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EX+4 学祭ハリケーン

   
         
(6)

     

『強くなるのは、きみのため』

     

     

似非「公開実技」で見事な悪役っぷりを披露してくれた少年たちは、いかにも面白くなさそうな顔で、オープンカフェの控え室に使われている部屋の中央に座らせられていた。

「やーやー。君たちにはご協力感謝しますよ、ホントウニ」

半ば強引に彼らを連行しておきながら、マスターは悪びれた風など微塵もなく…というか、本当にないのだから当然だろうが…爽やかな笑顔で言い放ち、芝居がかった様子でぱちぱちと手を叩いた。

「それにしても見事な受け身だったねぇ、キミ。そちらのお二人にしても、地面に転がされたのに全然ダメージないなんて、余程普段から鍛えてるんだろうねぇ」

と、部屋の真ん中にずらりと並べられた椅子にだらしなく座り込み、カフェに居た時と同じように足を投げ出した少年たちの正面に立って腕組みしたマスターが、いかにも感心したように言いながら顎に手を当て、うんうん頷く。その、もうこれって百パーわざとなんで怒るトコですよー、的に目元だけを緩めた真の悪役を、下っ端やられ役の少年たちは鼻面に皺を寄せて睨み付けていた。

事実、彼らに怪我らしい怪我はない。マキたちはそれぞれ三人を地面に転がす瞬間、上手い具合に力を抜いたり引き上げる力を加えたりして、被害を最小限に抑える努力をしている。まぁ、明日辺り多少痣が出来ているかもしれないが、見た目あれだけ派手な立ち回りだったと考えれば、ないに等しい。

「ホントウニ、良かったよ、キミたちみたいなのが居てくれて」

ハハハハハ! と殊更機嫌良さげに笑うマスターの背中や横顔をそれぞれの位置から眺めつつ、マキとラルゴ、ラドルフ、カナメは噴き出しそうになるのを必死に堪えていた。あまりに微妙過ぎて聞き逃しそうだったが、マスター・ベイカー、今の台詞は全く彼らを褒めていないだろうに、と誰もが思う。

「はー、そーですか、そりゃ、光栄ですねぇ。オレたちゃぁしがない三流学生で、あんたらは天下のセントラルの生徒さんですからねぇ。お役に立てて嬉しいですよ」

三人のうちの一人がいかにもバカにしたような口調で言い捨てて大仰に肩を竦めると、不意にマスターの眉間に皺が寄った。顔は辛うじて笑っているのだが、明らかに彼は気分を害しているように見え、マキがちょっと首を捻る。

「ところで、キミたちと一緒にウチの生徒が居たよね? 最初」

少年たちがマスターの言葉に意識を向けた途端、彼はあっさりと手札を切り始めた。上手い具合にのらりくらりとはぐらかす隙を与えないつもりの鋭い一手に、マキたちがちょっと感心する。

「あのバッヂだと高等部の一年生かな? 彼は。連れが突然消えてしまって困っているだろうから連絡を取ってあげたいんだけど、クラスと名前、教えてくれない? すぐ誰かに探させて、キミたちがここに居るって伝えないとね」

先までとは違う、どこか底冷えのする笑みを浮かべて滔々と語るマスター・ベイカーは、やはり侮れない。

マキたちは、無言で彼らの遣り取りを眺めていた。今は下手に踏み込むべきでないと思ったのは、マスターの余裕綽々という態度に賭けたからか。

小首を傾げてにこりと微笑んだマスターから視線を外した少年たちがちらと目配せし合い、すぐにへらりと相好を崩す。

「それにゃ及びませんよー、少し経ったら別の場所で落ち合おうって話だったんで」

だから遅れないうちに行っていいですか、と暗に含ませた少年たちの言葉に、マスターは笑顔で返した。

「いやいやいや。変な事に巻き込んじゃったからね、お礼にケーキでもご馳走するよ? お友達もご一緒に」

怪しさ全開の笑顔で再度小首を傾げたマスターに、少年たちが苛立った顔を見せる。どう考えても沸点の低そうな彼らにしつこく食い下がってひと暴れさせ、それをネタに警備員でも呼ぶつもりかとラルゴ辺りは考えたが、既にここに控えるメイドさん一名とギャルソン二名が「セントラル拳闘科の生徒」であると知られている現状で彼らが強硬手段に出るかと問われれば答えはNOだろうから、では、マスターの目的は果たしてなんなのか、というのが、その他大勢の抱く疑問だろう。

