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EX+4 学祭ハリケーン

   
         
(5)

     

『教義は、この世に対する自分の在り方を少ない言葉で明確に記している。

君たちが何か行動しようとする時、それが教義の全てを満たしているかどうか、一度冷静になって自らに問いなさい。

答えが「応」なら、闘う意気を満たし。

答えが「否」なら、状況を見なさい。

蓄えた「力」をその身が滅するまで行使しない事は恥なんかじゃなく、この世が、平和だという事なんだよ?

と、難しくって半分も理解出来ないボクに真剣に教えてくれたのは、フォンソルだった』

     

     

殊更緊張するでもなく、押すワゴンの硬いタイヤをからからと鳴らしながら、マキとカナメは問題のテーブルに近付いて行った。その二人を取り囲んで徐々に迫る喧騒に気を引かれたのか、テーブルに着いている三人がきょろきょろと頭を巡らせ、ついに、黒いスカートの裾から純白のレースを少しだけ見せている金髪の少年に気付く。

さて。

彼らの反応は笑っちゃうくらいにありきたりで完璧だった。わざと一瞬硬い表情を見せたマキから視線を外さないままなんだか嫌な感じに口元を歪め、三人が顔を寄せひそひそとやり始める。

さて。

その一連の流れを上空…あえてマキの一歩後ろを歩いていた…から眺めていたカナメは、一秒呆れ一秒惚け、その後全部の時間を心の中で爆笑するのと表層に届きそうになるそれを押し留めるのに費やした。愛らしいメイドさんが刹那だけ見せた、怯えに似た表情が完璧過ぎる。確かに、喋らないだけで普段から表情は豊かなくらいだから今のだって本気の「怯え」だと取れなくもないが、たかが学生のチンピラ三人くらい三秒で地に這わせるような豪腕だと前置きするなら、今の表情とびくついた気配は百パーセント演技だ。

なんというか、傍迷惑な感じに茶目っ気たっぷりか? 何にせよ、今のマキは完全に「大きなおめめうるうるでちょっと乱暴にされたらすぐ泣いちゃうカワイコちゃん★」に見えるだろう。

真相は、大きなおめめうるうるでちょっと乱暴したら相手がすぐ泣いちゃうタイプだが。

怖ぇ…。と、可愛らしいメイドさんが傍に来るのを今や遅しと待ち構えているチンピラどもなど意にも介さず、カナメはわざと肩を竦めて震えるフリをした。と、それに気付いたらしいマキが、ちょっと唇を尖らせて拗ねた顔を作り、大きな瞳でちろりと見上げて来る。

「上手くやれよ。俺が派手に動くより、お前の方がウケがいいぜ、きっと」

遠くに見えるマスターの気持ち悪い爽やか笑顔を視野の端に入れたままカナメが小さく呟くと、メイド姿の少年は小さく頷き、問題のテーブル脇から通路にはみ出していた少年の邪魔な爪先を、カフェワゴンの小さなタイヤで…、豪快に轢いた。

     

     

ガタタタタン! といかにもバランスの悪い音がカフェワゴンの足元から聞こえるなり、不安定によろめいたそれが天板に載っていた空の茶器を宙に飛ばしながら通路に横倒しになる。

「いってぇえええ!」

真実相当痛かったのだろう少年の一人が狭い椅子の中で身体を二つ折りにし、飾り気のないスニーカーの甲にくっきり描かれたタイヤ痕の辺りを手で押さえているのを、件のカフェワゴンに駆け寄って引き起こしたばかりの少年が、ただでさえ大きな碧の双眸を益々瞠って、蒼褪めて、口元に細い手を当て凝視した。

「てめぇっ!」

悶絶している当事者を差し置いて隣に腰を落ち着けていた少年が勢い良く立ち上がるなり、華奢な椅子が派手な音を立てて倒れる。それに驚いたのだろうマキがびくりと肩を震わせ、彼らを囲む無音の喧騒がぎくりと冷えて、その場が重たい緊張に張り詰めた。

「申し訳ありません」

自分レベルで精一杯腰を低くしたカナメが言いつつ、丁寧に頭を下げる。それに倣ってなのだろう、それまで呆然としていたマキも慌ててぺこんとお辞儀すると、身を屈めたまま足をさすっていた少年と仲間たちがちらりと目配せし合い、それから急ににやにやと口元を歪めて、恐縮して小さくなっているメイド姿の少年に視線を当てた。

ゆらりと座席を離れた少年たちが、頭を下げたきりぴくりとも動かないカナメを押し退けてマキに近付く。その、殊更恐怖心を呷るようなゆっくりとした動きに、ギャルソンを気取るセントラルナンバーツーと、「大きなおめめうるうるでちょっと乱暴にされたらすぐ泣いちゃうカワイコちゃん★」紛いの豪腕は、固唾を飲んで見守るギャラリーにバレないように、心の中でだけ舌を出した。

