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嘘吐きは悪党のはじまり | |||
5.オープニング | |||
惨劇の検証をあらかじめ近くで待機させていた保安官に任せ、二人は別の一室に移った。身体についた血のりをシャワーで流し、人心地ついたところで、チェスが呆れたように溜め息を吐く。 「満員の宿から他の客全部叩き出すなんて、噂通りね、バスター。目的のためには手段を選ばない……」 「お褒めに預って光栄です」 一人用の肱掛椅子にだらしなく座り紙巻を燻らせるシュアラスタが、いかにも社交辞令らしく無関心にそう応える。 不機嫌な顔つきでそれを受け流し、彼の真正面、ソファの真ん中に腰を下ろしたチェスは、濡れて頬に張り付く髪を何度も掻きあげながら、じっと何かを待っているようだった。 (死刑宣告? 誰がすんだ? そんなモン) 不意に小さく吹き出したシュアラスタが、吸い差しを灰皿に押し付けてけたけたと笑う。 「じゃぁ質問だ。アンタ、俺の目的が、先刻の連中を吊るす事だったと思ってるか?」 「ないわ」 「なら、心当たりがあるんだな・・・・・・若奥様」 彼女が、微かに肩を震わせた。 (ビンゴ) シュアラスタはその反応に気をよくしたのか、次の紙巻を吸い付けて組んだ足に肘を突き、にやにやしながら話し出した。 「騙し合いはこのくらいにしようや・・・、というより、スリリングなゲームを楽しんでる場合じゃなくなったからな。暢気にここで、アンタと腹を探り合ってる訳にもいかない」 チェスは諦めたように小さく一つ溜め息を吐き、多分今日始めて、真正面からシュアラスタを見つめ返した。 絶妙な醜悪のバランス。・・・・・・美しい左半顔、ケロイドの右半顔。 シュアラスタは黙って立ち上がり、テーブルを回り込んでソファに辿り着くと、ごくごく自然にチェスの傍らに腰を下ろした。濡れた髪に指を絡め、喉の奥でくつくつと笑いながら痩せた身体をずるずるとソファに押し倒し、邪魔な額の髪を撫で上げて・・・・・・。 いきなり火傷痕の端っこに爪を引っかけるなり、それを一気に引っぺがした。 びりっ! 「いっ! たっ! いじゃないのよ!」 「・・・こんな小細工に一ヶ月も振り回されてたなんて、考えただけでもハラ立つな」 手の中に残った人工皮膚のケロイドを忌々しげに睨みながらシュアラスタは、覆い被さるように押え込んでいたチェスから身体を引き離した。ソファに座り直し、しかし良く出来てんな、これ、と感心しつつ二.三度ひっくり返し、すぐに、飽きてしまったように灰皿に放り込んで紙巻を押し付ける。 「ところが、遊びはお終いだぜ・・・・・・若・・・」 強引に人工皮膚を引き剥がされ、顔やら喉やらに残った接着剤を擦ってぽろぽろ落していたチェスが、急に跳ね起きシュアラスタの脛を横から蹴飛ばした。 「ってぇっ!」 「その次のヤツ、もう一回言ったら脚の骨へし折るからね」 いかにも不機嫌そうにじろりと睨んでくる彼女に一瞬気圧されて、シュアラスタが苦笑いする。 「判った」 軽く万歳する彼の指先を見つめ、チェスが大きく溜め息を吐いた。 「……なーんて言っても、あんたは事情を知ってる訳ね。探してたんでしょう? あたしを」 「はいぃ」 ふざけた口調で語尾を跳ね上げ、シュアラスタは……。 「俺はバスター。今回の依頼内容はチェス・ピッケル・ヘルガスターを探し出して連れ戻す事。ここまではいいな?」 そのほっそりとした指先で、彼女の額に残った人工皮膚を、丁寧に一つずつ剥がし始めた。 じっと目を見開いたままのチェスが、不思議そうに、その愉し気なシュアラスタを見つめているのも意に介さず、彼は話し続けた。 「依頼人はもちろん「デューク・ハンビアン」、西部ハンビアン領主区の若旦那さんだ。その名前に聞き覚えは? なんて無益な質問はいらないな」 「………」 押し黙ったきりのチェス。聞き覚えない訳がない。 「アンタが結婚式の最中にぶっ飛ばした男」 不意に、チェスが吹き出した。 「やだ、それ間違ってるわよ」 「?」 「ぶっ飛ばした、んじゃなくて、蹴飛ばして床に転がしたの」 「……。やりかねないな、アンタなら」 さもおかしそうに笑う瞳。こうして素顔の全部をさらしてみれば、それはまさしく大陸一にふさわしい美しさだった。 