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番外編-7.5- ステールメイト リプレイ

   
         
(2)四日目 10:00

     

 仕事すべきデスクに近付けないという異常事態に直面したミナミは、暫し衛視室で部下に突っ込んで暇を潰してから、待てど暮らせど現れないドレイクに疑問を感じて、…という名目でだが…、何か用事があるからとアリスが執務室を出て行ってすぐ、アン少年だけが居残っている電脳班の執務室を訪ねた。

 相変わらずの無表情を覗かせたミナミをソファに招き入れたアン少年が、少しはにかんだような顔で、「ありがとうございました」と短く言う。

「…余計な事したってさ、俺は思うけど?」

 からかう調子で答えつつソファにぽそりと座ったミナミに、アンは慌てて首を横に振ってみせた。

「そんな事ないです。…ミナミさんがぼくの所に来てくれなかったら、ぼくは…」

 何も判らないままだった、と少年は、薄い水色の大きな目を眇めて微笑んだ。

           

        

 きっと何も判らないままだった。

「世界」にひとりだけだった。

 その、問題に関わる人が、大勢居たのだと気付かなかった。

          

           

「でも、実は今でもはっきりしねぇんだけどさ? アンくん。なんで、絶縁状なんて仰々しいモンが出て来たワケ?」

 それで、どうやらミナミには詳細まで伝わっていなかったのだろうと、アンは昨日ルー・ダイ家で起こった一連の事柄を青年に説明した。両親の事、長兄の事、次兄の事、スーシェの事、それから、ベラフォンヌとキャロンの事も、その後、夕食を終えた頃に転がり込んで来たマイクスの事と、突如現れ嵐のように全てを掻っ攫って行ってしまったハルヴァイトの事も、全部。

「………、つうか、全部に対して突っ込みドコ満点なんだけどさ、アンくん…」

「はい?」

 ソファに収まったミナミがなぜか、必死に笑いを堪えているような複雑な無表情で小さく、「ヒューは?」と…。

 言った途端に、アン少年の小さな顔が、みるみる、面白いように赤くなる。

「いやっ…あの…そ…それはっ…、え…と、…」

 ごく自然を装って不自然にミナミの顔から逸れた水色。

「…今は…まだ、報告する程の事も…ないです、って感じで…」

 一瞬中空を彷徨ったそれがゆっくりと、膝に置いた手に落ちるのを見ながら、ミナミがふわりと微笑む。

 だから思う。本当に「何もなかった」のではないだろうと。

「ま、俺はミラキ卿じゃねぇから、そこまで首突っ込む気ねぇんだけどさ」

 俯いた少年から目を逸らさないままソファの背凭れに身体を預けたミナミが笑いを含んだ声で言った途端、かちゃりと、執務室のドアが開け放たれた。

「? 俺がどうかしたか?」

「うん。お節介だよなって話し」

 即答かよ! と入室していきなり突っ込み強要のドレイクが笑いながら言い、ミナミは薄く微笑み、アンが吹き出す。

「つうかミラキ卿遅刻じゃね?」

「遅れるってアリスにゃ電信しといたぜ? てか、ミナミ!」

 羽織った濃紺のマントをハンガーに預けたドレイクが、何か思い出したように口調を変えてソファに歩み寄るなり、アン少年を壁際に押し込んでミナミの正面に座る。その、白い眉を吊り上げてわざと作った咎める表情に覚えがないのだろう青年は、何? といつも通り短く答えて、首を捻った。

「結局、ハルのヤツは昨日何しでかしやがったんだよ!」

 言われて、アンとミナミは顔を見合わせた。

「つうかミラキ卿、もしかして今朝あのひとに、それ、訊いてから来た?」

 アンに向けていたダークブルーを旋回させたミナミが小首を傾げると、ソファの背凭れに身体をぶつけたドレイクが、渋い表情で頷く。

「訊いてやろうと思って離れに行ったら、あのやろう、もう出かけてやがったんだよ」

 という事は、さすがのハルヴァイトも「真相」をドレイクに話すつもりはないのだろう。昨日からひたすら逃げ回っている理由は判らないが。

 苦々しく眉を寄せたドレイクの顔を無表情に眺めていたミナミの胸に、何か言い知れない不安のようなもやもやが沸く。

 もしも、逆だったとしたら? 常のハルヴァイトならば、都合の悪い事を白状させようとするドレイクなど、うるさい、の一言で黙らせてとっととその話題を切り上げるだろうに、なぜこの話題だけは、そうしないのか。

 有効な言い訳が思い浮かばない?

