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番外編-7- ステールメイト

   
         
(24)三日目 18:26

     

 かなり暗い気持ちで特務室のドアを開けたルードリッヒが、一瞬、びくりと肩を震わせる。その、緊張に毛羽立った気配がすぐ落胆へと変わり、珍しく衛視室に居たハルヴァイトは微かに口の端を歪めた。

「どうなさったんですか、ガリュー班長。…そこ、班長のデスクですけど」

 ルードリッヒが外から戻って来た時、ハルヴァイトはヒューのデスクを占拠し、頬杖を突いてぼんやりどこかを眺めていた。それで青年は始め、あの銀色が戻ったのかと勘違いを起こしてしまったのか。

「暇なので」

 相変わらず会話の噛み合わないひとだと思いつつ、ルードリッヒが苦笑を漏らす。

「暇って…。仕事してください、何か。でないとまたアイリー次長に叱られますよ」

「今日は何かしてもしなくても後で叱られるんですから、いいんです」

 ルードリッヒにはそれで何がいいのかさっぱり判らなかったが、本人がいいというのだから放っておこうと決めて、小さく笑いつつ自分のデスクに着いた。雑多にファイルやディスクなどが散らかっているのはなかった事にして端末を起動すると、室長、クラバインからの連絡がすぐに表示された。

『シフト変更に不備あり。至急訂正し再提出』

 短い通信文の表示されたウインドウを、ルードリッヒが立ったまま眺める。

 ヒュー・スレイサーを除いた七名の警護班員を的確に振り分けたつもりなのに、陛下とミナミの予定がかち合った部分で人員に不足が出ていた。休暇中の誰かをここだけ時間勤務にするかどうか考えながら椅子を引いて腰を下ろし、でもそれでは休息する時間が分断されて、ゆっくり眠れないのではないかと思い当たる。

 眠れない…。

 そういえば、姿を消したあの銀色は、いつも眠い眠いと言っていた。

 その理由が、少し判る。

「………班長」

 呟いて、しかし同じ部屋に居るはずのハルヴァイトから探る気配も答えもなく、ルードリッヒは独り言のように続けた。

「どこに行ってしまったんでしょう」

 答えが欲しい訳ではない。

「全然ダメなぼくたちを放ってどこかに消えるなんて、卑怯ですよ」

 そうだと言って欲しい訳でもない。

 クラバインからのメッセージだけが映し出されたモニターを見つめ、青年は呟く。

「いつもは、頼りにならないとか心構えが足りないとか視野が狭いとか勘が悪いとか…別にウダウダ説教するでもなく、ただ「悪い」って言ってぼくらを悩ませるくせに」

 ハルヴァイトは、ヒューのデスクに片肘を突いたまま、それまで中空に投げていた視線だけを動かしハス向かいに座るルードリッヒを見た。

 胡乱にくすんだ緑の目に、モニターの白い光が映り込んでいる。超高速で明滅し、それが余りにも高速なものだから発光しているように見える光が、暗く翳った顔をぼんやりと照らしていた。

 疲れたように肩を落とし、死んだように俯き、なんの感慨もなくモニターを見つめるルードリッヒの口元に、淡く苦い笑みが浮く。

「…やっと褒められたと思ったら、ロクな事になりやしない…」

 溜め息にも似た呟きを受けて、ハルヴァイトは考えた。

 果たして、たかがヒュー・スレイサーひとり居るのと居ないので、何が違うというのか。戦力の低下? それは否めない。確かにそうだ。しかし、「戦力の低下」を補う方法はいくらでもある。選択肢。ではその選択肢は誰が選択するのか。それにもまた多数の選択肢がある。「関係者」のうちの、誰でもいいのだから。その「選択」は「決定」である必要もない。無数の選択肢から不必要と思われるものをふるい落とすための発言も、選択の一端と言える。選択は、ひとの思う「選択」は、いつでも回答の直前にあるただの一回だけだと悪魔は考える。しかしそこに辿り着くまで、選択しなければならない事柄が発生し関係ある者たちの手を経て選択者が「最終選択」を下すまでの間に、どれだけの「選択」を潜らねばならないのか、ひとは、考えないのではなく、気付かない。

