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番外編-9- ゴースト

   
         
(17)

     

<本丸・正面エレベーター前>

カーキ色の制服に身を包んだ十数名がその場に現われた時、ジリアンは慌てたような顔で必死にエレベーターボックス直通の緊急通話ボタンを連打していた。

「ホーネット衛視?」

その青年の背に訝しそうな声を掛けてきたのが予想通りの人物だったのに、ジリアンが内心にやりと笑う。

「あ! 良かった! 皆さん、至急地下の車輌庫に向かって貰えませんか! つい今しがた班長とアンさんがエレベーターに駆け込んだ直後、誤作動か何かで全階層のドアが緊急ロックされてしまって…。ああ、ゴンドラは安全確保のため地下に降りたと思うんですけど、班長たち、事情を知らないでしょうから、中でびっくりしてるんじゃないかと」

呼ばれて、さも慌しくエレベータの傍を離れたジリアンが、先頭になって滑り込んで来た…彼女…の顔を見上げて言うなり、城内捜索を言い渡され特別官舎周辺を走り回っていた第二十一連隊の居残り組と、正面大門付近から本丸に繋がるルートを洗っていた電脳班直属部隊の残留組が、一斉に目配せしあって踵を返す。

それに倣って、一礼してから自らも踵を返そうとした彼女…キャロン・ヒス・ゴッヘルを、ジリアンは、あの! とわざと大きな声で呼び止めた。

「? どうかしましたか、ホーネット衛視」

「すいませんがミス・ゴッヘル、ちょっと、携帯端末貸して貰えませんか?」

エレベータの緊急ロックの通知を受け、慌てて執務室を飛び出して来たもので忘れてしまったんです。などと、妙ににこやかに言うジリアンを、呼び止められたキャロンが奇妙な表情で見下ろす。

見つめられて、てへへー、と子供のような顔で恥ずかしそうに笑う青年は、意外と慌て者なのだろうかとキャロンは内心首を捻った。いくら急いでいたからといって大事な端末を放り出してくるなど、特務室の教育はどうなっているのか。

とか、ちょっと思ってみる。

「キャロン?」

一向に着いて来ない彼女を気にして振り返った同僚に、キャロンは軽く手を挙げて「先に行っててくれ」と顔も向けずに言い放った。同時に懐から取り出した携帯端末をジリアンに渡す。

それを見た同僚が足早にエントランスへと駆け込んで行く背中を見送り、ジリアンは、たった今受け取ったばかりの端末を開きもせずにキャロンへと押し返した。

「?」

訳も判らず返された端末とジリアンの顔を見比べるキャロンを無視して、黒髪の青年は背中に隠していた自分の端末をさっと取り出すと、すぐさまアリスを呼び出した。

瞬間的に、青年の表情が変わる。どこかぴしりと締まったその顔に、キャロンは少し驚いた。

「今、残留組が地下に降りて行ったので、地下通路を放射状に探索するよう指示して貰えますか? ひめさま」

『いいわよ、OK。で? 君は何をするつもりなの、ジル』

「いたずらー」

これもまた瞬間、先に見せた衛視然とした表情を消しくすりと笑ったジリアンは、端末を閉じるのと同時にキャロンを促して、エレベーター正面にある待合所に飛び込んだ。

「ホーネット衛視?」

「ちょっと待っててください、ミス・ゴッヘル。今説明しますから」

無人の待合所に備え付けてある通信用の端末に取り付くなり、ジリアンは自分の携帯端末とそれをケーブルで繋ぎ、素晴らしい手際でキーボードを操作し始めた。通常ならマウスを使うような場面でもショートカットキーを駆使し、さくさくと何かを打ち込んで、数十秒後には画面にどこかの白黒映像が幾つも映し出され始める。

何をしているのか。キャロンがいかにも不審そうに眉を寄せると、ようやく、ジリアンは口を開いた。

「端的に言って、たかが十数名で班長を捕まえようなんて、無理です。ですから、使えない雑魚をぶつけるよりも、「手を出せない相手」を一人差し向けた方が効率いいと思うんですよ」

