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    月に吼える    
       
(14)ヴァルハラ・リポート<イジュマル=オラス>

            

 <予言書>

          

         

 テーブルに広げた幾つもの備品を点検するふっかふかの手をじっと見つめていた少女が、不意に小首を傾げる。

「どうして壊れてもいない機械式時計まで直すのですか? おにいさま」

 問われて、ん? と吊りあがった眉…のあるあたりの肉の盛り上がり。

「整備点検だよ、いもうと。一時的に強烈な衝撃を受けたってギャガも言ってたからね。この時計最大の意義は、間違いなく、狂いなく時を刻む事なのだから、いつでも時間に余裕のないギャガが安心出来るように、維持管理しておかないと」

 普段の生活では時間など意識しているのかどうかも怪しいギャガではあるが、あの銀金具やリベットを外す事態となれば話は変わる。すべての拘束を外して外界との接触を避けたとしても、彼の体内にはいわゆる「毒気」が蓄積され、せいぜい六十分でギャガという外殻は変化しだしてしまう。その六十分さえ絶対でないのだから、では何分耐えられるのか確認するために常に正しく時を刻む道具が必要不可欠なのだ。

 逗留していたラニスニル村を慌てて出たのが、昨日の晩。一足先に行くと言ったクラインスを追ってチャーターした馬車を飛ばし、今朝方ここイジュマル=オラスに到着してみれば、結束装備一式を殆どダメにしたギャガは意識のないまま備え付けの魔方陣に放り込まれていて、クロウは全身怪しげな痣だらけで唸っている始末。

 それでも、合流地点直前で寄り道していた彼らに何があったのか、と、この「道化の」エンディオノ・ブライバンも妹のラティエも問わなかった。

 長らく中央都市(セントラル・シティ)の医療研究所に半拘束状態で入院していたラティエには、いわゆる「予知能力」というものが備わっていた。夢見るようにいくつもの未来を視る彼女はしかし、「シャッフル」などの異種系譜には含まれておらず、つまりこの、少々おっとりした病弱な少女は、純然たる「予知能力者」だったのだ。

 だから、中央都市行政機構は少女を「利用」しようと考えた。「シャッフル」などという穢れた魔物の合いの子ではなく、正真証明の「人間」である少女を使って、「人間」だけで構成された魔物に対抗する組織を作り上げようとした。

 しかし少女はその結果さえも予言する。

      

「計画は失敗します。ひとがひとである以上」

         

 結局、中央都市行政機構魔族討伐部は壊滅するに至り、行政機構はその責任を、医療研究所に拘束されていたラティエに押し付けて少女を処罰しようとした。

 偶然…であったのかどうか、今となっては怪しいのだが…中央都市近くまで来ていたブライバンは、ひとりギャガたちと別れ妹の元気な顔を見ようと面会に訪れ、その事実を知った。当然、妹の治療費を捻出するためにひとの身でありながら過酷なハンガー家業に足を踏み入れ、命からがら手にした大金の殆どを中央都市に送り続けていた兄は、後先考えず少女を奪還し都市を離れる。

 そこで騒ぎがなかった訳ではない。中央都市始まって以来の魔族侵攻事件が、ラティエ奪還の手助けにもなった…。

 その大災害も、怪しいほどタイミングよく起こったと…思えなくもないのだが。

 普通に頑丈そうな椅子が華奢に見えてしまう巨躯を折り曲げたブライバンが、その大きくて真ん丸い手で器用に機械式の腕時計を解体するのを、食い入るように見つめる亜麻色の髪の少女。確かもう十六歳になろうかという年の頃でありながら、小柄で痩せっぽちのラティエはまだ十二・三歳にしか見えなかった。細くて腰のないぱさぱさの髪をショートカットにし、透けるように青白い肌とほんのり桜色の頬と、やや血色の悪い唇。幼い印象の顔はなかなかに可愛らしく、正直、始めてラティエに会った時、あの無表情なギャガでさえ唖然としたものだ。

 何せ、安いソファにちょこんと座って足をぶらぶらさせているラティエの見つめる先で細々した作業を続けているブライバンはといえば、本当にこれが血の繋がった兄なのかと思いたくなるような、見事な巨漢。しかもその殆どが贅肉で、実は骨がないのでは? とクラインスに言わせたほど完璧な太っちょなのだから。

 目にしただけで笑いを誘う「道化のブライバン」。禿頭で眉がなく、目つきが悪い。肉に埋もれた小さな鼻と口と、首…。派手な原色のランニングシャツにサスペンダーで吊っただぶだぶのズボン、という身長二メートルの怪物(?)ながら、ブライバンは機械職人だった父親譲りの器用さを持っていた。

 その指先の器用さだけを買われたんだよね。と魔族以上に魔族らしい「シャッフル」の只中でブライバンは言う。仲間たちは誰もそれを否定しないが、肯定もしなかった。

 そういうどうでもいい扱いされるのが適当に楽ちんでいいよ。と、クラインス風に言うならミラクル太っちょが笑い、つられてラティエも笑った。

 しかし少女は、夢見るように未来を無責任に予言する少女は思う。

 兄は「ひと」として少女を護るという意思を持ち生き抜こうとする。必死に。その真っ直ぐな想いで、彼らは……挫けそうになるこころを奮い立たせているのではないかと。

「それが終わったら今日のお仕事はお終いですか? おにいさま」

 退屈している訳でもないだろうが、ラティエが閉ざされた寝室のドアに淡い紫色の瞳を向けてなんとなくそう訊くと、そこだけ少女と似通った紫の瞳を機械式時計から上げたブライバンも、ドアを軽く見遣る。

「ううん。ぼくの仕事はもう暫く忙しいよ、いもうと。何せ、ギャガときたらあのリベットも半分以上なくして来ちゃったからさ、新しいリベットを作りに行かなくちゃならないんだよね」

「ええと…、ぶそうや? さんにですか?」

「うん。新しい銀塊を十キロ頼んで置いたからそれを受け取って、それから鍛冶屋さんに行って銀を鍛えて粒を揃えて、リトルとクラインスに渡すまでは安心出来ないよ」

 安心出来ない。

「何日もかかりますね」

「何日もかかるよ」

「ではその間、ギャガさんはあのけっそくまほーじんから出られないのですね」

「……いいんじゃないの?」

 なぜかそこでブライバンは、手元に視線を戻しながら小さく笑った。

 それを、ラティエがきょとんと見つめる。

「ゆっくりしたらいいよ。ギャガにはお休みと、少し長くクロウとお話する時間が必要だろうからね」

 意味の判らないらしい少女に丸い笑顔を見せてから、ブライバンは作業を再開した

                

   
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