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番外編-9- ゴースト

   
         
(10)

     

 <王城エリア一般居住区三十三丁目付近>

「幽霊屋敷」という行灯が灯っていない建物は、何の変哲もない一軒家だった。

 その、薄暗い街灯の白にぼんやり滲んだ家を見上げたドレイクが、複雑な感情の入り混じった溜め息を吐き出す。

「つまりなんだ? あー。カインくんの言う「幽霊」の正体ってのは…」

 通りに面した大窓にちらりちらりと揺れる淡い光を目で追いそこまで言ってみたものの先が続かないのに、正直自分が驚いた。だがしかし。「それは幽霊が引き起こしたオカルトですよ」と言われるよりは信憑性が高いとは、思う。

 そう、つまりだ。

 ドレイクは言葉に詰まったまま、傍らで無表情を貫いているミナミに困惑した顔を向けた。

「臨界式の「野良AI」だって、そう言う事なのか?」

 意を決して搾り出した呟きを、ミナミがこくりと頷いて肯定する。それでなんとなく、もうちょっと俺に申し訳なさそうな顔してくれよとドレイクは思った。

 困ったような気配を撒き散らすドレイクの曇天の瞳を、街灯の灯りを吸ったミナミのダークブルーがちらりと窺う。

「なんか、そういう事」

 それまで押し黙っていた青年がどこか笑いを含んだ軽い口調で答えた直後、がらりと二階の窓が開け放たれて、一人室内を窺いに行っていたハルヴァイトが顔を出した。

「もうここには何も残っていないようですね。とりあえず、上がって来て貰えますか」

 あちらも平素と変わらず微妙に偉そうに言い放ち、さっさと窓を閉める、ハルヴァイト。それを受けた二人はどちらともなく頷いて、鍵の外された玄関から建物内部に入り込んだ。

 暗い足元を手にした小さなライトで照らしたまま玄関を通り過ぎ、真正面に見える階段に爪先を向ける。近所のガキどもは裏口、今は通電していないせいで使い物にならない電子ロックにかけられた南京錠…酷く古臭い手段だとミナミは思っていた…を壊して侵入したらしく、床に積もった埃に描かれた幾つもの足跡は奥のキッチンから階段方向へついていた。

 それを踏みつけるようにして階段を上がり、開け放たれたドアを潜ってハルヴァイトの待つ室内に入って、手元のライトを消す。当然明かりなどないのだが、丁度目の高さにある街灯の蒼白い光が大窓から射し込んでいて、真っ暗という訳でもなかった。

 さらりと流れたミナミの視線が捉える、無数の足跡。その殆どはドアから見て右手、不自然に壁に突き出し所々焼け焦げた四角い箱の周囲に集まっていたが、ふたつだけ、窓の傍まで付いている。ひとつは言わずもがな、今下を覗いてミナミとドレイクを呼び寄せたハルヴァイトのものだ。

 壊れて死んだ四角い箱、旧式の配電盤に近付くドレイクと離れたミナミは、引き返して来たハルヴァイトと擦れ違って窓に歩み寄った。長靴のものではない、比較的大きな足跡の傍に自分の足を並べて、微か眉間に皺を寄せる。

「やっぱ、こっち。この、アンタのじゃねぇ足跡、ヒューのだと思う。普通に歩ってここまで来て、引き返したって感じの歩幅だな」

 さすがに靴底の模様など見覚えはなかったが、残された二種類の足跡が似たような大きさだったのに、ミナミは独り言みたいに呟いた。背格好の似ているハルヴァイトとヒューは、足のサイズも同じくらいなのだ。

 雑多に踏み荒らされた埃の跡を目で追っていたハルヴァイトが無言で頷く。必要以上に力んだ様子もない足跡を不透明な鉛色で確認し、それから、焦げた配電盤の真下辺りに視線を戻す。

「こちらの跡は、何かで拭ったようになっています。転んだか、座り込んだか、そんなところでしょうね」

 丁度ドレイクがしゃがみ込みしげしげと見ている床を指差して、ハルヴァイトは淡々と言い放った。平素と同じ歩幅。何かで擦ったような跡。

 焦げた配電盤。

 逃げた、ヒューとアン。

 と、なれば。

「状況は最悪方向に流れた、と」

 杞憂も含まぬ、それこそただの情報を披露するようなハルヴァイトの声に、顔だけを上げたドレイクは白い眉を寄せた。

「何がどう最悪だってんだ? ハル。幽霊が実は「野良AI」とかいうやつで、それでなんで、班長とアンが逃げなくちゃなんねぇんだよ」

 いい加減焦れて来たのか、ドレイクが剣のある声でハルヴァイトの気を引く。さぁ話せ! とでも言いたげなその表情をミナミは、判らないでもないと思ったけれど。

 ミナミは、なぜそんな事態が起こったのか、「引き起こされるための条件」を知っているから比較的落ち着いていられたし、この先何があってもあまり驚かないだろう。しかしドレイクにしてれば、ここに棲み憑いていたのは「幽霊」であって、いわゆる「AI」の類だとは今の今まで思っていなかったのだから、積み重なった疑問がいつの間にか苛立ちに変わったのも当然か。

