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EX+2 最強ロリポップ

   
         
(6)

     

『アンさんへ

ジンのパパさんが作ったドルチェは、すっごい美味しくてすっごいキレイでした!

作り方を教えて貰ってアンさんにも食べて欲しかったけど、やっぱり、あれはジンのパパさんが作るから美味しいんだと思うんだよね。

マキ』

    

  

マキとカナンへの聞き取り調査の結果、最大の敵はやはり数学だった。

ではまず、手っ取り早く終わりそうな所から潰して行こうという事になって、カナンにはリックが歴史を、マキにはジンが自然科学を教える。それはどちらもテストの範囲を確認し、いまひとつ理解の怪しい部分を説いて最終的に簡単なテキスト問題を解き、ジンの設定した合格点をクリア出来れば終了という流れだった。

そもそも、それぞれの得意科目を教え合ってお互いの理解を深めるという一石二鳥な方法で今までやって来たジンとリックの教え方が判り易かったのか、いかにスポーツ専攻で入学したといっても、それなりに頭の回転が速かったのか、マキもカナンも一教科目は難なくクリアし、小休止を取ってから次の教科に進む。

「機械語…、マキちゃんはそんなに悪くないんだよね?」

これだけ便利なシステムやらサービスやら娯楽やらが氾濫しているファイランにあって、機械語はつまり、日常的な生活維持システムの簡易メンテナンスには欠かせない必須科目だった。

多少偏りのあるマキの知識を確認するように首を傾げたリックに、なぜか少年が曖昧に微笑んで小首を傾げ返す。なんとなく会話が噛み合っていない印象に、冷え始めたお茶を啜りつつカナンは小さな笑いを漏らした。

「マキ、結果的には課題消化出来るんだけど、途中が凄く強引みたいで、良く教官に嫌な顔されてるよ?」

学生では思い浮かばないような突拍子もない略式を使い、教官の出した解答の半分にも満たないプログラムを組んで見せたマキを思い出したカナンの呟きに、ジンが少し難しい顔をして腕を組む。

「模範解答がいわゆる「正解」ではないけれど、派手な略式は慎んだ方がいいかもしれないね。じゃぁ、機械語はまず小テストをして、答え合わせしながら対策を考えようか」

楕円のテーブルに固まって一息吐きながら次の教科の準備をしつつ、マキは両手で挟んだカップを唇に寄せ、こっそりと肩を竦めた。

実は。ここでも? か。

機械語…簡単なプログラミングの授業は中等部からなのだが、マキは最初ちんぷんかんぷんだったそれを、寄りによって、「兄たち」の恋人を選んで教えを請うてしまったのだ。

兄。たち。の、恋人。たち。

彼らは。

一応気を使って脳内レベルを百分の一か千分の一か、下手をすれば億分の一くらいまで下げて教えてくれたのだが、どうにも、学生の習うごてごてといらない命令で飾られたノロいプログラムに我慢が出来なかったらしく、全員が全員、こんな回りくどい命令文はいらない、と、幾つもの略式を組み合わせて容量を半分にするような方法を教えてくださったのだ。

しかし、多くは語るまい。

彼らの正体を。

語りはしないが。

見た目を裏切って、強引でありながら安定性のいい略式を教えてくれたのは長兄の恋人であった…とは、どんな因果なのか、はたまた陰の実力なのか。

とにかく。どこまでが学生の作るプログラムで、どこからが機械語を拙いと思う人外の常識なのか悩むマキを含んだ四人が、テキストの問題を始める。

楕円のテーブルに固まった少年たちが額を突き合わせるようにして無言のまま、暫し。その様子をちらちら窺いつつランチの支度を始めていたルシアが、内心ほっと胸を撫で下ろす。

ルシアは、幼い頃から薄汚れた利権主義の大人の世界に巻き込まれてしまったジンを、もしかしたら歳相応の楽しみや友人との遊びも知らない、不幸な子供なのではないかと思っていた。しかも、それを裏付けるように息子は、幼馴染であるリック以外の友人を自宅にも店にも寄せた事はなかったから、口には出さないまでも、両親の不安は日に日に切実になっていたのだが。

