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番外編-8- 平和的同時多発恋愛事件

   
         
(7)アリス・ナヴィ

     

 ほぼ約束の時間通りに王城特務室に到着したセイルを迎えたのは、部屋の片隅にある応接用のソファでふんぞり返っている兄、ヒュー・スレイサーの渋い顔と、にこにこというよりもにやにやといった方がいいだろう、赤い髪の美女の笑みだった。

「あら、いらっしゃい、セイルくん」

 先立ってドアをノックし入室したクインズの後ろから現われた青年を目にするなり、赤い髪の美女、アリスが華やかな笑顔と共に小首を傾げる。それにこんにちはと会釈を返し、促されて室内に踏み込むなり、失礼にも、ヒューの顔はますます渋く歪んだ。

「お前…また来たのか…」

「なに、その言い草。ぼくはミナミさんに会いに来たんであって、ヒューの邪魔しに来たんじゃないよ?」

 忌々しげに沈んだ兄の声にわざとらしく言い返したセイルは、含み笑いのクインズに勧められて、眉間に皺を寄せっぱなしのヒューの隣に座った。

「今、次長にお取次ぎしますので、少し待っていてください」

 サーカスの一件後、消えた団長と団員の捜査に協力を要請されて登城したセイルはなぜなのか、それから幾度となくミナミに呼び出されてここへ顔を出していた。ヒューなどは、たかが面通しに何をそんなに手間取っているのかと迷惑そうに…何せ、セイルが現われると色々都合が悪いものだから…言ったりしたが、かのムービースター「リリス・ヘイワード」を迎える衛視たちはそこはかとなく嬉しそうで、更には、王や姫君まで彼の来訪を喜んでいるようだった。

 今日は人影もまばらな室内をぐるりと見回し、セイルが首を捻る。

「アンさん、いないの?」

「魔導師隊にいるお兄さんと昼食を一緒に摂って、そのまま、医療院のドクターに呼び出されて出かけて行ったわよ」

 電脳班執務室のドアに視線を据えたまま呟いたセイルの横顔にアリスが答えると、今度はヒューが不思議そうに彼女を見た。

「医療院のドクター? アンくん、どこか調子でも悪いのか?」

「ううん、元気。なんでも、ドクター・ノーキアスがやけに真剣な顔で人生相談に乗ってくれとかなんとか…言ってきたらしくて…」

 少々弱ったようなアリスの苦笑を凝視したまま、ヒューはただでさえ吊り上がり気味の眉をますます吊り上げて「はぁ?」と妙な声を上げた。

「ステラ?」

 その、銀色にしては珍しくいかにも疑問を含んだ声に、傍らのセイルが兄を振り返る。

「知ってるの?」

「知ってるも何も、ステラは元々俺の友人で、アン君があいつと知り合った原因? は、俺の入院だ」

 果たしてあの男勝りが小粒な少年になんの人生相談か、と腕を組んで唸るヒューの様子を眺めていたアリスが、それもそうねと同意する。

「というのは口実で、ただお茶をご馳走したかったとか、そんな理由じゃないの?」

「まぁ、それも在り得るな」

「―――アン、無事に帰って来られるかしら…」

 自分の膝に頬杖を突いたアリスが溜め息みたいに漏らしたのを、ヒューは否定も肯定もなく苦笑だけで受け流した。まず危害を加える事はないだろうが、精神的に疲弊する可能性はあるなと思う。

「ぼくが帰るまでに、戻って来るかな?」

 向かい合って神妙な顔をしている銀色と赤とを交互に見遣ったセイルが、苦笑交じりに言う。それにアリスが「どうかしらね?」と肩を竦めて答えた直後、室長室に続くドアがぱたりと開け放たれ、ミナミにセイル到着を報告に行っていたクインズが顔を出した。

「セイルさん、アイリー次長が私室の方でお会いになるそうなので、どうぞこちらへ」

 呼ばれた青年は慌てて立ち上がると、ヒューとアリスに小さく微笑みかけて軽く頭を下げ、ソファから離れた。

「…それでね、班長」

「だから、どうして俺が訊かなくちゃならないんだ?」

「いいじゃない、別に。それとも、興味ない?」

「―――ない」

 やだうそはくじょー! と非難の色を含んだアリスの悲鳴を後頭部で聞きながら、セイルが口の端を笑みの形に歪める。何を責められているのか。一瞬振り返った青年の目に映ったのは、またも渋い顔で赤い髪の美女を見つめているのだろうヒューの後ろ姿と、顎を上げて兄を睨む美女の不満げな表情だった。

「あのねぇ、班長? 別にあたしたちはアンの言う「好きな人」を聞き出して、どうこうしようって言うんじゃないのよ? ただ、もしかして、力になってあげられたらいいなって…そういう事なの!」

「だから、それが、どうこうしようというんじゃないのか?」

 判ってないわぁ。とうんざり肩を竦めたアリスが天井を見上げたのを最後に正面を向いたセイルは、内心、そりゃ…ヒューに聞き出させようってそれ自体大間違いだよ、アリスさん…。と、一人含み笑いした。

