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番外編-9- ゴースト

   
         
(12)

     

<王下医療院外科部>

ステラは、唐突にダウンした端末のモニターを相変わらず難しい顔で睨んでいた。ぱりっと糊の利いた白衣と襟に濃紺のラインを入れた白いシャツが褐色の肌に映え、それ以上に、鮮やかな橙色の短髪と翡翠の瞳が映える。

刻まれていた眉間の皺を益々深くしたステラは、呆れたように嘆息してからがしがしと短い髪を掻き毟った。その時彼女の頭に浮んだのは、あの男はどうしてああ横暴なのだろうか、とか、人に物を頼む態度がなってない、とか、とりあえず本人を前にしたら蹴っ飛ばしてやろう、とか、つまりはヒュー個人についてのありきたりな文句であって、彼の告げた不吉な発言について、今は何も考えるつもりはない。

まず、余計な憶測に左右されて真相を見失うのは良くないとステラは思う。それに、「後だ」と言うくらいなのだからそこにはきちんとした…かどうかは聞いてみないと判らないのかもしれないけれど…理由もあり、それを明かす気も向こうにはある。

「…しかも、通信してきてから切断するまで一分も掛かっていないというのは、つまり、だ」

逆探知を警戒しているのか。だとすれば、「匿え」という言葉に額面以上の意味はない。

また連絡するというのだから少し待てば進展もあるだろうと、ステラは内心嘆息しつつモニターの前を離れた。

それから彼女は、プライベート・オフィスに詰めている看護士たちを、今から恋人が尋ねて来るので自分に気を遣ってさっさと帰れと蹴り出した。口から出任せを本気にされて、後日その恋人について詮索されたらどうしようかなどという事は考えない。今は、それが問題ではない。

自分だけがぽつんと残ったオフィスの灯りを消してデスクのスタンド一つを灯し、ステラは部屋備え付けのソファにどさりと腰を下ろした。なんとなく天井に視線を向けて、一分に満たない短い通信の内容を脳裡に描く。

電信元は街頭の公共端末で間違いないだろう。着信と同時に表示された番号の先頭に着いたアルファベットが示すカテゴリーが、「その他の通信機」だった。場所がどこかまでは判らないが、居住区の大通りである可能性は高い。佇む銀色の肩越しに、ゆるゆると流れる人の頭を幾つも見た。

それから。

ステラは瞬きを止め、天井に向けていた視線を、膝の上に投げ出していた手に落とした。

広角モニターの端に映った、色の薄い金髪。全身ではなくうなじから背中にかけての一部分だが、あれは間違いなく…。

「アンくんだった」

呟いて、自分の声で確信を持ったステラが、ゆっくりと瞬きする。

「二人揃って匿えだって? 駆け落ちでもする気か、ヤツは」

言って。

ステラはなぜか、わはははは、とわざと声を上げて笑うフリをした。

そんな愉快な奇跡で有る事を願わずにはいられなかった。

      

       

<王城エリア一般居住区三十三丁目付近>

散開した総勢五十名近い兵士の背中と、最後に闇に紛れて行った地味なスーツを見送ったミナミが、毛先の跳ね上がった金髪に手を突っ込んでぽりぽりと掻く。

「てか、えれぇ大袈裟な騒ぎになって来たよな…」

「まぁ、確かに「不祥事」な訳ですし、致し方ないんじゃないですかね」

「だからっておめー…」

王下特務衛視団衛視長クラバイン・フェロウ直々の出動とは、穏やかでない。

というか。

特務室の他の衛視たちは、今現在警護班班長ヒュー・スレイサーが電脳班魔導師アン・ルー・ダイと共に逃走中などとは全く知らず、ミナミから報告を受けたクラバイン一人だけがヒュー捕獲に参加している。

「これってまさか、口封じの抹殺任務じゃねぇよな…」

思わず零してしまったミナミの無表情を、ドレイクが引き攣った顔で見下ろした。

「おっかねぇ想像さすなよ、ミナミ…。有りそうで否定できねぇだろうが」

などとかなり笑えない会話を交わすミナミにもドレイクにも、クラバイン一人が出張って来た理由は明らかか。

どう考えても、警護班の残り人員を全部集めた所で「逃げる」ヒュー・スレイサーを捕獲するのは無理だ。何せ、ヒューが殆ど手を出さない訓練でさえ動きを鈍らせるような一発を入れあぐね、結果的に床に転がされているような部下ばかりなのだから。

だとしたら、ここで乗り出すのはヒューに勝る誰かでなければならない。

実際ミナミが思うに、王城エリアならぬファイラン洛中探してあの銀色に腕っ節で勝てるのは、片親であるフォンソル・スレイサーくらいだろう。忙しさの余り何年も格闘訓練をおろそかにしているクラバインでは、昔取った杵柄で足止めするのが関の山で、落として捕獲出来るのはよほど幸運な場合だ。