「事象」は「発生すべき選択を経て発生」する。「可能性」は無限だが、核となるべき事柄に「関わる人間が決定」し「関わる時関わって」、無限の可能性は殺ぎ落とされ「最終選択」へと至る。

 ほんの、瞬き一回でそこまで考えて、ハルヴァイトは急に判った。

 機械的に「事象」を処理するならそれでいいだろう。しかし、関わるものがあくまでも「不規則乱数と無限」で構成される「人間」だとしたら、結果は変わらないとしても「経緯と経過」は大幅に変わる。つまりここにもまた「別の選択肢」を産む要素が挿入されるという事か。

 機械的には測れないもの。

 それを多分「望む」というのだろう。

 ハルヴァイトが…ミナミにそこに「居て欲しい」と思うのと同じもの。

 世界は…真円…データ…で出来ている。

「班長がルードを褒めるなんて、それこそ天変地異の前触れだったんじゃないですか?」

 まさかそこでハルヴァイトから返答があると思っていなかったのだろうルードリッヒは、言われてすぐにぎょっと目を見開き、…なんだか子供っぽい顔だとハルヴァイトは思った…、ハス向かいのデスクに頬杖を突いた悪魔を凝視した。

「それが最後のつもりで言ったのか、それとも本気でそう思ったから口を衝いて出たのかで、意味合いは大きく変わると思いますけどね」

 言いつつハルヴァイトは、それまでルードリッヒの顔に据えていた視線を一旦手元に下げ、それから頬杖を外して身を起こすと、椅子の背凭れに身体を預けた。

「わたしが必要としているのは正しい情報です。道筋を描くのに、必要不可欠。

 ルードが班長に「褒められた」のは、いつの事ですか?」

 いかにも流麗な動作で長い足を組んだハルヴァイトは、白手袋に包まれた指を軽く組み合わせて膝の上に置いてから、呆然とするルードリッヒに問いかけた。

 す、と上昇し、ぴたりとルードリッヒの顔に据わった、鉛色。その、透明度の低い不思議な印象の双眸が、刹那で表情を強張らせた青年を射竦める。

 感傷など必要ないと。

 それは、情報。

「三日前の夜です。資料室のある階から非常階段室に出て来た班長とばったり会って…」

 そこでルードリッヒは、ルニが「いらぬ暴挙」を働いた三日前に非常階段室でヒューと交わした奇妙な会話を、覚えている限り正確にハルヴァイトに伝えた。

 途中何か問いかけるでもないのだが、最悪に居心地悪い視線を注がれているというだけで、ルードリッヒは口の中がからからになるほど緊張した。果たして本当に聞いているのかいないのかも判らない無反応。そのくせ絶対に外れない視線。ぴくとも動かず発言するでもないのに、ただ「そこに居る」だけで全てを頭から押さえつけるようなプレッシャー。

 絶対解答以外認めない機械装置の問いに、必死になって正しく答えようとしている感覚。

「そうですか、判りました。ありがとう」

 並んで特務室に戻り、その後ヒューが室長室に入って自分が退室するまで戻らなかった、と、なんとかかんとか最後まで青年が言い終えた途端立ち上がったハルヴァイトは、素っ気無く言って軽く手を上げながらデスクを離れ、さっさと電脳班執務室に消えてしまった。

 背を向けていたドアがぱたりと閉じて、瞬間、ルードリッヒはそれまで強張っていた全身からようやく力を抜き、安堵の息を吐いた。

 空いたヒューのデスクを見つめ、青年はもう一度溜め息を吐く。

 ある程度慣れていてもこうなのだ、ハルヴァイトの前に立たされると。普段はのほほんとやる気なく、ドレイクに叱られていたりアリスにからかわれていたり、デリラやアンと意味のない会話を交わしていたり、ミナミの突っ込みに晒されていたりとどうしようもなくだらけた人に見えるが、実は、「何かしよう」と自分に決定を下した途端、纏う空気さえ金属質に変化させて要と不要を的確に判断し、人情など計算に入れず斬り捨てるものは迷わずばっさりと斬り捨てる。

