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    嘘吐きは悪党のはじまり    
       
3.ステレオタイプ

   

 この名もない大陸には、大きく分けて三種類の人間が暮らしていると言われている。

 一つは、朝起きてメシを食い、働いて、傾く太陽に一日の充足感を噛みしめる、一般市民。この大陸の大半がそんな、分相応な暮らしにささやかな幸福感を抱く、当たり前の人間。

 もう一つは、一般市民の財産や命を脅かす、「悪人」と呼ばれる犯罪者たち。彼らは時に一人で、時に徒党を組んで、街道や、街壁に護られた町や村に現れては、略奪と殺しを繰り返す。しかも、「悪人」はそれだけではない。一般市民の仮面を被って街に暮らしている。裏では人身売買しながら、愛想笑いでボランティアだと孤児院を建てる。非合法ドラッグの流通経路を、商隊馬車と同じ数だけ持っている。どれもこれも悪人。証拠が挙がれば、賞金首。

 そして最後の一つが、「悪党」と罵られる特定の職業集団、バスター。大陸全土を渡り歩き、金さえ積めば、彼ら言うところの「犯罪」以外は何でもこなす。大陸保安委員会なる腰抜け保安官たちの首脳がキャピタル・バスターズからの情報を元に作成した「手配書」によって、賞金首を吊るす。階級上位三クラスに限っては「強制執行権」が与えられており、その場で死刑の執行さえ許されていた。

 しかし、本来ならバスターに保護されるべき一般市民さえ、彼らを悪党と口汚なくこき下ろす。なぜなら、そのやり方は悪人の比でなく、その存在は驚異でしかないからだった。バスターが護るべきモノは、一般市民でも人情でも財産でもない、「バスター規約」と呼ばれる厳しい独自の法律だけであり、彼らはそれを護り通すためならば、手段を選ばない。

 自らの力量を売り、命を削り、代わりに、一般市民が一生かけても拝めないような大金を手にして、蔑まれながら生きていく。

 それが、この大陸に必要悪として黙認されている…バスター。

  

  

 驚くほど静かな夜だった。

 明かりを取るためなのだろうか、わざとのように開け放たれた、薄いカーテンの垂れ下がった窓から、満月特有の青白い光が室内に射し込んでいる。

 部屋は建物東、それぞれ独立した二対の窓は南、唯一の出入口はベッドの足下、西。決して広くはないが、狭すぎる訳でもない。

 安っぽいサイドテーブルを挟んで二つ並べられたベッドの北側、窓に遠いそれに靴のまま寝転んでいたシュアラスタは、そっと傍らのチェスを盗み見た。

 彼女は、彼に背を向けるようにして、静かな眠りに就いていた。薄い毛布越しに浮かび上がり、よくない妄想を掻き立てる肢体は、なかなかどうして悪くない。露になった真白い滑らかな肩から、芸術的な曲線で繋がるくびれたウエストと、少々ボリューム不足だがそれはそれでまたなまめかしいのか? と思わせるヒップラインを経て、すっと溶け込むように消えていく爪先。

(…訳ありじゃなかったら、是非ともお願いしたいモンだな)

 何をだ? と一瞬自分でツッコミ、吹き出しそうになって慌てて口元を引き締める。

(やだねぇ、男なんて。こんな時でもろくな事考えてねぇ)

 自ら招いた「こんな時」に踏み込んでおきながら、シュアラスタは他人事のようにのんびりとひとりごちた。

 一瞬、傍らで眠る「チェス・ピッケル・ヘルガスター」が、自分の探す「チェス・ピッケル・ヘルガスター」でなかったら? と思い浮べたが、彼はあっさり、一呼吸と待たずにそれに対する物騒な答えを弾き出していた。

(そんときゃそんとき。人違いでした、で済ますだけだ)

 これから起こる何らかの騒ぎに人違いで巻き込まれたとしたら大層な迷惑だろう、などとは一切考えない。当たりだろうが外れだろうが、シュアラスタは彼女を予定通り騒ぎに巻き込むし、予定通り騒ぎを鎮圧するし、予定通り「チェス・ピッケル・ヘルガスター」を「連れて帰る」つもりなのだ。

 つまり、自分が彼女を見誤ったなどとは、これっぽっちも思っていない。

 ただ、引っかかりがない訳でもなかった。

(……あの火傷痕)

 シュアラスタが探していたのは確かに「チェス・ピッケル・ヘルガスター」ではあるが、「大陸一の美女」であり、「たおやかで優しげで儚げ」であり、「悩み、苦しみ、涙乍らに消えていった」女性。ところが目の前にいる「チェス・ピッケル・ヘルガスター」は、「元は大陸一美女だったかもしれない、粗野で不機嫌そうな」女。…哀れに半顔の溶け崩れた、女。

 シュアラスタは耳を澄まして周囲の音を聞き取りながら、正体の見えない奇妙さを、いかにも不愉快だと言わんばかりにひそめた眉の下、暗がりを睨む灰色がかった緑の瞳で見極めようとしていた。

(ヤツが、最大の特徴だろうあの火傷痕を俺に知らせなかったのは、そんなモノがあるとは知らなかったからか? それとも、「顔の火傷」で俺が女に対して興味を失い、仕事を請負わないと言い出すのを回避するためか? ………)

 最後の一つ、万一これだったらハラ立つな、と彼的に思われる事が頭の隅を掠めた瞬間、その、微かな物音は耳に飛び込んできた。

 人畜無害の小動物が、壁に爪を立て忍び寄るような小さな音。

(まぁ、そんなモンは、あんたを見つけた今となっちゃぁどうでもいい事さ。……ヤツの知らないところでその火傷を負ったんだとしても、あの坊ちゃんなら、あんたを愛してるって言ってくれるだろうよ)