 というわけで。判っている人間とさっぱり訳の判らない人間が混在した状況で事件が発生してしまった場合、その事件を解決するために有効な手段を模索し行動に移すためにも正確な情報は必要不可欠となる。

 とかなんとか軽く小難しく自分の中で解説しつつ、ミナミは無表情にハルヴァイトを見上げた。

「そういった状況に陥らざるを得ない事態が起こったという事で」

「つうか適当に誤魔化そうとすんなよ、アンタも」

 語尾に被るような勢いで冷酷に突っ込まれたハルヴァイトが、むうと眉根を寄せる。

「…外部からのショックで奇跡的に自立した「AI」が、接近したアカウントを辿ってアンの臨界脳を乗っ取ったんですよ」

 いかにも面倒そうに吐き捨てたハルヴァイトが、ミナミからもドレイクからも視線を逸らして焦げた配電盤を睨む。

 奇跡などと言ってしまうといかにもファンタジーっぽいが、ここに至る経緯に対するハルヴァイトの感想は詰まる所、システムの不備と管理体制の甘さと露呈していた初歩的な技術不足を楽観的に放置した結果であって、どこも、欠片もドラマチックな要素などない。面倒なのでドレイクには「奇跡的」などと言ってみたが、どうせ説明させられるなら別の言葉を使っておけば良かったと、おかしな方向に後悔する。

 ミナミに強制介入されてうんざり肩を落としたハルヴァイトが改めて口を開くのを、ドレイクは唇を引き結んで待っているらしかった。まぁ、最終的にはここでの「調査」を彼に任せる…単に、ハルヴァイトとドレイクの特性を考えるなら、こういったもののプログラム洗浄は制御系の役割だからだが…以上、事実を明らかにする必要はある。

「この家屋の最後の住人、ロミー・バルボアについての調書はお読みになりましたか? ドレイク」

「ああ。一通り読んだぜ」

 立ち上がって腕を組んだドレイクに視線を戻し、ハルヴァイトは続ける。

「この部分は多大な予想と少ない事実による、いわば想像に過ぎないんですが、二十年前、ネオ・ロード社で自立学習型人工知能を開発していたロミー・バルボアは、ここに持ち込み日夜研鑽していたシステム内である種の、有り得ないプログラムを開発してしまったのではないかと、わたしは思っています」

 数十分前、同じ場所でヒューの聞いた真相は少々違っていたが、ここに「AI」が居た事は事実だった。

「有り得ねぇプログラム?」

 不思議そうに首を捻るドレイクに頷きかけるハルヴァイトの横顔を見つめるミナミの脳裡には、既に次の疑問が浮んでいる。青年は、今弟が面倒臭そうに兄に説明している部分に関して、とうに承知していた。

「人造電脳による、臨界接触プログラムですよ」

 もったいぶるでもなくさらりと言ってのけ、ハルヴァイトはこきりと首を鳴らした。

「自立型の学習知能、自分で次の行動や選択を考えて、それに必要な情報を吸収し自らの電脳内に様々なテストケースを蓄える人工知能は、人間が予想するよりも遥かに高度なシステムの組み換えを、脳内で勝手に引き起こしてしまう可能性がある、というのは、ご存知ですよね?

 その時人工知能を収めた電脳システムは、一時的に乱れた周波の電波を発します。学習領域を広げながら、植え付けられた目的を達成するために必要な情報と不必要な情報を選り分け、書き込みと削除を忙しく行ない、電脳内のメモリにブランクを作る。それがより高度なシステムだった場合、もしかしたら、人間の思考の揺らぎを計算して似通った事象を幾つかのクラスタやレイヤーに振り分け、一つの行動に対する対応をより広く、検索し易くしようとするかもしれません」

 逸れない鉛色の瞳を睨み返していたドレイクの曇天が、すうと細められる。

「………、まさか、そいつぁ…」

「そのまさかです。その作業はつまり、電脳魔導師が臨界領域に魔道機コアを構築する、最初の作業と同じです」

「じゃぁ、そのロミー・バルボアは、偶然ここに人造魔導師をつくっちまったって、そういう事なのか?」

「大雑把に言えばそうですが、残念ながらそれほど単純ではないでしょうね。

 ロミー・バルボアが開発したのは、確かにただの自立学習型人工知能だったと思って差し支えありません。しかし、偶然、それこそ奇跡的に、一時的な過剰電圧が加わった状態で発した異常電波が、いわゆるリミットを突破してしまったとしたら?」

 ハルヴァイトが言った途端、ドレイクは薄闇でも分かるほど顔を顰めて、ぴしゃりと自分の額を手で叩いた。

「人造電脳内に臨界接触プログラムを駐屯させるだけの容量を確保し、通常ならば有り得ない超高周波を撒き散らしながらも「気を失わなかった」AIは、「命令」された通り次に接続先を探します。しかしその検索された先は、一般的には使用されていない電波領域…つまりは臨界です」

「臨界に対して特定周波数による接触となりゃぁ、次は自動的に「AIコア」か…。? つっても、待てよ、ハル。ここでも奇跡的に波長の合うコアが見つかったとしても、結局は「送り返し」でこっちのAIがぶっ壊されて終わりじゃねぇのか?」

