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    月に吼える    
       
(3)ホロスコープ

       

 黒瓦の館、ハンガー・ギルドの二階より上は、通常の宿を使わないハンガーのための宿泊施設になっており、「結束魔法陣」という文様が描かれている部屋もあった。それには、魔族と人間の合いの子である「シャッフル」たちが内在する魔力の暴走を抑えるため身につけている「拘束端子」の開放と結束を自動的に行う魔法が込められており、クロウの知る限り、ギャガがこの魔法陣のない部屋に泊まる事はなかった。

「不死者の王」と仇名されるその男。

 憮然とした顔つきで窓際の椅子に収まったシルリィが、床に脱ぎ散らかされた黒皮の衣装を睨む。その視線の先には銀金具と艶消しした漆黒の皮の固まりと、多面体の銀製リベットが山のように散らかされていた。

 半ば茫然自失のまま、それでもクロウにくっついて部屋に入って来たシルリィを、クロウもギャガも取り立てて咎めはしなかった。もしかしたら無視されていたのかもしれないが、青年はその可能性から目を背けているように見えた。

 邪魔にされている訳でもない。感心を持たれているとも思えないが。

 部屋に入ってすぐ、ギャガが風呂に入ると言い出したのにシルリィは不快そうな顔をしたが、クロウは驚きもせず「でしょうね」と意味ありげに苦笑しただけだった。しかし青年にも、なぜギャガがそんな突拍子もない事を言い出したのか、なぜクロウがそれで当然という顔をしたのか、すぐに判った。

「不死者の王」が、漆黒のマントを脱いでベッドに放り出す。その下から現れたのは、まるで…いいや、まさに、か、拘束服のごとき、ベルトと銀金具、リベットでがちがちに固められた、不気味で不吉な衣装だったのだ。

 最初に外されたのは、左手首を締め上げている機械式の腕時計。どういう機構になっているのか、文字盤にジャケットの隠しから取り出した円形金具を取り付けて一回転させると、腕時計は「バシャン!」と派手な音を立てて拘束を緩め、ギャガの手からクロウの手へと渡った。

「一時間?」

「そんなものだ」

 呟いて、呟き返され、クロウが受け取った腕時計を腰の浅いパンツのベルトに突っ込む。

 それから随分な時間をかけて脱いだ拘束服を置去りにしたギャガがバスルームに向かうと、その背中を見送ったクロウが最後に溜め息を吐き、ふと、シルリィに視線を移した。

「あの服、脱ぐのも着るのもひとりじゃ無理なのよ」

「じゃぁ、いつもは着たまま?」

「そう」

「あいつ…あれが、ゴルゴン・ギャガなのか?」

 シルリィの搾り出すような声に、クロウは「ええ」と答えてベッドに座った。

「あれが…」

 刹那泳いでバスルームを捉えた暗い瞳を見つめたまま、クロウが調書を読み上げるような平坦な声で言い放つ。

「オラトリオの「外殻」を破壊した男。魔王の末裔。不死者の王。伝説の魔族を討ち滅ぼしたハンガー。シャッフル。いろんな呼ばれ方をするけど、どれも、本当」

 そして。

 無軌道の彗星。

        

 なら、消えろ。

      

 クロウは深い溜め息で憂鬱を吐き出し、長い髪を指で梳いた。

 彼女の物憂げな表情と、戸惑うように橙色の髪を弄ぶ指先。伏せた長い睫に隠れた琥珀の瞳が微かに揺らめくのを少しの間見つめていたシルリィは、意を決して、自分の気持ちを奮い立たせるように殊更大きな声でクロウに問いかけた。

