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    月に吼える    
       
(12)稀代の魔法使い

            

 インバネスに似たマントの裾を払って伸ばされた白い指先が、泥まみれの女神に触れようとした、瞬間、立ち枯れて薙ぎ倒された樹木とその向こうの闇を引き裂いて、眼底を叩き潰すような閃光が瞬いた。

「!」

 咄嗟に地面を突き放してイ=レイから飛び離れたクロウが、その瞬きの足下に転がり込んでから自分の頬をぴしゃんとひっぱたく。

「諦めるのはまだ早い」

「そうね」

「というか、お前らしくないな」

「…それも、そうね」

 からかう調子を含んだ追い討ちに、クロウは苦笑いで顔を上げた。

「よく間に合ったわね、クラインス」

「おかげで、せっかくベッドまで誘ったなかなかの美人を放ってくるハメになった」

 答えてわざと残念そうに肩を竦めた「稀代の魔法使い」ウスラス・クラインスが、掘り起こされた下草を蹴散らして倒木の陰から飛び出す。

「帝(てい)には大変恐縮だが、早々にお帰り願いたい」

 ガシャン! といかにもな音を立てて再装填された数珠繋ぎの弾丸を目にして、イ=レイは片眉を吊り上げた。それから、一旦は先の轟音と伴に射出された無数の弾丸が跳ね上げた泥に汚れたつま先に視線を落とす。それは、回転弾倉式連射砲、いわゆる機関銃の仲間らしいものをぶら提げたクラインスの冷笑と紡がれたセリフ、向けられた銃口が理解出来ない、といったような顔だった。

「今から少々取り込む予定でね」

 腰を落とし十の銃口を束ねた奇妙な機関銃を構える、金髪碧眼の魔法使い。長い、嘘臭い金色の髪を乱暴に頭の後ろでひとつに括り額を晒した顔は女性的な白皙で、細い眉と細い鼻梁とやや薄い唇と、これまた嘘臭い見事な緑色の瞳を飾る、長い睫。という顔だけ見ればいかにも魔法使いのような気もするが、チョコレート色の革製ハイネックに白い革製ベストと黒革のパンツ、靴底の分厚いブーツ、と、羽織った派手なガンメタのコートに機関銃。という出で立ちが、彼の正体をひどく曖昧なものにしていた。

「オレを帝と呼ぶからには、貴様、誰に銃を向けているのかわかっているのだろうな」

「ああ。もちろん」

 クロウに背を向けたクラインスが呟いて、刹那、またもあの機関銃が唸るように、途切れなく低く吼えた。

 銃身の横に開けられた排気孔から銃口炎が絶え間なく吹き出す。地面を舐めるように垂れ下がっていた弾丸が見る間に銃身へと引き込まれ、空薬莢だけが続々と吐き出される。

 当てるつもりもないようにイ=レイの足下を狙っていた銃口が微かに持ち上がった瞬間、白衣を閃かせた男が大きく後退する。その動きはいやに流麗で淀みなく、襲い掛る弾道を完全に見切っているようだった。

「大人しくお帰り願えれば万々歳だが、そうでないなら、強制的に一時(いっとき)ご退場願うまでだ」

 冷たい亜麻色に見据えられても、クラインスの面倒そうな口調に変わりはない。

 黙り込んだまま数歩移動したイ=レイの瞳が、怪しく金色に底光りする。地表に近い部分から上空へと流れた青銀色の靄に向けてその繊手がゆっくり持ち上がったのに、クロウは反射的に飛び出していた。

「消えろ。いずこからも祝福されず漂う御魂」

「我許さむ。この地にあらばそれ天宮の僕(しもべ)なり!」

 天を突くように振り上げられたイ=レイの指先で紅色の光が激しく瞬き、刹那、ちかちかと明滅する星々の間を縫って走った稲妻が、縒り合わさるように捻れながら機関銃を構えたクラインスと、クラインスの前に立ちはだかるクロウ目掛けて天から垂直に突き刺さる。直前、クロウの発した言霊の創る障壁が、淡い桜色の渦巻く様となって二人の頭上に展開し、叩き下ろされた稲妻を四方に吹き飛ばした。

 千切れた光の矢が柔らかい泥を吹き上げ、辛うじて生き残っていた樹木を薙ぎ倒し、湖畔から街道に続く小道の固い地面さえ抉り取って霧散する。その只中にあって一瞬動きを停めていたクラインスは、荒れ狂う光と土塊と爆ぜ割れた生木が滅茶苦茶に吹き荒れるナコンの湖面を面倒そうに見遣り、それから、上空で未だ変質を続けるあの青銀色の靄に視線を流した。

