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EX+2 最強ロリポップ

   
         
(3)

     

『ラスへ

大変です。

高等部の二年生に、なんか、ヒューみたいな人が居ます。

あ、でも、別に顔が似てるとかそういうんじゃなくて。

ラスも見たら判ると思うよ? あれは、絶対ヒューだって!

マキ』

      

      

ラドルフと組み手するかどうかという目下の問題を先送りにして、マキはとりあえずユーリに十式の基本を一通り教えて貰う事にした。とはいえ、それを基礎にした派生型の五式を半分以上得とくしているのだから、双方の違い…例えば、十式では掴みと投げが禁止だとか、顔面はダメとか、そういうものだが…を大まかに説明され、それから、演舞と呼ばれる決まった流れを覚える作業だ。

マキは最初、「構え」と言われて足を肩幅に置いて身体を左に開き、両腕を身体の脇に垂らしてしまって、ユーリに失笑された。相手の一撃目に柔軟に対応するための弛緩したその「構え」は、まさに実践で戦う者のそれであって、コートを使う試合のものではない。

それで結局構えの取り方から始めたマキを、拳闘科の生徒たちがますます怪訝そうな顔でちら見する。大丈夫なのだろうかという不穏な空気。中には、もたもたと構えを取りいちいち手足の位置をユーリに直されている少年を、鼻で笑う上級生もいた。

「あのコがなんでセントラルに転入してきたのか判らないなぁ」

準備運動にもなる基本の型を攫い終わったラドルフが、一人級友の環から外れていた、あの黒い道着の少年に声を掛けながら、歩み寄る。

「スレイサー道場の門下生? だからじゃねぇか?」

黒道着の少年、カナメ・トキワが普段通り不機嫌そうな声でぶっきらぼうに呟くと、ラドルフは剣のない双眸を殊更緩めて、はは、と乾いた笑いを漏らした。

「たったそれだけで入れるほどセントラルは甘くないと思いたいんだけど」

文字通り血の滲むような努力をしてようやく入学したセントラルに、少々「強い」という噂だけで入れたとしたら、それはとんだ不公平だと笑いながら愚痴るラドルフに藪睨み気味の視線を向け、カナメが肩を竦める。

教官であるユーリがマキに掛かり切りだからか、最上級生が生徒たちを集めて二人一組を作り、十式演舞の開始を宣言。道場一杯に広がった二人組みが気合いの入った掛け声と共に型通り進む、姿勢の美しさや手足の捌きを「魅せる」練習を開始するのに合わせて、ラドルフとカナメも向い合い、小さく頭を下げた。

すらりとした見た目に違わず、長い手足を生かしたラドルフの動きは華やかで、酷く人目を引く。やや癖のある濃茶の短髪がその派手な動きにあわせてひらりと踊り、いつもはのほほんと優しげな双眸に微か険しいものが浮かぶと、周囲の下級生から羨望の眼差しがちらほらと送られ始めた。

対するカナメは、ラドルフより劣るがこれも長身で、付き過ぎない筋肉のせいなのか少し痩せて見える。ただし、身体全体のバランスが良いから、ひ弱な感じはない。背丈に見合った手足を鋭く動かす度、短めに整えた固そうな黒髪がざわと揺れた。

ユーリに再三型のやり直しを指示されて一人黙々と同じ動作を繰り返していたマキは、手足を休める事なく二人の上級生を窺った。ラドルフの振り上げられた脚を避ける足捌き。回避転じて踏み込みから繰り出される中段掌底のスピード。低く保った重心と神経質な程に守られたすり足など、やはり、カナメの一挙手一投足は流れるように美しく、少年の興味を大いに引いた。

