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番外編-7- ステールメイト

   
         
(22)三日目 15:30

     

「………。いや、うん…、結果はいんだけどさ。つうか文句ねぇつうか。当たり障りなく返事すんなら、そうなんだ、くらいでいいかなとか思うんだけど…な?」

 と、「逃げた」ハルヴァイト(…)に代わって室長室にやって来たデリラを無表情に見上げ、ミナミは酷く歯切れ悪く続けた。

「その、ルー・ダイ家がアンくんに絶縁宣告したってのは…なんの冗談? デリさん」

 次長ブースの肘掛け椅子に座った状態で、じ、と見上げて来るダークブルーに一抹の恐怖を感じつつ、デリラが乾いた笑いを漏らす。

「なんの冗談かつわれてもですね、ミナミさん、実のトコは、おれにもさっぱりなんですわ。スゥが言うにゃ、ボウヤとキャロン嬢の婚約はボウヤの我侭で一方的に解消されて、同席していたスゥのとりなしで両家的には和解、今後について一切の遺恨は残ってねぇって事で「話が着いて」、ただ、それだけじゃこっから先、ヒス・ゴッヘル家が手ぇ引いたって貴族会の噂で次の…いわゆるボウヤの花嫁? 候補つうんですか? が出兼ねねぇのを牽制すんのに、とりあえず、表面上ボウヤは実家の出入り禁止。で、事実上ルー・ダイ家の次期当主への選出もねぇって、そういう意味らしんスけどね?」

 いかにも自然な感じを装って逸らされたデリラの視線の先を追って、ミナミもつい見てしまう、クラバインの難しい顔。

 一連の騒動に一日中巻き込まれていたスーシェから電脳班宛に連絡が入ったのは、つい先程だった。その時執務室に居たのはハルヴァイトとデリラとドレイクで、昼を挟んで一時的に行方知れずになり、いつの間にか戻って来ていたハルヴァイトに、ドレイクが、ルー・ダイ家とヒス・ゴッヘル家の話し合いについて事実確認したらいいのではないかとかなんだとか言い募っている真っ最中に、その、非常に不都合な報せが飛び込んだのだ。

            

 アン・ルー・ダイとキャロン・ヒス・ゴッヘルの婚約は、アン・ルー・ダイの「我侭により一方的に」破棄された。しかし、両家は立会人だったスーシェ・ゴッヘルによる和解の勧めを快く受け入れ、以後親しく交流する事を約束し本日の話し合いを解散したが、ルー・ダイ家当主レバロは「息子の態度」に極めて立腹し、三男であるアン・ルー・ダイに屋敷への出入り禁止を言い渡し、以後双方には一切の関わりはないという…いわゆる絶縁状に署名した。

          

 当然、それを聞いたドレイクは白い眉を吊り上げてスーシェに食って掛かった。そんな「我侭」だなどという曖昧な理由で、自分勝手に結婚を押し付けて来ていた家族がアンに絶縁状を叩き付けるとは、どんな了見なんだ。と。

 しかしスーシェはそれに、なんとも言い難い表情で言い返したのだ。

          

        

「詳しい事はガリューに訊いてくれないかな。正直、「事実」を公開する勇気はぼくにも、この場に居た誰にもないし、出来るとも思わないよ」

        

        

 それでとりあえずドレイクは電信を切り、まずは…どうやら…何か裏で一枚噛んだらしいハルヴァイトを締め上げてやるつもりで振り返ったのと同時に、愚弟(?)逃走。逃げたという「事実」は奇しくもドレイクに「あのやろう何かしでかしやがったな」という確信を植えつけるに至り、兄はいらぬ使命感を燃やして追跡を開始。

 結果、デリラは唖然としているうちにこの、ルー・ダイ家とヒス・ゴッヘル家の婚約騒動の顛末を、室長室…というか、ミナミに報告せざるを得なくなった。

 いや、貧乏クジだね。とデリラは、なぜかいつもより冷ややかな空気を纏うミナミの無表情を頬で感じつつ、内心嘆息する。

「…室長」

 背中を舐める冷たい汗に全身を強張らせていたデリラから逸れたミナミの気配に、十割とばっちり、または百パーセント巻き込まれた、というかある意味これが日常かもしれない悪人顔の砲撃手がほっと胸を撫で下ろしたのを苦笑で見つめていたクラバインが、呼ばれて、ひくりと頬を引き攣らせつつ「何か?」と答える。

