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番外編-9- ゴースト

   
         
(3)

     

<王城エリア一般居住区三十三丁目付近>

 カインが特務室を訪れたのが午後になったばかりの時間で、それから数時間と置かずに一旦官舎に戻って私服に着替えたアンとヒューは、夕暮れ前には問題の、三十三丁目十三番に建つ古い家屋の前へ来ていた。

「幽霊が出るなんてナヴィ連隊長まで真顔で言うから、どんな薄気味悪い建物なのかと思ったら、結構普通の住宅なんですね」

 立ち入り禁止の黄色いテープ越しにその家屋を見上げたアンが呟くと、同じように屋根の辺りを見遣ったヒューが呆れたように頷く。

「3LDKバストイレ付き庭なし、いかにも一般的な個人向けの住宅だな。二十年間空き家だった割には綺麗に整備されてるようだし、外観に怪しいところもない」

 アイボリー色の建物をぐるりと囲んだ塀は地面から八十センチほどブロックが積んであり、その上にチョコレート色の柵が載せられていた。例えばガリュー家のようにささやかな庭もないせいで少々狭苦しい印象はあるが、あちらはもう少しランクが上の高級居住区で、ここらの家屋にはどこも庭が無い。

 縦に溝のある白っぽい外壁に、ドアと窓枠は濃い茶色で、ベランダも無い。玄関の真上に嵌め殺しらしい大窓があるのは、階段部分の明かり取りのためだろうか。四角い箱に三角屋根を載せたそれは、いかにも普通の、本当に怪しいところのない住居にしか見えなかった。

 そう考えると、敷地を囲んだ黄色いテープが妙に滑稽に思えて、ヒューはまた少し呆れたように口の端を歪めた。

「なんですか? その、妙な失笑は」

 声を立てるでもない銀色の緩んだ頬に、アンが大きな水色だけを向けて小首を傾げる。

「キープアウトのラインが、少しも怪しくない人物に見張りを付けているような、アテ外れの厳戒態勢みたいで可笑しい」

 言い捨てるでもなく洩れた率直な感想を、アンがふふふと笑った。

「疑わしきは疑え。または、触らぬ神に祟りなし、ですね」

 腕組みして一歩も動かぬヒューをその場に残した少年が、立ち入り禁止ラインまで近付いて平行するように歩き出す。薄い遮光カーテンの下がった窓を覗き込んでみるものの、当然中の様子は窺えない。

 黄色いラインに沿ってゆるゆると歩く少年を目で追いながら、ヒューは退屈そうにこきりと首を鳴らした。幽霊ねぇ、などとカインの強張った表情を思い出しつつ内心呟いてみるが、それについての感想はいくら待っても浮ばない。

 結果。

「幽霊なんてものが実在するなら、遠巻きに見てみたいかもな」

 そんなもの信じないというほど明確でない上に、ヒューにしては消極的(?)な意見に、アンが足を停めて振り返る。

「遠巻きですか?」

「殴り合いで解決しそうにないものは苦手だ」

 あっさりと言われて、少年は思わず吹き出した。

「なんというか、多方面でヒューさんらしい意見ですね」

 どの方面だ。などと口の中で文句を言う銀色を従えた少年が建物周辺を一通り歩き回り、元の玄関前まで戻る。やっぱり怪しいところなどとこにもないし、外に居る限り、カインが「十中八九起こる」という怪異も気配さえない。

「とりあえず、ガリュー班長の指示通り周辺住民の聞き込みでもします?」

「以前、といっても二十年も前か…、に住んでた住民は、今どこに居るんだ?」

 建物についての詳細な情報は追ってアンの電脳に送っておくと言われていたヒューが、少年に手招きしながら通りの左右を見遣るが、目に付くのは一般家屋ばかりで小さな商店もない。近くに長期営業している喫茶店でもあれば当たり障りのない周辺の噂が聞けたかもしれないのにと、銀色は内心嘆息した。

「えーと。住民自体はもう鬼籍に入っていて、家族もありませんね。ですが、もともとここは表通りにあるネットワークソフトを開発する会社が借り上げて従業員を住まわせていた、いわゆる社宅だったらしいです」

 脳内展開した資料を探りながら天蓋を見上げれば、そろそろ陽も傾き都市を掠める雲も淡いピンクに染まり始めている。日暮れまで周辺を調査し今日は一旦戻ろうかと相談する二人は、住宅地を縫う細い路地の脇に立っていた。

「その、ネットワークソフトの開発会社は、まだあるのか?」

「ありますよ。ネオ・ロード社って…ああ、「リビング・アニマル」のトーキー版を最初に売り出して大当たりした会社ですよ、ここ」

 天蓋に向けていた水色をヒューに当てたアンが、にこりと微笑む。

「リビング・アニマル…? 確か、以前ミナミが欲しいとか言ってたな。結局、電波で動く「動物」型の人形など家に置いたら気が狂うとガリューに言われて、諦めたヤツだろう?」

「あー、ありましたねぇ、そんな騒動」

 あははと明るい声で少年が笑い、ヒューも釣られて苦笑した。

 リビング・アニマルといえば、学習型簡易電脳を仕込んだぬいぐるみのようなもので、室内に設置したアンテナからの電波を受信し勝手に動き回る、癒し系の高級玩具だった。一時期ミナミが、極控え目に欲しいと言ったのを覚えていたハルヴァイトが休日ショップに見に行ったものの、かなり大きなシステム装置と本体が通信する電波が酷く「煩い」らしく、危うく店内で荷電粒子を撒き散らしそうになった、曰くつきの代物である。

