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EX+3 学祭タイフーン

   
         
(7)

     

『小隊長へ

素敵なプレゼントありがとうございます!

使い方が判って来たので、学校の友達にやっとアドレス教えました。

なんで今まで内緒にしてたのって言われたけど、まさか…、まともにメールも打てなかったからなんて、恥ずかしくて言えないよね?

そのうちみんなで撮った写真送るから、絶対待ってて!

マキ』

      

     

問)果たして、カナメ・トキワは十五分後に自分の発言を後悔したか?

     

答)色んな意味で。全部をひっくるめて。学園祭本番の三日間を思って。死ぬほど後悔した。と、思われる。

     

      

結局、学園祭が近付くに連れ増えていく準備に追われ、一ヶ月なんてあっという間なんだなと、その日、キャスター付きのトランクをごろごろと引き摺って廊下を歩きながら、マキはしみじみ思った。

校門開放の午前七時に到着したマキはまず、中等部棟にある自分のクラスに顔を出してクラスメイトと朝の挨拶を交わし、前部大型モニターに表示されている自分の名前のところに今日のスケジュールを入力した。殆どの生徒がホームルームにも出ず準備と展示に行ってしまうため、出席確認代わりの予定を書き込んでいる途中、生徒役員会の仕事に回されているカナンが姿を見せる。

「あ、おはよ、マキ。午前の巡回と午後の待機時間の間に、カフェ行くね」

マキに並んで教卓の前に立ち今日の予定を入力し始めたカナンが言って、にっこり微笑む。ショートボブにしたさらさらのプラチナブロンドが揺れ、それに答えたウエーブのかかった金髪も揺れ、二人は間近で顔を見合わせた。

「てーかさ、ここは一つ思い切って、委員長の分も用意しといて貰うべきだったんじゃねぇの? あのメイド服」

「…申し訳ないが、僕も今ちょっとそう思った」

「いーよ、そんな恐ろしい事思わなくてもっ!」

こちらは堂々マキを迎えに来たらしいジンとリックが、開け放たれたドアを塞ぐように並んで突っ立ったまま内緒話風に呟けば、即刻カナンが二人を振り返って言い返す。マキはそれを見てまた笑い、その弾けるよな明るい笑顔につられて、カナンとジンとリックも笑みを零した。

音声の無い。

現実。

講釈師のいない。

サイレントムービー。

「マキちゃん着替えあんでしょう? もう行こ、控え室」

ひとしきり笑い合った後で笑顔を消さないリックがマキに手を差し伸べると、少年は未だ拗ねた表情のカナンにふわりとした笑みを向けてから、キャスター付きのトランクをごろごろ言わせて教卓を離れた。

「じゃぁ、また後でね、マキ。ジン、リック! いくらマキがかわいくても、今日の当番だけは忘れないでよ?」

軽く手を振りながら生意気な声で言って来たカナンに、リックはわざと嫌そうな顔を向け、ジンが薄く笑って手を上げる。つい数ヶ月前までは絶対に見られなかっただろうその光景に、カナンはなんだか酷く満足していた。

彼らは王様。

でも、本当は自分たちと同じたった十四歳。

その事実が、なんだか嬉しかった。

少ない時間を無駄にせずカナンとちょっとじゃれあった後、マキは大きなトランクをリックに持って貰って、カフェ控え室に当てられている会議室へ向かった。そこに近付くにつれ増えていく拳闘科と競技科の上級生に会釈しながら廊下を進むと、丁度部屋の前で今到着したばかりらしいカナメとラドルフに遭遇する。

五人はそれぞれ上下関係のある朝の挨拶を交わし、ラドルフを先頭にして会議室へ踏み込んだ。この場合、ジンとリックは当然拳闘科の後輩ではなかったが、カフェ…というよりもマキ絡みですっかり顔見知りになっていたから、周囲の奇異な物を見るような視線もあまり気にならない。

年長者に対する礼を失する事はないが、基本的にジンたちが特定の誰かをいかにも「先輩」的に扱う事はなかった。だからこそ、彼らのカナメたちに対する行動が、少し珍しく感じられるのだろう。

他の生徒たちの反応に比べて、一応敬われているらしいラドルフとカナメを含む五人は、決して自分たちの関係(?)がおかしなものだとは思って居ないし、そもそも周囲の目など気にしてもいなかったから、それぞれがそれぞれ今日の予定を思い浮かべながら会議室へと踏み込み……。

「おはようっ、カナメ!」

明るい朝の日差しが柔らかく注ぐ、床から天井まである大きな窓を背にしてにっこりと微笑んだラルゴの姿に、思わず、びくりと動きを停めてしまった。

あえて言う。

見惚れたのではない。

怯んだのだ。

ラルゴは、中性的な綺麗な顔に零れんばかりの笑みを浮かべて、たった今入室して来た五人に向き直っている。

毛先だけゆる巻きにされた長い飴色の髪は頭の高い位置でポニーテールにされていて、フリルの付いた白いヘッドドレスがすっきり見えていた。元より長い睫の先端がくりんと巻き上がっているのを目にしてリックは、あそこに何を乗っけるつもりなのだろうかと非常に場違いな感想を抱く。

ややぽってりとした唇には赤味の強いグロスが塗られてらてらと光っていて、ジンに、安いケーキの上に載っているゼリーで作った果物風の飾りを思い出させた。どうでもいい事なのだが。現実逃避かもしれないが…?

