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EX+4 学祭ハリケーン

   
         
(7)

     

『アンさんへ

辛い事とか、苦しい事とか、色々あって大人になるんだからそれから目を背けちゃだめなんだよってあの時アンさんが言ってくれたから、ボクは少しずつ変わる事が出来たんだって、思います。

ありがとう。

マキ』

     

     

奇妙な静寂に室内がしんと静まり返る。

恐る恐る視線を上げてみれば、間近にあるラルゴの綺麗な顔が微妙に歪んでいて、やたらいい笑顔を振り撒くジェレミーをジンとリックが苦虫を噛み潰したような表情で見ていて、ラドルフとカナメはなんだか得心がいったように頷き合っていて、マキは思わず溜め息を漏らしてしまった。

相変わらずバカだ、ジェイ…。

多分マキの出方を待っているのだろう周囲を再度ぐるりと見回して、少年は仕方さげにもう一度溜め息を吐いた。ちなみにその間もラルゴに抱きついたままで、ついでにちょっと項垂れたりして額を競技科自称アイドルの鎖骨付近に擦り付け、くすぐったいよと軽い笑いとともに言われたが。

昨日、イチイの一件があって以降過剰なスキンシップを求めてくるラルゴが、マキは嫌いではない。実の所、彼はジンやリック、カナメに比べれば感情がすぐ表に出て格段に判り易かったし、それまで一方的な嫉妬のようなものを向けられていたのに比べれば、こうして優しくして貰えるのは純粋に嬉しいし。

しかもラルゴは情が深いようで、一旦懐に招き入れてしまえば細やかに気を遣ってくれた。慣れないウエイトレスの仕事に戸惑う事もあるマキに上級生らしく世話を焼いたり、ナンパに追いかけられて困っていた時には上手くあしらってくれたりもした。

「ていうか、ナニ、その「未来の恋人」って。そんなん誰でも言い放題言えるじゃない。マキってば訂正とか抵抗とかしないんだもん」

……。多少、毒舌なきらいはあるようだが…。

目一杯不機嫌そうな半眼でぼそりとラルゴが呟いたのに、ジェレミーが肩を竦める。

「まぁ、ごもっともって言うか…」

はははと爽やかに笑いながら、少年はちょっと歯切れ悪く言い返した。そうかそうか。マキはまだセントラルで、「訂正も抵抗もしない無口なくせに表情豊かな少年」として通っているのか、というのが、その時のジェレミーの心境だったが。

若干七歳。一般居住区の外れにある初等院に入学したその日、偶然なのか運命なのか、隣の座席で泣きそうになっていたマキ少年の手を取り、何も怖い事なんかないんだよと周りの子供たちより少しだけ大人びた表情で笑ったジェレミーに返された無垢な笑み。その瞬間から数えて既に八年、ジェレミーはマキのナイトになるべくスレイサー道場にまで入門し、進級しクラス替えになる前年のお終いには担任教諭の元に捻じ込んであの極端に無口な少年には自分がいなければダメなのだと懇々と説明して来年度も同じクラスにしてくれるよう頼み込み、学校への送り迎えを一日も欠かした事のない幼馴染に言わせれば、「訂正も抵抗もしないマキ」などというのはこの世に存在しない。

しかしながら、友人たちの行かないでくれという懇願をあっさり蹴ってセントラルに転入し、たった数ヶ月。その数ヶ月ごときで本来の「マキ」が発揮されなかった事にも、少し安堵しているのだが…。

家族と同じくらいの付き合いがあるにも関わらず、ジェレミーが「ジェイ」という愛称でマキに呼んで貰える様になったのは、ほんの二年ほど前の事だった。

「とまぁ、キミに訊きたい事は山ほどあるんだけど、ぼくたちちょっと忙しいんで、少しここで待っててくれる?」

ふと視線を上げて壁に掲げられた時計を見遣ったラルゴが慌てた声で言ったのに、マキもはっとする。こんな所で油を売っている場合ではない。まだ「職務中」だった!