 それは、提示された虫食いだらけの方程式を正解に導く、作業。

 そして厄介な事にハルヴァイトは、時としてその方程式の「答え」を自分で書き込み、その通りに全てを閉じようとする。

 強引に。

 回答を解答に。

 情報を収集し事象を操作して解答に。

 やろうとしてする事が出来るからやる。

 可能性が、ゼロでない限り。

 ある意味凄く迷惑だけど、ある意味凄く頼もしい。とルードリッヒは、嘆息交じりに思った。「前回」のように暴走されては堪らないが、世のため人のため陛下のためになるなら、これほど心強い自分勝手を働くひとはないだろう。

 というか?

「…て事は、ガリュー班長、もしかして今、何かやってるのかな…」

 呟いて、ルードリッヒは本気で首を捻った。クラバインに言われてルー・ダイ家とヒス・ゴッヘル家の「経緯」について調べたが、まさか、いくらアンが直属の部下だとしても、あのハルヴァイトがそんな面倒事に手を出す訳はない。では、今の質問からして失踪したヒューでも探しているのかとも思えそうだけれど、それに至ってはアンの騒動に介入するより、理由がない。

 もしも問うて、同僚を心配して、とか返事されたら、不測の事態に備え書置きを用意しておこうと決心する。でも怖いので訊かないが。本当に答えがそれならまず卒倒するだろう。ミナミに泣きつくのはそれからだ。室長と陛下にも直訴しなければ。

「…ガリュー班長は酷くお疲れのようなので、アイリー次長を付けて三ヶ月くらい休暇を取らせてやってください、とか…こんな感じで…」

「何ひとりでぶつぶつ言ってんの、ルード」

 難しい顔でうんうん唸っているルードリッヒを、入室して来たジリアンが薄気味悪いものでも見るような目で眺めた。遠巻きに。

「ジル、さ」

「うん?」

「好きな人居る?」

「あー、プライベートにはお答えしないようになってます」

「いや、別に答えてくれなくてもいいんだけど」

 後で調べよう。と、ルードリッヒ、心の声。

「好きなら好きって、今のうちに言っといた方いいと思うよ」

「何それ? まさか、今度こそファイラン墜落するからとか言わないよね」

 また今日の冗談は面白くないなー、などとジリアンは、椅子を引いて腰を下ろしながら、さも面白くなさそうにふんと鼻を鳴らした。

 だがしかし、ルードリッヒからの答えが、ない。

 それで、何か不吉な予感がしてルードリッヒに視線だけを向ければ、青年は「遺言」と表題の打たれた書面を無表情に見つめているではないか。

「…そういう手の込んだ冗談やめようよ」

「冗談じゃない。ガリュー班長、なんか…また何かやってるっぽい」

 ルードリッヒが呟いて、瞬間、ジリアンは懐から取り出した端末に誰かの電信番号を打ち込み、回線オープンを知らせる電子音が鳴り終えるのももどかしく、悲痛な声でいきなり切り出した。

「アイリー次長! なんか、何か、とりあえず、ガリュー班長をどうにかしてくださいっ!」

 だがしかし、ミナミは…無情にも無表情に、「やだ」と即答する。

「なんで!」

『だって俺、今日あのひとと口利いてやんねぇって決めたから』

 で。ブツリと途切れ、ブラックアウトする通信画面。

 蒼くなって「こんな時に痴話喧嘩しないでくださいよっ!」と叫んでいるジリアンを横目で見つつ、ルードリッヒは、特務室の内部通信で「伝言」扱いのメッセージをミナミに宛てて送った。

“√”>>>『じゃぁ、00:01頃でいいです★』

 返信は、“373”>>>『早っ』だった。

  

   
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