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    嘘吐きは悪党のはじまり    
       
2.フーリガン

   

 室内に、空々しい喧噪が戻る。

 事の顛末を見守っていた客たちが、あの兄さんツイてねぇなぁ、と小声で囁き合うのを右から左に聞き流し、シュアラスタはバーボンのグラスを傾けながら、注がれる視線が外れていくのを待っていた。

(他人の不幸好きな人間が興味を覚えるのは、その不幸に見舞われている人間が狼狽える姿だ。だから、自分の予想よりも面白くない反応しか示さない人間には、すぐに飽きる。同情して優越を感じられないなら、同情する必要なんてないんだからな)

 シュアラスタはたっぷり時間をかけてバーボンを飲み干すと、手の中のグラスをテーブルにそっと置き、ゆっくり口元を歪めて嗤った。

(……この俺がツイてないって? 冗談だろ!)

 女、チェスの残していったグラスと、今シュアラスタの置いたグラス。ぶっかき氷を残しただけでテーブルの端と端に置かれた二つは、偶然その場で鉢合わせした二人のように、まるでお互いになど関心ないように見えた。

「ところが案外、そうでもなかったりして…」

 食堂から酒場の様相に取って変わり始めた室内を肩越しにぐるりと見回し、さて、と大きく息を吐く。

 葉巻が流通の大半である大陸では珍しい紙巻きタバコを懐から取り出してくわえ、マッチで火を点す。微かに甘だるい紫煙を胸に溜め込み、長く物憂げに吐き出す。

 それからシュアラスタは、伸びをするように両腕を首の後ろに組んで挙げ、傷だらけのブーツの踵を思い切りテーブルに叩きつけて、声を張り上げた。

「オヤジ!」

 がしゃん、とグラスが飛び跳ねる音と、張りのある低い声が同時に客の視線を引きつける。しかしシュアラスタはそんな事などお構いなしに、恐ろしく不機嫌そうな表情で紙巻きをふかしていた。

 主人は、彼のその様子にただならぬモノを感じて、転がるようにカウンターを出ながら目を白黒させた。

 つい今し方まで萎縮していた気の弱そうな青年が、いきなり別人のように、それこそ声音までも変貌してしまった事に、言葉もない。

「? 耳が遠くなるにはまだ早いんじゃないのか? オヤジ。聴こえてるんならさっさと来い!」

 脱力したように腕を投げ出して背凭れに後頭部を乗せたシュアラスタが、逆さまにじろりと主人を睨んだ。

 その、限りなく凶悪な光を湛えた緑色の瞳に、室内が、しん、と静まり返る。

 先刻までとは全く違う、思惑ありげな陰を落とす横顔。おどおどした希薄な雰囲気は既になく、あるのは、足下から這い上がってくる冷気。限りなく関わり合いになりたくない特定職業の人間だけが持つ、冷酷さ、残忍さ。

 まさか! と誰しもが震え上がった。

「商談と行こうか、オヤジ。…アンタ、あの女の言葉を借りれば、守銭奴なんだってなぁ」

 引きつった愛想笑いを顔面に凍り付かせた主人がへこへこと揉み手で走り寄って来たのに一瞥くれ、シュアラスタは皮肉たっぷりに口の端を歪めた。

「……まぁ、俺も世間一般的には守銭奴の筆頭に入るんだろうが」

 吐き捨てられた、やる気のない言葉。

 瞬間、主人は身体中を硬直させた。

「取引と行こうじゃないか、なぁ? アンタと俺、もっともらしく、金貨で解決いたしましょ」

 シュアラスタがわざとらしく、はっはっは、と乾燥した声を立てて笑う。その様子に蒼白で唇を震わせ始めた主人をまたもじろりと睨み、彼は緩慢な仕草で椅子を蹴倒して立ち上がった。

「……俺から大金貰って他の客の安全を確保するか、俺の話を無視して客に取り返しのつかない怪我……なんかさせるか、はたまた俺に大金払って自分の命買い戻すか、アンタの好きな方法選ばせてやるぜ」

 コートのポケットに両手を突っ込み、シュアラスタは室内をぐるりと見回した。一気に酔いの醒めた客たちが、慌てて彼から視線を逸らす。

 誰も彼もが思い浮かべたであろう言葉。口を衝いて出る前の侮蔑さえ聞こえてきそうで、彼は上機嫌に笑った。

「あ……あんた…い……ひぃっ!」

 かさかさの声が呟き終わるのを待たずに、いきなり主人の胸ぐらを捻り上げる。

「さっさと決めろ、俺は以外と気が短いぞ」

 覆い被さるようにして覗き込んでくる瞳の翳りに、主人は確信した。

(……。悪党、か!)

「おっとそうだった」

 けたけた笑いつつ主人を解放したシュアラスタが、がりがりと頭を掻きながら、すっかり短くなった紙巻きを床に吐き捨て爪先で踏みにじる。

「詳細説明がまだだったな、悪ぃ悪ぃ」

 ちっとも悪いと思っていないようなとぼけた口調。

「一遍しか言わないから、よっく聴いとけよ」

 腕を組み、耳元に顔を近づけたシュアラスタがぼそぼそと何かを囁く。と、内容を理解するにしたがって主人はみるみる青ざめ、がたがた震えながら、心の中でだけ悪態を吐いた。

(ちっくしょう! 悪党め!)

「……判ったか?」

 主人は言葉を発する気力さえなく、こくこく何度もうなずいた。

「そんじゃぁ、色好い返事を聴かせて貰おうか」

 言いつつ背伸びしたシュアラスタの、つんと引っ張られた左の袖口から、びっしり文字の彫り込まれた鉛色の幅広バングルが微かに見えた瞬間、室内に緊張と嫌悪が走った。

「…………悪党!」

 背後で囁くように上がった悲鳴に振り返り、シュアラスタが奇妙な表情で微笑む。

 諦めたような、腹立たしいような、不愉快な表情。

「あぁそうだ、俺は悪党さ。不人情で了見が狭くって、金に汚い悪党だよ」

 そこまで言って彼は、思い出したように付け加えた。

「あんたら全員、俺には気をつける事だな……」

 仮面を脱いだ「悪党」、バスター・シュアラスタ・ジェイフォードは、さも可笑しそうにげたげた笑い出した。

「何せ、人殺しだぜ」

(……ショウはこれからだ、チェス・ピッケル・ヘルガスター!)

  

   
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