ばたばたと控え室を飛び出すマキたちの背中を、ジェレミーは爽やかな笑顔で見送った。急かされながらも手を振ってきたメイド姿の幼馴染に、もう見ていないと判っても手を振り返してしまう。

その、様子を。

ジンとリックがやたら落ち着いた表情で見ていた。

手荒に閉じられたドアに貼り付いたにこにこ顔で手を振っていたジェレミーは、不意に人懐こい笑顔を引っ込めてひとつだけ息を吐くと、顔の横にあった手をのろりと動かし長い前髪をばさりとかき上げた。

背中に突き刺さる物問いたげな視線がもしも物理的なものだったなら、きっと自分は既に瀕死の重傷を負っているだろうと少年は内心嘆息する。

さてどうするか。まぁ、ここは先手必勝だろうと腹を括ったジェレミーは、彼の友人たちの言う胡散臭い爽やか系の笑顔を作り直して、くるりと背後を振り返った。

「何か、おれに聞きたい事でもある? …ジンくんと、リックくん」

失礼なのを承知で人差し指を立てたジェレミーは、言いながらジンとリックを順番に指さした。黒髪眼鏡の方がジン・エイクロイドで、赤毛長身の方がリック・オル・マツナカだというのは、一目見た時から判っていた。ちなみに、ギャルソン姿の黒髪がカナメ・トキワ、やけに落ち着いた雰囲気で甘いマスクがラドルフ・エルマで、途中早々と退場した神経質そうでハイテンションなのがマスター・ベイカー、もう一人のメイド服の青年がラルゴ・ミンという名前なのも、当然知っている。

笑顔のままさらりと名前を呼ばれて、ジンとリックは一瞬だけ眉のお終いをぴくりと震わせた。

「なぜ、僕らの名前を?」

訝しそうなというよりも淡々と報告を促すジンの口調に、ジェレミーが苦笑する。まぁ、これは普段のマキを知っているなら当たり前の反応なのかもしれない。

「もちろん、マキが君らの事、嬉しそうに話すからだけど?」

話すから。

そのなんでもない発言にジンたちの表情がまた少し険しくなる。

「失礼ですが…」

「それがキミのデフォルトならしょうがないけど、そうでなかったらタメ口でいいよ。おれ、同い年だし」

軽く肩をすくめるようにしてジェレミーが言うなり、ジンとリックはむっと口を閉ざして眉間に皺を寄せた。

確かに、時々見せる幼げな笑顔は中等部生くらいとも取れるが、そもそもリック並みに長身でがっしりとした体格にやたら落ち着いた雰囲気が、ジェレミーをやけに大人びて見せていて、まさか同い年だとは思えなかったのだ。

同い年で幼馴染と脳内で再度呟きながら、ジンはひとつ息を吐いて気持ちを落ち着かせた。

「…という事は、君は前の学校でマキくんとクラスメイトだったという事かい?」

堅苦しい衒いはあるが普段と同様の物言いに戻ったジンが、手近な場所に放置されている椅子を手で示してジェレミーに座れと促す。

「そう。初等院一年からマキがセントラルに転入するまで、ずっと同じクラスだった」

長めの足を持て余すようにしてジェレミーが腰を落ち着けると、ジンは投げ出されていたスツールを引き寄せて彼の斜向かいに座り、リックは雑多に物が散乱した大テーブルに軽く寄りかかって腕を組んだ。その二人の仕草は中等院生には見えないほど堂々として、やけに様になっている。

「…なんつうか、嬉しいよね」

ジェレミーから注がれるどこか居心地悪い視線に内心首を捻っていたジンは、唐突ににかりと笑って言い放たれた台詞に、眼鏡の奥の双眸を微か眇めた。ポーカーフェイスの下からちらりと覗いた、急に何を言い出すのか、こいつは。的空気に、ジェレミーの笑みが少し深くなる。

「マキって、あんなんだろう? だからさ、おれなしで上手くやってけんのかどうか、すげぇ心配してたんだよ。初等院入学式の日に始めて会ってから、七年半かな。おれが、ずっとマキの「言葉」の代わりだったから」

ジェレミーの緑の瞳が、ジンとリックを真っ直ぐに見つめた。

「おれは反対だったんだよ、マキがセントラルに転校するの。でもあいつはどうしても行きたいって言って、もうおれに頼らなくても大丈夫だって、そう言って…。そりゃぁ寂しかったけど、マキが出来るつうんだから、じゃぁ出来るんだろうなって、おれたちは引き止めるのを諦めた」