「教えてくれよ、クロウ。あの男は、きみの、なんなんだ?」

「………………」

 彼女は。

 床に散乱したリベットのひとつひとつに視線を這わせて、その最後を堆く積み上がった拘束服で締め括るまで、青年の質問に答えようとはしなかった。

 迷ったのか。

 判らなかったのか。

 室内に、重苦しい空気が蔓延する。

「……水と油。魔女は光と影だと言い、魔法使いは表と裏だと言い、人間は男と女だとあたしに言った」

 それがシルリィの求める答えでないと知りつつも、クロウは自嘲混じりにそう呟いた。

「違うよ、クロウ。おれが知りたいのは、きみが…どうしておれでなくあの男となら「メドーサ」討伐に行くのかだ」

 子供っぽい発想だとクロウは思った。

 単純に、ギャガは強く、シルリィは弱い。

 しかし、それを「そうだ」とあっさり認められるほど、青年は大人になっていないだろう。何より、シルリィは青臭い「プライド」を振り翳してクロウ・クライ=ファングを「か弱い女性」に分類し、「男」である自分が護るのだと勝手に決め付けているようだし。

 それに。

 ギャガは万能に完全に完膚なきまでに強い訳ではない。彼は、人としてありきたりのものを持たず、魔族として当たり前のものを持つに至らない。

 だから、シャッフル。まぜこぜの、出来損ない。

「……そうね…」

 クロウ・クライ=ファングは、金色に煌く琥珀の瞳をまっすぐオロ・シルリィという未熟な「人」に向け、濡れたラズベリー色の唇でそっと囁いた。

「誰より、心が…強いと思うからかしら」

            

           

 酒場に早変わりしたギルド・ロビーに、肩を落とした青年が姿を現す。クロウの後にくっついてやって来た時分の勢いはすっかり消え失せ、御魂の抜けたキョウシみたいだとマスターは思った。

 ハンガー・パスを使ってギルド・ネットで検索したところ、青年はイジュマル=オラス近郊をちょろちょろと渡り歩き、下位下級魔族の討伐に何度か参加した事がある程度の、駆け出しもいいところの新米ハンガーだった。確かに、幾重にも縫い重ねた革製の胴鎧と底の薄い簡素なブーツに、ひょろついた外見とは不似合いなばかデカイ剣というのは、長距離を移動する流しのハンガーだとしたら、軽装なのに装備のバランスが悪い。

 流しのハンガーというのは大抵、雨風と寒さを凌ぐためのマントかコートと、底の分厚い頑丈そうなブーツで身を固めている場合が多い。とにかく彼らは、ハンガーである間、途方も無い距離を漂泊するようにさ迷い歩く。青年のように底の薄っぺらなブーツなど履いていたら、一週間と待たずに底が磨り減ってしまうだろう。

 しかも。と、暗い顔でカウンターに腰を落ち付けたシルリィを見遣り、マスターが人知れず短い溜め息を吐く。さっきからずっと背負ったままの大剣はやけに重たそうで、正直、青年に見合った武器だとは思い難い。

 そんな、持ち歩くだけで疲れ果てそうな武器を携えるのは、何も知らないひよっこだけ。数多の魔族と戦い生き残ったハンガーたちは、それぞれ自分に最適な大きさ、重さ、形状の武器を使っているものだ。

 沈んだ肩に据えられた視線にやっと気付いたのか、ふと青年が顔を上げる。それにマスターが無言で安いウイスキーの瓶を掲げてやると、シルリィは少し迷ってからこくんと頷いた。

「薄めで頼むよ、マスター」

 溜め息のような、少し恥ずかしげな声に答えもせず、マスターは迷わずたっぷりの水で薄めた…殆ど氷水と変わりない液体の半分も入っていないロックグラスを、青年の前にことりと置いた。

 それだけでもう負けている、という下世話な感想に漏れた失笑を、憐れな青年がじろりと睨む。

 マスターがこのギルドに居ついて早十数年、その間に三度訪れたあの「不死者の王」は、「イルギル」という火酒の樽をすっからかんにしてもけろっとしている化け物だった。

「相手が悪かったな、あんちゃん」

「…相手って、どっちだよ…」

 グラスを追いかけて差し出された不愉快なセリフに、シルリィが憮然と言い返す。

「惚れた相手も、競う相手もさ」

 クロウ・クライ=ファング。鈍い真紅の艶を纏った橙色の髪をなびかせる、「荒ぶる女神」。

 片や「不死者の王」ゴルゴン・ギャガ。血の気の薄い顔に張り付くアイパッチに、革ベルトと銀金具、多面体のリベットで全身を締め上げた、シャッフル。たかが駆け出しのシルリィが惚れていい相手でも、「女神」を巡ってぶつかりあっていい相手でもない。