        

       

 やや薄暗い廊下を進んだ先にある小部屋でセイルを待っていたのは、部屋の主であるミナミ・アイリーと、ミナミの恋人、ハルヴァイト・ガリューだった。

 儀礼的な短い挨拶を交わして勧められた肘掛け椅子に腰を下ろしたセイルは、今日もやっぱり少し居心地の悪い気分を味わい、内心でだけ苦笑ともなんともつかない息を吐く想像をする。

 捜査協力という名目でセイルが始めて特務室を訪れたのは、あのサーカス事件から随分経ってからだった。途中色々と騒動があったり、ミナミ自身の「良くない状態」に酷く波があったりして、結果的に待たせて済まなかったと頭を下げられた時は何も思わなかったが、それで…セイルは今だ、この「それで」の意味がいまひとつよく判らない…申し訳ないけれど、ハルヴァイトの事はあまり気にしないでくれと綺麗な青年が微かに当惑した無表情で言った時は、正直、戸惑った。

 しかして。

 ハルヴァイト・ガリューは特に発言するでもなく、事実を確認するでもなく、雑談の最中に話を振られれば答えたりするだけで、本当に何をするでもなく。

 ミナミの傍らに座っている。

 今日も。

 肩先さえ触れ合わない微妙な距離を保ちながら、それ以上離れない。どちらもお互いを意識している訳ではなさそうなのに、ふとした瞬間、セイルは感じるのだ。

 まるで二人がぴったりと寄り添っているかのような、濃密な空気。

「ガイル・キャニターとラシュー・エドワドソンのモンタージュさ、ようやく出来たって捜査班から連絡あったんだけど…」

 ミナミが、低いセンターテーブルの上に放り出されていた携帯端末を操作しながら言う。

「まだ、もうちょっと弄った方いい?」

「うん。もうちょい時間欲しいトコ」

「うーん、でもね? 暇見て使えそうな映像チョイスしてはいるんだけど、結構…いっぱいあってなかなか終わらないんだよね。おまけに、ほら、ぼく、この前ミナミさんに頼んだ件が始まっちゃうとスケジュール空けるのも大変だし、ここいらで一度、モンタージュの方は終わりにしたらどうかなって」

 向けられた小さなモニターに並ぶ、二人のモンタージュ。一人は顎鬚を生やした壮年で、もう一人は若い男だった。

 その映像をためつすがめつするセイルの顔に視線を当ててソファの背凭れに沈んだミナミが、そうだよな、と溜め息みたいに呟く。こちらからの厄介な頼み事を引き受けてくれる見返りにと、青年もまた、セイルの…というよりはリリス・ヘイワードの…頼み事を一つ利いていたのだ。

「明日だったよな」

「そうだよ、明日。…ミナミさん、非番じゃないの?」

「明日はデリさんと射撃訓練」

 言われて、セイルはいかにも残念そうな顔をした。

「なーんだ。ぼくさー、ああいう「営業」って苦手なんだよ。しかも今回の相手は、全員貴族だし。だから顔見知りで脇固めて、愛想笑いの必要な連中は遠ざけたかったのに」

「つかそれ、ムービースターの発言じゃねぇし」

 ボウズ紛いの短い髪をがさがさとかき回したセイルの顔を見つめ、ミナミが微かに口元を綻ばせる。

「オフレコでよろしく」

 ぺろりと舌を出して肩を竦めたセイルはそこで、自分に注がれている視線に気付き、ミナミの傍らに座りにこりともしていないハルヴァイトに顔を向けた。

「………」

 しかし、何を言っていいのか判らない。

「―――お客を威嚇すんなよ、あんたは」

「考えたんですけどね?」

「つうか、俺の発言は無視か」

 たまに口を開いたと思ったらこれだ。とミナミが諦めたように付け足し肩を竦めたのに、セイルが笑う。

「セイルくんにここまで来て貰おうとするから時間的制約が出て来るんですよね?」

 相変わらず偉そうにふんぞり返ったハルヴァイトが続けると、ミナミは頷いた。

「では、こちらがセイルくんの空き時間を考慮して、非番を合わせてはどうでしょう」

「ぼくのスケジュールに合わせる?」

「…ああ、うん、そうか」

 不思議そうに小首を傾げたセイルに反して、ミナミが何かに気付いたような声を出す。

「例の件が通れば、セイルは殆ど毎日上級居住区に来るだろ? だからって一日中撮影してばっかじゃねぇよな?」

 何か確かめるようなダークブルーに、セイルが頷いた。

「もちろん、ぼくが出ないシーンもあるし、準備とか大道具小道具の設営とかもあるし、待ち時間も出るよ?」

「撮影現場から抜けられる時間て、取れるモン?」

「頻繁にって訳には行かないけど、ある程度自由になる時間は取れると思う」

 自分の出ないシーンは後から映像チェックする事で不在の不都合を埋められると続けたセイルに、今度はハルヴァイトが頷いてみせる。

「撮影後、ちょっと知り合いを訪問するという事も出来ますしね。逆に、それならあまり不自然でもない。そう、モンタージュの作成をだらだら遅らせてここに来続けるより、周囲にも怪しまれないでしょう」

