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番外編-9- ゴースト

   
         
(9)

     

<移動用キャリアー一号車内部>

 大至急纏められました感満点の、つまりは少々要領を得ない指示書を顔の前に表示し窓枠に頬杖を突いていた、電脳班直属警備部隊隊長ギイル・キースは、目前に居座る文字列を上から下まで十四回読み返してから、うんざりと溜め息を吐いた。

「無理だな」

 それはもう男らしくきっぱりとした言い切り方に、ギイルの様子を窺っていた部下たちから意味不明の拍手が起こる。しかも、ぱらぱらと。

「何が無理なんですか? 隊長」

 警備部隊の通信士であり副官であるサリフ・マコーレンが、ぱちぱちと煩く瞬きしながら小首を傾げたのに、ギイルが溜め息と大仰な頷きをもって答える。それで、隠すでもなく話す隊長と副官の様子を窺っていた部下たちは、情けない感じにへらりと薄笑いを浮かべた。

 とりあえず、何か…またとんでもなく無茶な命令が出たらしい、と。

「さてこれから夕飯でも喰おうかって時間に、だ。突然訳も判らねぇままキャリアーに押し込まれて、だぞ? ようやく目的が提示されたと思ったら「コレ」だなんてよぉ、どう考えたって無理だろ」

 わざとのように芝居がかった口調で言いつつ、ぐぐぐと固めた握り拳を胸まで差し上げたギイルが、窓の外、薄い闇に流れるヘッドライトの群れをその濃い色の瞳に映しながら、険しい表情でキャリアー内を見回す。

「おめー、あの班長とアンちゃんを「とっ捕まえて派出所に連行しろ(はあと)」なんて無茶苦茶をだな、いくらミナミちゃんだからって言っていいと思う?」

 自棄気味の引き攣った笑顔で見回された途端、警備部隊二十三名は美しく統制の取れた動作でぶんぶんと首を横に振った。

「無理ですよ、むりむりむり!」

「っていうかアイリー次長、もしかしてぼくらの事嫌いなんでしょうか!」

「だから無茶言って来たのかもって? うわー! 考えたくねぇ!」

 嘆きを含む悲鳴が狭い室内に充満する。中に、「アンさんにもしもの事があったらオレは絶対スレイサー衛視を云々」とか言っていたのも混じっていたが、ギイルもサリフもそれは無視したようだった。

 ぶっちゃけ、どうにかなっちゃうのはあの銀色ではなくこっちだろうと、内心重苦しい溜め息も洩れる。

「それでも命令蹴れねぇってのが部下の悲しいトコだよなぁ、ホント、なんでおれたちにゃあんな上官しかいねぇんだ? なぁ、サリフ」

「色々と思うところはありますが、遡って考えれば、身から出た錆って言うんですかね、こういうのを」

 太い眉毛のお終いを下げたギイルに見つめられたサリフが、これまた忙しく瞬きしながらイヤイヤするように首を横に振ると、問うた隊長ががっくりと肩を落とす。

「やっぱりか。やっぱりそうなのか…」

 そもそも、最早「遥か昔」になったあの騒動の折旧第七小隊の肩を持って特務室直属部隊になってしまった…内容としては異例の団体大出世と一般警備部では持て囃されたものだが…のが原因かと誰もが諦め、ざわついていたはずのキャリアー内部が水を打ったような静けさに包まれて、暫し。

 ギイルは、ガッ! と長靴の踵を鳴らして立ち上がった。

「こうなったらヤケだ、野郎共! 反則技だろうが汚ぇ手だろうがなんでも使ってやるぜ、おれはよ! こんちくしょう!