 言って肩を竦めたマスターに食ってかかろうか、とシルリィが身を乗り出すのと同時に、ロビー兼酒場が密かなざわめきに包まれた。

 そのざわめきが向けられた相手はまるでそんな気配など意にも介さず、金属音と革の軋みを纏って、それ以外を近付けもせず、乱れない靴音を響かせマスターへと一直線に進んで来る。

「イルギルを樽でくれ」

「酔いつぶれたら火が出るぜ、ダンナ。火花に気を付けな」

 そうマスターが答えると。

「そうしよう」

 ギャガがクソ真面目な顔で頷く。

 それでついマスターは笑ってしまった。不吉な二つ名と噂に飾り立てられているこの男、実は真面目で礼儀正しいのだ。

 その、素っ気無い風を装って交わされる言葉を怪訝な顔で見ていたシルリィが、ふん、と鼻を鳴らしてギャガから視線を外した。何を考えてるのか、拘束服の男はよりによって青年の隣りに腰を下ろしたのだ。

 軋む金属音。

 シルリィが部屋を出る時にはまだ布製のアンダーシャツとサポーター姿だったギャガは、もう既にあの拘束服でがっちりと固められている。

 それは、拘束服。首から指先、爪先までを覆う手袋やジャケット、パンツ、ブーツは幾重にも回されたベルトで固定されており、さらにそのベルトは銀金具で繋ぎ合わされ、どこか一箇所が外れても分解しないようになっている。その剥ぎ目、継ぎ目には結束魔法を三重に掛けられた多面体のリベットが魔力によって吸着されており、結果、このリベットを解除しなければ、ブーツの片方さえ脱げないようになっていた。

 それと。

 じ、っと見つめるシルリィの視線を跳ね返す、黒皮のアイ・パッチ。こればかりは入浴中も外さないのか、外せないのか、艶の死んだ白髪に一筋の漆黒を流す皮紐の結び目にも、銀金具とリベットが打ち込んであった。

 素肌を晒しているのは、つまり顔だけ、という黒ずくめが、ふとシルリィに顔を向ける。

「なんだよ」

 それに思わず言い返した青年を色の薄い瞳で一呼吸ほど見てから、ギャガはすぐ正面に顔を向けなおした。

「「メドーサ」を見た事はあるか?」

「悪かったな、ねぇよ!」

「嫌いなものは?」

「は?」

 喧嘩腰で言い返したシルリィに、平然とすっとぼけた質問を続ける。

「触りたくないもの」

「…それが……」

「俺は足のないぬるついた生き物が嫌いで、クロウは毛のふさふさした小動物が嫌いなんだが」

「聞いてねぇよ、んな事ぁ!」

 ギャガは、そんな間抜けな内容を大真面目に語った。

「お前は?」

「…………………」

 カウンターの中で、マスターが笑い死にそうになっている。

「触りたくないものはあるか」

 しつこい。

「鳥…かな」

 勢い、シルリィも真面目に答えてしまった。

「あの死んだ目がイヤだ」

「では」

 かん、とイルギルという真っ赤な酒を飲み干したグラスをカウンターに置いたギャガが、ゆっくりと立ち上がる。

「「メドーサ」はそういうものの固まりと同じだ。一番イヤなものの山が襲いかかってくる。自分を嘲笑う。蔑んで、罵って、踏み潰そうとする。それが直視出来なければ、死ぬ」

 嫌いなもの、イヤなもの、目を背けたいもの。

 シルリィは、立ち上がるギャガを追いかけて視線を上げた青年は、白と黒と銀に飾られた男の静謐な声に気圧されて、びくりと全身を震わせた。

「目を逸らしたいものは、戦わなければならないものでもある」

 そうとだけ言い足して、ギャガはカウンターから離れた。

        

        

