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    人喰い地下道    
       
(12)-(17)

   

(12)

濃紺の地味なスーツに身を包んだリョウの正面にすとんと腰を落としたのは、清潔な白に水色のラインも眩しいジャケットと短いプリーツスカート、黒いニーハイソックス、赤茶のローファーという、どこからどう見ても掛け値なしの女子高生だった。

癖のない長い黒髪を背に流し、前髪を眉の上で綺麗に切り揃えた少女がにこりと微笑みかけて来たので、リョウも申し訳程度の笑みを口元に浮かべる。

どんなに苦手な相手を目の前にしても礼儀は忘れない、大人のたしなみだ。

鹿叉ゆらい−シカマタ ユライ−は市街地にある高等学校の二年生で、とある「事件」の際知り合いになって以来の付き合いで、リョウが時折、学生の間で噂になっている都市伝説などを尋ねたりする、情報源のひとつになっている。

「ごきげんよう、お姫様」

「あ、その呼び方ムカつくなぁ、ミネさん」

「じゃぁ、ゆうちゃん。お願いだから、そのミネさんていうの、やめてくれない?」

あの不愉快な男を思い出すから、と胸の中で付け足したリョウを、ユライが小さく笑う。

「マトイはいいのに、あたしはだめなんだ」

「誰も良くないわ。直せって言ってるのに利かない連中がいるだけで」

「じゃぁリョウさん。ケーキセット頼んでいい?」

メニューで口元を隠したユライが、上目遣いにリョウを見る。

「いいわよ」

人形のように整った顔立ちとぱっちりした目の美少女に甘える仔猫みたいな顔をされて、さすがのリョウも渋面を崩した。

近付いて来たウエイトレスにケーキを注文する少女を眺めつつ、リョウは嘆息する。

こうしていれば人目を引くただの女子高生なのに。

ゆらいが頼んだケーキセットが運ばれて来るまで、二人は他愛もない話を少しした。元女刑事と少女の向かい合っているボックスは格子にガラスを嵌めた衝立でカウンターや他の席と隔てられていて、声を潜めれば話の内容は誰にも聞かれない。

「それで、どうだった?」

ウエイトレスが離れて、一瞬沈黙。

リョウは急に真面目な顔を作り、ベリーのソースをたっぶりかけたレアチーズケーキにフォークを刺したユライの方へ身を乗り出した。

        

(13)

友達から聞いたんだけど、その友達の友達が、おにーさんの友達から聞いた話でね?

       

概ね、都市伝説などというのはそのくらい出所の曖昧なものだとリョウは思っているし、実際そういう場合が大多数を…殆どを…占めている。

「うん、間違いないみたい。三年生の野球部員が一週間くらい前から一人登校してなくて、自宅からの連絡で、行方不明になったって」

「それ、噂?」

「ううん。野球部のマネージャーが同じクラスだから、確認した」

だから、これは最早都市伝説ではない。

「それで一気に「人食い地下道」の話が広がって、今じゃうちの学校の生徒は誰も通らないって聞いた」

「ゆうちゃんは、普段使わないの?」

「あたし、ああいう狭くて薄暗いトコ一人で歩けないし」

フォークを咥えてひらひらと顔の前で手を左右に振る、ユライ。

「あ。…ああ、ごめんね」

「いいよ、別に。どうせ覚えてないから」

突如勢いを失くしてバツ悪そうに椅子に座り直したリョウに、ゆらいは薄い笑みを見せた。

「あの時」、自分に何があったのかは覚えて居ない。

しかし少女は地下道のような場所を一人では歩けず、夕暮れを過ぎてから一人では外出出来ない。

「どうしてもっていうならジッソウと一緒に見に行ってもいいけど、出来ればパスしたいなぁ、なんて」

リョウに自分の境遇を思い出させてから、ユライはフォークを置いて少し申し訳なさそうに肩を竦めて呟いた。

協力は惜しまないというその態度に、今度はリョウの方が申し訳ない気持ちになる。

「いいのよ、ゆうちゃんに手伝って欲しかったのは「噂」の方だけで、実働部隊には伊佐間探偵頼んであるから」

少々渋い顔で言ったリョウを、ユライがきょとんとした表情で見つめる。

「マトイ? 行ったの? あの事務所に」

リョウがあの男を毛嫌いしているのを知っているユライが驚いた声を上げると、彼女は眉間に皺を寄せてあらぬ方向に視線を逃がし、無言で頷いた。

「凄いよ、リョウさん。社会人の鑑」

「わたしの好き嫌いと事件の解決は別問題だもの」

「マトイかぁ。んー、マトイねぇ…。あたしもあんまり偉そうには言えないけど、リョウさん、とんでもないのに目付けられちゃったよね」

全く同情していない口調で言われても嬉しくないが、同情されても困るだけだったから、リョウは肩を落として嘆息するだけに留め、ユライの感想を受けた。

騨平十槍−ダヒラ ジッソウ−。

伊佐間纏−イサマ マトイ−。

「気をつけようね、リョウさん。それこそ地下道の話じゃないけど、食われちゃったらお終いだもん」

自分はとうに食われたくせに、よく言う。と内心苦々しく思いつつ、リョウはそうねと素っ気無く答えた。

       

