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    嘘吐きは悪党のはじまり    
       
4.マーティアー

   

 ダンダン!

 聴きなれない爆裂音が轟き、暗がりに朱色の銃口炎が瞬く。

 いつ果てるとも判らない人波が、ドアからぞくぞくと流れ込んで来ては、次々に弾丸を食らって床に倒れ込んで行く。

「そろそろ弾切れじゃぁねぇのかぁ! バスター!」

「そいつはどうでしょ」

 戦斧を振りかぶった男が残忍な笑いを撒き散らしながら突進してくるのに飄々と応え、シュアラスタは軽く身を沈めて、シリンダーから空薬莢を叩き出した。

 ばらばらと、乾いた金属音をおまけにつけた薬莢が床に散らばるのを、チェスはぼんやり見つめていた。

 閃く巨大な刃が、今しがたまでシュアラスタのいた空間を切り裂く。

 しかし彼は既に男の背後に回り込み、神業的な速さで弾の装填を終えていた。

(・・・速い)

 瞬きも忘れたグランブルーの瞳が、シュアラスタの一挙一動を見逃さずに追っている。はためくコートの裾が血風を孕み、翻り、ぴたりと停まる。

(撃つ)

 ダン!

 床に食い込んだ刃を引き抜く隙さえなく、男の後頭部が血飛沫を吐いて弾け跳んだ。

「お前らに見切られるほど、俺の腕は鈍かねぇよ」

 飛び出した眼球がチェスの脛を叩き、シュアラスタが一瞬だけ彼女を見た。

 仄灯かりの室内、右半顔を醜いケロイドで覆った彼女の表情が、はっきりと判るはずもない。

 自ら放り投げ宙を舞った拳銃を左に持ち替えると、後ろ向きのまま、残りの弾を男たちの足下に撃ち込む。

 身を縮めた彼女が脅えているのだと勝手に解釈した彼は、次の弾丸を装填し、踵でくるりと回りながらろくろく狙いも定めずに、踏み込んできた男めがけてそれをぶっ放した。

 喉元に大口径弾丸を食らった男の首が千切れて転げ落ち、制御を失って倒れ掛かってくる身体を、シュアラスタが自分の背後に突き倒す。

 怒声と銃声、乱れた足音。ひどく、遠い。

 勢いに乗った生首が、チェスの右横に転がった。シュアラスタに捌かれた身体が、大量の血飛沫を撒いて彼女に抱きつき、ごとん、と手にしていた剣を床に投げ出す。

 チェスは、叫ばなかった。

 頭のてっぺんから生暖かい血のりを浴びせ掛けられたまま、彼女は見つめていた。

 白い影、瞬く光、何もかもを塗り変えるように流されて行く、鮮血。

 男たちが喚く。

 シュアラスタはそれにいちいち応えていた。

 でも、何を言っているのか理解出来ない。

 鼻をつく血の匂い。

 記憶の片隅―――半分以上―――に染み付いた、懐かしい匂い。

 チェスはのしかかって来る男の亡骸を押しのけ、床に落ちている剣を拾い上げた。

 視野を埋める、黒い血の河。累々と転がった死体から流れ出たそれが、チェスを追いつめるように、静かににじり寄ってくる。

(……逃げられない。なら、飛び込むだけ? 違うわ……戻って行くだけ?)

 剣を握る手に力を込め、彼女は自分が正気である事を確認した。忘れたい、忘れたい、と藻掻いていた感触が、しっくりき過ぎてイヤになる。

 泣きたい気分になった。

 不意に思い出す、「動いたらいたら、容赦なくぶっ殺すぞ…おまえでもな」と言った、シュアラスタの横顔。悪党の、横顔。

(嘘じゃない事を願いたいわね)

 チェスはゆっくりと立ち上った。誰にも気付かれないように。

 チェスはゆっくりと力強く剣を握り締めた。誰にも気付かれないように。

 チェスはゆっくりと、口元を引き上げ笑った。

 それ、が、体の一部であった時の事を思い出し。

 瞬間、彼女は纏う気配を塗り替えた。

  

   

 本能的な回避行動。

 シュアラスタは「それ」を感じた刹那、ベッドを飛び越え窓の下に転がり込んでいた。

 壁に背中を叩きつけて止まり、一体何が起こったのか、とたった今まで自分の立っていた位置に視線を投げようとして、別のモノに目を奪われる。

 真白い影が弾丸のような速度で、両手を振り上げ号令を出す男の胸に、手足を縮めた猿の如く飛びついたのに。

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 空気を激震させる絶叫は、口を大きく開けて目を剥いたその男ではなく、背後の男の喉から上がった。

