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番外編-9- ゴースト

   
         
(5)

     

 <王下特務衛視団衛視長(室長)室>

「二十年前にその家に住んでたのはネオ・ロード社の当時の技術部主任で、社宅としてそこを借りてた会社の命令とやらで退去してすぐ…、二ヶ月も経たねぇうちに事故死してる」

 件の「幽霊屋敷」の資料を調べ終えたらしいミナミに呼ばれたハルヴァイトが室長室を訪ね、定位置化している窓際のソファに腰を下ろすなり、青年は無表情に恋人を見つめて話し出した。

「事故死、ですか」

 それはまた幽霊騒ぎにうってつけの「偶然」もあったものだと悪魔が呆れたように反芻すると、ミナミも大仰に肩を竦めてからソファの背凭れに身体を預けた。

「当時の資料が少ねぇんで、会社がなんでその技術部主任を急に退去させたのかとか、その後八年間、家を賃借したまま空き家にしてたのかとかいうのは、残念ながら判んなかった」

「例の幽霊騒動が起こり始めたのは、じゃぁ、その技術部主任が退去してすぐなんですか?」

 確信的なハルヴァイトの言い方に、しかし、ミナミはなんの疑問も抱かずに頷いてみせる。

 幽霊。幽霊。

「何度かさ、住居管理局から厳重注意みてぇの、受けてんだよ、ネオ・ロード社は。賃借しておきながら屋敷を遊ばせてんじゃねぇって。最初の何回かは、その注意に従って社員泊り込ませたりしてたっぽい報告があった」

「…泊り込ませていたのであって、住まわせていた訳ではないんですね?」

「うん。だから、あんたの予想通りなら、「幽霊」は技術部主任がその家を出てからか、出る直前かに…「発生」した事になる」

 言いつつ卓上の立体モニターを起動させたミナミが、「幽霊屋敷」の二十年前から現在までに係わり、青年の手で調べる事の可能だった事柄を年表式に表示させる。

 ハルヴァイトは組んだ足の上に片肘を置いて頬杖を突くと、表示された文字列を目を細めて眺めた。住居局のネオ・ロード社に対する最初の注意文書発行日は、技術部主任の退去から二年以上過ぎていた。

「その二年間にも、怪現象って程じゃねえんだろうけどさ、何度かおかしな事は起きてるみてぇ、その家」

 今度は取り出した携帯端末からなんらかのデータをモニターに送る、ミナミ。俯いた顔に色の薄い文字列が被り、長い睫の先端で小さな光りがきらきらと踊るのを明滅する邪魔な図形越しに見つめ、ハルヴァイトが薄く微笑む。

 意味もなく、楽しい気分だった。

「―――何?」

 その視線に気付いたミナミがちらりとハルヴァイトの顔を窺ってから呟く。それにハルヴァイトは笑みを返し、無言で首を横に振った。

 なんでもない、と。

 本当になんでもない。

「それで、おかしな現象というのは?」

 元通りの話題に戻れと促されて、ミナミは無表情に不振そうな空気を発散しながらも、うん、と頷いた。

「深夜無人の部屋の灯りが突然点いたりとか、電源の落ちてたはずの端末が起動して、意味不明のプログラムが書き込まれてたり、とか」

 だから。

「電気信号の「誤作動」が原因の現象であれば、予想の範疇内でしょう。第二十一連隊の隊員が遭遇したという、いわゆる「ポルターガイスト」的な物理事象を伴わない怪異だけなら、いくらでも説明は出来ます」

