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番外編-9- ゴースト

   
         
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何度か目にした派出所の兵士に目立った動きはなかったから、捕獲部隊の主力はギイルのところかとヒューは考えていた。ただ、自分がそれほど軽んじられているとは思い難いのも事実で、だとしたら、他にはこの騒ぎ…当然、張本人が自分だと言う自覚はある…の発端になった幽霊事件を持ち込んだ二十一連隊辺りも出張っているだろうと予想する。

「電脳班からは、最低でガリュー一人か…。動いているミナミの傍を離れる訳はないだろうが、あれが居るのと居ないのでは厄介さが格段に違うな」

ただ、よほど警戒すべきは現時点で捜索に参加しているかどうかも判らないドレイクかもしれないとも思う。彼ならば、街頭の防犯カメラを使って王城エリアの路地裏まで覗けそうだ。

あえて人通りの多い大路を選んであちらこちらと方向を定めず移動する事、二時間と少し。夜も徐々に更けて通りを行き交う市民もまばらになり、事件発生現場であるあの屋敷からある程度距離も取れたところで、ヒューはステラに三度目の連絡を入れた。

コール一度も待たずモニターに現れる、旧知の女医。

『先の話は?』

『今調べてる』

『暫く連絡出来ない』

『勝手に上がって来い』

簡潔に囁き合いそれぞれの何かを確認してから、ステラが短く十二桁の番号を言った。その番号を二度口の中で確かめたヒューは無言で頷き、すぐに通信を切断しようとする。

『そのまま聞け。こちらにまだ手は回っていない。衛視は何も知らないようだ。ただし、頭(かしら)が動いた』

一方的に言い放ったステラの薄い笑顔が、ぷつんと暗転する。

一瞬嫌な表情を浮かべたヒューは、諦めに似た溜め息を吐いて公共端末ブースから離れた。

高速で考えを巡らせながら歩き出した銀色の背を追って、色の薄い金髪も揺れる。ここまでの二時間殆ど休み無く歩き続けているのに弱音一つ吐かない、地味な強情さに、知らず薄笑みが零れた。

詳細はまだにせよ、ステラに自分たちの「目的地と目的」は手短に話した。その上でとある人物の捜索を頼んだところ、うんざり顔ながらそれを承諾してくれた彼女の信用が自分ではなく背後の少年…の外見か…に向けられている事くらい、ヒューには判っているのだが。

やや遅れそうになった少年を軽く振り返り、ヒューはその細い腕を掴んで住宅地に入る路地を極自然に折れた。周囲に無用な人間が居ないというのはかなり危険な状態だといえたが、致し方ないだろう。

路地に入り込み、やや歩調を緩める。疲れの見え始めた少年を立ち止まって休ませてやりたい気持ちも多少あるものの、今はまだ、無理だ。

とにかくゴールは設定し終えた。次は、ルートと手段。

短い会話の最後でステラから齎された情報には、良いものと悪いものが混在している。まず、彼女がノーマークだという事は、ヒューと少年の目的はまだバレていない。衛視が何も知らないだろうというのは、ある程度予想通りだった。第二十一連隊から持ち込まれた幽霊騒動を聞いていたのは電脳班とヒューだけで、実際現地で動いていたのはヒューとアンだけで、その二人が「逃げた」と聞いたのがミナミとハルヴァイトだけだとしたら。

「カシラが動いた…か」

半ば絶望的な呟きに、ヒューに腕を掴まれたままの少年が顔を上げた。

カシラとステラが言ったのは、多分…クラバインの事だろう。この場合他に「カシラ」と称されそうなガリューが動くのは「当然」だから、あえて報告されるとしたら、それしか思い浮かばない。

衛視は何も知らない。ふとステラの発言を裏打ちし確信する思考に、知らず、ヒューの唇の端が持ち上がる。あのクラバインの生真面目な性格を考えるなら、これは特務室始まって以来…かどうか知らないが、自分が勤務し始めてからは他に例がない。というか、こんな前例があったなら、そちらの方が驚きだ…の不祥事だ。その上で自らが動いたとすれば、あの男は部下にさえこの事件を明かしていないはずだ。

なら、賭けるか?

