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番外編-9- ゴースト

   
         
(20)

     

<上級居住区…エレベータ付近>

見事と言うか天晴れと言うか、はたまた余程の馬鹿か自信家か…。

「どっちにしても舐められ放題舐められてんだよなぁ、オレたちは」

「どちらかというと、踊らされてる感じですけどね」

殆どヤケクソ気分で上級居住区昇降口に駆け付けたギイルを待ち構えていたのは、待機の部下が地下層を這いずっているという意味不明の報告と、一足先に到着していた二十一連隊の大将が乙女座りで地べたに泣き崩れている、けったいな状況だった。

その後、涙ながらに現状を説明するカインをかわいそうなものを見る目で眺めていたギイルと副官のサリフがようやく交わした会話が、冒頭のものだ。

とにかく。

「やるに事欠いて城ん中突っ切って天辺まで行くたぁ、さすがはスレイサー衛視…容赦ねぇ」

「しかも今すぐ上がって来いと命令までして来るんですから、大したものというか」

はぁ。とがっくり肩を落として嘆息したサリフの背中をぽんと叩き、ギイルも大きな背を丸めて溜め息を吐いた。

そうなのだ。つまり。

「…もうだめ…ボク立ち直れない…」

赤い髪を小刻みに震わせながら嗚咽を漏らしていたカインが、項垂れたままぼそりと漏らす。その声には、覇気というか力というかが全くなかった。

「追いかけてるはずのターゲットに「ちょっと来い」とか言われちゃうボクって、一体どうよ!?」

そうなのです。つまり。

「―――同感だな…」

全ては、ヒュー・スレイサーが悪いのです。

「ボクだって、たまには怒るよ?」

不意に、すぐ脇に立っていたギイルにさえ聞き取り難い声で低く呟いたカインは、地面に押し付けた両の手を固く拳を握り締め、隙間なく敷き詰められたモザイクタイルを睨んだ。

「ボクにだってね、部下を守り率先して現場に飛び込むくらいの勇気、あるんだよ!」

へー、あるんだ。なんて事をギイルとサリフが目で語り合った直後、カインはいきなり立ち上がった。

「ヘルゲール!」

いつもは情けなくおしまいの下がった眉をきりきりと吊り上げ、いつもはどこか潤んだように焦点の定まらない優しげな亜麻色に黒い(!)気概を漲らせて、ガッ! と長靴の踵を鳴らし、その場に仁王立ちするカイン。

もしかしてこう、くるくるーっと丸めた鞭など持たせたら似合いそうだよなぁ。なんて事を、ギイルとサリフが空気で確認し合った直後、腕組みしたカインの斜め後ろに、呼ばれたヘルゲールがぴたりと寄り添う。その耳元に何事かをぼそぼそと呟いて目配せしたカインが彼を下がらせるなり、何をどう指示されたのか知らないが、副官は踵を返して連隊長から離れつつてきぱきと部下を動かし始めていた。

「キース部隊長」

不意に、一瞬だけ何かを考え込むような顔をしたカインが、すぐ亜麻色の視線を振り上げて佇むギイルを睨む。その…普段の情けなさなど綺麗に拭い去った冷たい表情に…どこぞのひめさまがぱちりと被って、ギイルはなんとなく戸惑った。

「ボクの指示する通りに、全隊員を動かして貰えますか? とにかく今は、スレイサー衛視の位置を確認して逃走ルートを割り出す事にだけボクらは専念するべきです。最終的に彼を捕獲するための、キャロンを含む実働部隊を先回りさせる事になりますが」

にこりともせず。

ましてや、涙目で洟を啜りながらでもなく。

駆け寄って来た通信士の差し出すインカムをひったくって装着しながら、カインはぴしゃりと言い切って呆然とするギイルに背を向ける。

その後の彼の手際は素晴らしかった。

いつの間にか支度されていたパイプ椅子にどかりと腰を落としたカインが足を組み終わるのと同時に横から滑り込んで来た簡易デスクに端末が設置され、上級居住区の立体映像が立ち上げられる。それを細めた亜麻色の瞳で睨んだ連隊長が停滞なく、且つ素早く兵士に振り分けられている認識番号を小さなマイクに向かって囁くと、半透明の光景に幾つもの点が浮かび上がった。

