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EX+1 ほろ苦ストロベリ

   
         
(8)

     

『アンさんへ

やっぱり、ボク、ダメなのかな。

マキ』

       

        

教養クラスBの眼鏡少年、リフェール・プラドがジンとリックのランチタイムに参加するようになって、三日目。数ヵ月後に開催される学園祭の会議資料を作るのに少々時間を取ってから中庭に行くよと苦しい言い訳をしつつ極力ランチの時間を短くするのも、実のない会話に愛想笑いで答えるのも既に辛くなってきたのか、四時間目が始まる前、リックは自分の机に突っ伏して唸っていた。

「マジで、もう勘弁して、ジンちゃん」

「…気持ち悪い呼び方をするな。もう少しだから、耐えろ」

こちらもこめかみを指で押しながら、ジンがリックを宥める。

「ホントにもうちょいなんだろうな、ジン。これでお前のアテ外れとか言ったら、オレグレんぞ!」

がばっと音がしそうな勢いで上半身を起こしたリックをじろりと睨んだジンが、冷淡な口調で切り返した。

「今更それ以上どうやってグレるつもりだ」

「夜遊びとか、不純交友とか、クラブで豪遊とか」

「―――今と変わりないじゃないか」

呆れた声で締め括られたリックが、変な声を上げ机に突っ伏す。その親友の乱れた赤毛を見つめて、ジンは心底うんざりと嘆息した。

出来る事なら、自分もリックのように人目を憚らず駄々を捏ねてみたい。校内勢力図だとか生徒役員会での根回しの方法だとか、どの学年の誰が生意気だとか、そんな話はもう聞きたくなかった。ただし、本懐には辿り着いていないにせよ、ジンの目論見通りにあの少年が噂好き…特にスキャンダルの類…らしいのは有り難いが。

このところジン以上の近付くなオーラを発散しているリックに恐れをなしてなのか、同じクラスの連中も滅多に二人には声を掛けて来ない。これ幸いとジンは昨日から教室内をちらちらと観察し、あの…つまらない噂の出所を探していた。

ぐずぐずと泣きマネするリックを無視して、ジンは今日も室内を眺める。本当は、ぼんやりとした根拠しかない。ただ、何もせずに待つのに耐えられなかっただけかもしれない。

それでも、ジンは賭けた。

自分たちもマキも、周囲に対して友人関係を話した事はない。まぁ、三週間も毎日ランチを一緒に摂っていたのだから誰が見てもそれは明らかなのだろうが、では、なぜ、たった三日で「ジンたちがマキに避けられて寂しそうにしている」などという話が出て来たのか。

まず、自分たちは寂しそうに見えたのだろうか。

ジンは困惑していたかもしれないが、リックは明らかに機嫌が悪かった。

「…だから、慣れは怖いのか…」

不意に先日親友の漏らした言葉の意味に気付く。

周囲からおよぼされるストレスを、ジンとリックはいつの間にかマキの笑顔で昇華していたのだ。しかしあの役員会の日からこちら、クリアする機会を失って、それが少しずつ心の中に重たく溜まっている。

「―――今すぐマキくんの所に行き、何があったのかと問い質せばいいだけだとは思わないか、リック」

「何も答えて貰えねぇだろうよ」

拗ねたように呟いて、リックがのろりと上半身を起こす。

「でも、それが不満なんじゃない」

教室内に背を向けるように机に頬杖を突いたリックは、眩しそうに窓の外を見遣って溜め息みたいに言い足し、ジンは頷いて同意した。

「マキくんが何も言わないのは、始めから判っている。だからここになんらかの問題が生じているとするなら、僕らがそれを解決しなければならない」

判って欲しい、判ってくれ、どうして判ってくれないのか。あの無言を貫く少年と上手く付き合いたいのなら、要求するだけでなく、自分たちもあの少年の機微を読み取り、理解しようとしなければならない。

