■ 前へ戻る   ■ 次へ進む

      
   
   

番外編-9- ゴースト

   
         
(15)

     

<王城エリア一般居住区・各所>

だから…何がどうだからなのか良く判らないが…その一方が飛び込んで来た時の衝撃といったらなかった。

はぁ? でも、えぇ?! でもなく、余りにも驚き過ぎて誰も声を発する事さえ出来ない。

『おい、ちゃんと聞いてんのか? ギイル』

受け取った方の衝撃も去る事なから、発した方の呆れも相当だったのだろう、小さなモニターの中で片眉を上げたドレイクの顔は、おかしな笑みに崩れている。

『聞いてるよ』

どこに居てその多元中継に参加しているのか判らないギイルの腑抜けた声に、カインのものらしい溜め息が被った。その心境も判らなくはない。いや。この中継に参加している全ての人間の反応と心持ちは、多分、全ての人間が等しく共有しているはずだ。

         

「ヒュー・スレイサーのID反応を検知した。場所は特別官舎付近、城内通路のゲート」

        

血眼ではないがそれなりの逼迫感を持って居住区内を歩き回る数多の兵士を完全に掻い潜り、どうやってそこに辿り着いて、なんの目的があって城に潜入したのか。誰もがその理解不能の行動にうんざりと息を吐いた直後、ただ一人冷静さを失わなかったクラバインが硬い声で告げる。

『警備部隊、二十一連隊共に待機要員を本丸に配備。居住区捜索中の人員は至急城へ帰還。ミナミさん、特務室に残っている衛視にスレイサーとアンさんを探し、現在地を確認するよう通達を。その時、彼らの捕獲命令は一切明かさずに置くよう指示して貰えますか? わたしは現在地から城へ戻ります』

ブツッ。と、クラバインの怒りを示すように唐突に切れた通信に、言われたミナミが無表情に背筋を凍らせる。

『…怖ぇ、室長…』

思わず洩れた青年の小さな声に、通信を傍受していた誰もが無言で頷き同意した。

『城内待機の第三班に通信』

『通信を受諾しました。確認。…―――――』

ギイルの指示があったのか、副官の硬い呼び掛けに即座に応じたのは城に残っていた警備部隊の副通信士だった。短い遣り取りと同時に送信されたのだろう文字情報を読み上げる声が、当惑している。

それと前後して、似たような復唱が第二十一連隊の通信からも聞こえた。城に残っているのは二つの部隊合わせて十二名ほどだが、居住区で闇雲に歩き回るよりも包囲網は狭いだろうと、早口でまくし立てる二種類の声を聞きながらミナミは思う。

『ミラキ卿、城内IDカードチェッカーの読み込み記録、リアルタイムで見られんの?』

『いや、いくらなんでも距離が遠過ぎる。チェッカーに班長のID反応が出たってのは、アリスからの通信だ』

相互で指示を確認しあうギイルとカインを尻目に会話しているのだろう、ミナミとドレイクの声が聞こえる。何か考えているのか、それとも成り行きを見ているのか、ハルヴァイトに至っては気配も感じられなかったが。

『アリス、聞いてる?』

『ええ、聞いてるわよ』

電脳班執務室にも繋がっているらしい通信から、アリスのうんざりした声が聞こえる。

『チェッカーの反応、そのまま監視し続けて、ヒューの居場所が判ったら、それ…』

『監視するのは構わないけど、こっちの検索は完全後手よ? あたしの使ってる端末、ドレイクたちほど性能良くないもの』

追い回して追い詰めて足止めまで出来れば十全だが、いちいち後手となると逃げられるばかりかとミナミが溜め息のように呟いて、暫し。

『泳がせろ』

不意に、ハルヴァイトが冷たく言い放った。

『班長とアンを見失わないよう追跡するだけでいい。向うがなんらかの目的を持って逃げているのだとしたら、ここで重要なのは即刻取り押さえる事ではなく、その目的を割り出す事でしょう』