どう、出るのか。

「というかー、そのお友達」

んー。と、顔を微かに天井に向けて難しい表情を作り、マスターは抑えた声でぽろりと漏らした。

「セントラルの生徒じゃないよね」

ぱっと正面に戻された、満面の笑み。

その台詞と行動の唐突さに、悪役少年たちは頬を強張らせた。

「…実は僕物凄い記憶力が良くて、自慢じゃないけど、セントラルの生徒六百有余人の顔と名前は、全部ココに入ってるんだけど…」

言いつつマスターが、自分のこめかみ辺りを指先でこつこつと叩く。

「彼の顔も名前も、思い出せないんだ。それって、おかしいよね? だって僕の記憶力は完璧なのに、ねぇ?」

そんな訳あるか。と最早マスターに集中し過ぎて周囲の呆れ顔に気付いていない少年たちを眺めながら、カナメは内心嘆息した。複数年顔を突き合わせているのだからある程度「見覚えのある生徒」が居るのは当たり前だけれど、だからといってそんな…「化け物みたいな記憶力」の人間が居るわけはない。

しかし。

マスターがそうではないと判っていても、マキはちょっと複雑な気分だった。探った気配、カナメもラドルフもラルゴも、ジンとリックだって、実は内心マスターの話に呆れているようだが、少年にしてみればそれは…ありえない話ではない。

例えば。

兄たちの恋人「たち」を思い出してみる。必要なら、彼らはやるだろう。一秒前までセントラルの生徒の事など全く知らなかったとしても、「その情報がデータベースに蓄積されてさえいれば」、目の前に立たせた生徒の名前と学年を言い当てられる。

それから。

「彼」ならばそれはもっと簡単だ。本当に。彼はつまり…今誰もが「ありえない」と思っている「化け物みたいな記憶力」を有している。

だから少年は改めて思った。

この世に、「ありえない事」なんて「何もない」のではないかと。

そう。

ないんだよねー。と、マキが、強張った顔でマスターを睨む少年たちの憐れさを再確認した矢先、誰かが控え室のドアをノックした。

「しつれーしまーす」

硬質な音に引き寄せられてドアを振り返った全員の耳に飛び込む、聞き覚えのない声。細く開けられた隙間から覗いた飴色の髪にジンは微かに眉根を寄せ、マスターたちはいかにも不審そうに首を捻った。

「お待たせしました」

見ず知らずの闖入者は注がれる探る気配と視線など意にも介さずぱらりとドアを開け放つと、まるで荷物のようにぶら提げていたセントラルの制服…とその中身…を見せ付けるようにずいと前面に押し出して、ついでに自分も入室して来た。

「…君…は…」

今すぐここから逃げ出したそうにスニーカーの爪先で床を叩きながら身体を揺らす制服姿の少年を突き出し、戸惑うように声を上げたジンに顔を向けたのは、あの、褪めた飴色の前髪をやや鬱陶しく顎まで垂らした、地味なんだか派手なんだか理解に苦しむ風体の少年だった。

「ああ、丁度良かった。来たじゃない、お友達」

もぞもぞと身じろぐ制服の少年に笑顔を向けたマスターは、見知らぬ協力者の事はさて置いて、未だ襟首を掴まれたままの「お友達」に近付くと、問答無用でその懐に手を突っ込み身分証明書を引き抜いた。