ほんの数ヶ月前の攻防を思い出すように、ジェレミーが目を細める。

「正直なトコ、六中じゃセントラル目の敵だから」

内容の物騒さに見合わぬ明るい声を立てて笑うジェレミーに、ジンとリックが苦笑を漏らす。

なんとなく判るといっていいのだろうか。

きっとマキは、以前の学校でもアイドルだったに違いない。

「でも、今日来てみて良かったわ、おれ。これでクラスの連中にも先輩たちにも、マキはいい友達に恵まれて楽しくやってるって報告出来るし」

「古巣の友人たちに認められたと思っていいのかな」

ふと柔らかく微笑したジンが穏やかに呟くと、ジェレミーは肩を揺らしてまた笑った。

「古巣とは、言ってくれる」

わざとのように剣を含んだ声に、リックが肩を竦める。しかしその表情は緩んでいて、だからこの場の空気は悪くない。

「―――マキが喋らないのには、理由があるよ」

和やかな空気を霧散させない程度の緊張を持って、ふとジェレミーが漏らす。それでジンとリックも笑顔を引っ込め、無言のまま小さく頷いて先を促した。

「んで、マキは別に、それを自分の言葉で伝える事に拘ってない」

意地悪くではなく淡々と紡がれた台詞を二度脳内で再生したジンが、いささか訝しそうに眉根を寄せる。微かな緊張と、友好的な空気。それでいて今の言葉という流れを考えて出た結果に、少年は戸惑わなかった。

「シュルツ君に尋ねれば、答えてくれるという事かい?」

言われたジェレミーが一瞬奇妙な顔をする。それからすぐに表情を緩めて、大袈裟に肩を竦めた。

「ジェイでいいよ。みんなそう呼ぶ」

思い出したように付け足された言葉にジンとリックは頷いたが、それ以上何かを言うつもりはないようだった。だからここは自分のターンなのだとジェレミーは思った。

「そう、なんでも答える。マキは何も隠さないし、嘘だって言わないし、自分の言葉に拘ってもいない」

「そうか。マキくんについて一つ理解が増えた事を、君に感謝する。しかし僕は、彼自身の事は彼の口から、彼の言葉で聞きたいと思う。だから申し訳ないが、君について幾つか質問させてくれないか」

きっぱりと迷いなく、それこそ立て板に水の勢いで紡がれた言葉に、ジェレミーは思わずきょとんとしてしまった。

「それにさー、どうやらマキちゃんと家族になんかあるらしいって、昨日ちょっとしたきっかけで知っちゃったんだけど、その時マキちゃん、後でちゃんと話すって言ってくれたしねー。マキちゃんが話してくれるってんだもの、待つでしょ?」

背中を丸めるようにしてテーブルに寄りかかっていたリックが言いながら、ちょっと面白がるような顔をしてジェレミーを見つめる。その、もしかしたら挑戦的とも取れる表情の意味を正しく受け取って、あの極端に無口な少年の幼馴染はもう一度しょうがなさそうに肩を竦めた。

「おれは、マキが自分で話してくれるようになるまで六年掛かった。きみらの待ち時間がそこまで長くない事を祈ってるよ」

どうでもよさげに呟いたジェレミーの真面目腐った顔を凝視したまま、ジンが始めて、彼に向かって薄い笑顔を見せる。

「六年かかっても、まだ僕らは二十歳にしかなってないじゃないか」

だから焦る事はない。

その返答にジェレミーは、なるほどマキはいい友達を持ったなと感心する傍らで、自分の「立場」が大いに怪しくなってきたと、少しだけ寂しい気がした。

     

     

その後マキたちが戻って来るまでにジンとリックがジェレミーにしたのは、見知らぬ同士がお互いを理解するために必要な、つまり、普通に友人を作るときにするだろう、いかにもありきたりな質問ばかりだった。

