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番外編-7- ステールメイト |
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(20)三日目 13:00 | |||
最後の部分だけは理解出来た。というのが、室内の困惑を占める大半の意見か。 理論はどうあれ、ハルヴァイトはヒス・ゴッヘル家とルー・ダイ家が姻戚関係を持ち、アンとキャロンの間に跡継ぎが出来ても、その子は絶対魔導師にならないと言ったのだ。 何を根拠に? いや。根拠は、既に明かされている。 悪魔は、「臨界の法則に従って」と言わなかったか? それは…。 「お言葉ですが、ガリュー衛視」 「はい、何か?」 佇むハルヴァイトに食って掛かるような勢いでセリスはソファから立ち上がったが、食って掛かられた本人は平素と変わりなく偉そうで、全く空気を読んでいなかった。 「…やっぱり、さっきのうちにミナミくんを呼んでおくべきだったな…」 呟いて、スーシェは今度こそ本当に傍観者を決め込んだ。どう考えても自分には無理だと思う。この妙な会見に正常な流れを持たせるなんて、絶対出来そうにないし、突っ込むなんてもってのほかだろう。 だからさっさと匙を投げる。どうせハルヴァイト直々…世紀末に盆と正月と黙示録が嵐に乗ってやって来て居着いてしまうくらい稀な事…に現れて、ここまでぺらぺら喋っているのだ、誰がなんと言おうとも、この縁談はご破算決定だろう。 と、思って。一秒くらいでそこまで考えて、スーシェは内心首を捻った。 ハルヴァイトの目的はアン少年の縁談を壊す事なのか? それこそ、まさか。一生に一度だけあなたの願いを適えてあげましょうでも世界滅亡まで残り四十秒。と微妙な提案を神に突きつけられるよりも信じられないだろう、そんな奇跡。 「口から出任せを仰らないで頂きたい!」 もやもやと悩むスーシェの意識を室内に戻したのは、激昂したセリスの甲高い怒鳴り声だった。 「臨界だかなんだか知らないが、それがなんだと言うんですか! あなたもご存知の通り、アンは魔導師なんです。ルー・ダイ家きっての! そのアンとヒス・ゴッヘル家、ゴッヘル家直系のキャロン様の間に自然分娩で授かるだろう子が魔導師でないなどと…!」 興奮して喚くセリスの顔を唖然と見遣っていたアンが、突如俯いて耳まで真っ赤になる。 確かに少年は魔導師かもしれないが。 確かに、セリスを含む凡人では考えられないような現象を引き起こす才能を有しているかもしれないが。 ハルヴァイトはその数十倍か数百倍…、もっと明らかにはっきりと否応なく「魔導師」なのだ。そんな人に対してどうして、少年が「魔導師」だなど胸を張って言えようか。 「すいません、ごめんなさい兄上。申し訳ないのですが、それ以上恥ずかしい事を言わないでください。ガリュー班長も……、笑ってないでなんとかしてくださいよ!」 この事態を。 恨みがましく涙目で睨んで来るアンの手前、ハルヴァイトはそれまで完全に緩んでいた表情を引き締めようとして、やっぱり失敗した。 「いや、はい、すいません。別に、笑いたいと思ってる訳ではないんですが…」 で、ようやくなんとか笑いを捻じ伏せたハルヴァイトは、勝手にスーシェの隣に移動しソファにどさりと腰を落した。 「魔導師の跡取りが欲しいと言うわりに臨界はどうでもいいなんて、これは笑うところだと思うんですけど?」 長い足を優雅に組んだハルヴァイトが、にこにこと笑う。 「それに、間違った知識もここまで来ると笑いを誘いますし」 セリスを真正面に据え、にこにこと。 「笑い疲れて説明が面倒になって来ました」 いや、あんたそれいつもだろ。と、突っ込んでくれる人は、居ない。 居ないから。 「でもまぁ、かわいいアンのためですから、諦めて話を続けましょう」 ハルヴァイトは笑顔を消した。 「まず訂正すべきはその「間違った知識」です。定説として、魔導師は自然分娩でしか誕生しないと言われています。だからこそ、都市には女系貴族が存在する訳ですが、…それは、実のところなんの根拠もない話なんです」 瞬間、ベラフォンヌが声にならない悲鳴を上げる。 