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EX+1 ほろ苦ストロベリ

   
         
(9)

     

『マキくんへ

マキくんがダメかどうか決めるのは、君じゃないとぼくは思います。

大丈夫。

君の事判ってくれるお友達は、必ず現れるよ。ね?

アン』

        

        

恒例行事のように始まったくだらない噂話を意識の表層で滑らせつつ、ジンは内心首を捻りながら、中庭のあちこちを歩き回って目に付いた生徒たちに声を掛けているらしいリックの不審な動きを目で追っていた。

別にすぐここに来て助けてくれとは思わないが、普段なら視界に入ったとしても気に留めて居ないだろうその他大勢…これはかなり失礼な感想か…に、なぜそんなに熱心にちょっかいを出しているのか気になるのは確かだ。

変なテンションではしゃぐ三人組を適当にあしらっているうちに、その内の一人がリックに気付いた。なんとなく巡らせた視線の先に派手な赤毛を見つけたその少年が、頬を紅潮させてもう一人の少年(眼鏡少年ではない)の脇腹を小突き、注意を引く。

ようやく現れたリックを何か期待するような眼差しで見つめる正面の二人を無視して、眼鏡少年はしきりにジンに話し掛けた。

「もうすぐ次の実力テストですよね、ジンさん」

「ああ、そうだな」

「それで、……、ボク、ちょっと物理に苦手なところがあるんですけど…」

全然かわいらしくもなく膝の上に組んだ指をもじもじさせる眼鏡少年に顔を向け、ジンは無言で次の言葉を待った。

というよりは。

ジンは、ここに居ない、今は完全に避けられていると確信しているマキの数学のテストを本気で心配していた。次の試験の際には、全科目の所々に苦手な部分が散っているらしい少年に、ジンとリックがそれぞれの得意分野で勉強を教えると約束していたのに。

マキはなぜか、他の教科が散々でありながら、都市史の点数だけは教養クラス並みに良かった。その奇妙さにリックが感心したような声を上げた時、少年は酷く困ったような、でも誇らしげな表情で、にこりと微笑んでいたはずだ。

――――。それは一重にマキの育った環境による特性だと言ってしまって差し支えないだろう。家族に王城中枢関係者を複数持ち、二番目の兄はこれまで何度も「都市創造シリーズ」という、伝説と事実を織り交ぜて華やかに飾り立てた人気の大河ムービーに出演していて、映画好きな両親は暇さえあれば息子の雄姿を惚れ惚れと眺めていたし、都市構造学を専攻していた双子の兄たちはやたら凝り性で、都市が現在の形を取るに至った経緯を熟知するのだと言って、歴史家顔負けの専門書で本棚を埋めていた。

そんな事情を知る由もないジンたちだったが、とにかく、マキの知識に偏りがあったのは、事実だ。

本来ならばそろそろ、週末家に招いて勉強会を開催しようとかなんとか楽しい計画を練り始めてもいい時期に、なんて僕は不幸なんだと…ジンは無表情の下でそっと溜め息を吐く。

「―――今度の週末からでも、勉強会を」

ボクの家でしませんか。と、眼鏡少年が続けようとした矢先。

「ジン」

淀みない足取りで車座になった四人に近付いて来たリックが、野菜ジュースのパックをぽんとジンの膝元目掛けて放り投げて来た。

「……」

何か企みのある幼馴染の顔を、ジンは受け取り損ねたパックが膝から転げ落ちるのも気にせず見つめている。何かあったのだと直感的に思ったのは、付き合いの長さ故だったのか。

ますますの期待と喜びに表情を輝かせた二人の少年と、小さく微笑んで頭を下げようとした眼鏡少年を手で遮って、リックはにやりと人悪く片頬を歪めた。久しぶりに見る意地の悪い笑顔を凝視したジンにだけちらりと目配せした赤毛の少年が、ブレザーのポケットからイチゴ味のカルシウム飲料を取り出して、ぷちりとストローを突き刺す。

「お前らさ」

一度視線を自分の足元に落としてついと顔を上げ、リックはいきなり乱暴な口調で話し始めた。

「十日くらい前に、ここ、来たよね」

確信的に呟いて、ストローを銜える、皮肉に吊り上がった口元。

「正確には、おれとジンが生徒役員会で、マキちゃんのトコに来られなかった日」

リックが言い足して、瞬間、眼鏡少年と残りの二人の頬が、微かに強張った。

ジンが周囲の空気を読み、固く口を噤む。その落ち着いた気配に先を促されて、リックが滔々と語り出す。

「来たろ。全員とまでは行かなかったけどな、いつも中庭でランチ摂ってる連中の複数が、あの日木立の奥に入ってったお前らを目撃してんだけど?」

そこで間を取るようにカルシウム飲料を口にしたリックから視線を外したジンが、顔を強張らせて俯き加減になった三人を順繰りに見遣る。その表情を見るにつけ、それはここでバラされたくない事実だったのだと、少年は思った。

なぜ?

