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    落花の壺    
       
其の三 喰らう(4)

  

 どどおん! と封印された庭だけを激震させて、落雷。すこし離れ落花の壷に向いていたこたろが、大事無いと知りつつも思わず振り返った。

 遥か上空から瞬きよりも速い速度で地面を貫いた真っ白な光は渦を巻き、たった今まで散歩とひときりのいた場所をすり鉢状に抉り取って消える。

「さん……!」

 言いかけてはっと口をつぐみ、慌てて外法師の背後に隠れた眼前で、圧縮された空気が炸裂した。

「よそ見すんな、化け猫。たかが首なしにモタついてるようなら、ついでにてめぇもハラの足しにすっからな!」

「…ひときり……」

 咄嗟に懐から引っ張り出した呪符で衝撃を有らぬ方向に飛ばした外法師が、もういい加減にしろと言わんばかりに溜め息を吐く。

 ぴーぴー泣くこたろを背中に貼り付けた外法師を、ドーナツ状に抉れた地面の無傷な真ん中で、散歩を抱えたままのひときりが睨む。

「なんか文句あんのか、タコ法師」

「ある」

「……」

 むっとしつつもひときりが言い返さなかったのは、ここでバラされては困る事があったからなのだが、その歯切れの悪い行動に、こたろが思わず目を剥いた。

「何? 外法師、ついにあのキョーボーハラヘラシ飼い慣らすのに成功したのか?」

「いや・・・。とりあえず、……それ以上の発言は控えた方がいい。嘘じゃなくて、一緒に食い殺されるぞ」

 だから、言いつけは守ろう。と溜め息交じりに呟いて、外法師は再度懐に手を入れた。

「護法」

 呟いた外法師が、何も書かれていない一枚の紙を取り出し落花の壷に向かって投げつけると、流れるような動作で空中に奇妙な印を描き、最後に軽く掌で叩く。

 刹那、舞い飛ぶ紙片がオレンジ色の光を放ってぐしゃりと潰れ、すぐに小さな蛙の姿に変わった。

 ぴょんと飛び出した蛙は大きな壷に取りつき、取りついたと思う間もなくじわりと滲んで吸い込まれてしまう。

 壷の内部にどれくらいの首無しがいるものか見当もつかないため、強制的に全部を引っ張りだそうというのだ、無理をし過ぎて壷を破壊してしまうのは、どうにも都合が悪い。

「壷の保護はわたしに任せておけ。内側に入れるか?」

「水、抜いていい?」

 外法師の背中からようやく離れたこたろが、指をこきこき鳴らしながら爛々と輝く瞳で彼を見上げる。半兵衛の時は仲が悪いようだが、外法師には懐いているらしいのが七不思議。

「構わない」

「んじゃぁ、ちょっと行ってくる!」

 にっと牙を剥いたこたろがぱちりと指を鳴らすと、今までなみなみ溜まっていた碧水が一瞬にしてまたあの水球に変り、上空に弾き出され霧になって消える。それを確認する事もなく地面を蹴ったこたろは、水球と入れ替わるように壷の真上で身を縮め、くるくるっと二度ほど回転してから、すとん、と大きく開いた口に飛び込んだ。

 しばし待つ。

 急に、壷がぐらぐら揺れ出した。それはあの赤い鬼が出現したときのような静かなものではなく、猛烈に揺さぶられているかのような、激しい揺れかただった。

 外法師は、張った護法に触れてくる衝撃を、全て自分の周囲に吐き出していた。揺れと同時に彼の足下、到る所で地面が抉られて土塊が跳ね上がり陥没するのを目端に捉えながら、見えないはずの壷の奥底で蠢く幾百の首なしと、その首なしを鋭い爪と牙で威嚇しながら最深部まで潜って行くこたろを見つめる。

「さて、なにをするつもりだ? 奥羽の怪猫は」

 呟いて、苦笑い。何が目的なのか、身体中に引っ掻き傷をつけながらもようやっと壷の底に辿り着いたこたろが、わらわらと殺到してくる首なしににっと上機嫌の笑みを向けているではないか。

 がくがく揺らぎ出した壷の中から、こたろの声が聞こえた。

「世におわす精霊五行に則って……」

 内部では、一度胸の前で両手を合わせ、すぐ重ねた掌を足下に向ける仕草。

「……柔なるを名付く。…「柳」」

 呪法の意図はすぐに読めた。

「手っ取り早い方法で外に出すつもりか。これで二種類の呪法が使えれば、本当に一瞬で終わるんだが」

 詠唱の終わったこたろの足下から柔軟で丈夫な柳の枝が十数本、しゅっと生えて生き物のように暴れ出す。その一本一本が、立つこたろに襲い掛かる首無しの胴に絡んでは、頭上に見える壷の口から外へとそれを放り出そうとしているようだった。が、少々距離が遠すぎる。