「偶然が定説になり意図的にそういった状況が継続されるに至った、というべきでしょうね。臨界…魔導師を支配する世界は、自然分娩についての法則を定めていません。だから最初は単純に「偶然」だったのだとわたしは思います。 何度かその偶然が続いた結果、「魔導師は自然分娩でしか生み出せない」という思い込みが横行し、魔導師を必要とするひとたちもまたそれを信じて妻を娶る。それで、この間違ったサイクルは現在まで途切れる事がなく、継続されている。しかし、考えてもみてください。一般居住区やスラムには、両親とも同性の魔導師が偶発的に現れるでしょう? あれは大抵突然変異といわれるだけで、過去、先祖に魔導師が紛れ込んでいたために起こる一種の先祖返りだと承認され、後は普通の魔導師と同じに扱われます。もし自然分娩で「しか」魔導師が生まれないと断言するなら、そもそもそれはおかしいでしょう」 確かにハルヴァイトの言う通りかもしれない。突然変異…突如居住区で発現現象を引き起こし保護された魔導師の数は、ファイランにおける全魔導師のうち数パーセントにも満たないが、ゼロではない。 だとしたら、自然分娩「でしか」誕生しないと信じ続ける根拠そのものは、ない。 「事実」、タマリは間違いなく同性の両親を持ち、人工子宮から生まれた。 「わたしの話を信じる信じないは別として、これは「事実」です。現在ファイランに現存する魔導師の中にも、その事実を知っている者はあります。しかし彼らもまたこの間違った定説を正そうとはしないでしょうが…、なぜだか判りますよね、アン」 急に話を振られて、アンが慌てて、はい、と答える。 「魔導師の分散を防止するためです」 当惑もなく、単純に「ここで話しかけられたというのに驚いた」顔の少年を見つめ、キャロンは首を捻った。 この…習った事を覚えているかどうか確かめた、というニュアンスの問いは。そして、反射的に返った断定的な回答は。 もしやと思う。 もしや少年は、それを、知っていたのではないか。 「そうです。この事実を確認するに至る魔導師であれば、続く先人のメッセージも正しく受け取る事が可能です。 臨界を構築し、その後発展させるまでの時間に、先人たちは考えたのだと思います。もし、このまま無秩序に魔導師が増え続けるような事態になれば、臨界知能限界電素数を割り込んだ占有領域しか確保出来ない者が増えるのではないかとね。それがつまり、間違った定説を常識に固定した、間違いです」 固く凝った室内に、ハルヴァイトの声だけが響く。 「自然分娩という枷が必要だと先人は述べています。それが、臨界という限り在る異次元を正常に機能させるために必要だと。でもそれもまた、ただの思い込みです。「臨界」には意志があります。臨界は無秩序に人間の接触を許している訳ではありません。 ここまではいいですか? みなさん」 やや語尾に面倒そうな空気が混じり、スーシェとアンが苦笑を漏らす。そろそろ集中力が途切れそうなのだろう。ここまでよく喋るハルヴァイトなど前代未聞なのだから、彼を知る者ならば続きはまた明日くらい言い出してもおかしくないが、まさかこの膠着状態を放置して帰られたのでは気持ちが悪い。 本気で、ミナミ召喚を視野に入れる頃合か? 「これ以上の余計な説明は必要ないでしょうから、話をルー・ダイ家とヒス・ゴッヘル家の問題に移しましょう」 それでも今回は何か思うところがあるらしいハルヴァイトは、一旦ソファに預けた背を引き剥がして姿勢を正し、足を組み替えた。 「まず言って置きますが、臨界においては現実面の貴族階級など意味がないという事を忘れないでください。臨界は自身の定めた法則しか守りませんし、守れません。ですから、臨界で考慮されるのは、例えばルー・ダイ家がどの「ディレクトリ」に分類されているかであって、それは二位だろうが末席だろうが、同等に「サイン」という領域(レイヤー)に属します。…………」 そこまで言ったハルヴァイトが、不意に溜め息を吐く。 「班長…お願いですから、ここで帰るとか言わないでくださいよ!」 「…どうでしょう、この先はあなたとスゥで説明出来るように、脳の休眠領域を叩き起こして既知情報直結アップロード…」 「やめてくださいっ! そんな無茶苦茶されたら、スゥさんでも死にます!」 