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番外編-9- ゴースト

   
         
(7)

     

<王城エリア一般居住区三十三丁目付近>

 コートの内ポケットに忍ばせていた携帯端末が突如鳴り、「少年」は大袈裟に驚いてから、慌ててそれを取り出した。

 先まで荒れ狂っていた突風と火花の気配さえ残っていない、部屋の隅。侵入した少年たちが逃げ惑ったのだろう、薄汚れた足跡だらけの床に座り込んだ色の薄い金髪が、不安定にゆらりと揺れる。

「……あの…、これ……」

 カーテンの下がっていない窓から射し込む街灯の薄明かりに照らされた少年が、がなり続ける黒い端末を掌に載せて、心細そうに言いながらヒューに向かって差し出す。

 表面にファイラン王家の刻印を施されたそれと少年の怯えた顔を見比べてから、ヒューは意味もなく眉間に皺を寄せた。これ、と言われても、どうすればいいのか。

「とりあえず、開けろ…」

 誰からの連絡なのかを確かめて、もしかしたら指示を仰ぎたい…というか、この「怪現象の説明を求めたい」気持ちで、ヒューは軽く手を振って通信を促した。

 少年がそれで、突き出していた端末を胸元に引き寄せ、恐る恐るという手付きでぱかりと蓋を持ち上げる。

 小さなモニターに火が入り、映し出された…。

        

 曇天の瞳と、煌くような白髪。

 に被る、意味不明の紋様。

        

『よう。今…』

 さっと蒼褪めた少年は、やや安堵したように呟いたドレイクの顔をいっときも見つめないうちに端末の蓋を閉じ、それを力一杯壁に投げつけたではないか。

 短い距離を一直線に走った黒い端末が壁に激突してから、垂直に床に落ちる。意外にも呆気ない音を響かせて沈黙した平たい表面に細かな火花を認めて、ヒューはゆっくりと嘆息した。

 床に座り込んだ少年は組み合わせた手を胸に掻き寄せて息を詰め、死んだ携帯端末を水色の瞳で見つめている。当惑でも困惑でもなく、明らかに「怯えた」その表情を横目で見遣って、銀色はうんざりと肩を落とした。

 だから誰か、この怪現象を説明してくれ。

 ヒューがそう考え終わるよりも早く、今度は銀色の懐で携帯端末がけたたましく喚いた。

 それに驚いた少年が大袈裟に身を縮めて壁に貼り付くのを見ながら、ヒューが窓際まで下がって端末を取り出す。予想通り、表面に浮かび上がった相手先は、アルファベットなしで「00」から始まるミナミの衛視番号だった。

 それにしても、何をどう説明していいのやらと内心嘆息しつつ、ヒューが回線を開く。

「……?」

 確かにミナミからの着信を報せたはずの端末は、しかし、小さなモニターを暗くしているだけで、通電している様子がなかった。背後から受ける頼りない光が床に焼き付ける自分の影の只中で、それは不可解に「死んでいる」。

 携帯端末に何が起こったのかと訝しむくらいの鈍さがあれば、もう少し楽な人生を送れていたのかもしれないとヒューはなんとなく思った。まぁ、でも、「この状況」でそんなどん臭い感想を抱くようでは、衛視になっていないかもしれないが。

「何をした」

 開いていた端末を閉じて人差し指と親指で挟んだヒューは、それを顔の前に翳してゆらしながら、正面の壁際に小さくなっている「少年」を見下ろした。通りに面した窓を背にして右手にあるドアまでの距離は、少年から、ヒューから、同等に二メートル少しというところか。だとすれば、少年を含む室内は殆ど全てが銀色の間合いだ。

 だからでもあるまいが、というより普段通りなのだろうが、ヒューが偉そうに顎を上げて視線だけを下げ、蹲るように小さくなっている少年を見下ろすと、少年が、銀色の不愉快そうな顔と差し上げられた携帯端末をおどおどと見比べてから俯き、小さく首を横に振った。果たしてそれは「何もしていない」というサインなのか、別な意味を含んでいるのか判らなくて、ヒューが確かめるように首を捻る。