(14)

脱線した話を「人食い地下道」に戻す。

「練習が終わって解散した野球部の、自宅が駅北側にある部員五名が一緒に学校を出たのは、午後四時過ぎ。これで間違いないのね」

「それ、もう引退した三年生ばっかりだから、適当に後輩に指導して全体の解散前に学校出たって話だったよ? それは、あたしと同じクラスのコも見送ってる」

「それで、この五名が同時にあの地下道に入る?」

「それが、噂。この場合は噂の方ね? 噂じゃぁ五人は一緒に地下道に入って気付いたら一人消えてた、って事になってるんだけど、実際は先に四人が入って一人だけ後から駆け込んで来たらしいんだって」

「一人だけ、後から?」

「うん。地下道の直前で他校の知り合いにあって、少し立ち話して、先に四人が行っちゃったから慌てて追いかけた」

「その、他校の知り合いって、どこの生徒?」

「二女の元カノ」

「…微妙な知り合いね。行方不明って事は捜索願い出てるでしょう? そのこに事情聴取したのかしら。それで、その女子学生が、消えた男子学生は地下道に駆け込んだって証言してる?」

「先に地下道に入った四人も証言してるよ。実際会って聞いたし、あたし」

「じゃぁその四人は、消えた一人の姿を見てるの?」

「それは見てないって。ただ、足音は聞いてる」

「足音?」

リョウは、手帳に落としていた視線をユライに向け、ペンを止めた。

冷え始めて渋さの増した紅茶をテーブルに置いた少女が、うん、と頷く。

「その日は天気が悪くて、結構この季節としちゃ寒かったから、地下道入口のガラス戸は全部閉まってた。でも、どうせ後から一人追い掛けて来るんだからって、先に地下道に入った四人は、一箇所だけガラス戸を開けっ放しにした。

リョウさん、あの地下道の入口付近の構造、知ってる?」

問うように見つめられて、リョウは開いた手帳の白いページを破り取り、簡単な図をそこに記した。

「うわ、これはやばいよ、リョウさん。絵、下手すぎ」

緊張感なくあははと笑うユライに一瞬恨みがましい視線を送る、リョウ。

「地図に、絵の上手い下手は関係ないでしょう」

「いやぁ、それにしたってこの駅舎、築百年風味に歪んじゃってるし」

そもそも地下道の構造を問うたのに、なぜ駅舎を書く必要があるのか…。

うるさいわねと拗ねた声で言いつつ素早くペンを走らせたリョウがなんとか完成させた地図を、ユライは逆さまに見ていた。

「ガラス戸のある出入り口はほぼ南側。入ってすぐの場所は奥行き二メートルほどで壁になっていて、右側はそのまま駅舎に繋がってるわ。問題の地下道は、左の奥、壁に沿った階段を下りた先ね」

「L字の先で待ってた、って野球部の三年があたしに言ったのよね。適当に返事してきたんだけど、あたし地下道の構造とか知らないから」

「お友達、一緒じゃなかったの?」

「ん? ああ、シズカ? シズカに、四人に聞きたい事あるんだけどって話つけて貰ったら、一人で野球部の部室に来いって言われて、あたしだけ行ったの」

L字って事は、この辺かなー。と、リョウの描いた地図を回して自分の方に向けたユライが、階段らしい縞模様の折れ曲がった部分を指差す。

「…なに、その呼び出しみたいな妙な条件は」

自然と眉間に皺を寄せたリョウの顔をちらりと窺ってから、少女が「ふふ」とそこだけ妙に艶っぽく忍び笑いする。

「――リョウさんて、いい人だね」

喉まで出かかったその時の様子を飲み込み、ユライはリョウに極上の笑みを向けた。

実際は。

ドウセオマエナンテユウカイハンニマワサレテガバガバナンダロヤラセロヨ。

とか言われ。

薄暗い部室と暴言にキレて少年四人を床に這い蹲らせた上。

ウッセェンダヨカッテナコトイッテギャァギャァワメイテンジャネェヨヒトリジャオンナモオソエネェクセニイキガッテンナコノクサレ●×▲。

なんてはしたなくも言い返して足蹴にしながら聞き出しました、とは、さすがのユライも言えなかった。

         

(15)