 それは、「幽霊」。

「じゃぁ、手も触れてないはずの物があちこち動き回ったりすんのは、何が原因なんだって話だよな」

 携帯端末に収められていたネオ・ロード社関連の資料をダウンロードするミナミの手元を眺めつつ、ハルヴァイトは足を組み替えてソファの背凭れに身体を預け直した。

「磁気パルスの発生が原因だと仮定すれば、それにしても説明不可能な訳ではありませんよ、ミナミ」

 さらりと告げられた「可能性」に、青年が首を捻る。

「磁気パルス…、何、それ」

「相手は「幽霊」です。例えば動かしたい物体Aをプラスの磁気膜で覆い、テーブルなり床なりの設置面にも同様の磁気膜を張る。そうすればお互いは磁力的に反発しますよね」

 肘掛に預けた腕の先端、長い指が自然に折れ曲がり、こつこつとこめかみを叩く。それを観察者のダークブルーで見つめたまま、ミナミも頷いた。

「好きな空間にその物体Aと引き合う磁気を発生させる事も、「幽霊」には出来る?」

「自我さえ発達していれば出来るでしょう。「幽霊」の目的は多分、保身です」

 身を護るために。

「「幽霊」にはどうしても、その場所から離れたくない…「消されたくない」かもしれませんが…理由があった。ヒントはその、最初に転居させられて後に事故死したという、技術部主任です。彼は、何を研究してたんですか?」

 数多の「可能性」から真実を選び出すために、ハルヴァイトは「事実」という情報を脳に組み込み、不必要な要素を篩い落とそうとしている。ソファに座し、提示されたパーツだけを繋ぎ合わせているようにして、しかし、その人の「脳」は。

 考え続けるのだ。一生。死ぬまで。

「当時の技術部は「リビング・アニマル」の開発初期段階にあって、殆どの部員がそれに掛かりきりになってたみてぇ。外装部門とシステム部門くらいには分かれてたらしいけどな」

 表示された資料を素早く読み飛ばしながら淡々と言うミナミの顔を文字列越しに見つめたまま、ハルヴァイトは眉間に浅い皺を刻んだ。

「例えば、開発初期段階で試験的に構築された学習型電脳が突発的な事故か何かで、予想もしない「変質」を遂げる」

 白く霞んだ長方形に被る、緑の文字列。その淡い光を透かしてハルヴァイトの顔を見つめ返すミナミになのか、聞いているようで聞いていないこの世のどこかに存在する「幽霊」になのか、確かめるように、悪魔は話し続ける。

「元より内在していた学習プログラムの中に、塵のような「バグ」が発生し、それが「自我」になった。「自我」は周囲の状況を読み取り「学習」し、自らの存在を護ろうとした」

 仮説。

「なんで?」

 ふと小首を傾げたミナミが、無表情に問う。

「何がです?」

「だからさ、なんでその「自我」は、身を護ろうとすんのかなって、思わねぇ?」

 ある程度「自我」が物を考える事の出来る段階まで来て、それは「自分が失敗作」だと気付いたのかもしれない。

「いや、全然判んねぇでもねぇんだけどさ。それこそ例えばな? 俺がその「バグ」だったとしたら、俺はここにこうして居るのに失敗だから消そうとか言われたら、ごめんだなって思うし、出来る抵抗はしようっても、さ…、思うかもしんねぇ」

 ミナミは随分控え目に言ったが、ハルヴァイトにもその気持ちは判る。だから無言で頷いて、話の先を促した。

「それでちょっとした騒ぎなりを起こしてさ、開発者を遠ざけたトコまではいいんだよ。でも、なんでそれを二十年も続けたのかって、それ、不思議だろ」

 ゆったりとソファの背凭れに身体を預けたミナミが、白く細い指を組み合わせて膝に置く。その動きを暫し眺めていたハルヴァイトは、何か不可解な溜め息を漏らした。

「だとしたらやはり、その保身には理由があるという事になるでしょう。理由…目的とでも言い換えればいいのか、それがあるから、そしてそれが達成されていないから、「幽霊」は強固に抵抗し続けている」

 二十年の間。

「その、ネオ・ロード社の主任技術者の名前は、判ります?」

 微妙に面倒そうな色を含んだハルヴァイトの声音に薄い笑みを零し、ミナミは頷いた。

               

「ロミー・バルボア。元は王立医療院の小児科看護師だったって、変わり種」

  

   
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