■ 前へ戻る   ■ 次へ進む

      
   
   

EX+4 学祭ハリケーン

   
         
(4)

     

『セイルへ

強くなるのは、誰のため?

マキ』

     

     

彼らが目に付いたのに、取り立てて理由があった訳ではない。ただ、そのテーブルの周囲だけが、微かな緊張と不快と嫌悪感、それから、浮き足立っている癖に油断なく辺りを窺っている、そんなちくはぐな気配を滲ませていただけだ。

その忙しない気配の変化を一括りにして「落ち着かない」と受け取るのは難しくなかったし、その落ち着きのなさを学園祭という非日常で片付けるのも容易だっただろう。しかし、激しい浮き沈みの中にひっそりと混じる冷淡な部分が触覚に触れてふと顔を上げたマキは、彼らを目にしてすぐに否応のない不審を抱いた。

まず、見知らぬ上級生だと思う。顔立ちは地味目なのに、変にスレた雰囲気が気に触る。

だから、だった。

マキは周囲から注がれる視線にあのふかふかとした笑みを向ける素振りで、傍らのカナメを振り仰いだ。

瞬きを減らした大きな碧眼を微か眇めるようにして、少年が黒髪の上級生に何かを視線だけで問う。刹那だけ、その視線に晒される前、マキと同じ違和感を察して正面に顔を向けていたカナメは、ごく自然に軽く身を屈めて少年の小さな耳に唇を寄せた。

「いや、高等部の生徒じゃねぇな…。あんだけ下品な空気撒き散かされてたら、普段から目立つに決まってる」

しかしカナメは彼らを知らず、当然、マキも知らないから、高等部の上級生に「知っているか」という視線を送って来たのだ。

全校生徒六百名弱の中のたった十五名でしかない拳闘科の生徒たちは、しかしというべきか、幼い頃から格闘技に精通し精神修養さえ積んで来た者ばかりだった。だからなのか、個人の資質なのか知らないが、彼らの多くは気配や空気を読み取る事に学園の誰よりも長けている。例え顔見知りでなくとも、数年間同じような生徒の中で生活しているのだから、その「気配」を嗅ぎ分けるくらいは造作もない。

しかし、カナメは彼らを知らないという。

マキにも、覚えがない。

だと、したら?

まるで、ふうん、とでも言いそうなマキの横顔をちらりと見遣って、カナメは薄く苦笑した。

別に、カナメは自分を正義感の強い人間だと思っていないし、今の反応からしてマキもそうなのだろう。しかし、いかにも怪しい彼らをこのまま放置するのはどうかという思いも、ない訳ではない。

セントラルの制服が盗難にあったと聞いたのは、今さっきだった。擦れ違ったラドルフとラルゴが、ジンたちから聞いたのだという情報を耳打ちして行ったのだ。

そして、その盗難された制服らしい「もの」が、ここに在る。中身入りで。

「どうする、マキ。エイクロイド辺りに連絡するか?」

二人がさり気なく様子を窺っていたのは、奇しくもジンたちが先に違和感を抱いた例の一団だった。セントラルの制服を着た生徒が一人と私服の少年たちが三人、通路にはみ出すように陣取っている。その、大仰に投げ出された足が邪魔だなと内心嘆息しつつマキは、問うて来たカナメに答えるべく小さな頭を旋回させたところで、もう一つの「それ」を目端に捉えてしまった。

もう一つのそれ。彼、か。彼は適度な間を保って並べられているテーブルの一つに着き、白いクロスの上に両肘を載せて頬杖を突いていた。別段目立つでもない濃い色のブルゾンに、色褪せた飴色の髪。「同い年だとしたら高い部類に入るだろう身体を華奢な椅子に収めて」、視線だけをマキに向けている。

ふーん。とマキはそこで、何か納得したように息を吐いた。

答える風のない少年を、だから肯定と受け取ったのか、カナメは屈めていた身を起こして胸のポケットに挟んである通信機のスイッチを押そうとした。途端、目に付いた一団から制服姿の少年がついと離れて、周囲をちらちらと見遣りつつテーブルの間をすり抜けて行こうとする。

広い視野でその動きを確認したマキの碧眼が鋭く揺れ。

一人、周りの風景に溶け込んでいた飴色の髪の「彼」の薄い唇に微かな笑みが載る。

思惑は一致した。

マキは「彼ら」の行動を最後まで確かめずにカナメが胸元に置いた手に白い手を重ねて引き止めると、怪訝そうに眉を寄せた上級生をゆっくり振り仰いだ。

清楚なピンクに彩られた唇にほんのりと笑みを載せて小首を傾げる、少年。

その、愛らしいのにどこか挑戦的な微笑に、カナメは無言で片眉を吊り上げた。

ジンに連絡しようとしていたカナメを留めたマキは、さてどうしようかと少しだけ考える。正直、少年としては出たとこ勝負で叶わなかったのだが、如何せんここは営業中のオープンカフェのど真ん中だ。いきなり、尻尾も見えない怪しい連中に喧嘩を吹っ掛ける訳には行かないだろう。

しかし、マキは確信している。

あの一団がセントラルの制服を盗み出し、何かしでかそうとしている、と。

シメて吐かせたら早いんだけどな。と、内心物騒な事を考えつつもマキは、重ねたカナメの手を胸元から下ろさせて再度にこりと微笑むと、ワゴンを押し歩き出した。とにかく、彼らに接近してみようと思う。それであちらから手を出してくれれば儲けモノだ。

大して距離のない彼らとの間を詰めながらマキは、掛けられる声に答えて少し恥ずかしげな笑みを見せては会釈したりした。その少年の行動を黒い瞳でちらりと見遣ったカナメが、呆れたように短い息を吐く。

「おかしな騒ぎなんか起こしゃ、ベイカーさんに嫌な顔されるぜ」

極力唇を動かさないで放たれた一言に、マキはこくんと頷いて見せた。それは、判っている。しかし、あんなにもあからさまなものが目の前にあるのに、どうして見逃せようか。

マキの正義感が強い訳ではない。だがしかし。

彼らはつまらない、姑息で卑怯な、マキの「理(ことわり)」とは相容れない連中だ。暗躍なんて恰好のいいものではなく、ただこそこそと自己満足のために周囲を騒がせるだけで、折角の学園祭に水を差そうとしている。

そんなモノが目の前でのうのうとしているなどというのは、我慢出来ないではないか。

少年は、見た目だけなら愛らしい癒し系だが、その実中身は紛う事無く「スレイサー家」の意気で一杯なのだから。

だからマキは、少年の真意を計れないながらも付き合ってくれる気なのだろうカナメにもう一度輝くような笑みを見せ、その流れで、にやにやといやらしい薄笑いを浮かべたまま周囲を物色している件の少年たちと…。

     

その向こう。

通路の真ん中に立ち、なぜか、もの凄いいい笑顔で白い歯と眼鏡のフレームを光らせたマスター・ベイカーが、ぐっと親指を突き出して居るのを、広い視野に納めた。

     

   
 ■ 前へ戻る   ■ 次へ進む