ちょっぴり自己嫌悪に陥りつつリョウ作の地図を引っくり返したり裏返したりしていたユライが、綺麗に磨いた爪の先で再度縞模様の先端辺りを示す。

「ここ、階段左に曲がってんでしょ?」

「そうね、L字の先だっていうなら、そこでしょうね」

「で、連中、友達の足音が聞こえたからって立ち止まって待ってたみたいなんだけど、結局、姿見せたのはサラリーマン風のおっさんだったって」

なぜかここで野球部員の扱いが「連中」になったなとリョウは思ったが、コメントは控えた。少女は黙っているが、きっと彼らと何かあったに違いない。

あれもまた、少女にまつわる都市伝説か。

否定も肯定もされず、事実も明かされない「噂」。

「リョウさん?」

地図を指差したまま顔を上げて首を捻るユライに怪訝な声をかけられ、リョウは慌てて首を横に振った。

「ああ、ごめんごめん。んー、そのサラリーマンって、顔、見たら判る? その子たち」

「なんか、一応失踪事件扱いだからって、警察立会いで地下道の入口張ってすぐ見つけたらしいよ? ま、そのおじさんがなんて言ってたかは、所轄に行って調書見せて貰わないと判らないけど」

「そう。それともう一つなんだけど、「人食い地下道」の話って、どのくらいの範囲で広がってるのかな」

「市内は殆ど。ていうか、市内にある学校に通ってる生徒はみんな知ってるだろうし、最近は、例の地下道に併設する駅使ってるサラリーマンの間でも話題になってるみたい」

「それはやっぱり、ゆうちゃんの学校の生徒が本当に「食われた」から?」

「シオンの言う通りなら、きっかけはね」

「…鹿叉管理官に、話したの?」

急に冷たい声を突き刺され、ユライは慌てて、両手を顔の前でぶんぶんと振り回した。

「リョウさんからメール貰うよりも前に、噂が噂の段階でね? ホントに地下道は人を食うのかどうかって話をしたのよ。その時、シオンが「噂はもう燻ってるから、あとは切っ掛けさえあれば都市伝説に昇格出来る」って」

鹿叉紫苑−シカマタ シオン−はユライの父親で、リョウたちの活動を監視する立場にある人物だった。実際の肩書きは郷土史家で、専門分野の外部管理官という役職になっている。

昇格という言葉に引っ掛かりと僅かな苦笑を感じつつ、リョウは肩を落としてすっかり冷めたコーヒーに手を伸ばした。

噂は、ただの噂だ。それが奇妙な現実味を帯びて都市伝説になり、継続する要素を得、時代が移ろうとも存在するに至る。

それこそが、姿の見えない「化け物」だとリョウは思う。

その「化け物」は時に人を狂わせ、明確な姿かたちを持ってこの世に現れるのだ。

「ねーリョウさん」

暫しリョウの顔を見つめていたユライが、背中を丸めて小さくなり、小声で彼女の気を引く。その愛らしい小動物のような仕草に、いっとき固い表情をしていた彼女も口元を綻ばせた。

「マトイには、結局何頼んだワケ?」

穏やかに浮上しかけたリョウの気分は、その不愉快な名前だけで地の底どころか地球の裏側まで高速で落ち込む。

          

最早あの男の件では、リョウには重力も通用しないらしい…。

         

(16)

「…事実なら以後被害者が出ないようにしてくれって、よく考えりゃ、涼しい顔で無茶言ってくれたモンだわ、ミネちゃんも」

やや歩調を緩めたものの足を停めるでもないキッカを追って広場中央の池を回り込んだマトイが、急に眉を寄せ溜め息混じりに呟く。

「まさかどこぞの大将みたいに力に訴えるワケにも行かず、俺ってぶっちゃけ哀れじゃねぇ? ねー、キッカ、そう思わね?」

「思わないよ、マトイ。だってマトイ、まぞっけ有るから虐められて幸せだってイレーネ言ってた。マトイ、まぞっけって、どこの毛?」

普段は滅多に長々と喋らないキッカに冷たく平坦な口調で言われ、マトイは両手で顔を覆ってさめざめと泣くフリをした。

「まじ、俺ってカワイソ」

しかし二人の歩調はいっかな揺るがず、その距離も必要以上に離れなければ近付かない。

一見すると円形の広場を後にして、また単調な地下道を暫し進む。

じめじめと湿った、ひび割れた壁面。中央の盛り上がった地面には排水効果があり、雨水の流入も多少であれば通路の左右に切られた側溝に自動的に流れ込み、足元を汚す心配はないだろう。

