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番外編-9- ゴースト

   
         
(6)

     

 <王城エリア一般居住区三十三丁目付近>

 随分なとまでは行かないものの、それは確かに変り種だなとヒューが溜め息混じりに答える。

「元々大学院の技術系学科を出てから再度看護課程を修了して医療院に入り、その後民間のネオ・ロード社になんらかの伝手を使って入社、即技術部の主任になったようですよ?」

 既に薄暗く閉ざされた路地をゆっくりと歩きながら、アンが小声で話すロミー・バルボアの経歴を、ヒューは胸の内で反芻した。

「統一性がないと言ってしまえばそれまでだが、なんらかの目的があってそういう複雑な進路を取っていたんだとしたら、二十年後の俺たちがとやかくいう事でもないのか」

 それが極めて個人的な理由だとしたら今更理解不能なのだからこれ以上論じるのは無駄だと思ったのか、ロミーに対するヒューの感想はそれで途切れた。

 提供された情報に対して驚きも感心も、もしかしたら関心もないような銀色の横顔をちらりと見上げたアンが、内心苦笑いを零す。「普通の人間」だとしたら、ある意味ハルヴァイトよりも扱い難いし理解し難いこの男に呆れられない自分に、呆れたのか。

「特務室に持って帰れそうなのは、そのロミー・バルボア退去前に三十三丁目で原因不明の停電騒ぎがあった事くらいか…」

 細い路地を暗がりに浮かび上がらせる街灯。その、中空に滲んだ淡い光に、ヒューが目を細める。

「一応、判る範囲で電力供給部の資料を閲覧してみましたけど、やっぱり、送電設備の問題じゃなかったみたいですね。残ってた報告書によると、その後何度か周辺の設備点検もしてますが、原因は解明されないままになってます」

「…いいのか、そんなずさんな報告で…」

 呆れて肩を落としたヒューを少年がくすりと笑う。

「今も定期的に設備の点検と監視はされてるようですが、停電騒ぎがそれ一度きりだったのと、三時間足らずで自己復旧したのとで、一時的なシステム障害として処理されちゃったみたいです」

「機械的故障じゃなく、システム不良扱いか」

 そうなると、公共サービスの大抵に組み込まれているシステムの復旧プログラムが誤作動した部分を修復してしまうものだから、逆に原因が掴めないままになってしまうのだろう。それもまた良し悪しだなとヒューは思ったが、口には出さなかった。

「…それにしてもヒューさん、よく、民間リサーチ会社の身分証明なんか持ってましたね」

 茶房で主人に話を聞く際、ヒューは自分を住居管理局から委託を受けた民間調査会社の社員だと名乗り、身分証明書まで提示して見せたのだ。

 この周辺の住宅統合事業が予定されていて…と、これは嘘ではないのだが…、三十二丁目から三十四丁目までの居住状況調査を依頼されているなどとすらすら述べるヒューの横顔を、どこから見ても立派な詐欺師だと思いつつアンは見上げていたが、身分証明書まで見せられた店主は快く彼らの質問に答えてくれた。

「会社自体はダミーのペーパー企業だがな。俺たちは君たち電脳班と違って、それこそ「なんでもやる」訳だから、素性を明かさないために隠れ蓑の一つや二つ持っておかないとならないんだよ」