知りたいのは、目的。

「アン」が「何に」なってしまったのか、知る事。

『それとアリス、葬祭庁の司祭筆頭と連絡を取って、通信を回してくれませんか』

何をするつもりなのかハルヴァイトは、そう苦笑を含む声で呟いた。

           

         

<王城エリア一般居住区・三号大路途中>

赤灯の点火許可を得て大路を走り抜ける装甲フローターを道行く人がちらりと横目で見送る中、一台の小型フローターが路肩に停車する。

そこから渋い表情で降りて来たのは、漆黒の長上着に身を固めた白髪の男、ドレイク。

一旦車外に出ろとハルヴァイトに言われて大路の歩道に降りたドレイクの背中を見送ったミナミは、すぐに視線を正面に戻した。

フロントガラスに投影されたモニターを最大まで引き伸ばした、少々画質の荒いそこに映し出されたのは、白と見紛うような薄い灰色の髪を耳の辺りで切り揃えた少女のように小作りな顔の少年で、ミナミは正直驚いた。しかし、にこにこと棘のない笑顔を振り撒く面差しはいかにも紅顔の美少年という感じなのだが、密集した睫に曇るブルーグレーの双眸は酷く…この世の全てを見尽くして達観したかのように酷く穏やかとも、この世の全てを薄布一枚隔てた外側から無感情に眺めているかのように酷く冷めているとも取れた。

つまり、その幼い外見に見合わない不可解な深さなのだが。

始めまして。と少年…ジュサイアース・メルヒカニ司祭筆頭が、ミナミでさえ思わず目を瞠ってしまうような可憐なボーイソプラノで言う。

「お初にお目にかかります。早速なのですが」

ここでも一向に動じた風のないハルヴァイトがいきなり切り出した途端、ジュサイアースがくすくすと笑った。何が可笑しいのか。聞いているこちらまで表情の緩んでしまいそうな軽やかな声が、硬い静寂に沈む車内を少しだけ明るくする。

「…王下特務衛視団電脳班アン・ルー・ダイ魔導師の身に降りかかった、「不測の事態」についてのご理解は?」

もしかしたら少し気分を害したのかしれないハルヴァイトが柔らかさの欠片もない声で告げると、ジュサイアースは笑顔のままこくりと頷いた。

『「幽霊」とか言われてるんでしたっけね。でもそれ、ロストAIじゃないですよ?』

なんの衒いもなく戸惑いもなくそう言ったジュサイアースが小首を傾げる。

それでミナミは思わず、傍らのハルヴァイトを仰ぎ見てしまった。

『「都市ファイランの悪魔」はなんでもご存知のようですが、「都市ファイランの天使」には少々驚きの発言だったみたいですねー』

うふふ。と笑う。

ソレは。

『イレギュラー続きで本筋とは全然無関係ない話になりますけど』

童顔のアンよりも更に幼い印象のジュサイアースが、笑みを崩さずミナミを見つめる。色の薄い、ブルーグレーの瞳。

『「冥王」から色々と物騒なお知らせ来てますから、下手な行動取ったりすると速攻「グラップラー」派遣されちゃうんで、お気を付けて』

うふふ。と笑う。

ソレ。

「では、あなたは実働部隊ではないんですね」

確かめるようなハルヴァイトの冷たい声にも怯まず、ジュサイアースは柔らかく、この世の全てを暖かく見守る老人のように双眸を眇めて、いいえ。と答えた。

若い者たちがぶつけてくる感情を、あっさりと捌いて受け流すものの声で。

『僕は「ジェノサイダー」です』

          

殲滅の殺戮者。

         

ともすればその都市は。

跡形もなく消し去られてしまうのか。

『臨界は「約束」を信じてはいますが、あなた方を警戒していない訳じゃないですから。そちらが何もしなければこっちだって何もしませんけど、単に、そちらが何の行動を起こさなくてもこっちに不都合となったら、さっくり消滅ですよ』