そのくすぐったいような時間を経てから、二人が一つだけマキについてジェレミーに尋ねたのも、ある意味、ありきたりの質問だったが。

「六中時代には居なかったよ。てか、あいつ、理想が高いっていうか…そもそもの基準が天蓋の向こうくらい高いからなぁ」

わざとらしく眉間に皺を寄せたジェレミーが答えるなり、ジンとリックが同時に首を捻る。

即ち。

マキ少年に「好きな人」はいたかどうか。と、ジンたちはジェレミーに訊いた。

そもそもジェレミーがそのマキの「好きな人」ではないという前提ではっきり問われるのはどうかと当の本人は内心苦笑したが、家族の次に近い幼馴染、という位置から抜け出せずに居ると自覚しているから余計な駄々は捏ねない。自称「未来の恋人」ではあるけれど、どう考えても…。

「師範や師範代…マキの兄貴たちもそうなんだけどさ、あすこの兄弟はとにかく、大師」

ぴ! と人差し指で天井を指したジェレミーが、ジンとリックを交互に見遣る。

「一番上のお兄さんな? その、大師が大好きだからなぁ」

兄弟が理想の基準であるのは別に構わない。それよりも、中身も知らないアイドルか俳優を想像だけで美化して、それ以上でなければダメ! なんて言われるよりもずっと現実的だと納得しかけた二人に、ジェレミーは力一杯首を横に振って見せた。

「大師だぜ? 百人中百人がかっこいいって即答するくらいの男前で、化け物みたいに強いんだぜ?」

「…見た目の良し悪しは個人の主観によるものだろう?」

だから、百人中百人が認める男前、なんてこの世に存在するのかと訝しそうな顔をしたジンに、ジェレミーが乾いた笑いを見せる。

「見たら早ぇよ」

言いつつジャケットの内ポケットから携帯端末を取り出したジェレミーは、モニターに一枚のフォトを表示させて二人の顔の前に突き出した。

画像も荒く小さいので酷く見難いが、どうやらそれはマキとジェレミーと、スレイサー兄弟が道着で一緒に写っているものだった。手前中央に並んで笑っている末っ子と友人の背後、間に挟まるようにして肩を抱いているのは、目尻の吊り上がった琥珀色の双眸を眇めた、茶色の短髪の青年。そう背は高くないが目鼻立ちがぱっちりしている。

その三人を挟む左右には、全く同じ顔の青年が二人。きゅっと吊り上げた唇の端が何か企んでいるいたずらっ子みたいな印象を受ける彼らの顔には、ジンもリックも覚えがあった。柔らかそうな光を纏う飴色の髪を、右の青年は清潔に短く整えていて、左の青年はやや長めに伸ばして首の後ろ辺りで一つに括っていた。顔立ちは、先の青年よりも少し地味目で、同じ顔が二つでなければ取り立てて目立つでもないように思う。

と、ジンとリックが冷静に思ったのは、小さな画面を向けられた瞬間吸い寄せられるように見た「その人」から目を逸らし、ようやく全体に視野を広げてからだったが。

マキでもなく、ジェレミーでもなく。

柔らかさの欠片さえ見つけられない鋭角的で端正な顔。流麗な孤を描く細眉の下には、冷たいサファイヤブルーの切れ長の双眸。削げた頬と真一文字に結ばれた唇にも甘さや柔和さはなく、いかにも男性的な印象だった。

驚くような、銀髪の。

多分一般的体格だろう双子よりも更に背の高い男。

「その、銀髪のが大師だよ。お城の警備に当たってる偉い人で、老師を除けば道場で一番強い。そのくせ変な所ではてんでダメだし、何年も前から婚約状態にある恋人には、大師を知ってる人ならびっくりするぐらい甘い」

言いながらジェレミーは、今まで何度かしか見たことのない大師の「婚約者」という青年を思い浮かべた。ぱっと見二十台前半、全体的に色が薄くてほんわりとした印象の、優しそうな男性。しかしながら、だ。

ファイランで何番目かに畏れられている魔道師だと聞いた。今現在警備軍に勤務している師範代も、城内でのあの人の噂は外見の派手な兄よりも派手だと言っていたし。

「その大師の上を行かなかったら、マキの恋人候補になんかなれないぜ?」

多少の意地悪を込めてジンとリックに言ってやったジェレミーは、呆然として固まっている二人の…ここだけやたら歳相応な子供っぽい失望顔を、内心でくすりと笑った。

     

   
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