 嘘臭ぇ。と小ばかにしたような笑みを口元に乗せ、シュアラスタは身を起こした。衣擦れの音さえなく、ひとりでに歩き出す死体の如くゆらりと、魂の抜けた人形のように気配を消し去って。……誰にも気付かれずに。

 一瞬だけチェスの背中に視線を投げる。彼女は、相変わらずぴくりとも動かず眠っているように見えた。

 徐々に物音の数が増え、徐々に迫ってきている。廊下はすでに、人畜無害でも小動物でもない一団に占拠されていた。しかし、シュアラスタに焦りも不安も感じられないのは、それさえ彼の思惑通り事が進んでいたからだろうか。

 全て予定通り。その優越が、彼に油断を与えていたのに間違いはない。

 ざざっ、と幾多の気配が揺らぎ、ひんやりとした殺気がドアと床との隙間から滲み入って来る。その数二十を下らないであろう「客」を確認し、いつ、どのタイミングでその一団が踏み込んで来るのかを見切るために、シュアラスタは全感覚を総動員した。

 押し殺した息遣い。背中を伝い落ちるイヤな汗が産毛を舐めていく微かな音さえ、聞き取れる気がする。擦り足でにじり寄り、肩をぶつけてひしめき合い、じっとりとした小汚い手で剣の柄を握り、ごくりと固唾を飲む。

 それら全てを半眼で睨んだドアの向こうに感じ取り、シュアラスタはにっと唇の端を引き上げた。

 その時彼は、感覚に引っかかって来るはずのモノが引っかかって来ない不可思議を、完全に見落していた。

 最も近くに感じるはずの、規則正しい寝息。それが、ない。ない事にさえ、気付か、ない。

「……ショウタイムと行こうか…」

 自信たっぷりの呟き、それが計画の歯車を狂わせる、合図だった。

 ずだん! とドアが踏み倒される轟音と伴に、人相の悪い(だろう)男達が薄暗がりになだれ込んで来る。シュアラスタはその直前、蝶番の上げた金切り声を肌で感じた瞬間、チェスの身体を覆っていた毛布を盛大に翻し、同時に反対の手でロングコートの合わせを払って、その手を背中に突っ込んだ。

 ひやりとした固い感触に凶悪な笑みを漏らしつつ、手に馴染んだ鉄塊を掴み、無雑作に抜き放つ。

「バスター! 観念し……!」

 踏み込んで来た先頭の男が宙を舞う毛布に気を取られている隙に、跳ね起きたチェスの襟首を掴んでベッドの下、自分の背後に引き摺り下ろし、引き金を引く……。

 ハズだった。

 チェスを捉えるために突き出された手が空を切った。と、シュアラスタは間抜けにも、ぎょっとベッドを振り返ってしまっていた。相手によっては、首が胴から離れかねない大失態。

「…ウソだろ」

 シュアラスタは、右手で黒々とした拳銃を差し上げて、訳が判らないまま部屋中を見回し程なくチェスを見つけ、呆然と目を見開いた。

「嘘じゃねぇぜ、バスター。てめぇに殺られたカシラの仇、今ココで討たせて貰う!」

 ぱさりと毛布が床に落ちるなり、先頭に立つ髭面の大男が耳障りなだみ声で静かに宣告。シュアラスタはそれに視線を向ける事無く、うるせぇ! と怒鳴り返すなり、声のした方に銃口を向けて、いきなり引き金を引いた。

 ダン!

「!」

「ちょっと静かにしてろ、てめぇらの相手は一分後からだ!」

 射出反動で銃口を天井に跳ね上げ、男をじろりと睨み据えて、いかにも不機嫌そうに吐き出す。

(なんだ? 一体?)

 シュアラスタは、視線をチェスに戻した。

 多分今この室内で最も安全な場所、ベッドとベッドの狭い隙間、更にはシュアラスタの背後で手足を縮めている彼女。尋常ではない反射速度で、毛布を跳ね上げられた瞬間に自らその場所に身を投げ出した……彼女。

 悲鳴も動揺もなく、ただ、冴えたグランブルーの瞳で冷たくシュアラスタを見上げた、チェス・ピッケル・ヘルガスターという名の、女。

「お前、何モンだ」

「あんたこそ、バスターですって?」

 チェスは、今まさに始まろうという惨劇などどこ吹く風で、先刻と変わらず不機嫌そうに言い返した。

「…………」

 月光を照り返す瞳に睨み付けられ、なぜか応えあぐねたシュアラスタが、困ったように肩をすくめる。

「二分待ってろ。こっちの用が片付いたら全部説明する。ただし、そこから動くなよ。動いたら、容赦なくぶっ殺すぞ…お前でもな」

 外しかけた視界の端に、俯いて笑う彼女の横顔が引っかかった。

 …出来るんだったら、お願いするわ。

 と、その不器用な唇が囁いた気がした。

「お待たせ」

 正面で順番を待つ男たちに顔を向けて微笑むと、シュアラスタはいきなり親しげに話し掛けた。

「てめぇらみたいに出所のはっきりした悪人はいいな、親近感覚えるぜ、まったく」

 はっはっは、と笑いながら銃口で頭をがしがし掻き、シュアラスタは懐に手を入れ紙巻を取り出しくわえた。

「んじゃぁまぁ、早速行こうか。お嬢さんとの約束は二分。俺はこう見えても、約束は極力護りたい律義な男でね。余裕を持って、一分半で片づけたいな、なんて希望なんだが?」

 この期に及んで、なんともおしゃべりな男。

「オレたちを侮んじゃぁねぇぜ! バスター!」

「まぁ、努力はするさ」

 シュアラスタは背後のチェスを庇う形で、殺到する男達と交戦状態に突入した。

  

   
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