なんだか凄いなと思って、ジンは窓に顔を向けたままちょっと笑った。

「みっともなく、必死だな」

「そんだけの価値はあるって、思いたいねぇ」

「あるだろうな。リック、マキくんがパパの作ったドルチェを食べてどんな顔するか、見たくないか?」

ちょっと笑いを含んだ声で問われて、正面に座るジンに身体ごと向き直ったリックが、腕組みして眉間に皺を寄せる。

「―――やべぇ、今、顔面に力入れてないとだらしなくにやけそう…」

そのくらい。多分。

きらきらの笑顔で。

白くて丸い頬をピンク色に染めて。

大きな碧色を柔らかく眇めて。

「そのためだったら僕は、多少の苦行には耐えるよ」

「多少の苦行、には、ね」

そこだけ言い直してにっと唇の端を吊り上げたリックは、それにしても、と急に軽い口調に戻って頭の後ろで手を組むと、椅子の背凭れをぎしぎし言わせながら天井を見上げた。

「オレたち、ベタ惚れだよなぁ」

「……この前、失恋したんじゃなかったのか?」

「不吉な話思い出すなよ。あれはなしの方向で…」

天井を見たまま冷や汗を垂らすリックの顔を睨んでやろうとした視界にはにかんだような表情の眼鏡少年が飛び込んで来て、ジンは、今までのいい気分が台無しだと内心溜め息を吐きつつ、眉間に寄りそうになる縦皺を押し留めるのに必死にならざるを得なかった。

「ジンさん、リックさん」

親しげに掛けられた声にリックは小さくふんと鼻を鳴らし、ジンは無言で頷き、教室内に一種異様な空気が満ちる。

「今日のランチなんですけど」

まるで周囲に聞かせるためのように、眼鏡少年は少し離れた場所で言いながらこちらに近付いて来た。その、どこか誇らしげな表情が気持ち悪いとジンは思う。

Bクラスの友人をあと二人同席させてもいいかと問われて、ジンは気合いで作った薄笑みで構わないと答えた。これ見よがしに親しさを強調するその行動の全てに、虫唾が走る。

それでも、この眼鏡少年からあの不愉快な噂の出所を確かめなければならない。それが判ればもうこいつには用なしだと思っている辺りジンも相当人が悪いのだが、実際は、目障りなマキを遠ざけてそのポジションを得ようとした張本人なのだから、どっちもどっちという所か。

それじゃぁまた後でと小さく手を振って立ち去る眼鏡少年に、ジンもリックも手さえ上げなかった。ただ、奇妙な緊張を孕んだ視線に炙られても意気揚々と引き上げていく背中を、冷たい表情で見送る。

もしこれがマキだったら。と、二人はそれぞれ仮定した。

ジンはきっと不慣れな笑顔を見せて、軽く手を上げるだろう。

リックは別れを惜しんで、わざわざドアの所まで送って行くに違いない。

「オレたち、サイテーだな」

ふと、リックが疲れたように漏らし、しかし。

「僕らにも選ぶ権利はあるんだから、別に気に病む必要なんてない」

ジンは幼馴染の罪悪感など無駄なものだと言わんばかりに、ばっさりと言い捨てた。

        

       

リック言うところの消化に悪い昼食を摂るため、ジンは足早に煉瓦色の小路を歩いていた。とはいえ、別にこの先に待つ誰かに一刻も早く会いたい訳ではなく、無理矢理買い出しに行かせた不機嫌面の幼馴染が戻るまでに、眼鏡少年の引き連れて来るという「友人」を品定めしなければならないからだが。

あの眼鏡少年の友人がもう二人参加する事で相手のガードが下がり、うっかり口を滑らせるのをジンは期待している。それにしても、じりじりと失言を待つのではなく、上手く話しを誘導するつもりだ。

幼い頃から両親に連れられて社交界に参加していたのが、こんな所で役に立ったなとジンは内心嘆息する。有り難くないけれど。全然。

「今日はいつもより人数も多いし、ベンチではなく芝の方に行こうか」

なんとなく手持ち無沙汰そうにベンチの周りでうろうろしていた三人を見つけて、ジンは僅かに口の端を笑みの形に…見えるよう…引き上げ、木立の手前、円形に区切られた人工芝の辺りを指差した。その提案にぱっと笑顔を作った少年たちの内新顔の二名は、歩道の中央に佇むジンの背後をしきりに気にしていて、その風貌といい、目的はリックの方なのだなと少年にはすぐに判った。

わざと着崩した制服と、男らしいワイルドさを出そうとしていまひとつ垢抜けないヘアースタイル。リックのマネをしたいならもう少し男前になってからしろと言ってやりたいが、逆にそんな注意をしたと知れたら、当人に文句を言われかねない。

点在する人工木の間を擦り抜けて芝地に出るとすぐ、ジンは適当な場所を選んで腰を下ろした。そのジンのすぐ脇には眼鏡少年が当然のような顔で座り込み、残りの二人はジンたちに向かい合うような、微妙な位置に座る。

ここでもまた、やや離れた周囲から奇妙な視線が送られていた。

ジンは、気付いている。

しかし、気付かないフリをする。

その視線があまりにも友好的でない、刺々しいものである理由を、ジンは考えなかった。

        

      