 いいか! 現地に到着次第即行動を開始する! 各員通信機はオープン状態で常に他の班と連絡を取り合い、まずはヒュー・スレイサー衛視とアン・ルー・ダイ魔導師の発見に全力で当たれ! あれだけ派手な二人連れだ、ミナミちゃんの言う通りあいつらが「逃げた」としても、絶対に目撃者がいるはずだ! 逃走方向を割り出し追跡を開始。運よくターゲットを発見したら、いいか!」

 ギイルは無骨な指を虚空に向けてびしりと指すと、そこに凶悪犯でも見えているような険しい表情で自分の指先を睨んだ。

「即刻各隊員に連絡! 発見した班はターゲットを見失わないように追尾! 相手はあのヒュー・スレイサーだぜ、死んでも気取られねぇように、細心の注意を払え!」

 おう! と威勢のいい声を聞きながら、サリフがぱちぱちと瞬きして、首を捻る。

「追いかけて、どうするんですか? 隊長」

「よくぞ聞いてくれました!」

 どこかへ向けられていた指先が急旋回してサリフの目前に迫り、副官は思わず仰け反ってそれを避けた。

「追い詰めて包囲して、全隊員終結後っ!」

 ギイルのやたら真剣な表情を誰もが固唾を飲んで見つめる中。

 王下特務衛視団電脳班直属部隊隊長は、押し込み強盗団の首領もかくやという最高に悪そうな笑みで口の端をぐうと吊り上げ、鋭くキャリアー内部を睥睨した。

「アンちゃんを人質に取ってあのスカした銀色の抵抗を封じるっ!」

 肩から水平に伸ばされていた腕を折り曲げて力強く拳を作ったギイルを陶然と見上げていた隊員が、キャリアーの窓ガラスをびりびり震わせるような雄叫びを一斉に上げて拳を突き上げる。

………変な団結力だ。

 口々に「おれたちはやるぜ!」みたいな台詞を上らせながら肩を叩き合う部下を呆気に取られて見回し、サリフは小さく嘆息した。

 二十四人も居て。たった二人を追うのに。片方を人質に取るというとんでもなくチキンな戦法に出ようとしているのに。

 この気概は一体なんなんだろう。

 悩むな悩むなと眉間に皺を寄せつつ、三人一組、八つの班に調査すべきエリアを割り当てながら、副官はにやにや笑いの上官をちらりと上目遣いに見上げた。

 その視線に気付いたギイルが、サリフに視線だけを向けてぱちりとウィンクする。

 それでつい口元に薄い笑みを浮かべてしまってから、副官は慌てて顔を伏せ表情を固く保つ努力をした。

 つまり、数名の小班でヒュー・スレイサーに挑むようなバカな真似はさせないと、陽気で短絡的な思考を振り翳し、その実頭の中では色々と考えている隊長は言う。どうせ、無理なのだ。それこそあの男が本気を出せば、二十四人でかかってもダメかもしれないのだ。ならば死なばもろとも? ちょっと違うかもしれないが。

 何はともあれ。

 高速で流れていく街の風景をちらりと横目で見て、サリフは苦笑した。

「…音声だけ聞いてたら、どこの悪の組織だってカンジだなぁ」

               

             

<移動用キャリアー二号車内部>

 ギイル率いる警備部隊の詰め込まれたキャリアーのやや後方を追うように進んでいる 二号車のカーゴは、前者に打って変わって重苦しく沈んだ空気に圧されていた。

「…いいんだ、どうせ全部ボクが悪いんだ…」

 さめざめと涙を流す連隊長の赤い髪を肩に預かった、王都警備軍第二十一連隊副官ヘルゲール・アレイは、まるで小さな弟にでもするようにその、うな垂れた上官の髪を撫でてやった。

 うっうっ。と、しゃくりあげるような嗚咽に吊られて目頭を熱くした部下たちが並んだベンチにひしめき合っている様をぐるりと眺めてから、ヘルゲールが軍人前とした厳つい顔を益々引き締める。

 どう考えてもこのミッションは「死んで来い」という類のものだとしか思えない。とはいえ、そもそもの元凶になったあの「幽霊騒動」を特務室、しかも電脳班に直接持ち込んだのは他でもない当連隊最高指揮官のカインだったから、今更愚痴を零す気もない。

