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番外編-9- ゴースト

   
         
(4)

     

 <王城エリア一般居住区三十三丁目付近>

 擦りガラスに黒い格子を嵌めた引き戸をからからと開けて店内に入ると、一等奥に設えられているカウンターの中からおっとりとした「いらっしゃいませ」の声が掛かる。

 それに笑顔で会釈して、明るい白壁に黒い梁のコントラストも美しい清潔な店内をさらりと視線で撫でたヒューは、カウンターに程近い丸テーブルを目で示し、背後の少年を促した。

 脱いだばかりのコートを華奢な椅子の背凭れに預けたアンが着座すると、一拍ほど遅れてヒューも椅子に腰を下ろす。この場所を教えてくれた青年の話によれば流行って居ない訳ではないはずの店内には、時間が中途半端だからなのか、客は二人のほかに無い。

 ならば、少々店主を独占して迷惑がられる心配もないだろうと内心頷くヒューの目前、小さな丸テーブルを挟んだ向かいで少年は、「お品書き」と記されたメニューを広げて難しい顔をしている。

「これって、全部グリーンティーの仲間なんですか?」

 暫し踊る文字列を睨んでいたアンが、顔の前に立てていたメニューをぱたりと倒してヒューの方に押し遣ると、銀色はそれに視線もくれず偉そうに、俺に訊くな、ときっぱり言い切った。

「茶房」と見慣れない看板の掲げられているこの店は、三十三丁目と三十四丁目を分ける通りに面した商店街の隅にある。そう広くない店内には幾つも瓶の並んだ床から天井まである棚が造り付けられていて、瓶の中には様々な茶葉が収められていた。

 いわゆる「お茶屋さん」である。茶葉の量り売りもしているが、店内には喫茶スペースもあり、好みのお茶を飲み、その上で買って帰る事も出来る。

 執務室には基本的に、コーヒーかドレイク愛用の紅茶しかストックされておらず、自室では汎用のフレーバーティーばかりを飲んでいるアンが、眉間に皺を寄せて唸る。たまにダイニングで出されるハーブティーやら変わった銘柄のお茶については、その殆どがダルビンによるスペシャルブレンドで、何が入っているのか名前など訊いた試しもない。

「…真面目に考えましょうよ、ヒューさん…」

「真面目に考えても判らないものは判らないだろう」

 さらにきっぱり言い返されて、アンはメニューの一点を指差したままむぅと黙り込んだ。

 この人はどうして、こうなんだろう…。と、思わなくもない。

 その、剣呑なのかある意味和やかなのか微妙に判り難い空気を、カウンターから出て来た店主が薄く笑っていた。見た目の年齢は、グラン・ガン電脳魔導師隊大隊長と同じくらいだろうか、落ち着いた感じのする男性だ。

「全て同じ木から取れる葉を使っている仲間ですよ」

 小さなカットグラスに注がれたミネラルウォーターを差し出しながら店主が柔らかい声で言うなり、少年が慌てて顔を上げ笑顔で小首を傾げる。

「緑茶も紅茶も黒茶も、元々は同じ木の葉なんです」

「へぇー」

 アン少年から洩れた純粋な感嘆の声に、店主がまた少し笑みを濃くする。白シャツ、濃茶のサロン、黒いスラックス。やや薄くなってはいるものの清潔に整えられた頭髪といい、柔和な表情といい、取り立てて目立つでもない控え目な印象を、ヒューはこういった客商売向きだなと思った。

 蒸し方がどうとかその後の発酵がああとか、店主はアンに乞われるまま緑茶と紅茶と黒茶の違いを説明している。テーブルの脇に立ち小声で話す店主と、それを見上げる少年の横顔を暫し見つめてから、不意に、ヒューが小さく吹き出した。

「…? なんですー、ヒューさん」

 足を組み替えてそっぽを向き、なんでもないと言いつつも銀色はにやにや笑っている。それを不審そうな表情で睨んでからアンは、テーブルに広げたきりのメニューを指差してマスターを仰ぎ見た。

「あまり苦くなくて、香りの楽しめるお茶はどれですか?」

 純粋にお茶の選定に困っているのだろう少年のふわりとした声に、先とは趣の変わった笑みを零す、ヒュー。ヒュー・スレイサーの人生の内最も「仕事らしくない仕事」のむず痒さに首の辺りを手でさすりつつ、それにしても本当に、と苦笑する。

「デートみたいだ」

 わざと丸テーブルに頬杖を突いてあらぬ方向に顔を向けた銀色が、薄い唇を胡散臭い笑みで飾ったままぼつりと呟く。それにアン少年が顔を上げてぽかんとすると、身を屈めてメニューを指差していた店主がいっかな崩れない笑顔のままヒューに視線を移した。

「おや、違うんですか」

 それは、質問ではなくこちらのフリに乗ってくれたという口調だった。ヒューはそこでようやく組んでいた足を解き、身体でテーブルに向き直ってから店主の笑顔を見上げる。

「残念ながら」

 意味ありげに眇められたサファイヤに小首を傾げて見せる、店主。確かにこのお客は全くの初対面という風情ではないし、極親しい者同士に見えるが「二人連れ」であって「カップル」には見えないなと思案してみる。

 返す言葉もなく呆気に取られているアンを置き去りにして、ヒューは華奢な椅子の背凭れに身体を預けて、続けた。

「デートのついでなら仕事も楽しいが、現時点での目的は仕事であってデートじゃない」

「それはそれは、残念ですね」

 大きな水色をぱちぱちと瞬いているアンに微笑んで見せた店主が身を起こし、グリーンティーの中でも人気のアレンジティーは如何ですかと小首を傾げる。それにヒューが答えるのを聞きながら少年は、本当に、この人は何をしたいのだろうと内心頭を抱えた。

「そういう訳で、仕事が片付けばその先はデートとなる訳なんだがな、店主」

 一通り注文し終えたヒューが再度テーブルに頬杖を突いて言うと、店主が笑顔のまま首を捻る。

「はて、わたくしに何か?」

 話は唐突に始まる。

 しかし、その不自然さは不自然過ぎではない。

 何せ銀色は。

       

「ディナーの前に仕事を片付けて、これからの予定を書き換えたいんでね。少々、訊ねてもいいか?」

      

 と、あからさまに胡散臭く笑った。

  

   
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