 少年は、何もない室内の一等奥、なぜか不自然に設置された配電盤らしいものの真下に座り込んで膝の上に固く手を組み、蒼白い光の散る窓を背負った銀色を怯えたように見上げていた。薄い闇に映える色の薄い金髪と、小さな白い顔。外観はいつもと同じでありながら、大きな水色の瞳に映る「自分」がまるで他人のようで、ヒューは微かに眉を寄せた。

「……行き…たく…ないの…」

 か細い、消え入るような声で呟いた少年が長い睫を伏せる。

「消えたく…ないの…」

「―――――…」

 何を言っているのか、と、銀色は思わなかった。

 やはりそうなのかと思っても、か…。

       

 幽霊−ゴースト−。

       

「君は、「誰」だ」

 ぱち、と小さな火花を放った携帯端末を床に落としたヒューが淡々と言い捨てる。

 寒々しい不可解に沈んだ室内を、刹那当惑した静寂が埋めた。

       

「ロミーに、会わせて…」

      

 銀色の問いに答えは返らず、ただ、閉じていた睫をゆっくりと上げた少年は、怯えと困惑に彩られた水色の瞳でヒューを見上げ、見知らぬ他人の顔で、そう、弱々しく呟いた。

         

        

<王下特務衛視団衛視長(室長)室>

 正常に着信したと思った途端、不自然に途切れた通信。その後は何度呼び出してみても応答がなく、ついには相手方の受信不能サインが表示される。

 それもある程度は予想の範囲内だと微かに顔を顰めつつミナミは、邪魔なモニターをかわして背伸びすると、その向こう、窓際に置かれたソファに収まり難しい表情で睨み合っている兄弟に声を掛けた。

「ヒューのもダメみてぇ。切断されたっぽい」

 判っていた事柄を確認するような、どこかしら緊迫感のない呆気ない台詞に、ドレイクが白い眉を寄せる。

「…おい、ハル。アンと班長に、何があった」

 事態の内容を把握していると決め付けた風のドレイクの質問に、ハルヴァイトは薄く笑った。説明は、出来る。面倒だが。

「ミナミ、警備部隊はもう出発しましたか?」

 偉そうにソファにふんぞり返って肘掛に片腕を預け、長い指先でこめかみを叩いていたハルヴァイトが、ドレイクから視線を外さずに淡々と問う。その、もしかしたら平素と同じ流されっぷりにも、兄は怯まなかった。

「今、車輌庫から出るとこ」

 モニターに表示されているらしい車輌庫の状況をちらりと見遣ったミナミが答える。

「では、一般居住区三十三丁目を中心にアンと班長を捜索。発見次第拘束し、最寄り派出所に連行するよう通達を。同様の指令を一般警備部二十一連隊にも発令してください。

…向こうがこちらとの通信を「嫌がっている」という事は、最悪の事態を想定するしかないでしょうからね」

 最悪の事態、と言われて、ドレイクが益々眉を吊り上げた。

「おい、ハル!」

 今にも腰を浮かせてハルヴァイトに掴みかかりそうなドレイクの横顔を見つつ、ミナミはギイルの端末宛にハルヴァイトの指示を送信する。その時、ヒューが抵抗する可能性がある、と付け加えたのはただの「保険」に過ぎなかったのだが、良くも悪くもこの後、その予想は…大当たりするハメになった。

 幽霊の呪い恐るべし。なのか?

 何はともあれ。

 ハルヴァイトはいきり立つドレイクを手で制して悠々とソファから腰を浮かせ、ひとつ、重々しくもなく憂鬱でもない、つまりは普通に、ひとつ、息を吐いた。

「とにかく、わたしたちも三十三丁目の現場に向かいましょう。運が良ければ、残留した「データ」から「幽霊」の目的が判るかもしれません」

 言われて、ついでにフローターを回せと命令されて、ドレイクは眉のお終いを吊り上げたまま「はぁ?」と素っ頓狂な声を上げた。

  

   
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