それが急に友人を二人も連れてやって来て。

その友人たちは、どちらもちいさくて可愛くて。

「はい。んじゃ、答え合わせしよーか」

リックが小テスト終了を宣言して次のステップに進んだらしい四人は、それぞれの答案を左回りに移動させて内容を改めてから、ディスカッションし始めた。

五行目のプログラムがどうとか繰り返しを省略し過ぎだとか、誰かの答案を指差しつつ熱弁を振るう、少年たち。その何でもない光景を眺めたルシアが、バケットに挟む野菜を用意しながら内心目頭を押さえる。

カナンが時々口を尖らせて文句を言うのさえ、ルシアには新鮮に見えた。普通の学生みたいな、どうでもいい会話。しかしルシアは、息子たちがそうやって勉強しているのを見た事がなかったのだ。

     

『ぺこぺこしながら近付いて来て、自分を卑下するように僕らを持ち上げて。…いい気分でしょう貴方は特別なんですからこのくらいされて当然ですよ。みたいに卑屈に見上げて来るような人間を、パパ、友達だなんて思える?』

    

そうジンが言ったのはいつだったか。

でっかいバツを貰ってぴーぴー泣きながら…嘘泣きだけれど…デジ・ペーパー用のペンを握り直してテーブルに突っ伏したカナンの肩をぽんぽん叩き、マキが慰めている。

「マキ優しい。でも、ジンとリックは鬼だ!」

ぱっと顔を上げたカナンがマキにしがみ付いて、二人を威嚇するように睨む。それにジンは「僕らは鬼でもいいから、委員長はこの問題も解いてリックに見て貰う様に」と新しい問題を勝手に端末に表示させ、リックはカナンだけマキに抱きついているなんてズルいと文句を言っていた。

ルシアはそこで、ふと小首を傾げる。そういえば、マキくんはどうして一度も声を出さないのだろうか。そろそろ一度目の集中力の途切れが来たのか、テーブルに散らかったテキストは最早無視され気味になっていて、それぞれが適当に次の教科の苦手部分を探し始めているのに、マキはにこにことそれらを眺めているばかりで会話に参加していない。

「んじゃぁ、ついでだし、全員で委員長と同じ問題やってさ、解決したら午前中終わりって事にしねぇ? ジンちゃん」

「ああ、そうだな。オープンで一行ずつ命令文を作るのはどうだろう。新しい発見があるかもしれないよ? 特に、マキくんの辺りで」

薄っすらと、且つちょっと意地悪に微笑みかけられて、マキがむぅと顔を顰めてそっぽを向く。やはり、マキの回答は行数が少なく、稼動させれば読み込みも開始も速いのだろうが独創性に富み過ぎて、試験の答えとしては不適切に思えた。

「でも、そこを斬新だと評価するか、学校で教えていないのだからダメだと頭ごなしに言うかは、教授の裁量次第だろうけれどね」

マキが言い返しもしないのに、会話は自然に続く。

だからルシアもその事はすぐに忘れた。彼らが気にしていないのに、部外者の自分があれこれ悩むのもおかしいと思ったのか。

結局ランチまでの時間を少年たちは、テーブルの中央に表示した空間投影式モニターに端末を一台だけ繋ぎ、ああでもないこうでもないと言いながらプログラムを組んで、どうにかテキストの課題を消化し、終えた。

その様子を盗み見ながらルシアは、どの顔もイヤイヤ勉強しているようには見えないなと、キッチンの中でひっそりと笑ったものだ。

まるで、遊びの延長みたいだ、と。

     

     

ハーブであっさりと味付けしたチキンをグリルしてスライスし、三種類の葉物を敷き詰めたバケットに載せ、それから、オニオンと二色のパプリカで飾る。仕上げのソースはマヨネーズベースのクリームタイプで、最後の味付けにはブラックペッパーとケーパーを使った。