「警備部隊の班構成は?」

「三名を一チームとして六班だ」

きりりとした声で問われてギイルがすかさず答える。その、戸惑いも悩みもない即答にカインは頷き、素早く六つの光点を地図に書き加えた。

「ターゲットの目撃情報と接触地点を表示しろ」

多分、マスターシステムを操っている通信士に指示を出しているのだろう台詞が終わるか終わらないうちに、地図には更に光点が増えた。二十一連隊は緑、警備部隊は紫、そして、最後に加えられたのは数個の赤い光。

「総員班隊番号の示す地点に即刻移動せよ。指示には迅速に反応しろ。ターゲットの捕獲はキャロン配下の実働部隊が行う。他の班隊はターゲットを指定の場所に追い込む事にだけ専念しろ。オーバー」

指示終了の決まり文句の後に続く、了解の声。カインはそれを聞きながら背後に立つギイルを振り返り、軽く顎をしゃくってモニターを見ろと促した。

「上級居住区に点在する移動通路の辻、いわゆる広場に班隊を待機させて近づけないように塞ぎ、ターゲットを医療院前の車寄せに誘導する。ギイル部隊長はすぐ直通エレベーターまで戻って「隠し玉」を拾い、医療院前まで直行してください」

「隠し玉? ってのは…」

「行けば判ります。ターゲット…スレイサー衛視の出した条件は「キャロンにだけ彼を捕獲する直接行動に出る事を許可する」というものですが、それを聞いてやる義理はこちらにない」

ぴしゃりと言い切ったカインの怖さに、ギイルは思わず肩を竦めた。確かに、言われてみればそうかもしれない。しかし、いきなり約束なんかクソ食らえ的発言はどうかと思う。

「言いたかねぇが、スレイサーは自分の約束を守ってヒス・ゴッヘル嬢以外の隊員にゃ抵抗しねぇで逃げ回るだけだぜ? そんな…正々堂々やろうってヤツを袋叩きにするような真似ぁ、オレの主義じゃねぇんだけどな」

太い眉を不快げに吊り上げたギイルの顔を冷たく見上げ、カインは唇の端で微かに孤を描いた。

「勿論、こちらだって全部を綺麗に反古にしようなんて思っていないよ。ただし、その条件に当てはまらない人物をキャロンと同時にぶつけようとしてるだけ。

「彼」については、例えスレイサー衛視がどんな条件を出して来ていても適用されないし、スレイサー衛視も、「彼」が黙って言う事を利いてくれるなんて思ってないだろうからね」

ふん、と鼻息荒く言い捨てられて、ギイルはもう一度首を竦めた。怖ぇ怖ぇ。気弱そうに涙目で周りの保護欲を掻き立てている普段からは考えられない冷徹な思考に、これもまたあの「ナヴィ家」の者なのだと知らされたような気がした。

しかし一方で、なるほどと納得したのも事実だ。へなへなと生っちょろい所ばかり見せられているとなぜこの気弱そうな男が連隊長になれたのかと思わないでもないか、普段のアレが実はこの本性を発揮するための隠れ蓑なのだとしたら、とんだ策士だろう。

さっさと行けと手で追い払われて、ギイルは無言のまま踵を返した。何か腹にごわごわしたものが溜まっている不快さは捨て切れないが、ここでこれ以上ゴネてヒュー捕獲の機会を逃すのも、得策ではない。

が、しかし。

ボクサーがダウン間際に出すへろへろの負け惜しみパンチを相手の顔面に叩き込むくらいの報復は、許して欲しい。

ふーん。と意味もなく感心したような呟きを漏らしてから、ギイルは首だけを回してカインの後ろ姿をちらりと見遣った。

「素朴な疑問。連隊長が意外に腹黒だって事になるとだなぁ、んじゃぁ、あの眼鏡と連隊長の、どっちが上なんだ? って気にならねぇ?」

「……。そんなのどっちでもいいでしょ! キース部隊長のスケベっ!」

さっきまでの勢いはどこへやら、いきなり耳まで真っ赤になって言い返して来たカインを置き去りに、ギイルは腹の底から笑いながら大股で歩き出した。

「…で、どっちが上なんですかね、たいちょー」

「オレが知るかよ。後であの眼鏡に訊け」

「その、「眼鏡」って誰ですか…」

「教えねぇ」

小走りに追い掛けてきながらヘルゲールが言ったのに、ギイルは人悪く笑いながらそんな冷たい事をほざいた。

  

   
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