ただし、手足の先まで神経が行き届いているのに絶対満ちない気迫が、奇妙だと思う。

本気じゃないんだろうか? そんな手抜きウチの道場でしたら、絶対老師…フォンソルに半殺しにされるか、師範代…ロイに本気の蹴りを貰うのに。

最早無意識にエンドレスで演舞を攫いつつ、マキは内心嘆息した。嫌な事を思い出してしまった。

先日、勉強に追いつくのがやっとで疲れていたのと、折角出来た友達、ジンとリックとあえて距離を取っていた気落ちから少々腑抜けていたマキは、稽古中に気を散らして散々な目に遭ったばかりだった。気合いが足りない、怪我しちゃうよ? などといつもの調子でへらへら笑いながら近付いて来たフォンソルに右足一本であしらわれて壁までぶっ飛ばされ、ロイには手刀一発で落とされて、全身痣だらけ。まさかマキが泣いて帰りはしなかったけれど、その惨状を目にしたリセルの方が半泣きで伴侶と息子をなじった。

で。そのリセルを落ち着かせて泣き止むまで相手したのがマキだというのだから、変な家族だが。

変な家族。でも、大好きだ。

「おーい、マキ」

思わずにやけかけたマキを、ユーリが少し離れた場所で呼ぶ。それで慌てて表情を引き締めた少年が、ふわふわの金髪をぱっと散らして振り返れば、厳つい顔の割にお人好しそうな目を眇めた教官が、こっちへ来いと手招きしていた。

そのユーリの隣には件のラドルフとカナメが揃って立っている。それにいささかの疑問を感じつつぱたぱたと走って近付けば、ラドルフは穏やかな笑みで、カナメは機嫌の悪そうな顔で少年を迎えた。

「こっちがラドルフ・エルマで、この黒いのがカナメ・トキワだ。今から十式演舞の手本を見せて貰うから、手順を確認しろ」

顎でしゃくるように二人を紹介されて、マキは両腕の肘を張って水平に上げ、顔の前で軽く握った拳と掌を合わせ、頭は下げなかった。これはちゃんとした拳士の礼であって、非には当たらない。

それにラドルフは会釈を返し、カナメは胸の前で一方の握り拳にもう一方の手を重ねる。それでマキは前者を投げ技と締め技ありの柔術流、後者を蹴り技中心の式流だと判断した。

頭のてっぺんが顎にも届かない華奢な少年に大きな碧色の瞳できらきらと見上げられ、カナメはなんだか居心地が悪くて視線を逸らした。羨望の眼差しはラドルフの担当であって、仏頂面の自分に向けられるものではないと思っているからだ。

果たして。

カナメの不機嫌な顔など、マキにしてみたらどうでもいいのか。何せ、あの長兄を見慣れている。あれは機嫌が良くても不機嫌そうで、ついでに言うならいつも怒っているようにしか見えない男前だし。

他の生徒たちも一旦集められ、コートにはラドルフとカナメだけが残された。向かい合って型式通り軽く頭を下げ、それぞれが構えて、睨み合う。

す、とすり足で近付いて来たラドルフを避けてから、決まった手順で上段の打撃を繰り出す。双方合わせて二十四手の攻防を危なげなく交わす二人に注がれる視線の大半はラドルフに集中していたが、一等熱心なものを頬に感じて、カナメは内心困ってしまった。

その視線の発生源をちらりと見遣って、カナメはやはりと嘆息する。固い床を物ともせず姿勢良く正座したマキが、瞬きもせずに少年の動きを追っているのだ。

どうにもやり難い演舞が終了すると、見学の生徒たちから惜しみない拍手と陶酔にも似た溜め息が洩れる。それにラドルフは愛想よく笑顔を見せたが、カナメはやはり機嫌悪そうに一礼しただけだった。

「他の生徒は演舞の稽古に戻れ。マキは、どうする? ラドルフとやってみるか?」

「教官、それはちょっと」

傍らのマキを覗き込むようにして何気なく言ったユーリを、当のラドルフが咎めるような顔で見つめて言う。

マキはどうでもよかったのだが、実際、ここまで体格に差があると双方で間合いの取り方が難しくなる。これが自由組み手ならば体格差は問題にしないが、演舞は似通った背格好の組み合わせが多い。