急に、もう飽きた、という顔をしたハルヴァイトが凡人にはちんぷんかんぷんながらアンとスゥの蒼くなるような恐ろしい事をさらりと言い、アンはすかさず悲鳴を上げた。 「…ぼくでもって、じゃぁ、アンくんはどうなの…」 軽い頭痛を覚えてこめかみに指を当てたスーシェが溜め息混じりに突っ込む。 「直結ですよ? 一度だけ既知情報のダウンロード実行しましたけど、班長のバックボーン自由領域に繋ぐだけで、ぼく、アクセラレータにオーバードライブ仕込んだんですよ! 矢印「こう」で、「こう」!」 こう、と言いながらアンは、涙目でスーシェを見つめたまま、自分の胸元を射していた人差し指をハルヴァイトに向けるという…なんとも失礼な動作を、三回も繰り返した。 「それが逆になったら、脳が破裂します!」 少年、断定。しかし、スーシェは真顔で頷いた。 「同感だね。だからここはなんとしても、最後まで説明して頂きたいのですが、ガリュー班長。なんなら、ミナミさん…」 呼ぶぞというよりも、呼んでから人質に取るといわんばかりの顔で、スーシェが傍らのハルヴァイトを振り向く。 「というかですね」 そんなに嫌がる事ないじゃないか、とかなんとか言いそうな表情で眉を寄せた悪魔は。 「わたしとしてはもう説明なんか終わってるんですけど? 最初ので」 最早周囲の空気を読むとか読まないとか以前の問題で言い捨て、大仰な溜め息まで吐きやがった。 うわぁ、と、アンは思う。 本当に、あれだけで帰ろうとしてたのかとも、思う。 判っていたが。 「人として、なんか間違ってる…」 言われて、ハルヴァイトはソファの肘掛に腕を置き、苦笑を漏らしながら鋼色の髪をがさがさと掻き回した。 正直なところ、わざわざ仕事をさぼってまでハルヴァイト自身がここに来る必要はなかったのだ。全てのパーツは提示されていた。あとは、アン少年がそれをどう使ってどういう判断を下すのか、黙って外から眺めているだけでよかった。それなのにルー・ダイ家まで足を運んだのは、つまり、アンがこの「禁じ手」を出さないかもしれないと思ったからだ。 これは、禁じ手。 絶対の否定。 理解も納得もない、事実。 ミナミが少年に授けたのは、本来ならば、明かされてはならない…事実。 彼の天使がそこまでやったのだから、もし少年がそれを知っていながら家族の意思だけを尊重し婚約の履行を呑むなどという愚行に出た時、最凶最悪の悪魔が際限なく溺愛する天使はきっと、全く「ない」責任を感じて塞ぎ込むだろう。 そんな不本意が、果たして許せるか? 答えは、当然、否。 天使の幸せのためなら自分だって平然と見捨てるだろう悪魔がまさか、最後に手を抜く訳がない。 全て、ミナミの、ためなので…。 「…………。判りました、続けましょう」 嫌々ながら、ハルヴァイトは口を開いた。 面倒そうに。 「サイン、領域(レイヤー)、臨界知能限界電素、その他諸々の用語を使用せずに判り易く、且つ手短に、なぜわたしがこの先百数十年間はルー・ダイ家に魔導師は出ないというのかご理解頂ければいいんですよね?」 ハルヴァイトにとって、自分においては明白な事実を噛み砕いて説明するという行為は、最も苦手で…ある意味無駄だった。 「それ」は「そう」なのだから。自然数で1+1が絶対に2であるように、イコールで繋がれた方程式の左右が絶対に「イコール」であるように、「それ」はどうあっても結局決まった答えにしか辿り着かないし、それ以外「ない」。 「テーブル…」 幼児にりんごを見せて「これはりんごだよ」と教え、「なぜこれがりんごなの?」としつこく問い返されているような気分を味わいながら、ハルヴァイトは正面にあるテーブルを指差した。 息を詰める誰しもの目が、冷めた飲み物の無造作に置かれている楕円のテーブルに注がれる。 「まずここに居る全員を二つのグループに分けてそれぞれに同数のカップを渡し、そのテーブルを囲むとするでしょう? そのグループの代表をアンとスゥだとして、アンとスゥはカップをひとつずつテーブルに置くんですよ、適当に。それからアンとスゥは、自分のグループに属するそれぞれにカップをひとつずつ渡し、最初に置かれたカップの横に置いて貰うんです。