なぜ。

なぜか。

なぜ、なのか。

「お前らが来て、すぐに中庭から校舎の方に戻って、ま、問題はその後なんだけどな」

独り言みたいなリックの呟きに、少年たちはますます俯いた。

「チャイムが鳴る少し前、マキちゃんが酷く暗い顔でとぼとぼ歩いて校舎に消えたってのは、なぜなのかねぇ」

その翌日から、マキはここに姿を見せていない。

「お前らの姿見てない上級生も、気落ちしたマキちゃんの様子には気付いてたってよ。あのコさ、意外と目立つんだよな」

始めはジンとリックにくっついて歩いているというだけで注目を集めていたマキだったが、ランチも三週間近くなれば中庭の固定メンバーはある程度その光景に慣れて来る。おまけに、木立の隙間から見え隠れする彼らはいつも楽しそうで、当初は転入生が二人に付き纏っているらしいと噂されていたものの、実は二人の方がマキを離したがらないのではと中庭では言われ始めていたくらいだった。

ジンは、思わず柄悪く舌打ちした。

おかしな噂を放置したツケがここで回ってきてしまったのか。もっと早急に、自分たちの方こそマキに近付いて行ったのだと公言しておけば良かったのだ。

「後の祭りだな。…君たち、マキくんに何をした」

ふつふつと胸に沸き上がる怒りに任せて乱暴に言い置き、ジンは膝元に転がっていたジュースのパックを取り上げながら、悠然と立ち上がった。

最早ジンとリックの中で、これは決定事項。

この三人組はマキに何らかの嫌がらせをして自分たちから遠ざけ、まんまとその後釜に据わった。

芝生に座り込んだ三人を挟むように立ったジンとリックに睨まれ、少年たちはうろうろと視線を揺らしてお互いの顔を見比べ合っている。何か話すまでは許さないと無言の圧力に耐えかねたのか、リックを真似て右の耳にピアスをふたつ光らせている少年が顔を上げた途端、眼鏡少年がキッと眦を吊り上げて彼を睨んだ。

沈黙。

ジンとリックは、軽く目配せし合ってから爪先を校舎に向ける。

「あの転入生が一人だったから!」

立ち去る気配を感じて、眼鏡少年は慌てて顔を上げ口を開いた。それで動きの停まった二人に安堵したのか、少年は一度ごくりと固唾を飲んでから、膝の上に組んだ手を益々固く握り締め、縋るような目でジンを見つめる。

「少し話しをしてみようと思って、近付いたんです。そうしたら、あの転入生、実はジンさんとリックさんと一緒にランチを摂るのは…おこがましいって言って」

「「言って?」」

思わず、ジンとリックの声が被った。

その驚きに満ちた不自然さに気付かず、少年は必死に話し続けた。

「お二人の話を色々聞いて、それで、自分は場違いなんじゃないかって」

「言って?」

それまで校舎に向けていた身体を眼鏡少年に向け直したジンが確かめるように言うと、少年が「はい」ときっぱり答える。

「それならボクが上手く説明してあげるから、もうここには来なくていいって…、勝手に言ってしまったのはボクが悪いんです、すみません」

本当に申し訳なさそうな眼鏡少年の顔を冷たく見下ろし、ジンがふんと鼻で笑う。その不可解さに少年はやはり気付かず、リックだけが、何か憐れなものを見るように三人の顔を眺めていた。

「それで、マキくんは君に、なんと答えたんだい」

そりゃひでぇ質問だ。とリックが内心天を仰ぐ。

「すみません、お願いします。って。…それから、ありがとうございますとも」

ジンの口調が静かになった事で、眼鏡少年はほっとしたらしかった。先より幾分強張りの取れた表情で呟くように言い、それからもう一度、勝手な事をしてすみませんでした。とジンに軽く頭を下げる。

「君たちも? それを聞いた?」

水平に動いた視線に撫でられて、残りの二人も慌てて頷く。

「ああ、そう」

ジンは何か考えるような顔をしてリックに視線を移し、リックは、大仰に肩を竦めてから、どうぞ、とでも言うように、芝生に座り込んだ三人を掌で示した。

「それで? 実は君たちは、マキくんに何と言った」

「本当なんです、信じてください!」

完全に冷え切った声で言い捨てられて、眼鏡少年が今にもジンの足に縋りつきそうな勢いで膝立ちになり、悲鳴を上げる。その頃には一瞬降りた安堵の空気は微塵も残さずに消え去り、ジンの双眸からは完全に三人を蔑んだ視線だけが注がれていた。

「それは嘘だ」

完全に嘘だと断言されて、三人はびくりと背筋を強張らせた。

「君の言葉を信じる要素が全くない。君たちは嘘を言って僕たちを騙そうとしている。僕たちとマキくんが一緒に居るのが不満かい。なら、放っておいてくれないか。僕たちが誰と仲良くしようと関係ないじゃないか。

自分の認識の甘さと不手際に腹が立つ。

君たちが不用意にマキくんを傷つけたのだとしたら、それは僕とリックのせいだ。

僕たちは、嘘で他人を蹴落としてまで傍に居たいと思えるような人物なのかい?」

畳み掛けるように早口で話すジンを冷静に見つめ、リックは、キレたな、と思った。

「答えろ。僕たちは、君たちにとってそんなに素晴らしい人物なのか。他の誰かを傷つけても許される人間なのか。もし君たちが「そう」だと答えたら、最悪だ、僕は「僕」である事を辞めるほかない」

ぴしゃりと言い切った途端、眼鏡少年が声を上げて泣き崩れる。それでもジンの冷たい視線はその背中から離れず、残った二人は青くなって震えながら、何度も何度も謝罪の言葉を繰り返した。

「謝るな。謝られたところで、許す気はない」

三人を見下ろしたまま、ジンが氷点下の声音で言い置く。

押し黙ったジンと芝生に突っ伏して泣く眼鏡少年、それから、呆然とする残りの二人を順番に見遣ってから、リックは大仰に嘆息した。

「それで? お前らがマキちゃんに何て言ったのか教えてくれねぇかな、いい加減」

  

   
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