「セントラル高等部一年Bクラス…。って、どう見ても本人じゃない顔写真のIDカードを持ってるのは、なんでかなー? キミ」

鼻白んだ少年の顔を覗き込むようにして身を屈めたマスターが、いかにも悪そうな表情を浮かべてにんまりと微笑む。

「僕の予測は、二種類。まず、このIDが偽物。または、キミの方が、偽物」

マスターが自分の顔の横に掲げたIDカードを指差すと、制服少年は蒼褪めて唇を震わせた。それを横目でちらりと見遣りつつさり気なく踏み出したカナメとラドルフは、椅子に座したまま小刻みに目配せしあう悪役少年たちの前に立ちはだかると、にこりともせず彼らを上空から見下ろす。

「そんなワケで。洗いざらい吐いちゃおうよ、教員室で。騒ぎに際し、極力穏便に事態を収拾するのが生徒会の勤めだけど、その後の処遇は教員に丸投げですから」

屈めていた身を起こしながら「いひひ」とマスターが嫌な感じに笑った直後、悪役少年たちと制服少年の四人が抵抗すべく、殆ど同時に椅子から立ち上がり、または首根っこを掴む腕を振り払おうとした。

「…―――あーあ」

一秒後にそんな腑抜けた声を上げたのは、完全に傍観者と化していたラルゴだった。マキと並んで椅子に座っていた彼が呆れた溜め息を吐きながら見つめていた先で、椅子から転がるように飛び出した少年たちは立ち塞がるカナメとラドルフに腕を取られてまたもや床に捻じ伏せられ、その妨害をすり抜けた一人は喧嘩慣れしているらしいリックに脛を蹴られて蹲り…。

一人離れていた制服少年は、意外にも機敏な動きで自らの首根っこを掴んでいた手を振り向き様肘で振り払おうとした。しかし、正体不明の協力者は一枚も二枚も上手だったらしく、捻じ切る勢いで半回転しようとした身体が揺れた途端、迷いなくその背に突っ込んで動きを封じるのと同時に、上げていた腕をぴたりと自分の胸に引き寄せて、引き下し、結果、制服少年は不自然に喉元を締められる恰好で無様に背を逸らし、苦しそうな悲鳴を上げながらばたばたと手足を振り回した。

それらを眺めていたマキが、ぱあっと笑顔になってぱちぱちと手を叩く。

「マキちゃんて無邪気でかわいいよねぇ。そのタイミングと現状に対する残酷さが、またいい」

「それを見ながらうっとりしてるベイカーさんは気持ち悪いけど」

心底呆れたという声でぼそりと呟いたラルゴは、なんとなく、すぐ隣の椅子にちょこんと納まっているマキの細い身体を横から抱き締めて、マスターの視線から少年を庇った。なんか、この変態の目に愛らしい少年を晒しておくのが凄く嫌だ。

「…ミン、邪魔」

「邪魔してんだもの当然でしょ。はい、ベイカーさんはさっさとこいつら教員室に連行してってください」

しっしっ。と顎をしゃくったラルゴを恨みがましい目付きでひと睨みしてから、マスターは不承不承ドアの外に待機させていた生徒会の生徒を呼び寄せ、未だ悪態を吐きそうな悪役少年たちを引き渡した。

「あ。盗難された制服の持ち主…この、高等部一年Bクラスのコにも連絡して、教員室に来て貰ってるからね。詳しい事はそこで聞きましょう。つか、とっとと吐いて開放して欲しいなぁ、僕の事は。あんまりそっちにばかり掛かりきりになってると、僕のマキちゃんが寂しがるから」

あははは。と目は笑っていないのにいかにも楽しげな声を立てて笑うという奇怪な技を披露するマスターに、誰もが首を横に振って見せる。

僕のマキちゃんが寂しがるなんてないから。それはない。そもそも、僕のマキちゃんなんてモンはこの世に存在してないですよ、ベイカーさん! とは、後の報復が怖いので口には出せないが。

一人だけテンションの高いマスターが部屋を出て行くと、後には探るような静寂が残った。果たして、この「協力者」は誰なのか。室内をぐるりと見回したジンは小さく息を吐き、役割として、「失礼ですが」といかにも儀礼的な台詞を硬い声で放ちながら、身体ごと件の少年に向き直った。