 否。悪魔は、言い訳などしない。

 では、なぜ?

 なぜなのか。

 ヒューが絡んでいるからか?

 それもまた否。昨日ハルヴァイトがルー・ダイ家で明かした臨界の理そのものに、ヒューは関係ない。

 ならば。

 今は言えないのか?

 言えば、きっと、ドレイクは疑問を持つだろう。人知れず探ろうとするかもしれない。

           

          

 莫大な占有率を誇る、ドレイクと、ハルヴァイトの、「祖」を。

           

          

 急に押し黙ったミナミと冷たい空気を発散するドレイクの横顔の間で数度視線を往復させたアン少年が、何か言葉を紡ごうと短く息を吸い込んだのを、水平に流れたダークブルーが圧し留める。

「……」

 それが黙っていろという色を含んでいたのに目だけで頷き、少年は微かに開いた唇をまた噤んだ。

「それ、なんだけどさ、ミラキ卿」

 ミナミは言いながら居住まいを正し、ドレイクの不機嫌そうな顔を真っ向から見据えた。

 観察者の瞳で。

 澄んだ、深海のダークブルーで。

 その底に瞬く、暗く強い光で。

「問題は、ルー・ダイ家だけのモンじゃねぇんだよ、それ…。いや、うん、ミラキ卿がアンくんを心配してくれてんだって、それは、俺も、あのひとも、アンくんだって判ってる。でも、昨日あのひとがルー・ダイ家で話した内容は、ゴッヘル家にも関係のある事柄で、だからスゥさんはそれを言い渋ったし、アンくんも、夜に訪ねて来たダイ魔導師にも本当の事、言わなかったんだよな?」

 話を振られたアンは、短く「はい」と答えて頷いた。

 昨晩、日中の騒動などなかったもののように平穏な晩餐を終えた頃、ルー・ダイ家に事の顛末を確かめに来たマイクスにも、アンたちはただ両家の婚約はなくなったとしか知らせていなかった。それは、スーシェとアン、キャロンが話し合って、ハルヴァイトの明かした臨界の法則については他言無用と取り決めたからに他ならない。

「だからこれは、俺たちが首突っ込んでいい話題じゃなくてさ、さすがのあのひとも、そう思ってるから、ミラキ卿から逃げ回ってんじゃねぇのかな」

 ミナミに諭されて、ドレイクは何か諦めたような顔で短く息を吐いた。何事も放っておけないお節介ではあるが、他人の秘密をしつこく聞き出す無神経さまでは持ち合わせていないのだろうミラキ家の当主が、少し弱ったように口の端を歪めて苦笑する。

「どうせ俺なんか、円満に解決って筋書きはなかったのかつってハルに八つ当たりしてやろうって、その程度なんだけどよ」

「……って、もしかして、絶縁状の話ですか?」

 整った白髪をわしわし掻き回すドレイクの顔を下から覗き込んだ少年の惚けた顔を、じろりと睨んだ灰色。

「他に何があんだよ、あほ」

「いたっ!」

 丁度、小さな頭の脇にあったドレイクの肘が、アンの金髪を急襲。頭頂部に一撃貰った少年が、頭を抱えて蹲る。

「理由なんかどうでもいい、この場合はよ。婚約がなくなったのだって、おかしな言い争いなんかじゃねぇ、ちゃんとした話し合いなんだろうが。それで、なんで最後の最後が絶縁状なんて笑えねぇオチなんだよ、って、そういう事だ」

 自分で殴っておきながらドレイクは、面白くなさそうに言いながらも、アンの金髪を乱暴な手付きでがさがさと撫でた。

 それを、ミナミは見ている。

 白手袋の大きな手が少年の乱れた金髪を梳くのを。

「………。それは、いつか、返して貰うので…」

 ドレイクに頭を撫でられていたアンが、俯いたままぽつりと漏らした。

 それまで頭部に置いていた手を膝の上で軽く組み、その手に視線を据えたまま、アン少年ははにかんだように桜色の唇を綻ばせて。

「ぼくは、ぼくのために家族を棄てたようなものですけど…」

 幸せそうに、微笑んだ。

           

 一年経ったら、返してくれると、約束したので。

          