殆どカナメにだけ向けられたラルゴの笑顔を、マキはぽかんと見つめている。それから少年は、あれと同じ衣装を着せられなくてよかったと、心底、次兄と被服部の生徒に感謝した。

「ね、ね、どう? 去年よりもかわいくなってるでしょう?」

その台詞に。

中等部の三人だけでなく、二度目で慣れているはずのラドルフとカナメも、こいつはあれで満足なんだなと冷静に、心の中で、嘆息した。

大きく切れ込み過ぎているとは言えないまでも、見せびらかすように鎖骨が覗くU字の胸元を飾るのは、白いレース。風船のようにぷっくりと膨らんだ短い袖のお終いにも、白いレース。腰よりも高い位置に巻かれた幅広のベルトは、その下のフリルのスカートをいかにも華やかに広がっているように見せている。

膝より短いスカートの裾から覗くのは、幾十にも折り重なった白いペチコートのひらひら。そこから伸びた脚はすらりと綺麗で、踝の辺りをギャザーで飾った白いショートソックスと、丸い爪先のぴかぴか光るパンプスが良く似合っていた。

黒が基調のワンピースに、レース類と下着類は白。それから、閃くスカートの上にきゅっと締められた小さなエプロンも、眩しいような白。そのコントラストはいかにも清潔だったが、『なんとなくダメ』だとジンたちは思った。

目の前で裾を翻してくるりと回転して見せたラルゴをカナメに押し付け、ジンとリックはマキを連れて作り笑顔を前面に、その場から離れた。

去年とどこが変わったのか判らないなどと言い返し、自分も準備があるからもう行くとラルゴを振り切ろうとしているカナメに内心で手を合わせていたマキたちの耳朶を、さすがにうんざりしたようなラドルフの声が撫でた。

「…十一時からの出番だっていうのに、こんな早朝から着替えるとはね…」

そのテンションに三日間つき合わされるのだろうラドルフに向き直ったマキたち三人がわざと神妙な顔で頭を下げると、拳闘部のカリスマは、いつかのように歯を剥いて、噛み付くようなマネをした。

           

         

会議室の一角に暗幕を張って設けられた「更衣室」にマキが消え、布に包んだ衣装を揃えた被服部の生徒数人が同行するのを見送って、ジンとリックはまず自分たちの仕事を確認した。

「クロスとワゴンは昨日のうちに届いてるし、後はオレのマキちゃんを待つばかりだねー」

「…どこがお前のだ…」

微妙に不機嫌そうな声で言い残してキッチンブースに向かって行ったジンを、幼馴染が大口を開けて笑う。

「焼きもちかー、ジンちゃん」

「そりゃ珍しいモン見られたな」

答えないジンの背中に代わってリックに言い返したのは、すっかりギャルソンと化したカナメだった。

元より大人っぽいカナメの化けっぷりに、リックが思わずぽかんとする。無愛想で不機嫌そうな顔付きはいつもと同じだが、そこそこの長身で筋肉質という一見バランスのいい身体に、清潔な白いドレスシャツと細身のネクタイ、黒いスラックスに濃茶色の長いサロンが良く似合っていた。

「不本意ながら、かっこいいっすね」

かなり短めに揃えている黒髪をラメ入りのワックスで整えた精悍な顔を眺めて、リックが率直な感想を述べる。悔しいけれど、カナメはやはり自分たちより「大人」だと思った。

例えば中等部の中でなら、リックだってずっと大人びて見えるだろう。しかし、ここでカナメと同じ恰好をしてみても、彼のようになる自信はない。

「どうも」

別に見惚れていた訳ではないリックの表情をちらりと見てから、カナメは薄い唇の端っこを少しだけ吊り上げてそう答えた。

「トキワ、スレイサーは?」

搬入された材料のチェックが終わったらしいジンとマスターが、リックとカナメに近付いて来る。その後ろにはギャルソン姿のラドルフも見えた。

それから。

「着替え終わってたんだ、カナメ。ねー、一緒に写真…」

足早に駆け寄って来てカナメの腕に指先を掛けたラルゴの、撮ろうよ、と続くはずの声が、暗幕の向こうから洩れた黄色い悲鳴に掻き消され、誰もが反射的にそちらに顔を向けている。

判る。やっぱりそうか。そうなのか! だってアレだったしな。うん、アレだし。こっちはこれだし。

と、きょとんとしたラルゴをちら見してから、ジンとリックとカナメとマスターとラドルフは、同時に天井を仰いで嘆息した。

今日この瞬間までマキの衣装がラルゴにバレなかったのは、果たして幸運なのか、それとも、誰かの悪意が働いたものなのか。

どちらにせよ、ここまで来てしまったのなら覚悟を決めなければならない。

「…ラドルフ」

「エルマ」

「「エルマさん」」

未だ暗幕の合わせ目を凝視しているラルゴに気付かれないように、ラドルフ以外の四人はそれぞれ彼の名を溜め息のような声で囁き、マスターとカナメはぽんとその肩に手を置いた。

「……頼んだぞ、色々」

と、訳知り顔のマスターがいかにもな感情を込めた声音でぽろりと呟き。

「きゃ――――――――っ!」

「か……かわ………かわいいっっ!!」

「ね、ね、マキちゃん! 一緒に…」

「…一緒に写真撮ろう?」

暗幕の向こうで様々な悲鳴と歓喜の声が上がり。

一呼吸。

シャっ! と暗幕の合わせ目が唐突に開け放たれて、雑多に散らかった箱やら靴やら脱ぎっぱなしの制服やらが散乱する着替えブースが露になった。

  

   
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