「ついでに、止めに入った親類二人殴り倒して、警護の男…バスター? 一人窓から放り出して、ウエディングドレスのまま大立ち回りもやったんだけど、その辺は内緒にされた訳?」 いたずらっぽいくすくす笑いで小首を傾げる。 「知ってりゃ、こんなバカなマネしなかったよ」 バカなマネ、とは、彼女によって完全に狂わされた、彼の計画の事だろう。それを思い出したのか、少々ふてくされたように唇を尖らせて言い、チェスの頬に残る人工皮膚を指で摘んで床に投げ捨ててから、シュアラスタも笑った。 「…なるほど。どうりでやたら状況説明に時間食った訳だ」 口から出任せでも言われたのだろう、しかし、シュアラスタには花嫁に逃げられた花婿の意地みたいなモノが判る気がした。 「で? その、たかだか逃げ出した女捕まえるのと、今日の騒ぎ、どう関係あんのよ」 やる気なく自分の膝に頬杖をついたチェスが、ふとシュアラスタから視線を逸らす。 最終的に行き着いてしまうだろう話題に杞憂の表情を浮かべそうになり、彼女は慌てて背凭れに身体をぶつけて、彼の手を払った。 シュアラスタが一瞬だけ、その振る舞いに不愉快そうな顔をする。 「…国なんて存在しないこの大陸で、国の変わりになるモノってなんだ?」 この名もない大陸には、明確な「国」というものは存在しない。あるのは、十年ほど前に終わった暗黒の時代、「抑圧の五十年」と呼ばれた支配から解放された後、いくつかの街や村がまとまって、地域の実力者、「解放の7日間」で功績を納めた「英雄」などを起て自治を確立した、「領主区」という小さな生活集団。それらが隣接し、ひしめき合っているのが、この混沌とした大陸の現在の姿だった。 「領主区でしょう? 国、なんて言うほどご大層でもご立派でもなくて、大陸を統合しようって喚いてるだけで何にもしてないけどね」 「辛辣だな」 「よく言われるわ」 肩をすくめる彼女を横目でちらりと見、またも紙巻きに火を点す。 「さて、その領主区、言い換えれば、貧弱ではあるが「国」みたいなモンの最高位につけてる領主様と言やぁ、お山の大将だが王様だ」 薄い唇の上で紫煙を上げる紙巻きをひったくり、チェスが深々と吸い込む。どうも、その辺の話に関心はないようだった。 「その王様のかわいい一人息子。何? 王子様?」 シュアラスタのセリフ。二人は殆ど同時にある男の情けない姿を思い出して、ぷっと吹き出した。 「……俺はいいけどアンタは笑うなよ」 「いいでしょ。何で笑おうとあたしの勝手」 「次に逢ったら是非白タイツ履かせてやりたいな。似合いそうだ」 くすくす笑いながらシュアラスタが、チェスの手から紙巻きを奪い返す。 (…残念ながら、そうも行かないんだが…) ひどく憂鬱な考えに知らず溜め息を漏らすが、それは吐く煙りに紛れて霧散してしまった。 「その王子様をだ、公衆の面前でぶっ飛ばして逃げた…」 「蹴飛ばしたのよ」 「いいだろ、どっちでも。足蹴にしたって方がなお悪い」 シュアラスタは背凭れにゆったりと寄りかかり、チェスと肩先を微かに触れ合わせるようにして、ふと口を閉ざした。 最初に食堂で出会ったときよりも他人行儀に顔を背けあい、それぞれが、それぞれの思惑を噛み砕いて消化しようとする。 訊いていいこと、悪いこと。 応えていこと、悪いこと たっぷり時間を取って、シュアラスタがようやく言葉を続けた。 「一つ訊いていいか」 「なによ」 「なんで逃げた」 余計な質問だと思った。仕事にも、彼女の問いにも関係のない。だから、チェスがそれに応えた時は、正直少し驚いてしまった。 「……キライになりたくなかったから」 彼女はぶっきらぼうにそれだけ言って、ふと、また、自嘲気味に笑った。 「でも、信じ続ける自信はなかっただけ」 シュアラスタが、ぎくしゃくとチェスを振り返る。その眼の中で、俯き、顔に掛かるピンクゴールドの髪をゆったりと掻きあげた彼女。その仕草は恐ろしく優雅で、少し、寂しげ。 確かに彼女はシュアラスタの質問に応えた。しかし、それそのもがひどく曖昧で、応えになっていない気もする。…気もするが、これ以上訊いてはいけない気も…。 知ってしまったら、抜けられない予感。 「それで? 王子様は?」 