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番外編-9- ゴースト

   
         
(14)

     

日課になっている夜のニュース番組をチェックしていたエドワースは、城を一周する大路に面した通用口の呼び鈴が鳴ったのに、警備用モニターを切り替えつつ首を捻った。こんな中途半端な時間に誰がと思う。

特別官舎通用口は主に商店に注文した商品が届けられるいわゆる裏口で、防犯上の理由から日中しか使用されない。それでも時たま、王城通用門が遠くて…何せ特別官舎から通用門までは、城の敷地を半周しなければならないのだ…面倒だからと通行をねだって来る衛視がいたりするのだが、夕刻十八時を過ぎるとエドワースがきっぱり断わるのを知っているから、こんな時間に外から呼び鈴を鳴らす者はいないはずだ。

まさか王城通用口の呼び鈴をいたずらで押すような度胸の持ち主かと思いつつ監視カメラの映像をメインモニターに表示して、エドワースはますます訳の判らないという顔で首を捻った。

「どうしたね、班長…。こんな時間に――」

大路を流れるフローターのヘッドライトを背景にして立っていたのは見知った元部下で、なぜなのかその腕には、午後に連れ立って出かけたはずの少年が抱きかかえられている。幾ら相手がいつ何時何があってもおかしくない特務室詰めの衛視といえども、この展開はエドワースの理解の範囲を超えていた。

元より、特別官舎に住まう衛視の中でもこの二人は特に予定が読めない。事前に通達されてくるシフト表通りに出入りしてくれる他の衛視と違って、陛下とミナミ、最近はルニに着いてあちこち出歩く事の多いヒューはおかしな時間に帰って来て暫し休息を取り、またおかしな時間に出て行くのもザラだったし、アンに至っては仕事が片付かないからといって非番も勤務も関係なく出入りする。おまけに今日は非番のはずのヒューが突如制服に身を包んで出て行ったかと思ったらアンと共に戻って来て、すぐに二人でどこかへ出かけてしまったのだし。

衛視が何をしにどこへ行くのか、エドワースは訊いたりしない。最早引退し官舎の管理人になった彼は衛視ではなく、だから、衛視がどんな任務に着いているのか、訊く権利はない。

まさか少年が酔い潰れているのかと内心訝しげに顔を顰めた管理人を、画質の悪い白黒モニターの中のヒューが平坦に見つめる。

『アンくんが、仕事中に居住区で倒れた。それで、至急中に戻りたいんだが、城門まで行く暇が惜しい。通らせて貰えないか』

いつもと変わらぬ落ち着いた口調で言ったヒューとは対照的に、エドワースは大いに慌てた。

「何を冷静になってるんだ、班長! すぐに開けるから急いで中に入りなさい。ああ! 途中の柵の閂を外すまで、少し待つんだよ!」

あたふたと指示しながら通りに面した鉄扉のロックを解除したエドワースは、小さなドアを蹴破らんばかりの勢いで管理人室を飛び出し、エントランスを突っ切って通用口に繋がる通路の扉をこれまた乱暴に開け放った。

冷静沈着が売りなのも結構だが、こんな時には慌てるくらいの人間味が欲しいと胸の内で悲鳴を上げつつ、小さなスポットだけが整然と並ぶ細長い通路を駆け抜けて、酷く旧式の閂が掛かった鉄柵に突っ込む。

かなり早足で反対側からやって来たヒューの顔を見上げて、エドワースは太い柵を横に貫いた閂を壁から引き抜き侵入者防止用のそれを開け放った。

その耳障りな音に意識を取り戻したのか、ヒューの腕に抱きかかえられていたアン少年の薄い金髪がぴくりと揺れる。

「一体どうしたんだい、班長」

ばたばたと引き返すエドワースにつられてますます早足になりながら、ヒューは小さく首を横に振った。前を走る管理人からそれは見えなかったが、気配だけは伝わったようだ。

「なんの前触れもなく突然意識を失った。…始めてじゃないが、大事を取って医官に診せる」

言われて、ようやくエントランスに満ちる淡い光の下に飛び出したエドワースも思い出す。そういえば官舎に入居してすぐだっただろうか、アンが今のようにヒューに抱えられて戻った事があったはずだ。

「すぐ医局に連絡を入れるから、班長は…」

開けっ放しの管理人室のドアを目指して走り去りそうな管理人の背を、小さな呻き声が引きとめる。それで反射的に振り返れば、ヒューの腕に抱えられている少年が紅潮し強張った顔を苦しげに歪めて、薄っすらと瞼を上げていた。