 何故今日のミナミはこんなに機嫌が悪いのか…。

「とりあえず、さ。ルー・ダイ家とヒス・ゴッヘル家の婚約解消って、アンくんになんか都合悪ぃ事あんの?」

「いいえ」

 クラバインは、地味な銀縁眼鏡を指で押し上げてからデスクの上に肘を突き、組んだ手に顎を預けた。

「ルー・ダイ家とヒス・ゴッヘル家から先立って貴族会に姻戚締結了承の打診があったのなら話は別ですが、アンくんとキャロン嬢の婚約はあくまでも「噂」の範疇にありましたので、特別問題視される事はありません。今日の話し合いは形式上、両家で婚約関係の成立を確かめ合い、正式に貴族会へ報告するかどうか決定するという場だったようで、それが報告に至らず立ち消えたというだけですから、これもまたルー・ダイ家…この場合はアンくんが婚約を了承せずに終わってしまったという「噂」になるだけです」

 結局はすべて憶測の域を出ないままだと、クラバインは真摯な面持ちでミナミを見つめ返し頷く。

 その結果は、ミナミにとって悪いものではない。正直な所、「切り札」を封じたという意味で喜ぶべきだろうか。しかし、おまけがよろしくなかった。

「それなのに、ルー・ダイ家がアンくんの出入りを禁止するって、それ、どういう意味?」

 素肌をぴりぴりと刺す剣呑な気配に、しかし、クラバインがふと笑みを零す。

 天使は、ご機嫌斜めだ。

「それは百パーセント「スタイル」といっていいでしょう。アンくんの「一方的な我侭」をルー・ダイ家が厳しく咎めたという事で、ヒス・ゴッヘル家は両者に対し抗議する意味をなくします。しかもそのくらい徹底的に…いわゆる絶縁状を叩き付ける恰好になったのであれば、ここはコルソンの言う通り、今後アンくんがルー・ダイ家を継承する可能性はゼロですから、そうですね」

 そこでクラバインは一息置いて、考えた。

 果たして、どんな言葉を使えば天使の機嫌は直るのか…。

「いくらアンくんが今現在衛視であっても、職を辞した暁にはいわゆる「一般市民」と同等の氏族階級ですので、貴族たちはアンくんには余計な手を出して来なくなるでしょう」

 さすがのミナミもクラバインの言う意味がすぐには判らなかったのか、一瞬惚けたような顔をする。

「…でも、アンくん魔導師だけど…?」

「評価が低いでしょう? ガリュー班長やミラキ副長に比べれば」

 少年は確かに魔導師だったが、どこかの化け物天才な兄弟のように稀有な存在ではないだろうと、クラバインは小さく笑って付け足した。

 つまり?

「ゴッヘル小隊長が考えたのだとしたら、なんとも上手い方法です。表面上はアンくんに全責任を負わせてルー・ダイ家から追放したように見えますが、それで「話が着いて」いるのだとすれば、両家、両者ともに内情は了解済み。ルー・ダイ家、ヒス・ゴッヘル家に傷は付かず、アンくんにしても、二度と…兄上の無体を聞く必要がなくなったのですから」

 そこでようやくミナミも判った。

「スゥさんて…そういうトコ滅茶苦茶乱暴じゃねぇ?」

 で、思わず傍らのデリラを見上げる。

「まぁ、スゥも似たような事やって、家名の継承権放棄してますしね。つっても今回は、黒幕のお膳立てが手際良過ぎて薄気味悪ぃつってましたね」

 次長ブースのカウンターに肘を置いて寄りかかっていたデリラが、いかにも人悪く喉の奥で笑うのを無表情に眺めつつ、ミナミは首を傾げた。

「黒幕? って?」

「ミナミさん、知らねぇんスか?」

 きょと、と顔を見合わせるデリラとミナミを暢気に見遣るクラバインが、苦笑いを噛み殺す。どうやらこの食えない上官には既に、「黒幕」の残した痕跡が掴めているらしい。

「昨日ボウヤが電脳班(こっち)に連絡入れてから、何かしでかしたらしいスよ? 確かにおれもね、スゥの勤務状況とか訊かれましたしね」

「…だからさ、デリさん…、それ誰?」

 今度こそ本気で何も思い浮かばないのだろう…まさかあのハルヴァイトがこんな事に首を突っ込んでいたとは夢にも思っていないのだから、仕方ないが…ミナミの当惑した横顔を、クラバインは微笑ましい想いで見守った。

「だから、大将っスよ」

「………。なに、それ?」

 なにそれと言われても、と、なぜか慌てたデリラがクラバインに助けを求める視線を投げる。

「表面上あからさまな痕跡ではありませんが、今回、ルー・ダイ家とヒス・ゴッヘル家の婚約解消に係って、ガリュー班長が水面下で関与したものと推測される行動が、昨日から今日にかけて多数目撃されているようですよ?」

 その瞬間までクラバインは、クラバインも? もしかしたらデリラでさえも、ハルヴァイト一連の奇行(…だと思う)は全部、ミナミの差し金か何かだと信じていた。そう、まさか、「あの」ハルヴァイトがまさか……。