さてここで、マキは考える。ユーリはある程度マキを信用しているらしく、相手が上級生でも少年は「合わせられると」思っている。しかし、マキをよく知らない上級生は身の丈に合った稽古をさせるべきと主張していて、この場合、決定権の幾ばくかはマキに委ねられている。

だとしたらラドルフの主張を通し大人しくしているべきかとマキが結論を出すより、少しだけ早く、教官と友人の遣り取りを見ていたカナメが口を開いた。

「俺ならやってもいいですよ、教官」

その申し出に一番驚いたのはラドルフで、マキはぱっと嬉しそうな表情を作ると、零れるような笑顔でカナメの仏頂面を見上げた。

うーわー! ホントに?

とかなんとか聞こえそうな喜色に潤んだ碧の瞳で凝視され、カナメが内心しくじったと眉間に皺を寄せる。そんな嬉しそうな顔をされても困るだろう。

びっくり顔のラドルフと、なぜか難しい顔でマキを見つめるカナメと、ほっぺたを赤くして小躍りしそうなマキを順繰りに見遣り、ユーリは小さく噴き出してしまった。ラドルフの名前を出した時の無関心さに比べて、ちっこい少年のこの歓びようはなんなんだと思う反面、やっぱりスレイサー一族だと得心も行く。

マキはこの一瞬で看破したのだろう。

本気を出せば、カナメがラドルフよりも強いという事を。

しかし黒髪の少年はどうにも「本気」になるのを嫌っているらしく、勝ちに執着もないから、適当に相手に合わせて競ってみせては最終的に手を引いてしまう傾向があった。

「んじゃぁ、女王杯二連覇の王者に挑む前に、前哨戦て事でどうだ? マキ」

わざとのようにラドルフの成績を持ち出したユーリをマキがふと趣の変わった薄い笑いでちらりと見る。これはまぁ、なんて生意気なガキだと思うが、実際、ラドルフの二連覇は実質カナメの「辞退」がなければ成り立たなかったのだから、お咎めなしという所か。

「型の確認だけでしょう? 適当に合わせますよ」

ぶっきらぼうに言ってふいと身を翻したカナメの背中に、ユーリが意味ありげな笑みを送る。

「たまには本気出せよ。でないと、無様晒す事になるぞ」

その独り言みたいな台詞にカナメもラドルフも、ようやく型を攫ったばかりの下級生をこの教官はどれだけ買っているのかと、なんだか少し嫌な気分になった。

          

            

あちこちにばらけた生徒の只中、演舞に必要なスペースを取って対峙したマキとカナメに、好奇の視線が集まる。

たどたどしく演舞を覚えていた新入りと、ある程度の成績を収めたカナメの組み合わせが珍しかったのだろう、いつの間にか、生徒たちの声も消え、コートには奇妙な静寂が降りた。

軽く一礼し、ユーリの「構え」の合図で迎撃体勢を取ったカナメの正面で、マキの細い腕がゆっくりと動く。軽く握った拳と、垂直に下がった重心。一撃目の踏み込みのために引いた左足の爪先が微かに外を向き。

カナメの顔を見上げるように顎を上げたマキの長い睫がゆったりと瞬いて。

ぱちり。と持ち上がった瞬間。

その小さな身体の纏う空気が一気に凝縮されて張り詰め、見下(みお)ろしているのに見下(みくだ)されているような、冷たい威圧感がカナメを縛り上げた。

「始めっ」

どこか遠い開始の合図でカナメは、反射的に身体を引いて一歩下がった。無意識に反応した一撃目はセオリー通り黒い道着の胸元を掠めて走り抜け、それを追って水平に降り抜いた追撃は肘を捉える寸でのところでかわされる。