「アンくん!」

思わず足を緩めたエドワースを無視して手近なソファに少年の身体を横たえたヒューが屈み込んで、頬に掛かる色の薄い金髪をさらりと指で払ってから、小さく動いた唇に耳を寄せる。

「…水を一杯、ダルビンから貰って来てくれないか」

顔を上げたヒューが、とりあえず少年の意識が戻った事に安堵の表情を見せたエドワースに言うなり、人の好い…申し訳なくなるほど慌ててくれた…管理人は、涼しい顔の銀色に指を突きつけて、すぐ医局に連絡するんだよ! と念を押しながら、ダイニングに爪先を向け直し走り去った。

「行くぞ」

途端、ヒューが素早く身を起こして、ソファから転がり出た少年の腕を掴み管理人室に飛び込む。エントランスからダイニングまでの距離はそう遠くないから、この一瞬で必要な情報を手に入れなければならない。

「医療院内部のマップだけを表示して、覚えろ。一分も時間はない」

半ば転がるようにくっついて来た少年を管理人室に突っ込んだヒューが、ダイニングを振り返って早口で呟くなり。

一瞬だけ、首の後ろにちりりとした奇妙な緊張感。

それがなんなのか思い出せずにヒューが少年を振り返った時には既に、彼は監視カメラからの映像が映し出されたままのモニターから視線を外していた。

「もう、大丈夫。ダウンロードしたから」

本物の緊張に頬を強張らせて気を失ったフリをしていた名残の、微かに上気した頬を緩めた少年が軽い靴音と共に管理人室から飛び出して来る。

何が起こったのか、一瞬ヒューにも理解出来なかった。

ダウンロード?

それは明らかに問い質したい単語ではあったが、ダイニング方向からエドワースの声が聞こえて、ヒューは一旦それを思考の片隅に追い遣った。

とにかく今は、この報告がクラバインかミナミにされる前にここを出なければならない。

喉まで出かかった質問を飲み下した銀色は、少年の手を取り特別官舎正面口に向かって走り出した。

「あ! 班長!」

「すまない。もう大丈夫だ」

ヒューは、エントランスに姿を見せたエドワースが叫んだのにそう言い返して、少年の手を離さないまま城の敷地内に逃げ込んだ。

          

           

特別官舎から城の施設まで繋がる通路を駆け抜けて、懐から取り出したIDカードが正常に認識されるのを祈りつつ、城内通路のドア横に備え付けられているスリットを通す。

「…クラバインのバカ真面目さに救われたな」

小さな箱の表面に浮んでいた「LOCK」の文字が消えて、ヒューは思わず苦笑いした。

エドワースの反応といい、ここの通路でヒューのIDが撥ねられなかったのといい、クラバインはやはり二人の逃走を「誰にも」報告していないと見て間違いないだろう。ただし、その幸運がどのくらい続くのかは、正直判らない。最悪、エドワースが何かを感じで特務室に問い合わせでもしたら、一発アウトだ。

城内を捜索されないうちに上級居住区まで辿り着きたいというのが、ヒューの希望だった。自分で飛び込んでおいてなんだが、この中で囲まれたらさすがに逃げ切る自信はない。

のろのろと開いたドアを素早く潜って城内通路に入ったヒューは、息を切らせてふらふらになっている少年の手を、ようやく離した。

小さくて華奢な手。

中身はさて置き、「殻」はアンなのだからあまりな無茶はさせられない。と、ちょっと思う。

いつだったか、体力のなさには自信があるとか言っていたし。

肩で息をしつつも、少年は顔を上げてヒューを見返し、にこりと微笑んだ。

「も…大丈…夫」

だから先に進もうと促されて、ヒューは幾分ゆっくりと歩き出した。

「この先で一旦城の敷地に出る。下手にあちこち歩き回って誰かに見つかると厄介だ。相当な危険を冒すハメになるだろうが、本丸から直接上級居住区に出る中央エレベータを使う」

「誰かに見つかったら、捕まるの?」

ぴくりと肩を震わせた少年の、どうにも幼い話し方に微か笑みを零し、ヒューが首を横に振る。

「すぐには捕まらない。クラバインが手を回していなければな。ただし、君が怪しまれるのは確実だろう。城詰めの近衛兵や衛視はみんな君…アンくんを見かけると笑顔で声を掛けて来る、いつも」

大抵の人間が恐れる魔道師であるにも関わらず、アンを知る者は少年を恐れたりしない。笑顔で送られる短い挨拶に笑顔で答え、他愛もない話に付き合うのがアンの健やかさの表れなのよと、電脳班のひめさまはまるで自分が褒められてでも居るかのように、嬉しそうに言っていた。