 勢いの死んだ長剣に串刺しにされ、絶命を免れた哀れな男。手前の男は既に、心臓を一突きされて即死している。

 シュアラスタの感じた「それ」は、冷ややかで重い濃密な殺気だった。その発生源が、今まさに長剣を握り二人の男を刺し貫いているチェスであると理解するのに、ひどく時間がかかる。

 理解不能。目の前で何が始まったのか、シュアラスタには判らない。

 彼女は、青白い燐光を放つグランブルーの瞳で、冷酷に二人の男を見下ろしていた。

 口元にだけ、ぞっとするような薄ら笑いを浮かべ。

 血を吐くほどの悲鳴を上げる男を一瞥、チェスは両手で支えた長剣を抜くため、裸足で掴んでいた手前の男の胸を思い切り蹴り飛ばしながら、切っ先を跳ね上げて斜め後方に背面宙返りを打った。

 ごぎぎ、ざばぁぁぁっ!

 耳を覆いたくなる篭った音を立てて男たちの上半身が真っ二つに斬り上げられ、まさしく滝のような勢いで鮮血と内臓の一部が垂れ流される。

「ちっくしょう! 仲間がいやがったのかぁ!」

 勢いで押し込まれるように転がり込んで来た男に、幅広の曲刀を振り回し半狂乱で罵られても、シュアラスタに答える術はない。

 仲間じゃない。

(…じゃぁ、なんだ?)

 美しい赤光を放ち弧を描く長い髪と、ますます凶悪に鈍い輝きを増す、青白い燐光を湛えた瞳。手にしたなまくらの剣さえ、宝刀のように白刃を煌かせる。

 チェス・ピッケル・ヘルガスター。

 倒れた仲間を踏み越えて突っ込んできた男の頭上で、ダン! と板を踏みつける乾いた音が轟いた。

「!」

 見上げた男の顔面を、コマ落しの速さで出現した刃が捉える。

 ずしゃぁぁっ!

 容赦なく全体重をかけて振り下ろされた剣で男の体が左右に斬り分けられ、床に脳漿をぶちまけて転がった。

 目前に迫っていた天井を足場にして瞬転、落下してきた彼女に襲われた、と男は知らずに逝っただろう。

 床にうずくまって着地した血塗れのチェスが、ふらりと立ち上がる。

 窓の下に貼りついたままシュアラスタは、その様子にふと眉をひそめた。

(おかしい…)

 先刻までの気迫も殺気も嘘のように消え去った彼女は、握り締めた剣の切っ先をどす黒く染まった床に引きずりながら、おぼつかない足取りで二、三歩後退した。

 見開いた目に変わりはない。しかしその表情は苦痛に歪み、瞳の中の燐光さえも消滅し、今にも倒れそう。

 シュアラスタは反射的に窓の下から飛び出すと、距離を取ってチェスの背後につけた。

 彼女に隙が出来たのにも関わらず、取り囲んだ男たちは動けない。理由は、銃を構えたまま凝り固まったシュアラスタにも判っていた。

 チェスは、間違いなくそこにいた。なのに、その気配が全くない。顎を上げて髪を振り乱し、不安定にゆらゆらとよろめいている。それが見えている。確かに判っている。

 でも、それが本当なのかどうかが判らないほど、彼女の「存在」は皆無に等しかった。

 「在る」のに「無い」。自分の視覚が、信用でき、ない。

 俯いた横顔。三日月型に引き上げられ、笑う唇。シュアラスタは、彼女が正気だと確信した。

「邪魔だ! どけ!」

 声を合図に、がくん、とチェスの体が左に傾ぐ。

 ズダァァン!