「まずは、ご協力に感謝します。それで…」

結局あなたはどこのどなたなんでしょうか。と、正直に問う訳にも行かないと思ったのか、ジンが思わず口篭る。

声を発したからなのだろう、見知らぬ少年は邪魔な前髪をかき上げて素顔を晒してから、ジンに視線を送って来た。広い額に涼しげな目元に、人懐こい笑顔。最初に抱いた違和感は既になく、ただ、正体だけが判らない。

なんと言葉を続ければいいのか戸惑うジンの視界を、金色が水平に流れた。

「ジェイ」

弾んだ声がセントラルの生徒たちの知らない名前を紡ぎ。

「マキ!」

気色に彩られた聞き覚えのない声が、よく知った名前で答える。

「………!」

それが一体何を意味するのか一瞬惚けたジンたちの見守る真ん中、メイド服に身を包んだ少年がぴょんとジャンプして、両腕を広げて身を屈めた件の少年…ジェイとマキは呼んだ…の首根っこに縋りつき、少年もまたマキが腕に飛び込んでくるなりその痩せた身体を両腕でしっかりと抱き締めたではないか。

「お前に羞恥心とかなくてよかったよー、ホントに! すげぇかわいい!」

微妙に失礼な台詞混じりにではあるが褒めたのだろう少年が、マキの額に頬ずりしながら溶けそうな声で言うなり、室内に奇妙な緊張が走る。

なんだこのラブラブカップルみたいな行動は!

「お前ばっかずりぃとかブーブー言ってた老師とリセルさん振り切って、向こう三ヶ月は冷たくされる覚悟で来た甲斐あったわー」

いつの間にか膝裏に手を入れて、いわゆる「お姫様抱っこ」…というか、小さな子供を腕に座らせているに近い状態になってマキを抱えている長身の少年を、ラドルフとカナメは感心して見ていた。この光景の衝撃に誰も気付いていないようだが、いくら小柄とはいえマキをあの状態で抱き上げホールドするのには、相当な筋力が必要だ。

などと冷静に分析する上級生を余所に、未だ名前も判明していない少年は腕に抱えたマキの額やらほっぺたやらに頬ずりを繰り返しつつ、「かわいいかわいい」と連発していた。そして、本意でなければ思いっきり迷惑そうにするか、問答無用で相手を床に沈めるかというメイド姿の少年もまた、成すがまま、少し恥ずかしそうに微笑んでいるばかりで、抵抗する素振りなど微塵も見せていない。

だとしたら!

「………―――でさ、きみ、誰?」

年少組…ジンとリックが無表情に蒼褪めているのをいっとき呆れた視線で撫でてから、ラルゴは特別剣呑な声を作ってラブラブカップル(?)の気を引いた。ああなんてこのコたちはだらしないんだろうここはショックを受けてる場合じゃないよ!! と世間様に対してキレ易い競技科の自称アイドルは、セントラルの有名人相手にもあっさりとキレたらしかった。

だから、声を掛けられてきょとんとした少年につかつか歩み寄り、その腕からメイドさんを引っぺがして、自分の腕にぎゅっと抱き締める。

消えて、一秒後にはラルゴの腕に収まっているマキの顔を見つめたまま、少年は暫しぽかんとしていた。ぎゅうぎゅう力を入れてくる先輩メイドに抱き着いていたマキが、不意に頬を赤らめて、少し困ったように眉を寄せて、上目遣いに正体不明の彼を見返す。

複雑な笑みと、ぴかぴかの碧色と数秒見つめ合って、少年が不意に相好を崩した。

その表情がどこか幼く、酷く嬉しそうで、室内に居る誰もが戸惑った。本当に、彼は一体何者なのか…。

少年は。

不意にぴしりと背筋を伸ばして直立し、固めた左の拳を肘を張って差し上げ、広げた右の掌に胸の前で合わせた。

「はじめまして。おれはジェレミー・シュルツ。スレイサー道場の門下生で、マキの幼馴染で、未来の恋人です!」

マキには、希望かよ。という…誰かの突っ込みが聞こえた気がした。

     

   
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