「確率ゼロの雑魚よりかは、期待していいんだろうけどな」

「………」

相変わらずの無表情で呟いたミナミの顔を恐々眺めて、ドレイクが苦笑いする。確率ゼロかよ。と言ってやりたいが、同感なので突っ込みも出ない。

件の家屋二階に放置されていた、焦げた配電盤に残留していたデータから抜き取れた情報は、意外にも多かった。しかしその殆どはハルヴァイトとミナミの予想していた通り、ここに在っただろう「AI」が臨界式コアだったとか、ロミー・バルボアと接触を持っていたとか、彼の言い付けで二十年間潜伏していたとかいう、つまりは予想済みのものが殆どで、ではなぜその「コア」とヒューが連れ立ってここから逃げ出し、どこへ向ったのかという、肝心な部分についてはヒントも残っていなかった。

今現在もドレイクの抜き取ったデータを睨んでいるハルヴァイトの背中をちらりと見遣ってから、ミナミは街頭の光が眩しい大窓の外に視線を流した。

気になる。

どうしても、気に掛かる。

         

なぜ、ヒュー「まで」逃げる必要があるのか。

         

「…アンくんに取り憑いたその「コア」がさ」

誰に聞かせるでもなく、ミナミは窓の外を見つめたまま呟いた。

「どっかに移動してぇって、…ちゃんと理由があるとして、それはだから、納得出来んだよ。俺にも」

それは、だって「行きたい」のだから。

どこかは今のミナミたちに判らないにせよ。

何か、自分でも釈然としないものを抱えて独り言のように話し続けるミナミの静謐な横顔をドレイクが見ている。輪郭を蒼白い光に滲ませた凛とした華奢な背中を、ハルヴァイトが見ている。

「でも、なんでさ…」

街灯の輪から外れた暗闇に紛れ込んだヒューとアンを探すように目を細め、ミナミは呟く。

どこへ。何のために。なぜ。

二人は、行こうとしているのか。

ドレイクの復旧したデータを脳内に流して何度も内容を確認していたハルヴァイトが、不意に眉を寄せて舌打ちした。その、いかにもガラ悪い動作に驚いた訳でもあるまいが、言いかけの台詞を飲み込んだミナミが、配電盤の前に佇む恋人を振り返る。

「ミナミ、最後にアンと交信したのは、何時でした?」

「アンくんから電信来たのが、十七時三十五分。で、こっちからアンくんとヒューに電信したのが、十八時二十二分から二十三分」

日は暮れていたがまだ夕刻という、比較的早い時間を簡潔に告げられたハルヴァイトが更に眉間の皺を深くしてから、うんざりと溜め息を吐く。

「……見落としていたというか、侮っていたというか…」

何かに腹を立てているらしいハルヴァイトの顔を数秒間眺めてから、ドレイクも「あ」という顔をする。

ある意味、ありきたりの、情報。

データ。

「まさか、操作されてたってのか? 残留データが」

「操作というほど隠蔽性がないのは、相手がデータの取り扱いに慣れていないからなのか、わざとなのか判りませんが」

不貞腐れたようにハルヴァイトが言い捨てて、また数秒、どうやら自分もデータを閲覧したらしいドレイクが、乾いた苦笑を漏らして白髪をがしがしかき回す。

「? 何があったっての?」

いかに臨界に精通していようともデータを見るに叶わないミナミに問われて、ドレイクは頷いた。

「人工知能がバックアップ用に取ってた思考ログを復旧したんだけどよ、そいつの時間が、丁度18:00で終わってんだよ」

わざとらしく。

「肝心な会話はきっとこの後になされていたと思っていいでしょう。それにデータが操作…単純なデリートかもしれませんが、されているとしたら、残留した思考ログも鵜呑みに出来ない」

「つまり、ヒューとアンくんは、そのデータをわざと残してったって事?」

見られるというよりも、見せるためにか。

「なんで?」

無表情ながらややきょとんとしたような声で漏らしたミナミの頭上から、眉間の皺をどんどん深くするハルヴァイトに視線を流したドレイクが、んー、と腑抜けた声を出す。

「足止めかね」

「目的を知られたくないんでしょう」

「でも、その「コア」の正体がバレんのは、別に気にしねぇんだ…。ロミー・バルボアとの関係とか」

言って、ミナミはまた口を噤んだ。

やはり、何かがおかしい。気に掛かる。

逃げたのはヒューと「人工知能」。器はアンだが、中身は違う。

なんだろう。凄く単純な、それでいてとても大切な事を忘れている…忘れるという奇跡はミナミに起こらないから、この場合は気付かないというべきか…ような、違和感。

追っているのは、警備兵総勢六十名。クラバイン。ハルヴァイトとミナミと、ドレイク。

逃げている? 否。どこかへ向かっているのは、アンと銀色。

どこへ?

目的。

目的。

「目的、地?」

自分の思考を再確認していたミナミが、不意に顔を上げた。

「どっかに辿り着きたいけど、その前に邪魔されたくねぇ?」

「だから核心部分を掠めるようなログは消してったって? まぁ、それもありっちゃぁアリか」

「じゃぁ、それはどこだと思います?」

ハルヴァイトの鉛色が、真っ直ぐにミナミを見つめる。

「判り易いとこ」

ミナミがぼんやりと、呆然と呟いて。

三人は同時に、ぴ、と伸ばした人差し指で天井を示した。

「「「城」」」

今は、それしか思い浮かばなかった。

  

   
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