        

「全く持って世話の焼けるヤツだ」

          

「御土(みづち)エシュタルの巨人よ 我が同胞よ 其の手によりて失望を掴め 希望を潰せ 悔恨は我が身を持って永劫の闇に連れ去らむ」

 呟いて印を切った左の人差し指が虚空を這い、その軌跡を薄く発光させた直後、ただ冷然と湖畔に佇むイ=レイの足下に巨大な指が…男の胴体よりも太い五指が、ぞわりと蠢いた泥を割って地面から沸くなり、マネキンのように佇む白衣を捻り潰す勢いで掴んだ。

 それでも動かないイ=レイの冷貌に苦笑を漏らすものの、クラインスは歪んだ口元をクロウに悟られる事なくその場から飛び出し、両腕で保持した機関銃の銃口を白衣の顔にポイントすると、動けない…動かない? ……イ=レイの頭を、地面から突き出た泥の指ごとふっ飛ばした。

 飛び散る、泥と肉片ではない白っぽいスポンジのような物質。果たしてあのイ=レイは「何」なのか。魔法で練り上げた束縛の手が崩壊するまで容赦なく叩き込まれた弾丸に、イ=レイで「あったもの」は跡形もなく粉砕されていた。

 クロウもこれには唖然とする。

「クラインス!」

「? ああ、安心しろ。どうせ天国とかいう場所に縁がないのは判ってる。今更そこの偉いやつに目を付けられて困る理由なんかないからな、オレには」

 思わず悲鳴を上げたクロウを軽く振り返ったクラインスは、回転を止めた機関銃を肩に担ぎ上げ、白煙を纏わりつかせて燻るイ=レイの残骸…どちらか一方の足の脛辺り? …を蹴飛ばして湖に放り込んだ。

 当惑したクロウの気配に、笑いそうになる。きっと、だからってそこまでやらなくてもだとか、これで完全に「北宮(ほくぐう)」を敵に回したとか言いたいのだろうが―――――――。

「南宮(なんぐう)にホロスコープを乗っ取られた奴隷のような神など、頂点に置かれている泥の人形並にどうでもいいモノなんだろうしな」

 蔑むように口の中で呟いて、ぱちん、と指を鳴らし、中空に出現した水色の魔方陣へと機関銃を放り込む。それでやっと身軽になったクラインスは改めて頭上を仰ぎ、イ=レイと対峙していた時とは比べ物にならないような難しい顔で眉間に皺を寄せた。

 ヴァルハラで化身を失ったホロスコープの神は、一旦ホロスコープに戻り化身の回復を待たなければならない。ならばイ=レイは暫くヴァルハラに姿を見せないだろうし、ヴァルハラを潰したい「南宮(なんぐう)」はギャガ…八つ首の魔物が暴れようがなんだろうが、見てみぬふりをするだろう。

 ただし。

 とクラインスは、徐々に収束し濃さを増す青銀色の靄を不安げに見上げるクロウに視線を移した。

          

「南は?」

「まだ動いてないにゃ」

「動きそうか?」

「アレが出て、ヴァルハラを適当に荒らすまでは動かないと思う、あたちはね」

「では、お前はどう思う?」

「……「沈黙」が在れば動きゃぁしないだろうね。全部が全部どうしようもなく狂ってりゃぁ、女神も食い殺されかねない。でも、沈黙があれば、あの大ヘビは彼女を避けるはずさ。アタシらの読みと南の読みが同じなら、向こうさんもそれを期待してるだろうよ」

「女神に危害を加えないなら、ヴァルハラなどどうでもいいんだろうしな、南は。適当にヴァルハラが潰されたところで、女神を回収に来るつもりか…」

「御方様も壊れちまったから、邪魔するヤツもいない」

「……………。ならば、だ」

「どうちゅるのにゃ?」

「どうする」

「明日のお天気は、晴れです」

         

 クラインスは、思わず吹き出しそうになった。

       

「あの。え? わたし何か可笑しいですか?」

「いいや。可笑しくない。そうか、明日は………」

          

 晴れるのか。とクラインスは、視界を埋め尽くす青銀色の鱗を見上げて仄かな笑みを零した。

 瞬間。

 一気に密度の上がった靄がついに実体を取り戻し、ソレ、がナコンの湖いっぱいに、それ以上に広がって、とぐろを巻いた。

                

   
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