 空いた空間に弾丸を叩き込み真正面の男を葬り去った瞬間、ずしり、と部屋の空気がまたも変わった。

 右脇すれすれを弾丸が駆け抜けた直後、ざっと滑らせた足で転倒するのを堪えたチェスが、床の血だまりを蹴立て息を吹き返す。キッと結んだ唇。一瞬だけ茫洋としていた瞳に、ボッ! とあの燐光が戻った。

(! なんだってんだ、この女!)  飛び出した彼女の背中を撃ち抜きそうになって、シュアラスタは慌てて銃口を天井に向けた。

 透明で濃密な霧に閉じ込められたような、感じているのに見えない憔悴。粘ついたそれが身体中に纏わり付き全ての動きを鈍らせる中、彼女だけが迅雷の速さをもって走る。

 今しがたまで引きずっていた切っ先を床に叩き付けて薙ぎ払い、踏み込んで、逃げる男の背に突き立て斬り捨てる。

 恐慌に陥った男がめちゃくちゃに剣を振り回すのにもひるまず、残った数人を追い立てるように突き進み、間合いに入ったところで逆袈裟に一人を斬り伏せて、更に真横からの一閃で二人の胴を両断、びしゅびしゅと鮮血を吹き上げて立ちはだかる下半身をしのぎで左右に叩き倒す。

 まっとうな戦いではなかった。

 分がないと今頃気付いた男たちが敗走するのに背後から追いすがり、右腕一本で振り上げた剣を手前の男の脳天めがけて打ち下ろす。すでに刃がこぼれ始めたのか、それは「斬る」というよりも、力で押し断つ様相だった。

 ごぎ! ぐちゅ!

「ぐわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 ばきん!

 絶叫と金属音。頭に折れた剣を半ば突き刺したまま倒れた男が、びくびくと痙攣を繰り返す。チェスはそれを踏み越えて返り血を浴びながらも廊下に飛び出し、手の中に半分残った刃を、最後の一人に向けて投げつけた。

 彼女を追って廊下に出たシュアラスタは、驚愕に瞬きも忘れて、我知らず呻いていた。

 恐ろしい速さで空を切り裂き突き進んだ、途切れた刃。

 それは寸分違わぬ正確さで、男の頸椎に真後ろからめり込んだ。

 ごぽり、と赤黒い塊を吐き出し、奇妙な形に首から上だけを仰け反らせて、胸から前のめりに倒れる姿を確認する事なく、彼女はゆっくりと振り返った。背後で、ごとん、と空っぽの頭が床板を叩き、最後の悪人が息絶える。

 絶対の自信。仕損じは、ない。

 廊下の真ん中に立ち尽くしたシュアラスタを、チェスが睨んだ。

 深海のマリンスノーが音もなく降るように、瞳の中の燐光が薄れて行く。

 だから一層、背筋を這い上がる寒気が増した。

 次の彼女の標的は、シュアラスタ。

 返り血でぬらぬらと濡れそぼった美しくグロテスクな面が、不器用に微笑む。

 その表情に違和感を抱きつつも、シュアラスタはいきなり引き金を引いていた。

 月光さえ射し込まない闇の中、目視できるのは彼女の瞳に瞬く青白い炎と、朧げな真白い肢体だけ。

 胴体めがけて撃ち込まれた弾丸が貫いたのは、疾風の見せる残映。この暗がりで銃口を捉えていたのか、チェスは身体を開いてそれをやり過ごし、恐ろしい勢いで間合いを詰めて来る。

 瞬間、シュアラスタは拳銃を背中に突っ込んだ。

 スピードに乗って繰り出される貫手を紙一重で躱し、元いた部屋の中まで後退。うち捨てられた死体に足を取られそうになりつつも、二つ並んだベッドの狭い隙間まで彼女を誘い込む。

 チェスの体技は、剣術並みのスピードだった。

(ところが…だ)

 思惑通り彼女がベッドの間に入った途端、それまで防戦一方だったシュアラスタの動きに、微妙な変化が出た。

「剣を振り抜く力で、軽量のハンデを補ってるようだが、身体一つじゃ思うようにはいかないだろ?」

 それまで躱し続けていた彼女の突きを、極小の払いで後ろに流す。

「確かに速いが、見切れないほどでもないさ。原理が判ればな」

(…俺でもギリギリなのは、確かなんだが)

 軽口の割に身体中に嫌な汗をべっとりと吹き出させつつ、シュアラスタは更に言った。

「剣術のクセが出てるぜ。振り上げと振り抜きが……デカいんだよ」

 狭いベッドの隙間、横幅はいっぱいいっぱい。シュアラスタは彼女が拳を腰だめに引くのを狙って、すいと懐に入った。肩幅より開けない足下が、固まり切れていない事を承知で。