かたかたと恐ろしい速さで打ち込まれる文字列。不必要なものが刹那で斬り捨てられ、次々新しくなる映像の数々。

呆気に取られて見つめて来るキャロンを片頬で笑い、ジリアンは続ける。

「あ、いた。…それで、ミス・ゴッヘルには」

モニターの中に点在する小さな画像を掠める、長身の人影。それを追いかける華奢な背中を認めて、キャロンは空色の目を細めた。

「班長は、ミス・ゴッヘルに「だけ」は絶対手を出せません。だからあなたには、班長とアンさんを引き離すために先回りして貰います」

先回り、とジリアンは言うが、果たしてどこを走り回ってどこへ行こうとしているのか判らない二人を待ち伏せ出来るものなのだろうかと考えるキャロンを裏切って、徐々に、表示される画像を人影が横切る回数が増えて来る。どんな手品なのか、黒髪の青年はいつの間にか、映像が二人の背中を拾う前に受像対象カメラを切り替えているようだった。

始めは走り去った後の空白で。

次には翻る濃色のコートの裾だったり少年の背中だったりして。

そのうち画像の中央にあの長身が映し出され。

ついに。

「ビンゴ」

平凡な廊下の風景に飛び込んで来る、ヒューと少年。

その手際の良いのにキャロンは益々難しい顔で唸った。闇雲にカメラを切り替えていたのは既に過去の事で、今やジリアンには彼らの爪先の向きさえ判っているのか。

「このルートだと、外周に出るのかな…。んー、班長一人ならそれもありだけど、アンさんが一緒じゃあのキャットウォークを使ってどこかの階に忍び込むのは無茶か。それでも、この廊下を使って…」

こっちのドアから出て来る。と断言したジリアンの細い指がキーを叩き、新しい画像が表示されて、一呼吸、またも前方を横切る二つの人影。

そこでようやくキャロンは、ジリアンがあてずっぽうな「予想」だけを働かせているのではないと気付いた。身を屈めた不自然な姿勢で端末を操作する青年には何らかの根拠があって、彼らの「先回り」をしているのだ。

もしかしてこの青年はとんでもなく頭の回転がいいのだろうかとキャロンが呆気に取られている中、ジリアンは眉間に皺を寄せて眼鏡のフレームを指でこつこつ叩き始めた。

「外周じゃなくて、このルート…。まさか陛下の首を取るつもりじゃないんなら…」

その物騒な独り言にキャロンが思わず目を剥く。

「…どっちだろう」

更にぶつぶつと何かを口の中で呟きつつ、ジリアンは二つ、まだ人影のない映像をモニターに呼び出した。

一つは、キャロンには皆目どこなのか見当も付かない、平凡な廊下。もう一つは、明らかに薄暗くて狭い螺旋階段が映し出されている。

それがどこなのか訪ねようとキャロンがジリアンの横顔に視線を向けた途端、青年は広げた手を彼女の顔の前に翳し、少し待てと示した。

じりじりと過ぎる、数秒か、数十秒。

笑みもなく、しかし慌てるでもない平凡な表情でモニターを見つめる、青年の横顔。

それまで沈黙を保っていた、画質の悪い映像がちらと揺れた。

「…追い詰めた」

音のない世界で二つの人影が動いたのは、螺旋階段の方だった。

「これは、どこだ?」

やや機嫌の悪そうなキャロンの声音に、ジリアンがくりっと顔だけを向けて微笑む。ぞんざいな口調を咎められても文句は言えない下級兵士である彼女に、青年は何も言いはしないけれど。

「本丸二時半方向にある、上級庭園への直通通路ですよ、ミス・ゴッヘル。警備兵は使えない場所です」

手短にそう説明するなりジリアンは、携帯端末を外してから通信端末の電源を落として、更に本体後方のゲートを開きその中のハードディスクを引っこ抜いた。その光景を不思議そうに見つめるキャロンににこりと微笑んで、着いて来いと視線だけで促す。

「証拠隠滅しとかなくちゃ」

肩の高さに掲げたハードディスクを左右に揺らしながら、ジリアンは悠々とした足取りで正面のエレベーターに向かった。

廊下を突っ切るだけという移動の後、青年は待たせていたエレベーターの開閉ボタンを押してキャロンを先に通し、それに乗り込んだ。まずジリアンがぽんと押したボタンの表示は、特務室のある階層だった。