「接触直後、こちらのAIが一時的に「落ちて」いたら、どうでしょう」

 微かに人の悪い笑みを浮かべたハルヴァイトを見つめ、ミナミが無表情に「あー」とおかしな声を上げた。

「停電」

 アンとヒューが屋内に踏み込むとドレイクに電信して来た際、二十年前にこの近辺だけを襲った停電についても簡単に報告されていた。それが関係あるかどうか判らないとミナミは思っていたが、道理で、その後のハルヴァイトの手際が良かったはずだ。

 悪魔は、その時点で予想を確信に変えていた。ここにその…臨界の「迷子」は確実に存在していると、気付いていたのか。

「それまでの経緯とデータを残して、こちらのAIは崩壊。一旦繋がってしまった臨界のAIコアは逆にこちらのダウンを魔導師の電脳システム書き換えのためだと認識し、通常の処理を進めます」

 偶然に偶然が重なり、奇跡と言って差し支えないほどに稀にそれはその後、この世に顕現してしまう。

「それで再度こっちが通電して復旧した途端、AIコアは正常に稼動しちまうって寸法か」

 どこか呆れたように呟いたドレイクが、またもや眉間に皺を寄せてハルヴァイトを見つめた。

「つうこたぁおめー、カインくんが電脳班に幽霊騒動なんぞ持ち込んだ時点で、それが臨界式AIだって思ってたのか?」

 咎める口調のドレイクに肩を竦めて見せたハルヴァイトが口を噤んだのに、ミナミがふうと息を吐く。休憩なのか、今日の発言はもうおしまいなのか、これは押し付けられたなとちょっと思った。

「まぁ、そうなんだけどな、ミラキ卿。あの時点での俺とこの人の予想はもっと簡単なモンでさ、今よりもずっと知能の低いタイプの「ロストAI」ってのが、やっぱなんらかの理由で臨界からこっちにダウンロードされたんじゃねぇかって、その程度」

 窓から差し込む蒼白い光を背に受けたミナミが素っ気無く言うと、ドレイクは青年に顔だけを向けて苦笑じみた表情を見せた。

「頼む、ミナミ。おめーまで俺に判んねぇ単語で喋んの、やめてくれ…」

 しかも臨界絡みでとなると問題だ。

「こっち、あんま関係ねぇんで説明しねーけど、魔導師も臨界も、同じくれぇ進化してんだよ。だから、大昔は現役で稼動してたAIコアもいつの間にか使われなくなってさ、忘れ去られるつうか、削除待ちみてぇな状態になんだろうな。それが偶然こっちのプログラムに反応するかもしんねぇ確率は、人造魔導師? が出来る確率より、ずっと高ぇし」

 まるでなんでもない事のように説明されて、ドレイクはこめかみを指で叩きながら今度こそ苦笑した。ミナミが魔導師でないのが不思議なくらいだと、本気で思う。

「んで、まぁ…その辺はとりあえずいいや。それで?」

 それで何故今のような状況になるのか、と問うドレイクの視線に、ハルヴァイトが横顔を晒す。

「結局、そこに構築されていたプログラムでこの世と繋がっていたコアは、何もないまっさらな状態で崩壊したこちら側のAIの「記憶」を吸収してしまう事で、混乱したんでしょうね。二十年間何もせず、自身を守るためにだけ「幽霊騒動」を起こしていて、もしかしたらこのまま何十年も続くはずだったところに、運悪く、同じ波長の電波を発するアンが近付く」

 似通った波長。もしかしたらアン少年はここで、…そのAIコアの「手の届く所」で臨界に接触したのかもしれない。

「元々剥き出しのコアだけだったものは、そこでアンの発する電波を逆に辿って本人の脳に割り込み、そこから「自分」に再アクセスしたのではないかと」

 もしこの会話をヒューが聞いていたら、彼はすぐにでも納得するだろう。

 残念ながら、この場には気配もないのだが…。

 難しい顔で虚空を睨むドレイクと、いつもと同じに涼しい表情を崩さないハルヴァイトを見回して、ミナミはようやく、準備していた疑問を口に上らせた。

「んじゃぁ、なんでヒューとアンくんは逃げたんだと思う?」

「アン…この場合は臨界式コアには、目的がある。だから二十年間も保身し、動ける身体を手に入れて移動したんでしょう」

「その目的ってのは、なんだよ」

 微妙に喧嘩腰で言われたハルヴァイトが、壁面で焦げている配電盤を指差してドレイクに顔を向ける。

「復旧できるメモリから必要な情報を抜き出すのは、あなたの仕事です」

 そこにミナミたちの知りたい目的が残っているかどうか判らないが、とりあえず、二人の行き先の手掛かりにでもなればいい。

 はいはい判りましたよ。などと不満げに言いつつ肩を竦めたドレイクの背中を見つめ、ミナミはまた別の事を考えていた。

 なぜ。

 ヒュー「まで」逃げる必要があるのか。

 ミナミには、それがどうしても判らなかった。

  

   
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