だからつまり、地下道は本当に平凡な地下道だとマトイは記憶する。

「キッカちゃん」

「なぁに、マトイ」

「さっきの丸い広場だけどさ」

「丸くないよ、マトイ」

少女は正面に向って言うなり、こつりと足を停めた。

そこは丁度十字路のようになっており、キッカの左右には酷く暗い、細い通路がぽっかりと口を開けている。

「右は男、孕ませるところ。左は獣−ケダモノ−、快楽だけのところ。

でも使えないから、どうでもいい」

肩まで差し上げた小さな手が、手足を伸ばしたくたくたの黒猫の首を掴んで右から左に一度だけ揺れた。小首を傾げるようにした仔猫のぬいぐるみは弛緩した四肢をぶんと振り、それだけで、また少女の腕に戻る。

薄暗い地下道に陰々と続く蛍光灯の破線。

前方に吸い込まれるそれを従えた幼女が、ギギギと硬い動作で首だけを回し、佇む探偵を振り向く。

          

「いそいで、かいじゅうのくちをとじろ」

         

瞬きしない黒瞳が、色の薄い灰色の瞳を射抜いた。

        

(17)

近藤孝明−コンドウ タカアキ−は今日も有頂天だった。

タカアキが、たかが地方都市ではあるがそれなりの大きさを持つこの街で手広く事業を行う企業の重役に取り立てられたのは数年前であり、うだつの上がらないサラリーマンだった頃、酔った勢いに任せて道端の水晶占い師に「ボクは社長になれるかな?」と途方もない占いを頼んでから、たった三ヶ月後の事だった。

「会いたかったよ、ハニー。寂しくなかったかい? 我が最愛のイレーネ」

「もちろん、寂しかったわ、ダーリン。だってあなたが傍に居てくれないんですもの」

一泊二日の出張を終えて新幹線の駅に降り立ったタカアキと妻イレーネが熱烈な接吻と抱擁を交わす恒例行事を、タカアキの秘書は内心嘆息を持って冷徹に眺めた。

四十台半ばの岩石みたいな顔をした上司は見た目に見合わず細やかな心遣いの出来る人間で、部下の評判も悪くない。元より自分も現場で歩のようにこき使われて来ただけあって、幹部会が何を言おうが会議の前には必ず自ら出向いて現場の意見を聞き、取り入れてくれるのだから、正直下々の味方は多いくらいだ。

しかしその愛妻家ぶりには目を覆う…恥ずかしすぎるという意味で…ものがあり、秘書のなり手は、ない。

皆無!

自分だってアミダではずれを引かなければ、こんな地獄に付き合う謂れはなかったのにと、秘書、横山千夏−ヨコヤマ チナツ−は思った。

いや、正直に言おう。

もしタカアキの妻イレーネがいかにもな日本人のおばちゃんだったら、チナツどころか数週間から数ヶ月で辞めて行った秘書たちも、嫉妬など抱かずに済んだだろう。ところが彼女は、タカアキより長身でモデル体型、金髪碧眼二十代後半の超絶美人なのだ。

その妻と倍近い年齢の岩石顔上司が、恥じも外聞もなく公共の場所で抱き合ってキスし、いちゃいちゃしながら歩くのを毎日のように見せられるのは拷問だったし、だからこそ、薄暗い嫉妬心も沸くというものだ。

自分には未だ恋人も居ないのに…。

チナツは今日も寂しい気持ちになって、くすんと鼻を啜りながら俯いた。

日本男児ヨコヤマチナツ二十六歳…名前のせいで女性と間違われがちだが…、理想の女性は家庭的で優しい「奥様」タイプ。結婚したら妻には家に居ていつでも温かい食事と笑顔で帰りを待っていて欲しい、もしかしたら絶滅寸前の夢見がちな青年は、しかし。

「今日の夕食はロイヤル・ヒル・ホテルのイタリアンを予約したのよ、タカアキ。チナツも一緒に行きましょう?」

恒例行事のキスまで済ませたイレーネがタカアキの首に両腕を巻き付けたまま佇むチナツに笑顔を向けて言うと、青年は慌てて顔を上げその誘いを拒否しようとした。

          

「それでね? チナツ。実は…ナノリがチナツにどうしてもお願いしたい事があるからって、もう、待ってるの」

       

タカアキに身体を摺り寄せながら魔女の如き笑顔で言い放ったイレーネに、日本男児ヨコヤマチナツ二十六歳は、腰から上が転がり落ちてしまいそうなくらい勢い良く頭を下げ、元柔道部の礼儀正しさで、腹に力を込め答えた。

「ご一緒させていただきます、イレーネ奥様! よろしくお願いしたします、コンドウ専務!」

         

ヨコヤマチナツ二十六歳。家庭的な女性に憧れる癖に彼が一目惚れしたのは、寄りによって、おおよそ家庭などというものとは縁のなさそうなヘビースモーカー、マキナノリ、その女性−ヒト−だった。

       

   
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