「留守番ごくろーさん。でさ、直通エレベーターんとこまで来ててくれない? あと十秒くらいで着くから」

誰に連絡しているのか、ジリアンが開いた携帯端末に向って、あまりにも平然と無茶を言う。特務室からエレベーターまでの距離がどれだけあるのかは知らないが、残り時間十秒以下で待ち構えろなんて、どんな神業を使えというのか。

呆気に取られて見下ろしてくるキャロンの視線を完全に無視したジリアンが、見つめていた階層表示から正面に顔を向けた途端、ポーン、という腑抜けたベルの音が小さな箱の中に転がり落ち、スライド式のドアがゆっくりと開く。果たして十秒で誰が来ているのか、それとも着いていないのかと密かに期待したキャロンを裏切って、当然のように、ジリアンに呼び出されたのだろう衛視の一人が、開口部へと水平に滑り込んで来た。

結果、待つ事には失敗したがジリアンを待たせた訳でもない、つまりは同着で息を切らしている同僚に微笑みかけもせず、青年は手の中に在ったハードディスクを開ききったドアからぽんと放った。

「磁気ダスターに突っ込んでて」

慌てた風なくそれを受け取った衛視が頷くのを最後まで待たずに、またエレベータのドアが閉まる。再来の静寂。今度は余分な思考を巡らす話題もなく、キャロンは仕方なしに姿勢を正した。

「ホーネット衛視」

「なんです?」

キャロンが踏み込んで来るのを待っていたのだろうジリアンは、やや力を込めたハスキー・ヴォイスで名前を呼ばれるなり、にこにこと邪気のない…しかし、この表情を前にするとなぜか特務室の連中は我先に部屋を逃げ出すのだが…笑顔で振り返った。

「そろそろ、何の目的でどこへ向かっているのか、お話願いたいのですが」

小柄ではないが大きくもないジリアンの見上げる先にある、色の薄い金髪と明るく透き通った青い目。目の色、髪の色に始まって、その凛々しい美貌まで完璧に「派手」なアリスとは違う印象のキャロンに再度笑みを見せてから、青年は重たく頷いた。

「今二人が駆け上がってる階段の、上級庭園側の出入り口は一箇所しかないので、とりあえずミス・ゴッヘルにはそこで班長を待ち伏せして貰います」

決して強い口調ではないが拒否を許さぬ言い方に、キャロンが微か眉を寄せて渋々ながら顎を引く。その鈍い動作が、了承の意を示しながらも顔に不本意と書いてあるように思えて、ジリアンは薄く口の端を吊り上げた。

「ミス・ゴッヘルの目的は先にも言った通り、班長とアンさんを引き離す事です」

「…隊には、捕獲命令が出ているのですが」

隊に出されたのとは微妙に趣旨の違う命令に納得行かないのだろうキャロンが、固い表情でジリアンを見つめる。衛視の命令をどうあっても蹴れるとは思っていないようだが、自分の中で消化出来ないまま言いなりになるのにも、多少抵抗があるのだろう。

「ですから、本当に、それは無理です」

何せ、一人はさて置き、実際抵抗して来るのはあの「ヒュー・スレイサー」だ。と、考えただけでもげんなりするほど、無理。

もしかしてここでキャロンを含む一般警備部第二十一連隊の面々に、ヒューが機械式との一対多数組み手に辛勝していると…本人に言ったら、向こう一ヶ月は機嫌が傾いたままになるのだろうが…教えたら、彼らもまた直属部隊のように自棄を起こすのか。

「際限なく人海戦術と物理的攻撃を加えるならまた別ですけど、普通に考えるなら、警備部隊と二十一連隊の全員が束になってかかっても、班長とアンさんを捕獲するのは、無理ですね」

その、あまりにもきっぱりした言い方にキャロンはますます眉を寄せた。

「ホーネット衛視が同僚のスレイサー衛視を非常に信頼しているのは結構だが…」

静かな口調に少々棘を孕んでキャロンが呟いたのを、ジリアンがくすりと笑う。確かに、自分の発言がそう聞こえるかもしれないのは否定しないが、真意は別にある。

「同僚ねぇ、まぁ、一応そうなんですが…。ボクが本当に班長を同僚として信頼してるなら、今ここで貴方をぶつけるなんて卑怯な手、使わないと思いますよ?」

よく見れば毛先が落ち着きなくうねった黒髪と、黒縁のセルフレーム眼鏡越しの色の濃い瞳。どこかしら生真面目そうな横顔をキャロンに晒したまま、ジリアンはゆっくりと唇の端を吊り上げた。