速い。しかし、軽い。

マキがもう一歩踏み込んで肘から跳ね上げた裏拳をカナメが対角線上の腕で受けて止め、逆に踏み込んで細い脛に低い蹴りを入れる。逃げるのではなく重心を更に下げて膝でその蹴りを受けたマキの頭が後ろに流れたのと同時に、カナメも一歩後ろに間合いを取った。

カナメの、握った拳の内側と背中に嫌な汗が噴き出す。なんだこれは。さっきまでの拙い動きなど夢だったかのように、マキの身体の運びは完璧だった。

決まった型の演舞だから避け切れているが、もしこれが普通の試合だったら確実に撃ち込まれるだろう素早く斬り込んで来る、打撃。次の組み合いまでの一瞬でカナメは、判ってしまった。

マキは、十式演舞の「手順」を知らなかったから、その流れを記憶するのに手間取っていただけだった。

とんだ食わせ者だと内心吐き捨てて打ち合いを再開しても、マキの動きは一向に鈍らず、演舞でありながら圧し込まれている感覚に背筋がぞっとする。対等に、交互に美しい体捌きを魅せるはずのそれに対応するのがやっとで、カナメが退き損なった腕や足を細い身体のどこかに当てて鈍い音を立てたが、マキは絶対に退かなかった。

いつの間にか周囲の音も聞こえないほど集中していたカナメの、最後の一手。上体を垂直に沈めたマキの腕を絡め取り引き寄せて、鳩尾に肘を入れる、フリ、をしなければならないところ、手加減を忘れたそれが鋭く速く胴体に吸い込まれた。

「あっ!!」

と、誰もが思った。

見学のラドルフとユーリが思わず腰を浮かせてコートに踏み込もうとした刹那、がつっ! と一際派手な打撃音が静まり返った道場に響き渡る。

それにはっとしたカナメの黒瞳を、すぐ間近でマキの碧が見上げていた。肘撃ちが寸止めを忘れて入ると察した瞬間マキは、絡め取られた腕に逆らわずわざと身体を開きながら踏み込んでカナメに密着し、背に回した手で道着を掴んで後ろに引き倒しながら、不安定に浮きつつ勢いで奔った腕を下から突き上げる打撃で払い除けたのだ。

背丈も足りず軽量なマキにカナメが引き倒されるハメにはならなかったが下げるべき重心を崩されたのは確かで、威力の死んだ肘が空しく宙を掻いて終わる。

驚愕か、恐怖か。黒い…微かに赤味がかった双眸を瞠ったカナメにぴったりとくっついていたマキは、波打った金髪を額に張り付かせるほど汗を掻いていた。

この短時間でどれだけ集中したのかと、腕を解いて背中を離され間合いを取りながら考えていたカナメは、その頃になってようやく、自分も汗びっしょりなのに気付く。それに驚いて一礼も忘れマキを見遣れば、少年は乱れた長衣を整えてから軽く一礼し、顔を上げるなりいかにも嬉しそうににこりと微笑んだではないか。

水を打ったように静まり返った道場で、マキの笑顔だけが非現実的に清々しい。立ち上がりかけた中腰のまま呆気に取られてコートを見つめていたユーリは、再度一礼したマキがこちらに向って歩いて来るのを認めて、ようやく詰めていた息を吐き出した。

マキの転入が決まってすぐ、少年には知らないかもしれないなどと嘯いていて実は旧知のヒューから、ユーリは電信を受けていた。

内容は他愛もないもので、今度ウチの末っ子がセントラルの拳闘科に転入する事になったが、少々強情なところがあって極端に無口なので迷惑をかけるだろうがよろしく頼むという旨と、実技の時「あまり本気を出させるな」という簡単な一言だった。

その意味が、ようやく判った。

どこかで判ったふりをして、学生の相手は出来るかなどと訊きながら甘い考えを持っていたと、反省せざるを得ない。

自由組み手の前に十五分の休憩を入れると未だ固まった生徒たちに告げてユーリは、上履きを引っ掛けて道場を小走りに出て行くマキの背中を、生温い諦めの苦笑と共に見送った。

  

   
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