だから極力誰とも接触せずに上級庭園に逃げ込み、後は監視カメラと追っ手をかわして医療院に辿り着けばどうにかなる。

「そうなると、やっぱり問題はクラバインか…」

希望的な意見として、ミナミとハルヴァイトには事情を説明すればある程度理解してもらえると、ヒューは思っている。何度目かの報告の際アンが言っていた通りハルヴァイトたちが「幽霊」の正体に気付いているのだとすれば、もしかしたら、今アン少年の身に降りかかっている不可解な現象も予想しているかもしれない。

だから、そちらはいい。ミナミに多少「痛い所」を突かれそうな気はするが、先送りにしてもいっかな問題ない些細な事柄だから、まぁ、いい。

ただし、クラバインはそうも行かない。下手をすれば、ヒューの首が飛ぶ。

えらく切羽詰ってきたなと銀色は、敢えて城を通過するという、首の皮一枚でぷらぷら繋がっていた自分の首を叩き落すような行動に出ておきながら、ちょっとうんざりした。

無機質な灰色の壁面に囲まれた細長い通路を進み、もう一枚、いかにも愛想のない鉄扉に到達して、ヒューは再度IDカードをスロットに通した。ここでも難なくロックが解除されたのに、安堵にも似た吐息が洩れる。

この短い通路の中に閉じ込められれば、間違いなく袋の鼠だ。その状況から逃げ出すためには、右も左も上も下も閉じられた通路で、前か後ろからやって来る追っ手を倒す必要がある。

倒す事自体に問題はない。しかしながら本質的には、問題ないのが問題なのだが。

時間的には宵の口を過ぎているから王城周辺の人影も疎らだろうと考えながら、ヒューはいつもと同じに特別官舎通用口のドアを開け、城を取り囲む緑の奥に埋め込まれた無骨なそれを置き去りにして、背の高い緑がぽつりぽつりと佇む芝生に彩られた裏庭に出た。

「…う…わぁ」

途端、背後から感嘆の声が聞こえて、思わず振り返ってしまう。

少年が、ただでさえ大きな瞳を目一杯見開いて、ちかちかと瞬く小さな光やスポットライトで飾られた城の異様を見上げている。単純に、純粋に驚いているらしいその子供っぽい表情を、ヒューは少しだけ笑った。

「…城を見るのは、初めてか?」

「うん」

いつまでも立ち止まっているのは怪しいと思ったのだろうヒューが、さり気なく少年の背に手を回し、進めと促す。その柔らかな動きに押されて歩き出しても尚、厳冬の晴天を思わせる澄み切った水色は、白亜の尖塔群から逸れる事はなかった。

「誰が住んでるの?」

「人は住んでいない。これは住居じゃなく、この都市を安全に運行し平和に保つための施設だ」

「でも、夜なのに人が居る」

ほら。と少年が指差したのは、本丸正面大階段から見て右手に寄り添っている二号館の二階、丁度何かの小委員会が開催されていて、おまけに随分長引いているのだろう、煌々とした灯りの洩れる窓に幾つも人影が見えている。

「二十四時間営業なんだよ」

肩を竦めて言ったヒューに少年は、なぜか不満そうな顔を向けた。

「何も知らないと思って、バカにしてる」

拗ねた声で断言された銀色が、思わず吹き出す。

「してない。ここの中では色んな人間が色んな仕事に就いていて、二十四時間働いてるヤツだってちゃんといる。確かに「城」が都市の運行という機能を果たそうとするのは日中だけかもしれないが、「城」の機能を守ろうとする人間は、「今日」と「明日」の間にも休まない」

だから、二十四時間営業。と笑いを含んだ声で言い直されても、少年は少し不思議そうな表情で首を捻るばかりだった。それでもここがいっときの停滞もなく働き続ける場所だとは判ったのだろう、うん。と子供っぽく頷いて、正面の尖塔群に視線を向け直す。

「―――あなたは?」

裏庭の芝生を突っ切るように地面に描かれた散策路を歩いていた少年が、不意に手を伸ばしてヒューのコートの袖を掴んだ。

「俺?」

引き止められるような恰好になって歩調を緩めたヒューが、やや遅れ気味になっていた少年をちらりと振り返る。

「二十四時間働く人?」

あそこで。とでも言うように伸ばされた細い指が、城を指す。

「……俺も「君」も、あそこの中で二十四時間働く人だ」

呟くように答えて、ヒューは少年の腕を引き、足早に裏庭を通り抜けた。

  

   
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