不意に顔を上げたチェスが、元通りの不機嫌そうな表情で先を続けろと促すのに急かされて、シュアラスタは気分を戻した。 「その、王子様を足蹴にして逃げ出した剛気なお姫様を、ちょっとばかり脅かしてやろうと思っただけさ。…まぁ、途中で行方を見失って苛ついてた時に賞金首の噂を聴いて、色気を出したツケも溜まってたんでね」 フィルター近くまで火の進んだ紙巻きを灰皿に放り出し、次の紙巻きに火を点す。 「呆れたチェーンスモーカーね、あんた」 「よく言われる」 目を剥いたチェスに、あくまでにこやかに笑いかける。 「途中で吊した賞金首の手下を漏らしちまって、後を追われているらしいと知ったのと、時折耳にする火傷痕の女がアンタかもしれないって情報を掴んだのがほぼ一緒だった。そこで俺は考えた」 今となっては、そのいたずら心がとんでもない結果を生んでしまったと後悔しなくもないのだが。 「ウエディングドレスの裾はしょって逃げるようなじゃじゃ馬じゃ、王子様の元へ帰りましょう、なんて優しく微笑んでも首を縦に振るとは思えない」 「だから騒ぎに巻き込んで、震え上がらせて黙らせて、平和な国にお帰りなさい、なんて凶悪に笑うつもりだった?」 チェスは、いささかバカにしたようにシュアラスタを見た。 「自分の短絡思考に涙が出るよ」 憮然とした溜め息混じりの返答に、彼女が、残念でした、と舌を出す。 「……俺の予定は完全に狂った。さぁ、応えて貰おうか。お前一体、何者なんだ?」 がらりと雰囲気の変わった、押し殺した呟き。それは、バスターが賞金首に向ける強制執行宣言と似ている。 「見たでしょう? ただの、人殺しよ」 チェスは抑揚のない声で言い放ち、ソファから立ち上がった。 「じゃじゃ馬でもお姫様でもない、ただの、人殺し」 念を押すように繰り返された言葉を訝るシュアラスタを置き去りに、ふらりと窓辺に移動して、青白い満月を背に振り返る。艶やかなピンクゴールドの表面で月光が煌めき、グランブルーの瞳の中に、あの燐光が微かに燃えた。 「殺ってくれんじゃぁ、なかったの?」 ゆっくりとした囁きに、シュアラスタは背筋を凍らせた。 燐光を押さえ込んだ瞼を半開きにして、嫌になるほど色っぽく紡がれた温度の高い声。元々化粧などしていなかったのだろう、シャワーを浴びて「仮面」を脱いでもなお、チェスの唇はてらついたラズベリーレッド。その、なまめかしく形のいい端が目に見える早さで持ち上がり、微かに開かれる。 それはまるで、シュアラスタを挑発しているよう。 彼は紙巻きをもみ消してソファを離れ、彼女の正面に立った。 自分の身体を抱きかかえるように腕を組むチェスを、値踏みするように見下ろす。かなり丈の短い、身体にぴったりとした黒いノースリーブの、露わになった胸元。剥き出しの腹部。細いがしなやかそうな腰。短いスカートと、その下から見えるこれまた黒いアンダーパンツのせいで、太股の辺りは想像の域を出ない。それから、きゅっと締まった足首に至るふくらはぎ。 (……まいったね) 軽く俯いて苦笑いを浮かべ、シュアラスタは顔に落ちかかって来る邪魔な髪を撫で上げた。 視線を戻せばそこには、悠然と微笑む女神のような、造り物じみた美しさ。 「質問は一回きりだ、いいか」 「いいわよ」 シュアラスタは、目の高さがチェスと同じになるように軽く身を屈めた。 何もかもを見透かしているくせに今この時間を楽しんでいるような灰色がかった緑の瞳に覗き込まれ、チェスの心臓がドキリと鳴る。 「王子様のところに、帰る気はないんだな」 これはなんとも間抜けな質問だな、と頭の隅を掠めたが、シュアラスタは意図的にそれを無視した。……帰ると言われても、本当はもう手だてがない。 彼は、見てしまったのだから。 人を殺めてはいけないはずの一般市民が、バスターである自分よりも……。 (数倍か、数百倍か、人の命を屠って来たんだろう事。間違いなく目の前の女は、訓練された「殺戮者」だ) チェスが「ただの」と言った理由は、その組織から抜けたか、その組織そのものがなくなったかのどちらかを意味するのだろう。「悪党」などと言われつつもバスターが横行しているのは、そういった組織が決して少なくはないことを暗に物語っている。 この名もない混沌とした大陸には、まだ、必要悪がなければならない。 