ランチは、主食のバケットサンドと、きのこのスープと、ジャムとクリームチーズをたっぷり載せたミニスコーンをふたつ。食後のデザートには甘味を抑えたレモンババロアとノンシュガーの紅茶が出て来て、カナンは感涙せんばかりに喜んだ。

「実は、うちの下宿、賄いさんが料理下手でさ…」

セントラル周辺には、王城エリアといえども遠い場所から通学するのは大変だろうという事で、幾つかの学生専用宿舎というのがある。カナンが入居しているのはその中で最も学校に近いはずなのだが、なぜか、毎年定員割れを起こすのが七不思議と言われている場所だった。

謀らずも、その七不思議があっさりと解決してしまったジンとリックが、乾いた笑いを漏らす。ご愁傷様としか言いようがない。全く持って。

「でも委員長、じゃぁ、なんで今年転居しなかったワケよ」

器用にスコーンを上下に割いて天辺に乗ったクリームチーズとジャムを程よく混ぜ合わせぽいと口に入れる間際、リックがいかにもな質問をする。そう、一年目は何も知らなかったで諦めも付くが、二年に上がってまでそこに居続けているとしたら、それは…密かに自虐趣味か?

バケットサンドをもぐもぐしつつ、どうやらマキもリックと同じ疑問を抱いたらしく、カナンを見つめて何度も頷いている。それらの視線を受けて委員長は、なぜかますます情けない表情で眉のお終いを下げた。

「なんていうか、一年間もさ、べちゃっとしたサンドイッチとか、火の通りの悪いシチューとか、やけに塩辛いポタージュとかを食べさせられた身として、来年賄いさんが急に美味い料理とか作り始めるようになっちゃったら、なんか悔しいよなって…思って」

だから、出るのを止めた。と言うカナンの顔を、ジンとリックとマキが呆れたように見つめる。

その気持ちが判らないとは、マキたちだって言わない。まぁ、判らないでもない、というかなり曖昧な表現になってしまうとしても、完全に否定はしないだろう。しかしながら、一年間…、いいや、それよりもずっと以前から上達していないらしい料理の腕が突如上がる可能性に自分の食生活一年を賭けられるかと言われたら、ちょっと遠慮する。

「委員長って…マジ面白れーわ…」

思わず洩れたリックの呟きに、こめかみを指で押さえたジンと、なぜか涙目のマキが頷いて同意。その後二人はあえて食べかけのスコーン(クリームのない下半分)と具のなくなったバケットサンド(つまりパン部分)を、謹んでカナンに差し出した。

「っていうかバカにしてるだろ! ぼくのこと、アホだって思ってるだろー!」

ようやくからかわれたと気付いたカナンが悲鳴を上げるなり、それまで難しい顔をしていたリックとジンが声を立てて笑い、マキが肩を竦めてぺろりと舌を出す。

「だから、委員長。ふつーそれに、食べ盛りの食生活賭けねぇって」

「そうだな。その不確実な可能性に賭けるくらいなら、少し遠くなっても別の、確実に食事の良質な下宿に変わるほうが断然いい」

うんうん、とジンの意見に頷く、マキ。

「にしても、委員長さー、ラクロスの試合に出てる時と別人みたいにボケてるよね、普段」

リックが笑いを含んだ声で言ったそれにも、マキはうんうんと頷いた。

マキたちは一度、セントラルのラクロスチームが近くの高等部と練習試合をしたのを観戦した事があった。中等部チームながら結果は圧勝で、その時二年生で唯一レギュラーとして出場したカナンは、やや小柄というハンデをハンデと感じさせない細かな動きを駆使し、試合の流れを的確に判断する冷静さと先んじて相手の動きを封じる読みを発揮して、何度も得点に絡む大活躍だったのだ。