 後退したチェスのふくらはぎがベッドの縁に当たり、微かによろめく。

「体技は俺の十八番でね」

 バランスを崩しながらも彼女が放った右膝蹴りを、シュアラスタは張った掌で止めた。パン! と皮膚を叩き合わせる音に、彼はにやりと笑いを浮かべ、感情の見えないグランブルーの瞳を睨み据えた。

「見切れなくなったら、俺もカンバンだ!」

 動きを悟られないために弛緩させていた筋肉をフル稼動。手加減など完全に排斥した脳の司令に任せて、指先が食い込むほどがっしりと掴んだ膝をベッドに向かって引き倒すのと同時に、右の裏拳を細い首筋に叩き込む。

 軽い上に重心を倒されていた彼女の身体は、いともあっさり、うつ伏せにベッドに叩き付けられた。

 裏拳とはいえかなり本気で放ったそれをまともに受けたのにも係わらず、チェスは呻きも叫びもしなかった。それどころか、シュアラスタが気を抜きかけた瞬間、軽く頭を振って薄れかけた意識を繋ぎ止め、身を起こそうとさえした。

「ウ・・・・・・ソ!」

 失神するか、運が悪ければ首の骨をへし折られるかの打撃でも、チェスに決定的なダメージを与えられたとは思えなかった。目の前で動きだそうと蠢いているのが人間でないような気がして、シュアラスタが背筋を震わせる。

 次にチェスの瞳であの燐光が燃えたら・・・・・・。

 本能的な回避と攻撃。

 シュアラスタは咄嗟に、彼女の左手首を体の下から掴み出して捩じり上げ、肩と肘の間接を極めた。それとほぼ同時に背中のど真ん中を膝で押え込んでのしかかり、電光石火の勢いで抜いた銃をチェスの後頭部に突き付け撃鉄を上げる。

 一秒足らずでそこまでやって、やってしまって愕然とした。

 血のりで絡み付いた金色の髪に銃口を擦り付け、気を抜いたら引き金を引いてしまいそうな緊張感にじっとりと汗をかき、歯噛みして、チェスの背中を見下す。

 今この瞬間も感じる。

 殺らなければ、殺られる。

 こんな物騒な世界に首までたっぷり浸かって生きているのだから、その意志を否定する事はしない。ただ、シュアラスタにとってある種屈辱的な恐怖を伴うそれに、無条件で降伏する事も出来ない。

 屈辱的。後ろから頭を吹き飛ばす。たった一発で彼女の人生は終わる。それがどうという訳ではない。問題は…。

 それしか手の残っていない自分。

 シュアラスタの苛立ちを触れている部分で感じ取ったのか、チェスが微かに身じろいだ。青白い月光の射しかかるベッドに突き倒されたまま顎を上げ、ひくっ、と息を吸い込む。

 折れるかハズれるかしてしまう程チェスの腕を捩じり上げていたシュアラスタが、またも瞬く間に変わってしまった彼女の気配に困惑し、慌てて腕の力を弛める。解放する気も銃口を外す気も起こらなかったが、なんとなく、そのどちらを選択したとしても、彼女はもう抵抗しても、あの燐光を燃やしても来ないだろうと予想はついていた。

 突き刺さって来る殺気鬼気は既になく、粗暴で投げやりな感じも消え失せ、短く浅い吐息を繰り返して呼吸を整えているのだろう彼女は・・・・・・。

「ぶっ殺してくれんじゃなかったの?」

 自分を嘲り笑う、か弱い女性に見えた。

「悪いが・・・・・・」

 急に、女に対して興味が湧いた。

 シュアラスタはチェスの背中から降りて、悠々と懐から取り出した紙巻にマッチで火を点した。

 のろのろと身を起こしたチェスが、ベッドに座り込んでシュアラスタを見上げる。

 しゅっ、と朱色の光。

 その向こう側で伏せられていた睫がふと上がり、凍えた光の中で膝を抱えるチェスを見つめ返す。

「律義だが不親切な男でね、死にたい奴は殺さない事に決めてる。おまけにあんたは……、こんな十束いくらの雑魚と違ってまっとうな飯の種だ。ぶっ殺しちゃったら、貰える経費も貰えないでしょ」

 シュアラスタは困ったように肩をすくめ、本当に少し困って紫煙を吐いた。

 血と死体の散乱した部屋の中と、自分は無傷なのに返り血で真っ赤に染まったチェスを見比べながら。

(・・・・・・やれやれ、ツイてねぇな)

  

   
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