あのさぁ。と、少年の内の一人が落ち着いた猫撫で声で言いながら、俯いたきりのマキの細い肩に手を置く。

「こいつの足の指とか、折れてたらどうするよ」

マキの肩に手を置いたまま少年が軽く顎をしゃくると、カフェワゴンで轢かれた少年がまたわざとのようにその場にしゃがみ込み、痛ぇ痛ぇ! と下卑た笑いを含む声で悲鳴を上げる。その様子を蒼褪めた顔で一瞬見つめたマキは、大きな碧色の双眸を潤ませておろおろと視線を泳がせた。

「医務室とかさー、連れてってくんねぇ?」

言われるなり、マキは肩に置かれている手を振り切るようにしてしゃがんだ少年に駆け寄って、その腕に手を回して彼を引き起こそうとする。しかし、当然? わざとやっているのだろう少年はにやにやするばかりで立ち上がらず、マキは心底困ったような顔で輪の外に弾き出されていたカナメを仰ぎ見た。

「すぐ、医務班の…」

ここは口を挟む頃合かと、揉める彼らをそわそわしながら盗み見ている周囲を一度ぐるりと見回してから、しゃがみ込んだきりのマキとチンピラに歩み寄ろうとしたカナメが、刹那奇妙な顔をする。

カナメたちを窺うギャラリーが、明らかに遠のいていた。先までお客の座っていたテーブルの幾つかが無人になっていて、まるで場所を空けるかのように彼らから離されている。いつの間にと訝しむカナメの視界を掠めたのは、何食わぬ顔でテーブルを移動させているジンとリックの背中と、これまたいつの間にか引き返して来ていたらしいラドルフとラルゴのちょっと心配そうな顔と。

やはり、何か企んでいますよ? という笑みを消さない、マスター・ベイカー。

不審というよりも疑問を抱きつつマキとチンピラに近付いたカナメの前に、別の少年が立ちはだかる。

「いやいや、おにーさんはお仕事に戻ってくれていいんですよー。ボクら、このコに連れてって貰うんで」

少年がにやにやと口元を歪めたまま言うが早いか、唐突に立ち上がった少年がマキの腕を掴んで引き起こす。それに驚いたのだろうメイド服の少年がびっくりしたように目を見開いたが、先まで悶絶していたはずのチンピラ少年は構わずに細い腕を強引に引っ張って、カナメをその場に取り残したままどこかへ行こうとした。

その時になって、マキはようやく抵抗らしい抵抗を、弱々しいながらも見せた。掴まれた腕を振り解こうとばたばた暴れ、肩に掛かる金髪の先端を激しく振り乱して首を横に振る。

その怯えた様子に嗜虐心を刺激されたのか、マキを捕らえていた少年はますます指に力を込めて、その細い身体を強引に引っ張ってどこかへ連れて行こうとした。どこへ? どこへだろうか。人気のない所か。そこでいかがわしい事でもされてしまうのか? メイド姿の幼い少年を三人でどうこうしようだなんて、それは明らかに犯罪だ。

それとも。

盗んだ制服を着込んだ少年と彼らが「何か」しようとしていて、その為の目晦ましに利用すると考えれば、今のマキほど最適な人物はいないのではないか。メイド姿の少年はどこに行っても酷く目立つから、逆に人目に付きたくない誰かの行動を霞ませるのには丁度いい。

何にせよ、黙って連れて行かれるつもりは皆無なのだが。

頭の中では冷静に考えつつもマキは、先より強い力で引き摺られるのに抗ってますます激しく腕を振りながら、身体全体を使って少年から離れようとした。助けを求めるような素振りで斜め後ろのカナメを見遣れば、背の高い少年の前を残りの二人が塞いでいて、こちら側にはすぐ来られないようだった。

やめて下さいとも言わず無言で弱々しく抵抗するだけのマキを、少年が無理矢理引っ張り寄せる。その時、さっきカフェワゴンで轢いた足に程よく力が入っているのを目にして、金髪の少年は微かに目を細めた。

周囲の気配が明らかに刺々しくざわめいている。

これ以上小競り合いを続ければ辺りも「こちら」を無視出来なくなるだろう、張り詰めようとする空気。

もう、潮時だ。

マキは短くふっと息を吐くのと同時、華奢な腕を引かれるままに少年の懐に倒れ込む素振りを見せた。

瞬間で。

それまで不安定に揺れていたマキの纏う空気が一気に冷たく沈み、左腕を引き寄せられて踏み出した右足の分厚い靴底が硬い地面を叩くなり、小さな身体がぎゅるりと反時計回りに高速回転する。その時、マキの細い指は自分の腕を掴む少年のシャツに引っ掛けられていて、もう一方の腕は流れるように振り上げられていた。

だから、少年には悲鳴を上げる暇もなかっただろう。

強引に引き寄せたつもりが胸に飛び込んだ、黒いドレスを白いレースで慎ましやかに飾った痩躯が、少年の腕を巻き込んで目前で旋回。あっと思う間もなく視界の外から襲い掛かって来た腕が側頭部に絡みついて、元より螺旋の動きで前傾していた身体を益々前方へと引き倒し、不安定になった足元を、軸足を追った左の踵で蹴飛ばされる。