 部屋に戻るのは、多少気が引けた。普段からそう表情豊な方ではないから何を考えているのか判り難いが、正直、今日ばかりはギャガ自身も驚くほど弱り切っている。

 クロウが居るだけの部屋。

 傷付けたと思う。

 しかしそれは既に過去の話であって、今更どうしようもなく、言い訳するのも、それこそ今更だった。

 クラインスに罵られなくとも、ギャガも判っていた。

 彼女は、命が惜しかったのではない。

「女神」としての本質が邪魔をしただけだ。

 北天七つ星が新しいホロスコープを約束した、処女宮の女神。しかし女神は、失敗したヴァルハラを無かった事にして新しいホロスコープの元に新しいヴァルハラを築こうとした南宮のやり方に反発し、自ら処女宮を飛び出した。

 判っている。

 例え造った方が失敗だったと言っても、そこに人は居り、生活しているのだ。果たして、「失敗だったから消してやり直す」という理由が通じるだろうか?

 神々は言う。

 自分の造ったものがいらなくなったから棄てて、何が悪い? と。

 女神は答える。

 ではあなた様方は、ヴァルハラに在るのはただの粘土細工だとでも仰いますので?

 シャッフルのギャガとしては、ホロスコープの問題に首を突っ込むつもりはなかったし、関わっていいとも思っていない。話が…ややこしくなるだけだ。

 それなのに。と黒づくめはついに短い溜め息を吐き、ドアの前に立った。

         

 その女神たるや内在する炎に炙られて光り輝き、美しく、凛として。

        

「罪深き我が身を捕え楽園の水、楽園の大気、楽園の森、楽園の炎により煉獄の誘いを退けよ…だな」

 結束魔法陣の外周に描かれている呪文の一節を口ずさんでから黒ずくめは、肘まである革手袋をぎちりと鳴らして、ドアノブを捻った。

 途端。

「来たわね! おちょいわ、アナタ。待ちくたびれたのよ、あたち!」

「…………………」

 物凄いきんきら声に物凄い剣幕で文句を言われ、思わず固まってしまった。

「なに驚いてるのよ! ちちゅれいちちゃうわ! あたち、こう見えてもいちょがちいにょよ!」

「意味が判らん」

 一瞬の茫然自失から気合で立ち直り、部屋に入る。きんきら声の主は窓際に置かれたテーブルの上に仁王立ちしており、クロウの方は、げっそりと肩を落としてベッドに座り込んでいた。

「何をしに来た」

「ま! 何をでちゅって! あたちごちゅにゃんちゃまのちゅかい魔よ! おちゅかいに決まってるにゃない!」

「だからお使いは判っているからそのお使いの内容をさっさと伝えてさっさと帰ってくれないか疲れる」

 と。ギャガにしては奇跡的に長く、しかも息継ぎも区切りもなしで一気に言い切ったのを唖然と見つめたクロウが、本気で唸る。

「マオ。その男に背鰭が生える前に、お使いとやらを済ませた方がいいみたいよ?」

 言われて、にゃ! と全身の毛を逆立てた乳白色の使い魔は、慌ててテーブルから飛び降りクロウの膝にしがみついた。

 マオは、どこからどう見てもずんぐりとした白い猫だった。毛はそう長くなく、先端がぴんと上を向いた尻尾は短く、手足もふっかりと太い…。

「いやね、おとなげにゃい」

 びくびくとギャガを見上げる、若草色の大きな瞳。

「何の用だ」

 クロウと顔を付き合わせるのも辛いが、この使い魔の相手も辛いのか、ギャガは明らかに不機嫌そうな声でぶっきらぼうに言い放ち、薪の爆ぜる暖炉の前にどすんと腰を据えた。何せこのマオという使い魔ときたら、主人同様生意気で扱い難い事この上ないのだから。

「ごちゅにゃんちゃまはおっちゃられたのよ」

 クロウの膝にちょこんと座ったマオが、真剣な顔つきで話し出す。

「にゃコン湖の「メドーちゃ」は、にゃにゃにぇん前に高原地帯から逃げた「核」がちぇいちょーちてはっちぇいちたもので、母体は人間らちいわ。取り巻きの殆どはバカのマーマンで、にゃん匹かはちーマンにまでちょだってるみたい。「メドーちゃ」はっちぇいから今日までに六人がちょのちゅがたを目撃ちてるけど、ぶんれちゅはちてない。ぶんれちゅちてないち外殻もこわちゃれてにゃいから、「核」もまだちょこにいるわ」