 意味不明の静寂に戸惑ったドレイクが、ミナミに視線を向ける。しかしそれにどう答えていいのか判らない青年は、曖昧に微笑んで小さく首を横に振った。

「やだ、ミナミ、まだ居たの?」

「つうかいきなりそれはねぇだろ、アリス」

 室内を占める不思議な空気をいきなりばっさり斬り捨てた華やかな声に、ミナミは高速でドアを振り返り突っ込んだ。

「ハルも居ないのにこんなにのんびりしてるなんて、珍しいんだもの」

「室長がまだヒューに説教中で、仕事出来ねぇんだって…」

 長上着の裾を捌いて入室して来たアリスに続き、茶器を満載したトレイを持ったルードリッヒが苦笑いしながら現れる。その顔付きを見ると、どうやら、クラバインの制裁? は未だ続行されているらしい。

「アイリー次長、午前中の仕事諦めた方いいみたいですよ? さっきお茶を運んで来いって言われて入室しましたけど、どっちも退く気配なしで、睨み合ってましたから」

 うわ、怖ぇ。とわざとのように身震いしたミナミの脇、やや間を置いた絶妙な位置にアリスが腰を落ち着けると、ルードリッヒはトレイをテーブルに置き、「ごゆっくりどうぞ」と…物凄く意味深な笑顔をアンに向け、それから、ぺこりと会釈して踵を返し、退室した。

「…っていうか、あれも怖ぇ…」

「いや、ミナミさんじゃなくて、ぼくがじゃないですか?」

 無表情に肩を竦めたミナミと、引き攣った笑顔を浮かべつつそれぞれの前にカップを置きお茶を淹れ始めたアンを交互に見比べてから、顔を見合わせる、アリスとドレイク。

「ま、どうせ電脳班(うち)も今日は開店休業だしよ、ゆっくり遊んでけ、ミナミ」

 アン少年の差し出したカップを受け取ったドレイクが、ソファにふんぞり返って笑う。

「ああ、じゃぁ、ミナミ? 暇なら、ドレイクと一緒にガラ卿のところにでも顔見せに行ったらいいんじゃない? ハルが一緒じゃないのを残念がるかもしれないけど、ミナミだけでもきっと喜んでくれると思うわ、フランツおじさま」

 言いつつアリスは、テーブルに茶器を置いたアンの手元に、一枚のハーフサイズロムを滑らせた。

「それ、さっき話した内容の資料よ、アン。どう? あたし、優秀でしょ?」

 赤い唇を綻ばせたアリスが自分の膝に頬杖を突き、アン少年に様になったウインクを投げる。

「あ、すみません、アリスさん。ありがとうございます」

「つうか自分で優秀って言うか? ふつー」

「自分で言わなかったら、誰も言ってくれないもの、ここじゃ」

 小声で突っ込み、すかさず亜麻色の双眸で睨まれて、ミナミは壁にへばりついた。

「アリスも怖ぇ」

「…ハル居ねぇんだからよ、ミナミ。ちょっと気ぃつけろよ、お前も。んで? なんで俺とミナミがガラ総司令に面会すんだって?」

 何か仕事だと思ったのか、ドレイクがアンに顔を向けて小首を傾げる。

 平静を装いつつも、内心はかなり複雑な心境だろうドレイクに、アン少年はしかし、こちらも複雑な内情を浮かべるでもなく、いつもと同じ清々しい笑顔を見せた。

 ドレイクは、あの「晩餐」以降、フランチェスカに会っていない。

「はい。えーと、話す順番が逆になってしまって申し訳ないんですけど、副長にお願いがあるんですよ」

 ミナミとアリスが居るからだろう、少年は受け取ったロムを脳内展開するのではなく、丁度四人の囲むテーブルに設備されている空間投影式のモニターを立ち上げて、壁際に置かれている読み込み装置のスロットにそれを差し込んだ。

「率直に言うならですね。

 キャロンさんが、警備軍に入隊出来るようにしてあげたいんです」

 言われて。

「はぁ?!」

 ドレイクは真白い眉を吊り上げ素っ頓狂な声を張り上げた。

 テーブルの真ん中あたりに立ち上がった半透明のモニターに、十数名の女性の氏名と提出書類の表題が映し出される。その中にはアリスの名前も、ステラ・ノーキアスという女医の名前もあった。

「ヒス・ゴッヘル家の方の事情はさて置き、キャロンさんは警備軍への入隊を希望しています。きっと彼女の事なので、すぐにベラフォンヌ夫人を説き伏せて、婦人の気が変わらないうちに行動に出るんじゃないかと思うんですよ。