「ふんぎゃぁぁぁー!!!」

 苛吐いた絶叫に、外法師は思わず吹き出した。

「こたろ、側面の護法に細工をした。口まで投げる手間はいらないから、壁に向かって叩き付けろ」

 言いつつ中空に先刻よりも複雑な紋様を左手で描き、今度は最後に懐から取り出した紙片で発光する表面を撫でる。軽く振ったようにしか見えない一連の動作が終わると中空の紋様は跡形も無く消え、代わりに、何も書かれていなかった紙片にそれが写し取られていた。

 外法師が、手の中の紙片を地面に落し一歩後退する。

「陰陽の、風水の、精霊の五行に則って外法を被せ申し上げる。彼を此処へ」

 それは、例えば呪符を使い詠唱を必要とする日本の呪術に比べ、極めて「魔法」的なものなのかもしれない。だからこそ彼は外法師と呼ばれ、本来在る時代を八百年過ぎた現在も存在しているのだし、八百年前、「現界」を脅かしたあの「鬼」を封じてしまえたのだろう。

 それが、全ての間違いの元だったとしても。

 地面に落された紙片が、一瞬で一帖ほどの大きさに広がる。そして……。

「おっと」

 いきなり、その巨大な紙片に描かれた紋様の真ん中から、痩せ細って薄汚い襤褸を纏った、首のない人体が次々と飛び出してきた。

 衝撃だけを外に逃がしていた護法に、空間を捻じ曲げて「出口」と繋ぐ別の呪法を被せ、わざとこたろに首無しを壁に叩き付けさせる。それによって護法に触れた連中が「出口」から飛び出してくる、と、理論的には大変単純なのだが、別な種類の呪法を同じ力で操らなければならないのは、なかなか骨が折れる。

 だからつまり、こたろが空間を捻じ曲げる呪法を使えれば楽出来たのに、と言いたい訳だ。

 祖先だけあって、やる気に欠けているのは半兵衛と似ている。

 ぞくぞくと放り出されてくる首なしは地面に叩き付けられると次々起き上がり、何かを探るように両腕を前に突き出してふらふらと歩き回った。首がないから当然周囲が見えておらず、元来ただの人間である首なしは、手足に触れるものから首をもぎ取ろうとはするが、触れさえしなければ襲い掛かっては来ない。

「…にしても、数が多いな」

 外法師が、思わずぼやく。

 混み合った首なしの間をするすると通り抜けて落花の壷に歩み寄った彼は、いきなり中に手を突っ込むと、暴れるこたろの首根っこを掴んで引きずり出した。

「まだいるか?」

「もうちょい」

 ふむ、と思案して、こたろを地面に降ろす。

「最後までしっかりやれ」

 えー、手伝ってくれんじゃないのぉ。と唇を尖らせた山猫に笑いかけ、外法師は赤い鬼と睨み合ったひときりを指差した。

「全部出たらあれが動き出す。まさかおまえまで巻き添えにされる訳にはいかないから、先に手を打っておかないと」

 にゃ? と眉をつり上げ、こたろはすぐ照れくさそうに笑った。

「おいらがんばる」

 寂しがりやの山猫は、その人懐こい風貌に似合い過ぎるほど人懐こく、散歩以外で唯一ひときりに対抗出来る(らしい)外法師にやさしくされるのが好きだった。

 再度壷に首だけを突っ込んだこたろが、黄金に光る瞳孔を目いっぱいに開いて内部を見回し、のたうつ柳枝で逃げ惑う首なしを捉えては離れた位置にある出口から「ぺっ」と吐き出す。それを数回繰り返し、壷の底に一つの首無しもいなくなったのをしつこいくらいに確認してから、こたろは壷の縁から身体を引き離し外法師に顔を向けた。

「おしまい」

 言われて頷き、外法師が壷の表面を叩く。すると、先刻溶け込んだはずの小さな蛙がぴょこんと飛び出して、こたろの額に張りついた。

「…にゅる」

 その感触が不快だったのか、こたろが顔を顰める。

「それ、付けておきなさいね」

「にゃー」

 むっ、と真剣な表情(?)で額にしがみつく蛙をつまみ、仕方が無いので頭に載せる。生意気にもほっと一息ついたオレンジの蛙は、けろ、と笑うように鳴いた。

 ……おそるべし外法師。表情豊かな護符である。

  

   
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