だから自分なのだと含む物騒な事柄を、少年は笑顔のままさらりと言って退けた。

『それでえーと、実は何のご用でしょう』

小首を傾げる仕草も愛らしく、ジュサイアースが問う。それを冷たく見つめていたハルヴァイトはひとつ小さく息を吐き、直前までの物騒な会話をさっさと意識の外に追い出した。

「アンに取り憑いた「AI」の種類と存在領域をご存知でしたら、教えて頂きたいのですが」

先のジュサイアースの口調も、今のハルヴァイトの口調も、訊ねているという風情ではないとミナミは思った。どちらも何か腹に抱えた状態で、相手の知る情報を引き出そうとしているかのような、妙な違和感がある。

『残念ですが、こっちじゃ判らないです。事件が起こってすぐにファイラン階層の洗い出しを実行しましたが、二十年間も現実面と交信し続けていた領域は発見されなかったんで、別階層の廃棄レイヤーが突発的に繋がってしまった可能性もありますし』

「ではあれは、あなた方の監視下にないんですか」

『そういう事でーす。全階層を監察してる「マスター」辺りで検索すれば見つかるかもしれませんけど』

多層構造の「臨界」にはそれぞれ監視者としての「ピーパー(覗き屋)」と、現実面と臨界面における「不都合」解消のための実働部隊…これが「グラップラー」や「ジェノサイダー」に当たる…と、管理者としての「女王」が、浮遊都市一つにつき数名(というのもおかしな数え方だが)存在する。そしてそれらを統合管理する「マスター」というのが更に上の階層に居るのだが、マスターは事実上各階層へ干渉しない。

だから、ジュサイアースの発言は全てを否定していると思って差し支えないだろう。マスターでしか判らないという事は、下層部には知る権利さえないのだ。

「では、仮にそれが「AIコア」だったとして、その「AIコア」に何が起こっても臨界は手出しして来ないと思っていいんですね?」

ここだけしっかりと質問口調に戻ったハルヴァイトの顔を数秒間凝視してから、ジュサイアースは桜色の唇を綻ばせて、軽やかな声で笑った。

『お好きにどーぞ』

目の前でころころと笑う少年が実は「臨界の使者」である事実を内心うんざりと認め、ミナミは無表情ながら微かに眉を寄せた。そういうものが浮遊都市に居るとは知っていたが、「女王」や「冥王」とは違い日常的にそこに存在しているかもしれないとは、さすがの青年も考えていなかったのか。

「では、「それ」に侵入された「アン」そのものは、どうなっているんですか、今」

『そこなんですけどー』

その時になって始めて、ジュサイアースが笑みを消した。

難しい顔ではないが、嫌に真剣な面持ちでハルヴァイトとミナミを順番に見、それからふうと息を吐く。

『意識と本体…肉体か、が完全に切り離されてるのではないと思うんですよね、ぼくは』

言われて、ミナミが首を捻る。

「じゃぁ、アンくんはまだ本体? の中に居るって事?」

『気を失っているのでなければ、動き回る自分を眺めてる状態なんじゃないですか?』

「そりゃ随分…気持ち悪ぃな」

『同感ですね、都市ファイランの天使。しかも「それ」が動き回っている間「彼」は臨界と接続し続けている訳ですから、今の情況が長く続くのは頂けないですよ』

本心からそれを危惧しているのだろうジュサイアースは、幼い顔を不安げに曇らせて呟いた。

だとしたら。

「……即刻切断するべきだと、そう仰るんですか?」

剣呑な表情で片眉を吊り上げたハルヴァイトに向かって、ジュサイアースは重々しくひとつ頷いた。

『強制切断せず、自発的に「それ」を移動させなければ、「彼」の本体と臨界面でなんらかの事故が起こる可能性もある、と、僕は思います』

無垢な少年の外見を持つ人外はそう答えて、色の薄いブルーグレーの双眸で天使と悪魔を睨んだ。

  

   
 ■ 前へ戻る   ■ 次へ進む