これで出来る序列は判りますよね? カップを置くには法則があって、それは、必ず「直前に置かれたカップの横」に置かなければならないという事なんですが、そうやって最後まで順番が回ったら、またアンとスゥからカップを置くという行為を繰り返す。でも、カップの数には限りがあるので、テーブルに隙があるのに置くものがなくなる。そうなったら今度は、最初に置いたカップを取り上げて、序列に従って直前のものの横に置きます。これではカップの集合、中央に空きが出来ますが、それは一度「アンがカップを置いた場所」なので、他の人は使用する事が出来ません」 「…陣地のようなものか」 眉間に皺を寄せてテーブルを睨んでいたキャロンが呟くと、ハルヴァイトは頷いた。 「そうです。最初のカップに戻ってからは、次に取り上げられるのは必ず奇数の順でなければならないという法則が追加されます」 「序列をひとつ飛ばしながら進むという事だね」 「はい。一の次は三、次は、五、という風に置かれているカップを取り上げながら、アンとスゥはそれぞれのグループのカップを展開します」 「それではテーブルが穴だらけになるな。そのうち、カップを載せる場所がなくなる」 スーシェの確認にも頷いてから続けたハルヴァイトの言葉が途切れるのを待って、またもキャロンが言う。 「なくなったら、テーブルの上を整頓すればいいんです」 いやまずそういうあんたが部屋を整頓しろよ。と、ミナミならば場の空気をかち割ってでも言いたくなるだろう。たとえ室内が重く沈み、暗く翳り、固唾を呑んでこのいかにも面倒そうな、意味不明の説明に耳を傾けていても。 「しかし、テーブルを整頓するにも法則があります。まず、カップを回収出来るのは「アンとスゥ」だけ。それと、回収する順番は、序列を無視し「最初に置かれたカップと比べ内容量の少ないものから」です」 それでまた、当惑の空気が辺りを窺う。 「……、そうか。カップの形状は、全部が同じではないのか」 「わたしは一度も、同じ大きさ、内容量のカップを用意して、とは言いませんでしたからね」 カップ。器か。つまり…。 「その様々な形の器が、魔導師だとおっしゃるのだな、ガリュー衛視は」 「その通りです」 限り在る「テーブル」という「臨界」に、グループ分けされた定数の「魔導師」。置く場合と取り上げる場合の法則。 「カップを置くという作業を「拡散」、取り上げる作業を「徴発」とします。カップがテーブル一杯に拡散したら、今度は徴発に移ります。グループの代表であるふたりはカップの容量を確かめながら、それぞれの手元に戻します。この法則に則ってテーブル上を整頓すると、最後に残るのは、最初にアンとスゥが置いたふたつだけです」 拡散と、徴発…。 「「臨界」と「魔導師」の関係を単純に考えるなら、概ねそんなところでしょうか。本当はもっと複雑な立体階層概念であり時間的要素が加わっているのでこれほど単純ではありませんが、今回の問題において必要な臨界の働きはこんなものだと思うので、このまま話を続けます。 拡散したカップを徴発した状態が、今のゴッヘル系貴族の臨界における経過です」 唐突な話題の転換に、誰もが目を瞠る。 「現在ゴッヘル系魔導師はスゥとナイ小隊長だけですよね?」 「…そうだよ」 答えるスーシェの声は固い。 「ゴッヘル系貴族の臨界における時間経過は、徴発から拡散に転向したばかりなんです。ですから、クリアになったテーブルを広々使っていたスゥと、次に生まれたナイ小隊長に…」 「一族で、若様の次に歳が行ってるのはわたしなのだが」 クソ真面目に告げられて、ハルヴァイトは思わず苦笑した。 「ここに特定の法則があります。それに何より、キャロン様はスゥと直系…ベラフォンヌ夫人とスゥの父上が兄妹という間柄は、臨界…テーブルの認識として「同列」にあたるので、既にヒス・ゴッヘル家から魔導師は「出終わった」という事になるんですよ」 「それは随分大雑把な性格のテーブルだな」 なるほど、と納得したように頷くキャロンの傍らでしかし、ベラフォンヌはまだ釈然としない表情でハルヴァイトを睨んでいる。 「ヒス・ゴッヘル家はゴッヘル家より分かれたのです、それを同列に分類するとは!」 