 そこでようやくセイルにも、ハルヴァイトとミナミが何を言わんとしているのか判った。

「ガリュー班長とミナミさんの自宅なら、多少暴れても問題ないしね」

 茶目っ気たっぷりにウインクした青年の顔を見つめ、ミナミも納得する。

「じゃぁ、モンタージュの方は今日で決定稿出して、セイルの撮影スケジュールが出るまでに俺の方は射撃訓練か」

「うん。ぼくの方も、撮影開始までに使える映像選り出して、資料作っておけばいいよね? スケジュールが決まったらすぐに連絡入れるよ」

 果たして何を企んでいるものか、ミナミは無表情に、セイルは面白そうに、何かを確かめるような視線をハルヴァイトへ送った。

 そして、悪魔は。

「ではわたしも、事情を話して一人抱き込むか…」

 ふ、と口元に意味不明の笑みを浮かべた。

         

        

 それから暫し雑談などして、居ても居なくても支障ないハルヴァイトが窓の傍に置かれた肘掛け椅子に移動してすぐ、予定通りモンタージュの決定稿を作成しようという事になったセイルとミナミは、並んでソファに座った。

 部屋に運び込んでいた端末を起動するミナミの手際を眺めながらセイルはそこで、ふと、つい今しがたスラムの端で出会った妙な「警備兵」を思い出した。

「そういえばさっきね? スラム住まいの友人がコレクションしてるホラー映画を借りに行った帰り、近道しようとして変な路地に入り込んじゃって、運悪く、チンピラに絡まれたんだけど」

 それを聞いて、ミナミが青い目を見開きセイルを振り向く。

「勇気あんな、そのチンピラ」

「ぼくもそう思う」

 うんうんなどと頷きあって、ちょっと笑って、しかしすぐ表情を引き締めたセイルが、真っ直ぐミナミを見つめ返した。

「通りすがりの警備兵みたいな人に、助けて貰った…っていうかさ」

「…その警備兵もある意味勇気あるっつうか」

 ミナミの苦笑に薄い笑みを返したセイルが、少し難しい顔で続ける。

「その人、ぼくがお城に来てミナミさんたちと一緒にカフェに行ったりしてたの、見かけた事があるらしくて、それで、どうもね? ミナミさんたちの知り合いが絡まれてるって知っててほっといたら後で何をされるか判らないから、とか、そういう理由で助けてくれたみたい」

 端末を起動し終えたミナミは、ちょっと首を傾げた。

「俺たちの知り合いかなんか?」

 そこで青年は、何か確かめるような無表情を離れた位置に居る恋人に向けた。しかし、返ったのは無言で肩を竦める動作だけだったが。

「よく判らない。関係者じゃないとか言ってたワリには、ガリュー班長に振り回されるのがどうとかって、結構知ってるっぽい口振りだった」

 何かを思い出すように顎の先端に指を当てて天井を見上げる、セイル。

「…? 魔導師隊の誰かかな」

 衛視ならば大抵セイルを間近で見ているし、まず、声を掛けるにしても青年が不運なチンピラを叩きのめしてからにするだろうから…衛視は彼がスレイサー一族の豪腕だというのを知っている…、違うだろうなとミナミは思った。

「名前、訊いた?」

「訊く暇もなく、さっさとどっかいっちゃった」

 以前作成していた「本物」のガイル・キャニターとラシュー・エドワドソンのモンタージュをモニターに呼び出しつつ、ミナミは無表情に悩む。

 お名前は? 名乗るほどの者じゃありません。的ベタな展開だなと内心突っ込むも、セイルの表情と口調からして、そんなカッコイイ流れではない気がした。

「どんな人?」

 問われたセイルが、眉間に皺を寄せる。

「身なりは悪くない。けど、なんというか、覇気のない感じ。ヒューと大差ない歳に見えるのに、疲れた中年みたいな空気の人」

「どんな警備兵だ、そりゃ」

 窓際で彫像のように身動きをやめたハルヴァイトから、もしかして警備部隊の誰かだろうかと思いを巡らせるミナミの横顔に視線を戻し、セイルはなんとなく口元に笑みを浮かべた。

 綺麗な青年。もし彼がムービーにでも出ようものなら、一作目でスターになれるだろう。

 しかし彼がそれを望まないとも、判っているが。

「じゃぁ、これで捜査班に提出していい?」

 振り向いたミナミの無表情を微笑ましく見つめ、セイルはなんとなく、ああ、誰かを好きになりたいなと、心底そう思った。

 天使と悪魔。

 ミナミとハルヴァイトがお互いを好きであるように。

 好きでありたいなと思う。

 あの少年が、不肖の兄を好きであってくれるように。

 恋愛に憧れるのではなく。

         

 ただ、好きになりたいなと、思った。

  

   
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