 内容は非常に助かるし、ここばかりは職務をまっとうしようというマオの意気も評価に値するが、いかんせん舌っ足らずできんきら声なものだから、聞いているうちに頭痛がして来たのが、ギャガは眉間に皺を刻みこめかみを指で押さえた。

 というか。

「何が言いたいのかさっぱり判らん」

「…落ち付きなさいよ……」

「ちょーよ! 落ち付くにょよ! ちょーちゅれば判るわ、いちゅか!」

 それでは遅いだろうに…。

 にゃーーーっ! と叫んで大きな耳をぴくつかせたマオを慌ててブランケットの中に押し込んだクロウが、引きつった笑いを暖炉へと向ける。いつの間にかこちらに顔を向けているギャガの眉間の皺は、修復不能な程に深い。

「背鰭だけじゃなくて、角が出るわよ…」

「角じゃなく尻尾だ」

「………………」

 大真面目に答えて暖炉に顔を向けなおしたギャガの左目を覆う、黒いアイパッチ。それを見つめたままクロウは、飽きれたともなんとも言えない複雑な溜め息を吐いた。

 原因はマオだけではないだろう。ギャガは、最初から機嫌が悪かったのだ。

 最初。

 このギルドに踏み込んだ瞬間。

(…あたしが居たから、かもね)

 見た目を裏切る、穏やかな男。

 濁りの無い水面のようにまっさらな表層の下に、荒れ狂う暗黒を押し込めて拘束する。

 漣(さざなみ)を立ててはいけない。

 その暗黒は絶望的に絶対に、ヴァルハラも、ホロスコープも、ゲヘナさえも拒絶している。

「とにかく、マオの言う通りなら「核」はひとつで、まだそこに居るわ」

 内心の複雑な思いを黙殺したクロウが、いかにも事務的に言いながら男から目を逸らす。同一の目的を遂行するため「だけ」にお互いがお互いの存在を黙認しているのだ、とでも言いたげなスタイルは、お世辞にも成功しているとは言い難かったが。

 だから、ギャガは微かに揺らめいたクロウの気配に引き寄せられて、今は眉間の皺もすっかり消えた青白い顔に暖炉の仄明かりを映しながら、ベッドに座る彼女に顔を向けた。急にブランケットを被せられて驚いたらしいマオが、伸ばしたクロウの腕にべそを掻きながらよじ登り、抱き上げられ、膝の上に丸くなろうとしていた。

 女は、薄く微笑んでいる。

 短くてふっかりした乳白色の毛を掌でゆっくりと撫でてやると、膝に残した腕にしがみ付いたままの使い魔は「にゃふ」と小さな欠伸を噛み殺してから、その、爛々とする大きな若草の瞳をゆっくり閉じた。

 疲れ果て、安らかに、眠るように。

「それならば、分裂してにゃん湖?」

 と、大真面目に言って、でも何かおかしいと気付いて首を捻ったギャガの顔を一呼吸だけ唖然と見つめたクロウが、不意に俯いて肩を震わせ笑い出す。それで、やはりどこかおかしいのかと思ったものの、結局何がどうおかしいのか見当もつかない黒ずくめが憮然と大仰な溜め息を吐いたのに、それまで「にししし」と目を閉じたままイヤーな忍び笑いを漏らしていたマオが、慌てて鼻いびきをかいて、寝た振りをした。

「…だから、それをよこすなと言っている…」

「わざとに決まってるでしょう? やるなと言えば言うほどやるのよ、あの男はね」

 疲れたセリフに含み笑いで答えてからクロウは、でも、とダメ押しみたいに付け加えた。

「裏を掻こうなんて考えて何か言ったら、喜んでマオをあなたに預けるでしょうしね」

 とどのつまり。結局?

「同感だ」

 仲間でなかったら絶対一発ぶん殴るよ! と事あるごとに喚いているブライバンの気持ちが判らないでもない、とギャガは、さっきまでの当惑など忘れて、再度、疲れた溜め息を吐いた。

  

   
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