「トーキー版は、つまり喋るのか?」

「ええ。リビング・アニマル自体はネオ・ロード社を含む三社合同で開発したものですが、簡易電脳と発音装置を繋いで言葉を覚えさせる技術だけは独自に開発してて、特許取得してます」

「…動物がへらへら喋ったら、気持ち悪いだろうに…」

 物好きが多いんだなと呆れた声で付け足したヒューを、アン少年がくすりと笑った。

「意外と面白いらしいですよ? ガリュー班長じゃないですけど、魔導師の方々は概ね敬遠してて、ぼくも実物見た事ないですが」

 相当アンテナ感度のいいハルヴァイトだけでなく、自称なんちゃって魔導師のアン少年まで敬遠するという事は、システムの発する雑音が余程酷いのか。そういえば、新型家電や配信されるゲームや目新しい技術…本体ではなく「新システム」という冠詞が付くものにはやたら敏感な魔導師連中が話題にしているのを聞いた事がないなと、銀色は今更ながら思い出した。

 そんな詮無い事を考えつつ、ぬいぐるみはぬいぐるみらしくじっとしてればいいじゃないかと漏らす、ヒュー。

「ちなみに、目覚まし機能も付いてます。朝、指定の時間になると起こしてくれるそうですけど、ヒューさん、一つ部屋に置いたらいいんじゃないですか?」

 からかうような少年の声に、銀色が顔を顰めた。

「俺は犬だか猫だかに世話されないと起きられないと思われてるのか…」

 実際は朝が弱いのではなく、単純に睡眠時間が短くて寝起きが悪いだけだと判っていながら吹っ掛けたアンが、ヒューに睨まれて首を竦めぺろりと舌を出す。

 そんな気安い会話の間も、銀色は件の建物を注意深く見ていた。だからといって特に何かがある訳でもなく、無人だからだろう、少々薄ら寒い感じはするがそれ以外に特筆すべき事もなく、外見からこれ以上読み取れるものはないと判断し、その、ネオ・ロード社に行くべきか周辺の民家を訪ねるべきか、銀色が考え始めた頃、不意に、二人からやや離れた場所で路地に面したドアがきぃとか細い音を立てて開いた。

「……」

 流れたヒューの視線を追ってそちらを振り返った少年が、中から姿を見せた青年に、なんとなく会釈する。反射的になのかなんなのか、いつものように人懐こい笑みを浮かべたアンに、ドアノブに手を置いたままの青年もぺこりと頭を下げて来た。

 こちらを窺うような空気に…やや離れた位置に在る青年の表情は、ヒューには見えていないのだが…銀色がふと薄笑みを浮かべて向き直る。濃紺のハイネックに色の濃いジーンズ、型は定番だがボルドー色のロングコートを身に纏った銀色に笑みを向けられて、青年はなぜか頬を赤らめる前にびくりと肩を跳ね上げた。

 いやぁ、その反応、判らないでもないんですがー。と、アン少年などは頬を引き攣らせたが。

「失礼ですが」

 いつもより数倍は柔らかい声で言いつつ、ヒューはドアにしがみ付いた青年に微かな笑顔を向けた。必要以上に間合いを詰めないのは、相手から見ず知らずの者に声を掛けられた警戒を感じているからか。

「この辺りの空き家は、ここだけですか?」

 さり気なく組んでいた腕を解いたヒューが言うと、青年がふと視線を動かし件の屋敷を見上げた。

「ええ、そうです。転居希望の方?」

「転居申請はまだですが、この辺り随分便利がいいので、どこかいい場所がないかと思って下見を」

「三十六丁目のオフィスにお勤めなら、この辺おすすめですよ、確かに」

 そこで青年はようやくドアノブから手を離し、サンダルらしいもののまま路地に降りて来た。彼が数歩こちらに近付くのを確認してから軽く頷いてアンを促したヒューも、ようやく青年の方へと踏み出す。

「三十二丁目から見て来たんですが、結構どこも一杯ですね」

 などと、奇跡的に平穏な会話を吹っ掛けるヒューを、アンがぽかんと見上げている。何がしたいのかこの人は。ではない。どうやらここでは、自分の身分を明かさず通りすがりの転居希望者を装って情報を収集しようという腹積もりらしい。

「表通りのオフィス街も近いし、少し先に小さいけど商店街もあるからね。ただ…んー、ここ、この家は…やめた方がいいと思うけど」

 人の良さそうな青年が、少し困ったように眉尻を下げて笑う。

「やめた方がいい?」

 何も知らないふりを装ったヒューの、いかにも不思議そうな顔ときょとんとしているアンの顔を見回してから、青年は重々しく頷いた。

「なんでも、出るらしいから」

「出る?」

 そこでヒューがわざとのように傍らの少年に顔を向けると、アンが大きな水色を青年に移してから小首を傾げる。

「出るって…何が出るんですか?」

「ゆうれい」

 急に神妙な顔をした青年の落としこんだ声が、日暮れ前の路地にぽろりと零れた。

      

「この家には、もうずーっと前から幽霊が棲み憑いてるんだって」

  

   
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