だから余計に、普段のカナンのちょっと抜けたところがクローズアップされてしまう。

「よく言われるよ…、先輩にも。でもさ? いつも試合の時みたいに神経使ってたら、日常生活でへとへとになっちゃうし」

ちょっと拗ねたように言いつつジンから受け取った…結局貰ったらしい…クリームの乗っていないスコーンを齧るカナンの横顔を、マキが微笑んで見ている。そしてその屈託のない笑みを、他の三人がほんのりと幸せそうな顔で見返しているのを、ルシアは少し遠くから見ていた。

不思議なコだと、ルシアはマキについて思う。一言も喋らない。笑い声さえ立てない。それなのに、注意していなくても、少年が幸せそうに笑っているのが判る。

擦れた所のない、清廉な気配。滲み出すような素直な感情はまるで幼い子供のようで、その笑顔は否応なく周囲を巻き込み、みんなをしあわせな気分にしてしまう。

ランチのメインが適当に減ったのを見て、ルシアはトレイに載せた紅茶とババロアを持ちテーブルに近付いた。すると、背を向けていたはずのマキがぱっと振り返って会釈するなり、空いた皿を手際よく重ねて片付け始める。

「マキくんは、家でもよく手伝いするんだね」

その手付きの自然なのにルシアが笑顔で声を掛けると、マキは金色の癖毛をぱらりと揺らして大きく頷いた。それに伴う返答がないのに彼が少し戸惑うと、すかさずジンが片親の不思議顔を見上げる。

「そうみたいだよ、パパ。マキくん、お弁当も自分で作ってるらしいしね」

それにも、マキが子供っぽく頷く。その笑顔と、テーブルの端に寄せられた皿を見遣ってからババロアの載ったグラスを置きながら、ルシアは何か言いたげにジンを見返した。

「………。いいんだよ、パパ。マキくんは、喋らないんだ」

一瞬の逡巡の後、ジンはなんでもない事のように言った。

途端マキが少し困ったように眉を寄せ、申し訳なさそうにぺこりと頭を下げる。

もしかして何か余計な事を訊いてしまったのだろうかとルシアが戸惑うも、テーブルには別段嫌な空気も漂ってはいない。マキが喋らないという事実はまるでさしたる問題でない事のように扱われ、少年たちの興味は綺麗に飾りつけられたデザートに移っている。

「マキくんも、気にしなくていい。僕が、先にパパに言っておかなかったミスだ、すまない」

再度ルシアに頭を下げたマキの背中にジンが言うなり、少年は慌てて顔を上げぷるぷると首を横に振った。

「パパさんもジンもマキちゃんも、気にしない気にしない! だってさ、オレたちはマキちゃんが何も言わなくたってなんでも判ってあげたいし、不都合なんか全然ないんだしね」

スプーンを銜えたリックが椅子の背凭れにふんぞり返って言うなり、マキが少し恥ずかしそうにほっぺたを赤くして、ぱあっと柔らかな笑みで小さな顔を飾る。

嬉しいのだと、ルシアは思った。そう。嬉しい。嬉しくて嬉しくて、堪らない。

そして、そんな顔で笑いかけられたら、こっちまで嬉しくなってしまう。

「息子たちの心の成長を垣間見たよ、ありがとう、マキくん」

感涙しそうになりつつルシアが呟けば、ジンとリックがぽかんと口を開けて本当に目を潤ませている彼を見上げ、それから慌てて目を逸らした。

「な…何を恥ずかしい事言ってるんだ、パパ!」

「息子たちって…もしかしてオレ入ってんの? それに!」

本気で照れているらしい二人があたふたと乱暴にババロアを掻き回すのを見てマキとカナンは思わず顔を見合わせ、それから、わざとサロンのポケットから取り出した布巾…さっきまで手を拭いていたものだが…で目頭を押さえるフリをしているルシアを一秒ほど見つめてから、弾けるように笑い出した。

食卓が華やかな笑みで飾られる。

ルシアは、息子たちはいい友人を得たと、本当にそう思った。

  

   
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