かなりダルい気持ちで校舎から中庭に出たリックは、長い腕に抱えたランチの群れからカルシウム飲料のパックを取り出し、まるで大事なものでもあるかのようにブレザーのポケットに忍ばせた。なんとなく今日はいい事がありそうだと思ったのは、ポケットに囲い込んだそれがマキの大好きなイチゴ味だったからかもしれない。

だからといって鼻歌が出るほど機嫌が持ち直す訳もなく、リックはローファーの踵を少し地面に擦り付けながら中庭を幾筋も走る歩道のエントランスに踏み込んだ。

そこで一旦足を停めて円形の芝地を見遣れば、予定通り、ジンと数人の生徒がリックの正面方向、一番奥の部分に腰を下ろしている。あの三人掛けのベンチに自分たちとマキ以外が近付くのは我慢ならないなどとガキっぽい事を言ったリックにジンは、では連中は芝に連れ出す、もしかしたら、その方がこちらにも好都合かもしれない。と答えたのだ。

そう思うと、幼馴染はリックよりも周囲に対して優しいかもしれないがある部分では非情だと、少年は背筋にそこはかとない寒さを感じる。いや。それももしかしたらマキがジンに齎した効果なのか…。

あの無垢な笑顔は、ジン・エイクロイドという少年の中に今までよりももっと明確な「好き」のラインを引いた。それが執着を生み、独占欲を生み、そして、あの笑顔のためにならそれがなんであればっさりと斬り捨てる事が出来る冷徹さを生んだ。

リックに背を向ける恰好で座っている二人の少年の陰になってちらりとしか見えない幼馴染を思って、赤毛の少年は天蓋に視線を投げふっと息を吐いた。

子供の頃のリックやジンは、多分、頭上で繰り広げられる利権の奪い合いや、表面で滑るような美辞麗句を駆使して手に入れる地位や名誉を、薄汚くて嫌なものだと思っていた筈だ。そしてリックは心のどこかで、そんなものを上手くあしらいつつ今の生活を維持し続けてきた自分の「家系」というのを、嫌悪していたのかもしれない。

しかし、今なら…少し判る。

護りたいもの、手の中から逃がしたくないものがある時、それ以外は―――利用するものになるのだと。

なんだかなー。と少し大人になったような気分を味わいつつ、リックは歩道の辻を斜めに突っ切って縁石を跨ぎ越え、人工芝の円形草地に踏み込んだ。

つまらない噂話。幾ら目的があるとはいえ、そんな興味がないどころか嫌悪さえも感じる会話を聞き流すジンの神経の太いのを今日も尊敬しつつ、リックが機嫌の悪い表情を消す努力を始めようとした矢先、その小さな呟きが悪意を持って少年の耳朶に噛み付く。

芝生に入り込んで少し、カップルらしい二人連れの背後に迫り、さてそれを右と左のどちらにかわそうかとどうでもいい事を考えて並んだ背中に視線を落とした、その時。

「ね? 絶対そうだよ。今日は、あの日と同じ三人組だし」

「うん。間違いないな」

「だから、よくやるよねって言ったじゃない。いけしゃぁしゃぁと? って感じ?」

「だよなぁ。こういうの怖いから―――」

        

『エイクロイド ト マツナカ ニハ ウカツ ニ チカヅケナイ ッテ』

        

その二人の唇から滑り出したどの言葉に、そんなに衝撃を受けたのか。

リックは思わず足を停め、肩を寄せ合ってひそひそと話す二人の視線の先を眺めてから、ゆっくりと眉間に皺を刻んだ。

やや離れた場所に立ち尽くすリックに気付いていないのか、二人の声は抑えているが小さ過ぎる事もなく、その内容をピアスに飾られた耳まで届けた。いつの間にか赤毛の少年は息を詰め、洩れ聞こえる一字一句を逃すまいと瞬きさえ止める。

そして、二人がそれぞれ話し終えて呆れたように肩を竦め合ったのを確かめてから、リックはその背までの距離をゆっくりと詰めた。

「今の話、もうちょい、詳しく聞かせてくんないかな」

並んだ背中の丁度真ん中に割り込むようにしゃがみ込み、それぞれの肩にやんわりと、しかし拒否を許さぬ強引さで手を回したリックは、ぎょっとして硬直した横顔を交互に、見せ付けるようにゆっくりと見遣りながら、口元に酷薄な笑みを浮かべる。

「いやいや。ほら、オレは怪しいモンじゃないから」

本人だけど。

とリックは、肩を組まれた二人が蒼褪めて震えるような冷たい声で、ぽつりと言い足した。

  

   
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