「母よ…、ガリュー衛視は先に、その場所では貴族階級など意味がないと言った。そこは、既にわたしたちの知らない世界だ」 キャロンがベラフォンヌを嗜めるのを待って、ハルヴァイトは尚も続けた。 「そして問題のルー・ダイ家ですが、現在、ダイ系魔導師は徴発実行により数を減らす事しか出来ない状態になっていますから、逆立ちしてもアンの子供…というか、包み隠さず申し上げるのなら、本筋であるダイ家と同階位にある魔導師以外の魔導師が全て鬼籍に入らない限り、この先暫く魔導師は誕生しないんです」 片付け終わるまで散らかすなという事か? 「それ…それじゃあ、ルー・ダイ家どころか、時と場合によってはダイ系貴族そのものがなくなってしまうじゃないか!」 蒼くなったセリスが身を乗り出して叫んでも、ハルヴァイトの涼しい顔は崩れない。 「ゴッヘル家が断絶してないんですから、その心配はないと思いますよ。ねぇ、スゥ」 「…ミラキ家もお前の出現で断絶を免れたしね…、どうにかなるんじゃないの」 なぜか不穏な空気を撒き散らしながら、スーシェが答える。 「というか、ベラ叔母様!」 答えているうちに何か思い出したのだろう、スーシェは白皙を飾る色の薄い眉を吊り上げて、キャロンの傍らで不愉快そうな顔をしていたベラフォンヌをキッと睨んだ。 「何が…若様でなくうちのキャロンが魔導師だったら良かったのにだ…。父の勧める結婚を嫌がって六年で十四件も婚約破棄した挙句、十歳も若い俳優と結婚して一年もしないうちにキャロンを産んだ? その、無駄な六年がなかったら、あなたのご希望通りキャロンが魔導師だったんじゃないか!」 あ…やぶへび…。と、アン少年は、猛烈な剣幕でベラフォンヌを責め始めたスーシェの冷たい横顔を見ながら、暢気に思った。 「魔導師だったというだけで、ぼくはあなたにどれほど嫌味を言われた事か…。何度、魔導師に生まれた事を呪ったか!」 瞬間、シャンデリアの向こうに金色の火花が燃え、音のないそれに驚いたセリスとレバロ、ミリエッタがびくりと震える。さすが魔導師隊所属なだけあってメリルがちょっと眩しそうな顔をしただけで無視を決め込んだのと、キャロンが平然としているのに内心苦笑を漏らしつつ、もしかしてデリラを呼ぶべきかどうか迷い始めた少年が相変わらず横柄な上官に視線を送ると、悪魔は、やれやれと肩を竦めてからゆっくりと息を吸い、傍らで怒気を発しているスーシェに向き直った。 「でもですね、スゥ。もしあなたが魔導師でなかったら、あなた、デリとは絶対出会ってないですよ」 「…は?」 「あなたが魔導師でないなら、「現在(いま)」だって別な進路と取り変わっていたかもしれないんです。そう考えると、あなたが魔導師であってくれてよかった」 ハルヴァイトの、どこまで信用していいのか不明の台詞と邪気のない笑みに、スーシェがきょとんと目を瞠る。 「わたしは、わたしの在る現在に満足しています。わたしを囲む状況をありのまま受け入れようと思います。わたしには、
ミナミの居ない世界など必要ないんですからね」
呆気に取られるスーシェから、何か言いたそうに微笑んでいるアンに視線を移しながら、ハルヴァイトは長上着の裾を捌いて立ち上がった。 「わたしの講義はここまでです。後はみなさんでご自由にどうぞ。………。ところで、アン」 「はい…?」 ドアへ向かうハルヴァイトの鉛色が、一瞬だけ、見上げて来るキャロンの明るい空色とぶつかる。 「あなた、知ってましたよね? わたしが話した臨界の法則について」 「………あの…はい……。知ってました」 俯いた少年の唇から漏れた小さな声を認めたキャロンが、微かに眉を動かした。 やはり、そうだったのか、と。 清々しくも少年は、有無を言わせずこの婚約をなかった事にする奥の手を持っていながら、なんと言ったのか。 なぜ、キャロンとは結婚しないと言ったのか。 ハルヴァイトが、キャロンに薄い笑みを見せる。 「では、失礼します」 会釈して通り過ぎた漆黒の長上着を目で追うでもなく、彼女もまた薄い笑みを唇に載せた。
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