 それで…」

「ちょっと待て、アン」

 モニターに視線を置いたまま話し続けるアン少年を、ドレイクが遮る。

「はい?」

 きょと、と水色を見開いて振り返った少年を胡乱に見つめ、ミナミは、笑いそうになった。

「なんでそんな事になってんだよ」

「なんでって…、昨日、ぼくとの婚約が消えてこれからキャロンさんはどうするんですかーって話になって、そしたらキャロンさん、警備軍に入りたいんだって言うもので…」

「そうじゃなくてよ、なんでそれで、おめーが俺に頼み事なんだよって言ってんだ」

「? だってミラキ副長、いきなりキャロンさんが現れて警備軍に入隊したいんでガラ総司令宛に推薦状を書いて欲しいって言っても、書いてくれないでしょう?」

「いや、書く書かねぇじゃなくてだな!」

「ぼくは、書いて欲しいんですってば」

「…すげぇ。全然成り立ってねぇよ、この会話」

 鼻先を突き付けるような近距離でちぐはぐな会話を交わすアンとドレイクを、呆れたようにミナミが笑う。それが気に食わなかったのだろう、ドレイクは一旦アンを放置して、正面で肩を震わせているミナミに視線を転じた。

「笑ってる場合か?! ミナミ!」

「笑うしかねぇと思うけど? 俺はね」

 何せ…。

「無理よ、ドレイク。っていうか無駄? アンは、キャロンが望むならその通りに、彼女に警備軍に入隊して貰うんだって、譲らないわ」

 譲らない。

 体面はどうあれ、話し合いにより円満? に解消された婚約。確かにそれでキャロンとアンの行く末は別れたかもしれないが、少年と彼女は、それぞれの世界を構築する点の一つに成り、それがまた真円を造るだろう。

「確かに、ルー・ダイ家はヒス・ゴッヘル家に騒がせられたとは思いますけど、ぼくとキャロンさん…」

 と、そこまで言って、アンは急に押し黙った。

「どうした? アン」

 難しい顔でモニターを睨むアン少年の横顔を、ドレイクが覗き込む。

「…ルー・ダイ家とヒス・ゴッヘル家の婚約が、発表前にゴシップ紙に流出しそうになったじゃないですか?」

 モニターに据えていた水色を、ドレイク、アリス、ミナミの順に動かした少年の神妙な口調に、三人が無言で頷く。

「あれ、全部キャロンさんが仕組んだものだそうです。アリスさんはキャロンさんの噂くらいは知ってますよね? でも、面識そのものはないんでしたっけか。ミラキ副長とミナミさんは全くご存知ないでしょ? 彼女と。正直言いますけど、物凄く捌けた女性(ひと)というか、スゥさんより男らしいですよ、キャロンさんて。しかも見た目は、ぼくとかミナミさんより絶対迫力ありますし。

 それで、言い忘れてたんですけど、そもそも、キャロンさんは最初からぼくと結婚するつもりなかったんですよ。ただ、ベラフォンヌ婦人に色々と吹っ掛けられてたのに殆ど抗議らしい抗議をしなかったルー・ダイ家がどんなものだか見に来たって感じでした。

 ぼく、…もしかして、こういう出会い方でなければ、本当に、彼女と結婚してたかもしれないです」

 思わず唖然とする周囲を余所に、アンは平然とモニターに移された資料に視線を戻した。

「とてもステキな女性ですよ、キャロンさんて。だから、彼女にもしあわせになって欲しいと思います」

 みんなしあわせであればいい。

 みんな。

 しあわせで…。

 ミナミはモニターに映し出された文字列に霞むアンの表情を見つめ、思った。

 少年の清々しさには、あの食えない銀色も…最早お手上げなのだろうなと。

「ぼく、絶縁された身ですからね。逆に考えるなら、ルー・ダイ家の柵(しがらみ)とかもかんけーないんで」

 小さく肩を竦めて舌を出したアンの小さな頭を、ドレイクが呆れたような顔で小突く。

「そいつぁ随分都合いいモノの考え方だな、おい」

 てへへ、と笑ってみせた少年に釣られて、ミナミとアリスも笑う。

「んじゃ、ま、ミラキ卿がゴネんのやめたトコでさ」

「つうかなんだよ、ゴネるってのは! ミナミ!」

「で? キャロンさんが警備軍に入んのって、なんか、問題とかあんの?」

「無視かよ!」

 しきりにドレイクをからかうミナミの、ほんのり微笑んだ横顔を見ながらアリスは、なんだか今日はみんなやけにはしゃいでるわね、と、思った。

  

   
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