「って…、俺には何もすんなつったクセにっ!!」

 まさか、ミナミにはいかにもらしく「何もするな」と言い置きながら、自発的に何か行動したとは、それこそ夢にも思っていないのだから。

「「はぁ?」」

 思わず椅子を蹴倒さんばかりの勢いで立ち上がったミナミは、無表情に天井を睨んだ。

 ハルヴァイトが何をどうしたのか知らないが、とにかく無性に腹が立つ。いや、別に何かしたのが悪い訳ではない。ハルヴァイト風に捉えるなら、結果オーライだった訳だし。それにしても、なぜ、何かするならすると言ってくれなかったのか。結局ミナミも余計な事をしでかしてしまった。でも、やっぱり結果は悪くなかったとこれは水に流すところか? いやいや。「こちら」はまだ手強いラスボスが残っていて、事態が全て丸く収まった訳ではない。

 じ、と天井を見つめたまま…無表情に…瞬きもしないミナミの冷たい横顔を、デリラとクラバインは呆然と見ていた。

 もしかして、青年のこの反応からすると、本当に、ハルヴァイトは…自主的に何か行動したというのだろうか? そんなばかな。というところか。

「………とりあえず、家帰っても口利いてやんねぇ…」

 天井に向けていた視線を水平に戻しながら、ミナミがぼそりと呟く。しつこいようだが、結果は悪くなかったとしよう。というか、実際歓迎すべきだと思う。それにしても、俺にゃ何もするなつって自分は何かしてんじゃねぇかよ、と内心無限ループ状態で文句を並べつつ、青年はやや翳ったダークブルーでデリラを見返した。

 デリラ、思わず後退ったり…。

「ところでさ、デリさん。アンくん、結局なんつってキャロン嬢との婚約断ったのか知ってる?」

 問われてデリラは、スーシェに聞いた通りの言葉をミナミに教えた。

          

「好きな人が居るから、だそうですよ?」

        

 果たしてそれが口から出任せなのかどうか判らない、というような事をデリラは付け足しのように、どうでもいいように言ったが、その時クラバインは、アンが家族の前で言った短い「理由」を受け取った直後、ミナミがゆっくりと、誰の目にも触れないように顔を伏せ、あの、溶けそうな淡い笑みを唇に登らせたのを見た。

 ふわりと。

 その笑みは。

 駆逐出来ない性質の悪い幸せ。

 そうかと、クラバインは思った。

 やっと判った。

 ルー・ダイ家とヒス・ゴッヘル家の動きをそれとなく気にしていたのは、そもそもがあの、電脳班設立当初に起こったゴシップ紙への情報流出騒動が、ヒス・ゴッヘル家の仕組んだものらしいと報告を受けていたからだった。もしこの、アン少年の意志が介入していない婚約が強引に履行された場合、陛下はまた心を痛めるだろうとクラバインは思ったのだ。

 俄かに両家の動きが慌しくなったのはここ三日程であり、性急に、暗に介入する間もなく話が纏まってしまうのかと…余計な事をして消えたヒューに腹を立てつつ案じていたものの、昨日になって突如ハルヴァイトが意味不明の行動を起こす。それをどう受け取っていいものか、ハルヴァイトの目的はなんなのか、正直クラバインにも今の今まで判らなかったのだが、つまりそれは。

 他でもない、恋人の満足する結果を出したかっただけではないのか?

 綺麗な、恋人。

 みんなに幸せになって欲しいと言う。

 沢山のものを与えて貰ったのだから、返そうと思うと言う。

 恋は盲目なとど先人は的を射た事を言うものだ、さすがの悪魔も天使のためなら普段の行いを百八十度どころか三百六十度ひっくり返す。とやたら感心していたクラバインはまたもやそこで、はたと気付いてしまった。

「…ところでミナミさん」

「何?」

 そしてつい、訊いてしまう。やめればいいのに…。

「ミナミさんはガリュー班長に「何もするな」と言われて、何もなさらなかったので?」

「…つうか室長…、そのさ、微妙に、まさか何もしねぇ訳ねぇだろ、みてぇなニュアンスは、なんなんだよ…」

「いや、ミナミさんといえば、ガリュー班長の言う事は是が非でも聞かないような気が…し………て…」

 と、そこまで言って、あのダークブルーから注がれる平坦な視線に耐えかね、なんとなく、散らかったデスクの上を、意味なく、引っ掻き回しながらクラバインは、背中に嫌な汗を掻いた。

「あれだ、俺、そういう風に思われてんだ…」

 沈んだミナミの声がひやりと足元を舐め、デリラは、クラバインがアホな事を言い出す前に退室しておけばよかったと本気で後悔する反面、最近ハルヴァイトもミナミの使い方(?)を把握して来たなとも思った。

           

「…どうせ聞きませんでしたよ、どうせ!」

  

   
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