「今ボクは班長を、同僚としてというよりはヒュー・スレイサー個人として評価してます。あの人は、意味のない闘争と暴力を好みません。ただし、何かを守ろうとする時は絶対に退いたりしません。責任転嫁されるのは平気でも、自分の行動が周囲に多大な影響を与えるのを良しとはしませんよ」

「…周りに迷惑をかけるなというのは別に、改めて言われる程の事でもないだろう。人として、誰もが心掛けなければならない常識だ」

ますます不快げな空気を撒き散らしつつ嘆息したキャロンの呆れ顔を見上げて、ジリアンは眼鏡の奥の双眸を眇めた。

「そうですよね、常識です。でも、人は時々自分に甘くなるし、そもそも物事を自分の都合のいいように考えたがるものです。この程度なら許されるとか、上手く言い訳すれば切り抜けられるとか、そういう風に」

「貴方の話はおかしい、ホーネット衛視。今現在スレイサー衛視がこれだけ周囲を騒がせているのは、では、どういう事なんだ」

「ヒントはアンさんで、班長が今最優先に行動してるのは「どうしても退けない理由」なんじゃないかなって」

そのために、全てを斬り捨てて。

「で、そこに貴方が投入されるという事は、班長はつまり…」

身動きが取れなくなるはずだ。と、ジリアンは笑顔で答えた。

「それでなぜ、わたしを投入するのが「卑怯な手」なんだ」

一体この青年の頭の中はどうなっているだろうと内心うんざりしつつ、キャロンは敢えて話を先に進めてみた。ここでヒュー・スレイサーについてああだこうだと言い合っても、何も解決しそうにないと思ったからか。

文字盤の上を高速で滑る光が、上級階層への接近を告げる。追っているはずのダーゲットはもうとうに追い越してしまっただろうなと、キャロンはなんとなく考えた。

「あなたに怪我でもさせたら、特務室も電脳班も上層部総入れ替えですからね。アンさんはいわずもがな、アイリー次長もガリュー班長もミラキ副長も、…ナヴィ連隊長だって…、クビ斬られますし」

上官の部分でだけ微妙な間合いがあったのがちょっと気になったが、それは追求しないでおく。というよりも、キャロン自身ジリアンに言われるまでそれに気付いていなかったから、酷く驚いてしまって追求どころではないのだ。

「待て、それは卑怯じゃないのか!」

ぶん! と音が鳴りそうな勢いでジリアンを振り返ったキャロンが語気荒く言い放つと、青年はさも可笑しげに頬を緩めた。

「だから、最初から卑怯な手だって言いましたよ」

相手はこちらに手出し出来ない。そう、見事に。軽く腕を一薙ぎしただけでそこらの警備兵なら床に転がせるような豪腕が、全く持って無抵抗に拘束されるかただひたすら逃げ続けるかのどちらかしか選択できない程に。

ちらりと上目遣いで見上げられ、キャロンは背筋を凍らせた。

特務室とは、なんと恐ろしい場所なのか。例え現在進行形の同僚がターゲットだとしても、彼らは迷わず最悪の手に打って出る。

「一応ボクの名誉のために言っておくなら、ミス・ゴッヘルが無事班長を抑えられれば最終兵器を黙らせる手を考える事も出来ますが、失敗すればそれこそ、問答無用でファイラン頂上決戦みたなのが人知れず勃発しますよ?」

すうと流れるようにキャロンの顔から視線を外したジリアンが、そこだけ重苦しい声で呟く。小さな四角い箱の中に俄かに降りた冷たい空気に、知らず、女警備兵はごくりと固唾を飲んだ。

「…何が怖いって、室長が本気なのが、一番怖いと思うんだよなぁ…」

それでようやくキャロンは、この青年が実はヒューとクラバインの全面対決を避けるために、敢えて汚い手を使おうとしているのだと、ようやく…いまひとつ納得行かないまでも…判った。

  

   
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