 そういう話を聞くといかにも暗躍している部署だと思うが、現実的には後ろめたい空気など全くない場所なものだから、つい忘れそうになる。

「適材適所で、それぞれが数種類の身分証明書を携帯してる。俺はどちらかといえば少ない方で、調査専門のやつらは二十種類近く持ってるぞ」

「…はぁ。ちなみにヒューさんは、何種類ですか?」

 特定の「事件」を解決するためにだけ組織された電脳班と、元よりある特務室の違いを今更ながら実感しつつアンが問う。

「一般警備部の警備兵のものを入れて、七種類。中等院の社会科教授免許なんてのもある」

「ぎえ」

 思わずおかしな悲鳴を上げて見上げて来た少年の仰天した顔を、ヒューはくすくすと笑った。

「民間の工場見学というのは、意外といい情報源になるんだ」

 すごい。凄すぎる。こんな中等院の教師がいたら、安心して生徒などやっていられない。

 などと失礼な感想を抱きつつ難しい顔で正面を向き直した少年の視線の先に、キープアウトのテープで囲われた件の建物がぼんやりと見え始めた。

 アンの視線を追って正面の建物を確かめたヒューが、そこで無用な話題を切り上げる。和やかな会話はここまでで、ここから先はまた仕事だ。

 星の瞬きが滲む天蓋を背にした家屋は、薄ぼんやりと白く、暗く、そこに佇んでいる。遠目にはやはり何の変哲もなく、敷地に入らない限り「幽霊」には遭遇出来ないのだろう。

 いささか歩調を緩めて建物に近付きながら二人は、確かめるように周囲を見回した。

「さっきと変わった所、ないですね」

「ああ。まさか一晩「幽霊」を見張る訳にもいかないだろうから、再度外周だけ確認して、今日は戻るか」

 一旦玄関の正面に立って二階部分を見上げてから言ったヒューに、少年も同意する。二十年前の停電騒ぎがどう関係するのか判らないし、そもそも関係あるのかどうかも判らないが、成果ゼロでなかっただけよしとするべきか。

「建物内部の調査は?」

「後日改めてガリュー班長とミナミさんが来るらしいですよ? さっき経過報告したとき副長が、お二人はもう「幽霊」の正体に気付いてるんじゃないかって言ってましたけどね」

「…最近、ミナミが誰かそっくりに化け物化してきたと思うのは、俺だけか?」

 大仰に肩を竦めて小首を傾げたヒューに、アンが明るい笑い声を返す。

 建物は丁度辻の角にあって、正面から見て左に家屋は隣接していない。ヒューとアンはどちらともなく外壁に沿って歩き出しながら、灯りのない暗い窓を見上げた。

 天蓋の、星の瞬き。

 どこかの家から洩れ聞こえる、子供の笑い声。

 微かに鼻腔を擽る夕餉の香りと。

          

 それらに取り残された、無人の静寂。

          

 アンはフェンスの傍を歩きながら、このキープアウトの内側はもしかしたら二十年前から時間が停まったままなのかもしれないと詮無い事を考えた。もちろん、物理的にそんな筈などないのだが、なんとなく、ロミー・バルボアが去った瞬間からこの「家」は、時間の流れから取り残されてしまったのではないかと。

 哀しい場所か、寂しい場所か。

 なんとなく。

 誰も居ない。

 ゆらりとも空気の動かない。

 無人の室内を想像して、アンは小さく溜め息を吐いた。

 その微妙に沈んだ気配に気付いたのか、二歩ほど先を歩いていたヒューがふと足を停め、少年を振り返る。どうかしたのかと問いかけて、息を吸い、しかし、彼は思い留まった。

 否。

 銀色は衣擦れも厭う緩やかな動作でアンの腕を取るなり、はっとした少年を引き寄せ、その小さな耳に食いついてしまいそうなほど唇を寄せたではないか。

「…家の中に、誰か居る。幽霊じゃない」

 一瞬何事かと硬直したアンがその囁きに促され、大きな水色だけを動かして暗闇を映す窓を窺う。しかし、暫し息を詰めてみてもヒューの言うような人気は感じられず、少し当惑するように間近にある銀色の冷たい横顔を仰ぎ見た。

「窓付近からはもう移動した。なるほど、さすがは情報通と言われた茶房のマスターだけはあるな、当たって欲しくない予想まで的確だ」

 殆ど独り言のような呟きに小さく動いた色の薄い金髪に、ヒューの、暗闇を透かすサファイヤが流れる。

「どうする? ルー・ダイ魔導師」

 囁く吐息も感じられる距離、わざと笑いを含んだ声で問われて、アンの桜色がはらりと綻んだ。

「それならぼくらも、幽霊見物と行きましょう」

「近所のガキどもの陰に隠れて?」

「だってヒューさん、遠くから見たいってさっき言ってたじゃないですか」

 からかっているのか本気なのか判り難い軽やかな口調で少年が言うなり、銀色が眉間に皺を寄せた。黙っていても言い返しても旗色が悪そうだと、つい溜め息を漏らす。

 その、俯いた銀色越しに見える暗い建物の内部で、微かに淡い光が揺れた。

「…見取り図通りなら、あの辺りは階段ですね」

 掴まれていた腕を動かしてヒューの注意を引き、アンが囁き返す。階段という事は連中の目的は二階のどの部屋かで、二階と言えば、一番大きい部屋で件の幽霊騒動が頻発していたはずだ。

