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番外編-9- ゴースト |
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本丸へ侵入するのには、堂々と正面大階段を使った。 まばらにではあるが未だ貴族たちの出入りする正面大扉に繋がるそれならば逆に、ヒューとアンを見かけた近衛兵たちは遠目に会釈して来るが、わざわざ近付いて挨拶以上の会話を持ち掛けてくる心配はない。 果たして目論見通り、大扉が開いたタイミングを狙って階段を登り始めた二人の正面から数名の貴族が姿を見せると、点在する近衛兵たちはそれぞれ会釈したり微笑んだりしたが、足早に城内を目指すヒューたちを呼び止める者はなかった。 それでヒューはそのまま階段を登り切って正面エントランスに入り、いつも使う非常階段室でもなく、緩やかな螺旋を描く階段でもなく、向かって右に伸びる大回廊方向に爪先を向けた。 顔を伏せて付いて来る少年の気配を背中で確かめつつ、ヒューはいつもと同じ歩調でエントランスを突っ切り、大回廊に入ろうとする。このまま数十メートル進んで円筒形のエレベーターに乗り込んでしまえば、上級居住区までもう少しだ。 背後の少年がどこか苦しげに息を吐いたのに、ヒューが微か苦笑を漏らす。裏庭に出て城を目にした時は少々はしゃいで口数の増えた少年も、いつ捕まるか判らない状況を理解した途端、酷い緊張状態で口を開くどころか、満足に呼吸も出来ていないように見えた。 過呼吸か酸欠で倒れる前に目的地に到着できればいいなと、ヒューが少しだけ微笑ましく考えた、瞬間。 「あ、班長」 大回廊に踏み込み少し進んだヒューたちを、腑抜けた声が引きとめた。 俄かに緊張の度合いを増し頬を引き攣らせた少年の気配を感じつつ、ヒューが何食わぬ顔で背後…声の主を振り返る。 「どうした、ジル。こんな所をうろうろしてるなんて珍しいな」 平素と変わらぬ口調で呼び掛けに答えたヒューは、背後の少年の腕を取って、エントランス方向から現われたジリアンとの間に自分を挟む様移動させながら、奥に見える大きな観葉植物の鉢のある辺りを視線で示した。 艶やかな緑の陰には、上級庭園へ繋がるエレベーターの昇降口がある。 行け。と小さく呟いて少年をそちらへ押し遣ってからジリアンに視線を戻せば、黒髪の青年はセルフレームの眼鏡を指で押し上げ、足早にヒューへ近付きつつ携帯端末を取り出している所だった。 しくじったかと、ヒューのサファイヤがやや剣呑な光を帯びる。 「今度は何しでかしたんですか? 班長。さっき室長が物凄いおっかない顔で電信して来て、班長とアンさんを見つけたらすぐ連絡寄越せとか、滅茶苦茶不機嫌そうに言ってましたけど」 「特別官舎を突破して来たからじゃないか?」 「はぁ?」 なんですか、それ。などと言いつつ苦笑するジリアンはそれでも、一時の停滞もなく携帯端末を開き短縮ダイアルをぴこりと押している。その様子をじっと見つめるヒューの背後では、エレベータに到達した少年が必死になって上昇ボタンを連打しているのが気配で読み取れた。 「ジリアンです、今…」 回線オープンを報せる電子音と同時に、ヒューはエレベーターと少年を振り返った。ゲート脇の階層表示とヒューの顔を不安げに見比べる少年の頬が微か緩んだのに、銀色はそろそろ時間だと腹を括る。 「ええ、班長とア…」 「今どこだ、クラバイン。後どのくらいでこっちに戻ってこられる?」 ヒューは、ジリアンの意識が小さなモニターに向いている隙を狙い、まるでクラバインの帰還を待つ者のような口振りで小さく声を掛けた。 「え? あ。室長、今どこですか?」 クラバインに話しかけているようにしながら携帯端末では拾えない絶妙の大きさで問われて、ジリアンが思わず顔を上げる。虚を突いたそれに惑わされて繰り出された、平凡な質問。 ポン。と、エレベーターが到着したらしい柔らかなベルの音が大回廊に密かに響き。 「一般居住区十一丁目の―――」 一旦モニターに視線を戻した青年が、クラバインの言う通りに伝えかけて再度顔を上げようとした、直前。 「どうも」 ヒューは衣擦れ一つなくジリアンに迫ると、その手の中の携帯端末を取り上げてパタリと閉じ、ぽかんとする青年の手にまた突っ込んだ。 「え?」 突っ込むのと同時に踵を返したヒューは、ジリアンが何か行動に出る隙を与えず、口を開けたエレベーターから顔だけを覗かせている少年に駆け寄り、閉じかけたドアの隙間から中に滑り込んだ。 「なんでもいい、でたらめに押しておけ」 完全にドアが閉じる寸前ジリアンの叫び声が聞こえたがそれを無視して、クローズボタンを必死に押す少年に素早く指示する。クラバインが到着するまで約十五分と予想して、その短時間で目的地までの距離を縮めて置くための行動に切り替える。 少年はヒューに言われた通り、ずらりと並ぶ階層ボタンを闇雲に四つ程押した。 点灯したボタンを見つめながらヒューは、どうせ気休めだと内心溜め息を吐いた。