた」

「一般市民に部下と同じ対応は望めないという事くらい、判ってるつもりなんですが?」

 言い返されて、スーシェが肩を竦める。

「それ、ミラキが聞いたら泣いて喜ぶよ、きっと」

「わたしもそう思います。それで、執事の方」

 軽く振り返り答えを促されたソマスが、意を決して口を開く。

 執事は、客観的と言われたからなのだろう、キャロンとベラフォンヌが屋敷を訪れてからハルヴァイトが現れるまでの一部始終を、まるで形式ばった報告書のように淡々と話した。そのうち、ようやく意識を正常値に浮上させたのだろうセリスが苛立った表情でアンを睨み、それからソマスを睨んだが、執事は怯まず「事実」を述べ続ける。

 執事は、アンを幼い頃からずっと見て来た。負わされた責任から目を背けず、人知れず努力し、早々に屋敷を出て自立した末の主人が衛視になるのだと聞いたとき、彼は心底喜んだものだ。

 これでセリスも無体を言わなくなるだろうと思った。屋敷に戻ってくれなくてもいいから、元気な顔を見せて欲しいとも思った。

 だから。

 もしハルヴァイトが「客観的に事実を述べよ」と言わなかったのなら、彼は絶対にこの婚姻は政略以外の何ものでもなく、喜ばしいものではないと言い足しただろう。

 そう、キャロン自身が先に言っていなければ、クビを覚悟でセリスに抗議したかもしれない。

 五つも年嵩の売れ残りなど押し付けようとするヒス・ゴッヘル家の言いなりになるあなたこそ、恥を知れ。くらいは。

 そんな鬱屈した胸の内などおくびにも出さず、ソマスは淡々と事実だけを述べ、時間経過に伴いハルヴァイトが屋敷に現れた時点に到達したところで、「以上です」とその報告を締め括った。言い終えて、ハルヴァイトが微かに頷いて正面に顔を向け直したのにほっと息を吐き、改めてアンの豪胆さに感心する。

 ハルヴァイトに注視されているというだけで落ち着かない気分だったのだ、ソマスは。ゆっくりした瞬きを繰り返すだけで、目の前に居るのに「生きた空気」を露も感じさせない、無機物のような黒い塊。鋼色の髪、鉛色の瞳。端正過ぎる面までもが人間離れしたこの上官と四六時中付き合う重圧は、想像を絶する。

 そんなソマスの内心を余所に、ハルヴァイトは少しも考える事なく「それでは」と言い置いて、組んでいた腕を解いた。

「ひとつだけご注意申し上げますが、わたしは別に、ルー・ダイ家とヒス・ゴッヘル家の姻戚問題を邪魔しに来た訳ではありません」

 これまた奇跡的笑顔で言い放ったハルヴァイトを、アンが何か恐ろしいものでも見るような顔で見上げる。熱でもあるのだろうか、このひとは。と本気で悩む少年に視線を当てた上官…、まさかこういう他人事に進んで首を突っ込むとは思えないというか、アンの結婚などそもそもどうでもよさそうな正真正銘の「悪魔」が、その酷薄な唇に冷たい笑みを載せる。

「ただ、事実を申し上げます」

 事実を。

「事実の前では、両家の都合も個人の目的も周囲の抵抗も、意味を成さない」

 並べた記号を感情的に並べ替え、または評価するのではなく、事実で括る。

「ルー・ダイ家は魔導師系貴族ダイ家第八位。間違いないですね、アン」

「はい」

 事実。

「ヒス・ゴッヘル家は魔導師系貴族ゴッヘル家第二位。間違いないですね、スゥ」

「そうだよ」

 これもまた、事実。

 飽和状態の緊張に張り詰めた室内に、鋼のような声が突き刺さる。

            

「臨界ファイラン階層におけるディレクトリ法則によりサイン・ゴッヘルとサイン・ダイで領域(レイヤー)統合した場合、サイン・ゴッヘル第一階位に含まれるヒス・ゴッヘルには次世代占有の許可が下りません。従って次世代占有領域権は自動的にサイン・ダイ側ルー・ダイに移行しますが、サイン・ダイは現在、臨界知能限界電素数を割って分割された占有領域を正常値に復旧すべく領域(レイヤー)の徴発を実行しています。そのため、

            

 ルー・ダイ家に向こう百数十年間で魔導師が出現する確率は、限りなくゼロに近い」

            

 つまり。

「……ガリュー」

 ハルヴァイトの発言が何を意味しているのか即座に理解したのだろうスーシェが、苦笑を漏らしつつソファの背凭れに沈む。

「こちらの皆様には難し過ぎるよ、その説明じゃ…」

 言われて、ハルヴァイトはスーシェに向き直り、朗らかに微笑んで見せた。

「わざとですからね」

 悪魔は、…悪意満点だった。

  

   
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