 ヒュー・スレイサー衛視及びアン・ルー・ダイ魔導師が「逃げた」という通報を受けてすぐに城を出立してから、暫し。後十数分で問題の「幽霊屋敷」に到着しようという頃、今までしくしくとすすり泣くカインを痛ましいような表情で窺っていた隊員のうち年嵩の数名が、目に溜まった涙を…なぜなのか、カイン・ナヴィというこの見目麗しく妹よりも弱々しい青年を隊長に持つと、誰しも涙腺が緩くなる…ぐいと乱暴に拭ってから目配せし合い、勢いよく立ち上がったではないか。

「泣いても嘆いても始まらん! 目的地はもう目前ながら、ターゲットは未だ消息不明。もし彼らを逮捕拘束出来なければ、あえてこの事件を電脳班に持ち込んだ連隊長が責任を取らされるかもしれんのだぞ、貴様ら! それでいいのか!」

 立ち上がった数名が、うな垂れた、陰鬱な表情で顔を上げた若い者どもをぐるりと見回し、大きく頷く。

「連隊長は我々のために、恥を忍んで電脳班に協力を申し出たのだ! だからこそ、不測の事態に陥った今だから、我々がこの新たな事件を解決せねばなるまいっ!」

 熱く演説する一人以外の立ち上がった隊員が、奮い起こした気概を鼓舞するように「おー!」と声を上げると、それまで陰気な顔をしていた若い隊員たちの目に、微か力強い光が戻り始める。

「全力を尽くし事件の解決に当たるのだ、死に物狂いで! 敵はただ一人!」

 アンくん計算に入ってねぇのかよ。と、誰もアンを除外していると言っていないのにミナミならそう突っ込みそうな発言で、キャリアー内部が俄かに活気付いた。

 その、実はなんだかおかしな方向に団結し始めた部下をぐるりと見回し、ヘルゲールも満足そうに頷く。その頃には肩に預けられた赤い頭の小さな震えも、搾り出すような、必死に抑えているような涙声も収まっていた。

 キャリアー中央に投影された、問題の「物件」周囲の地図に顔を突っ込む勢いで怒鳴り合う小班長たちの頼もしい横顔と、先までの沈んだ空気などなかったもののように厳しい表情で腰のスタンガンを抜き、セーフティーを解除している隊員たち…そんなものまで使う気なのか…を、のろりと顔を上げたカインがヘルゲールにしがみ付いたまま見つめている。その不安げで、長い睫を未だ水滴で濡らした情けない顔に穏やかな笑みを向け、副官はそっと連隊長の背中を叩いた。

 無言ながら、皆貴方のために最高の結果を出すつもりです、という気持ちを込めてもう一度頷いたヘルゲールに、ぐす、と鼻を啜ってから白手袋の甲で目元を擦ったカインが、きらっきらでとろけるような笑顔を見せる。それを間近で見てしまった副官と、運よく顔を上げた連隊長に気付いて視線を動かしていた一部の隊員が、幸せムードいっぱいで表情を緩ませた。

「任せてくださいっ、連隊長! 連隊長のためならオレは死んでも後悔しませんからっ!」

「えっ! それはダメでしょっ、ダメ、ダメ! 死んだら色々マズいでしょ!」

「ならば自分は、連隊長のために絶対死にませんっ!」

 すぐ傍に居た若い隊員がどんと胸を叩いて言ったのに、カインは慌ててヘルゲールから離れると、その青年の手を取って必死に首を横に振った。その、部下を無くさんとする様子に…ミナミが居れば、別の感想をもって鋭く突っ込んで貰える状況だとは思うが…隊員たちは薄っすらと涙を浮かべて握り拳を固めた。

 最早理由はなんでもいい。「うちの」連隊長を泣かせる衛視め見ておれ!

 ってカンジか?

 随分前に大流行した恋愛ドラマの中で似たような台詞を聞いた事があると思いつつも、隊員たちは口々に「生きて帰るぞ!」などと既に間違った方向の決意を固め、赤い髪の、美女紛いの、シスコンで立場が弱いながら次期ナヴィ家の当主になるはずの連隊長を感涙させた。

「僕もがんばる!」

 一般警備部第二十一連隊。警備部内ではこっそりと、「カイン・ナヴィ・ファンクラブ」などと呼ばれている事を、彼らだけが知らない。

  

   
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