「いいものを見せてくれたら、不法侵入は見逃してやるか」

「そっち、ぼくらの管轄じゃないですしね」

 二人は顔を見合わせて頷き、そっと足音を忍ばせて、キープアウトのラインを潜った。

          

         

<王下特務衛視団衛視長(室長)室>

「いわゆる肝試しってヤツらしいぜ? 時たま、思い出したように流行るんだとよ」

 別にそれがどうという事もないとでもいうのか、そうなのだろうが、呆れた口調で言ったドレイクが勧められもしないソファに腰を下ろすのを見ながら、ミナミは内心…慌てた。とはいえ、相変わらずの無表情を保ったまま視線だけを動かして、話し続ける副長の顔を凝視しているハルヴァイトを見遣っただけなのだが。

「丁度、ほれ、カイン君たちが引き払って数日だろ? 周囲の住人から収集した情報の中にも、そういうよ、ちょっとした騒ぎの後に近所のガキどもがあの家に忍び込んでるてのがあったらしいから、特に珍しいワケでもねぇだろうってよ、アンが報告してきたぜ」

 出来る事ならここで盛大に溜め息を吐きたいと思いつつ、ハルヴァイトはソファの背凭れに身体を預けて沈んだ。

 不覚だった。

「思い出すのか…」

 長期間放置されている無人の家屋について、普段近くの住民は気にも留めて居ないだろうとハルヴァイトは予想していた。これが、居住者が確定しなくなって一年未満なら話は別だが、大抵の住民にとってそこは「昔から人の住んで居ない曰くつきの建物」であって、今更あれやこれやと騒ぎ立てる程珍しいものではない。

 しかし、だ。

 今回のように警備軍なり民間企業なりの調査隊が入り、数日後には不可解にも撤収するなどという状況に陥った場合のみ、住民は「思い出す」のだろう。そういえば、あそこには「幽霊」が居たのだ、と。

 それで、近所の悪がきどもが集まってじゃぁ肝試しでもしようかとなる事について、今思えばだが、ハルヴァイトはそれもまた珍しい事ではないと思った。どうせ人間が、忘れかけの記憶を呼び起こし何らかの行動に出ようとする切欠は、いつだってくだらないものと決まっている。

 最悪に、タイミングは悪いけれど。

 背凭れに後頭部を預けて天井を見上げたハルヴァイトが黙り込んだのを、向かいのドレイクが不審そうな顔で見つめる。まぁ、どちらの行動も判らないでもないかとミナミは、最早「アンの無事」を祈るしかない自分の無力さに、微か、苛立った吐息を漏らした。

「おい、ハル…」

 たかが不法侵入のガキどもを追って無人の家屋に踏み込んだのに、何か不都合でもあるのだろうか。ドレイクは急に真面目な顔を作り直すと、身を乗り出してハルヴァイトに詰め寄った。

「…何が」

「ミナミ、すぐ例の屋敷の最寄り派出所に連絡して、誰かアンたちの所へ向かわせて貰えますか?」

 自分のブースに飛び込んだミナミがてきぱきとどこかの電信番号を押し始めるのを、ドレイクが目を白黒させて見ている。一体何事なのか。

「二十一連隊を丸ごと派遣するための準備も…しておいた方がいいでしょうね」

「ギイルんとこは?」

「すぐ現地に」

 いつもの無表情ながら神妙な声で手早く指示を仰ぐミナミを見遣り、なんだか大袈裟な話になっていないだろうかとますます不審そうな顔をしたドレイクに、ハルヴァイトの鉛色がひたりと据わる。

「アンに電信してください、ドレイク。

 何も起こっていないなら、その場をすぐに離れろとね」

 その言い方が酷く不吉で、ドレイクは曇天の瞳に緊張を漲らせ、判った、と頷きながら懐の携帯端末を取り出した。

  

   
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