瞬き一回分の時間。小さく回転したマキの踊る金髪がふわりと急落した時には既に、悪役たる少年は地面に放り出されて仰向けに転がり、呆然と上空を見上げていた。

「ああああっ!」

鮮やかな一瞬の妙技に目を奪われていたギャラリーからそんな悲鳴が起こったのは、チンピラ少年を地面に転がした直後、綺麗に一回転したマキの足元が縺れてぐらりと揺れ、結局、黒いミニスカートの裾を盛大に翻してその下の純白レースを派手に見せた少年が、ぺたん、と地面に尻餅を突いてしまったからだった。…まぁ、悲鳴は悲鳴でも悲痛なものではなく、ニーハイソックスからちらりと覗いていただけの白い太腿なんかがばっちり見えちゃって嬉しい悲鳴なのだが…。

慣れない厚底ブーツにバランスを崩したマキは、倒れた悪役少年の間近にあひる座りして、地面に打ち付けてしまったお尻をさすりながら目を潤ませている。その、濡れた碧色の双眸とちょっと赤くなった鼻の頭、摺り寄せた膝小僧と捲れ上がったスカートとちら見せの太腿という最早最強レベルの愛らしさに取り囲むギャラリーのテンションは一気に沸騰し、あたふたと椅子を蹴散らしてマキに駆け寄ろうとする輩までちらほら見えた。

が、しかし、だ。

そこだけエアポケットのように静かだったマキの正面、残り二人の「悪役」どもの身体が派手に回転し、次には地面に組み伏せられていた。一人はうつ伏せで片腕を捻り上げられた上背中を膝で押さえられており、もう一人は仰向けで襟首を片腕で締め上げられた挙句腹部を脛で圧迫されていて、どちらも身動きが取れない。

再度、動き出そうとしていた周囲がしんと静まり返る。

一人をうつ伏せにしているのはカナメで、もう一人を仰向けに締めているのは、女王杯二連覇の王者ラドルフ。二人は全く息を乱すでもなく辺りをひらりと一瞥し、それから目を合わせて自然に笑みを浮かべると、そそくさと近付いて来た別の生徒…ジンとリックに組み伏せていた「悪役」を引き渡し、軽く衣服を叩いて埃を落とした。

ギャルソンたちの動作は、それこそ完璧に極まっている。眩しい白いシャツと爽やかな笑顔は呆然としていた観客を魅了し、足首まである長いサロンの裾を優雅に捌いてマキの傍に歩み寄るのを、誰もが言葉もなく見守った。

二人はゆったりとした足取りでマキの正面に立つと、片手を胸に当て、もう一方の手を地べたに座った少年に差し出して身を屈め、にこりと微笑んだ。瞬間、ギャラリーからきゃぁ! と黄色い悲鳴が上がる。

差し出された手と二人の上級生の顔を順番に見遣ったマキが、恥ずかしげに長い睫を伏せて両手を掲げそれぞれの手を取ると、ラドルフとカナメは示し合わせたかのように身を起こして、少年を立ち上がらせた。小さな身体が軽やかに伸び、黒を白で飾ったスカートがふわりと膨らむ。

とん。とブーツの底が地面を叩いた。

「これにて、拳闘科による公開実技を終了いたします。皆様、最後までご観覧ありがとうございました」

佇むラドルフとカナメに挟まれたマキがふかりと微笑むなり、倒れたきり呆然としている「悪役」の前に進み出たマスターと、マスターの隣に並んだラルゴが丁寧にお辞儀する。公開実技? と、状況がいまひとつ把握出来ていないのだろうギャラリーの不審な空気を物ともせずにマスターは微笑み続け、マキよりも露出度の少しだけ高いメイド服姿のラルゴがその綺麗な顔に殊更綺麗な笑みを浮かべて辺りを威嚇すると、ようやく、といったようにぱらぱらと拍手が起こった。

それを合図に、マスターとラルゴ、ラドルフとカナメとマキがもう一度頭を下げ、待機していたのだろう他のギャルソンたちがわらわらと集まって来て、撤去していたテーブルを元の位置に戻し始める。

その喧騒の中、ラルゴはにこにこしながらマキの手を取り、二人のメイドさんは顔を見合わせて微笑み合った。

偶然にせよ何にせよ、その姿を目にしたギャラリーは幸運だっただろう。何せ、どちらも掛け値なしに「かわいらしい」のだ。二人は仲睦まじく手を繋いだまま会釈して、笑顔を振り撒きながら踊るような足取りで退場し、ラドルフとカナメは恭しく礼をして颯爽とその場を立ち去り、最後に、「悪役」たちを従えたジンとリックと、最後まで地面に寝転んでいた一人の肩を強引に組んだマスターが頭を下げて、ゆったりと消えて行く。

     

「それでは皆様、引き続きごゆっくりどうぞ」

     

撤去されていたテーブルを元に戻し、一旦席を立たされていたお客を丁寧に座席に案内し直したギャルソンたちがお辞儀して、この、即席の「公開実技」は幕を閉じた。

     

   
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