こちらの予想通りクラバインが本当に、陛下にさえ何も報告していなければ、これ以上好都合で一石二鳥な事はない。逆に、部下に対して実は司令なりなんなりが下っていたとしたら、丸腰で罠に飛び込むような無謀さだが。

「どうか、したの?」

戸惑うような小さな声に、ヒューは傍らの少年の小さな顔へと視線を落とした。

色の薄い金髪に、厳冬の快晴を思わせる水色の瞳。見知った少年が見知らぬ誰かの口調で話すむず痒さをおくびにも出さず、銀色は小さく首を横に振る。

賭けるか。

何にせよ…。

「悩んでも仕方ないしな」

―――クラバインに自分が殴られるのは、ほぼ決定事項になった事だし。

ヒューは呟いてから正面を向き直し、不安げな気配を漂わせる少年の腕を放して、ぽんと背中を叩いた。

         

         

多大な期待などしていなかったと言えば、嘘になる。確かに、昔から素行には問題があったが大きく人の道から逸れた事はなかったし、道場の教え通り善悪の見極めも良かったから、正義の味方にはなれなくても路地裏のチンピラからいたいけな市民を守る事くらい、日常的に出来る男なのは間違いない。

現実逃避気味に胸の中で詮無い文句を並べ立てつつ、クラバイン・フェロウは路肩に佇んで携帯端末の小さなモニターを睨んでいた。

ただ、どうにも頑固なところがあって。

かなり見難い細かな地図にぽつりぽつりと浮んだ赤い点を見えない線で繋ぎながら、その目立たない男が小さく嘆息する。

生来不器用なのだろうと、クラバインは…ヒューを見ていると思う。不器用で頑固。それで性根が不良属性。見栄えはすこぶるいいが基本的に横柄で偉そう。

長い付き合いのヒューを今更ながらそう分析し、思わず眉間に皺を寄せる、クラバイン。最悪だ。そんな男、友人にも部下にも欲しくない。残念ながら、既に友人であって部下なのだけれど。

でたらめに打たれた赤い点を、パターンを変えて線で繋ぐのを諦め、クラバインは携帯端末を閉じて緩やかな人の波に乗り歩き始めた。彼が今まで立ち止まっていた事も、不意に顔を上げて歩き出した事も、誰も気に留めはしない。

そもそも、今日までこんな騒ぎを起こさなかったのが不思議だと、クラバインは思う事にした。とりあえず。それで心の均衡を保とうと自分を慰める。

「……元より、「逃亡癖」はありましたし…」

呟いて、星屑の煌く天蓋を見上げたクラバインが、ふと口の端を微か歪めた。

にっちもさっちも行かなくなって。もう手の付けようがなくなって。泣いても喚いても何も変わらなくて。押すも退くも出来なくて。

逃げ出す。

ならば、いくらでも見捨てられたのだろうが…。

アレが「逃げて見せる」のには、必ず理由がある。もし「全力でぶつかっても敵わないもの」に直面したらあの男は、99%の玉砕と1%のどんでん返しを狙って真っ向から勝負するだろう。頭が良いのか本能なのか、はたまたただの馬鹿なのか判らないが、とにかく、ヒューが無意味に退いたのをクラバインは見た事がない。

だから今回の逃走劇にも裏はある。他人から見たらどうしようもない理由だったとしても、ヒューは大真面目に自分の中の掟を「守ろう」としているのだ。

しかしというか、つまりというか、その辺が非常に不器用で頑固だと思わせる要因なのに。

居住区の屋敷から逃走するなら、まず大通りに出て見つかり難くした上で、路線バスなり流しのキャブなりを拾うだろうと予想したクラバインは、ミナミたちが待っていると聞いた「現場」へは向わず、乗ってきたフローターを問題の家屋近くの派出所に預けて大きな通りを歩き回っていた。

そのうち、調べるものはもうないからと見張りの兵士を置いて来たらしいミナミ一行からクラバインの携帯端末に届けられたのが、先程彼の眺めていた地図だった。

表通りの公共端末から通信統合局のホストシステムをハッキングして、現場周辺の防犯用街頭カメラの映像を洗い、ターゲットとなるヒューとアン少年らしき二人連れの通った場所と時間を書き込んだマップから、有効な情報は得られていないとクラバインは思う。

あまりにも統一性のないでたらめな動きに、ハッキングの張本人だろうドレイクも苦笑いで言っていた。

多分、こちらが街頭カメラを利用して来るとヒューは予想し、警戒している、と。

カメラには、当然のように死角が存在する。場所によっては全ての映像に時間経過正しく映っているかと思えば、突如まるで見当違いのエリアに出現するという不可解さであの男は、判っている、というサインを送って来ていた。

見えていても、無駄。

ふとそんな事を考えて、クラバインはやっぱり少し口の端を歪めた。その感覚は、大師であるフォンソル・スレイサーの重い蹴りをどてっ腹に貰う時と似ている。急浮上して来る膝や爪先の軌道は予測出来ているのに、なぜなのか、避け切れない。

さすが親子だと無意味に感心しつつ、クラバインは一旦足を停めて人影のまばらになって来た大通りをぐるりと見回した。

街は、なんの変哲も無い夜の光景に滲んでいる。車道を流れるフローターのヘッドライトに目を細め、その向う、折り重なる家々の窓と屋根の背後に聳える城の尖塔群を遠くに眺めて、クラバインは再度重苦しい溜め息を吐いた。

  

   
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