すぐにクラバインは城に着くだろう。それと前後して、ミナミ、ハルヴァイト、ドレイクも到着し、そうなれば城中の監視カメラが敵に回る。 ぶつかって一番厄介なのはクラバインに変わりはないだろうと銀色は、緩やかに流れる階層表示の点灯を不安げに見上げる少年の後頭部をぼんやり眺めて考えた。直接当たって嫌なのは堅物の上官だが、近くに居るだけで厄介なのは、他でもないドレイクだ。 「…強行するか…」 ドレイクが城内に踏み込んだら、もうこちらに勝ち目はない。あれは瞬間で全てを見通す「目」を手に入れ、薄暗い倉庫の片隅まで覗いて来る。 ならば、そうなるぎりぎりまで距離を詰め、後は少年一人をステラの所にやった方がいい。少年の目的を達成するために、「ヒュー自身」は必要ないのだから。 二十一階で停まったエレベーターを乗り捨てて、ヒューと少年は大回廊を走り出した。ここらは城内小委員会会議室の並ぶ区域で、この時間、廊下をうろうろと歩く人影もない。 だから二人はいつの間にか手を取り合って、大回廊の突き当たりにある通用扉を目指した。
<本丸・正面エレベーター前> 「四階、十二階、十三階、それと二十一階ですね」 再度開いた携帯端末を胸元に掲げたまま、ジリアンはエレベーター横で点灯している数字を淡々と読み上げた。 『気付かれたって、思う?』 報告されたエレベーターの行き先などどうでもいいように、小さなモニターの中の上官がいつもと同じに平坦な声で問うて来たのに、セルフレーム眼鏡のつるを指で抓んで押し上げた青年が、少しだけ首を斜めに傾けた。 「どうでしょう。室長の事は相当警戒してるみたいでしたが、だから逆に、班長は室長の性格を踏まえて行動してるんじゃないかと思ったんで、あえてこっちが何か知ってる素振りは見せてないんですよ。それに騙されててくれれば、まさか泳がせられてるとは思ってないんじゃないでしょうか」 滑るように上昇する点滅と、一つ、また一つと消えて行く、点灯。目に見えないエレベーターの動きが手に取るように判るそれから視線を逸らさないまま、ジリアンはモニターの中のミナミが口を開くのを待った。 任務中に衛視が魔導師を連れて「逃げた」などという、特務室始まって以来の大事件を、クラバインが例え部下にでも明かす訳はないというのがヒューの予想であり、実際あの生真面目さを前面に押し出した責任者は、自らだけが行動し部下には何の指示どころか、事情の説明もしていない。 それがクラバイン風に事を穏便に済ませようとしている情けではないと、ジリアンもミナミも思っている。それどころか、あの室長は見た目を裏切って相当な武芸者であり、特務室では問題のヒューに勝るとも劣らない武闘派だと言ってしまっていいくらいなのだから、正直、部下の不始末のケリを一人で着けに行ったと考えるのが妥当だろう。 しかし特務室にはもう一人、「全てに対して天地がひっくり返るようなイレギュラーをけろりと犯す最強最悪の天使」、という上官が居る。 結果ミナミは、事件発覚直後クラバインから下された、「この事は部下にも明かさずにいてください」という命令をあっさり蹴飛ばし、ヒューとアンが城に向かったという報告を受けるなり、特務室に居残っていたジリアンに連絡して一切の事情を説明し、二人に接触するよう言い付けたのだ。 『ヒューの洞察力が全部室長に向いててくれたらいいなって、祈っとくか』 追跡者とは思えないミナミの暢気な台詞に、ジリアンが色の濃い双眸を眇めて笑う。やや癖のある黒髪と黒縁のセルフレーム眼鏡が特徴的なこの青年は、見た目の真面目そうな印象を裏切って相当茶目っ気が強く、こうやってにんまり笑うといかにもいたずらっ子のように見えた。 『…そろそろ、居残りの警備部隊とか、そっち着く頃じゃねぇ?』 モニターの中で腕のクロノグラフを差し上げたミナミが呟き、ジリアンはエレベータの横に掲げられている時計を見遣った。まだ二人は特別官舎近くだと嘘を言って追い払った連中が近衛兵辺りの証言を聞いてこちらに戻ってくるまで、もう数分もないだろう。 「どうしましょうか、アイリー次長」 気のない風にさらりと問いつつ、ジリアンはまだ時計を見つめている。その無表情に近い顔を数秒間見つめてから上官は、ふと薄い唇にだけ笑みを載せた。 『俺たちが知りてぇのは、ヒューとアンくんの目的』 とりあえずはな。と言い足したミナミを、ゆっくりと動いたジリアンの瞳が捉える。 「好きにやっていいですか?」 今度は明らかな質問口調に、ミナミは迷わず頷いた。 多分、と金髪の青年は思う。 多分、この青年も「特務室の衛視」である働きをするはずだ。 『うん、任す』 こくりと頷いたミナミに満面の、それこそ、いたずらを思いついた屈託ない子供のような邪気ない笑顔を見せてからジリアンは、こう、きっぱりと言い放った。 「じゃ、雑魚は適当に追い払って、時限式の爆弾投入で!」
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