無秩序を、秩序で固めるまでの過渡期にあるこの大陸には……。 「ないわ」 チェスはシュアラスタをキッと睨み返し、きっぱりと言い放った。 彼は、その応えに満足していた。それでも次の行動を予定通り取ったのは、悪人襲撃の筋書きを強引に書き換えられた腹いせだったのかもしれない。 身を起こす。ふーん、とやる気なく生返事する。懐から紙巻きを取り出して吸い付ける。顎を上げ、挑んでくるグランブルーをいたずらっぽい視線で受け流し、にっと口の端を歪める。 「いいでしょう。じゃぁ、お前が選べるのは次の二つのウチどちらかだ」 シュアラスタはいきなり背中の銃を引っこ抜いて、チェスのこめかみに黒々とした銃口をごりっと突きつけた。 決して早くもなければ、殺気も何も感じられない、唐突で自然な動作。しかしチェスはちょっとも動けず、驚愕に目を見開いた。 (……! 取られた!) 冷たい鉄塊が皮膚を痺れさせ、いたずらが成功したガキみたいな優越感いっぱいの笑みが目前で零れ、でも、その時始めてチェスは、「風前の灯火」という言葉を思い出していた。 無造作に引き金を引かれたら、それで、お終い。 燻る紫煙の向こうに、ご満悦の色男。 急に、男に対して興味が湧いた。 「大陸の法律に護って貰いたいなら、大人しく保安詰所に出頭しろ。ただし、どんな理由があったとしてもお前が殺した人数は帳消しにされないし、大陸法規外にいる俺の証言は聞き入れられないから、正当防衛も立証されない。投獄されるか、お前なら、回り回っていつの間にか娼館あたりに売り飛ばされるかがオチだろうよ」 暗に、それはばからしい選択だと言われているような気がして、チェスが苦笑いする。 「…あたしに選べるのは二つって言ったわよね。もうひとつは? なんなのよ」 「保安官に事情を訊かれたら、「バスターだ」と答えろ。それだけでいい」 「…………それってつまり、今この場でバスターになれって事?」 「いいや」 シュアラスタは軽くチェスのこめかみを銃口で小突き、紙巻きを床に吐き捨てそれを爪先でにじった。 「お前はもう、バスター以外になれないんだよ。バスターである俺に「協力」して悪人を「吊した」時点で、お前は大陸法規じゃなく、バスター規約の支配下に入っちまったのさ」 剣を振るい…それだけではない、武器を手にし、それで誰かの命を取る。 一般市民には許されていない行為。それを取ったのが悪人でなければ、後には、悪党としての道しか残されていない。 「生きたいならバスターになれ、そうでないなら、出頭しろって事?」 「まぁ、そう言うこと」 下ろされる銃口を目で追いながら彼女は、不思議なくらい優しげに微笑んだ。 その表情に、シュアラスタは始めて依頼主の言葉を信じたくなった。 それは、たおやかで優しげで儚げ。 嘘か幻のような、絶対の美しさ。 「あんた、理屈っぽいわ」 「よく言われる」 「おまけにおしゃべりだし」 「それは初めてだな。憶えとくよ」 「で? バスターだって言ったら、その後はどうすればいいの?」 小首を傾げ、シュアラスタを見上げる。 見目麗しい男女の、絡み合う挑戦的な視線。お互いがお互いに対する興味を押し隠してはいるが、その雰囲気は、艶っぽく語らう、と言うより、一触即発、今すぐにでも抜き兼ねない緊張を孕んでいた。
確かめたい。銃口を向け、刃を突きつけ、取るか取られるかの瀬戸際まで行ってみたい、全身を震わせる欲求。
二人は同時に、ゆっくりと唇の端を持ち上げた。 「バスターにもいろいろ事情があってね、不本意だろうが、半年間は俺と同行して貰う」 あらぁ、とチェスがいきなりわざとらしい嬌声を上げる。 「うれし」 「…嘘だって顔に書いてあるぞ」 「本気よ。いろーんな意味で」 彼女の微笑みにささやかな恐怖を感じつつ、シュアラスタが背中に銃を戻す。 「明日、近くのバスターズで手続きして……」 月光に照らされた端正な顔が、何か思案するように歪んだ。 「……しかし、とんだ誤算だったな」 「なにが?」 腕を組んで一つ深い溜め息を吐き、シュアラスタはじっとチェスを見つめた。 (大陸一…ね。そう思えば安いのか?) 不思議顔の彼女の髪を撫で、一房手ですくって弄び、シュアラスタはちょっとだけ笑った。 「金貨三百四十枚」 「?」 今までかかった経費とデューク・ハンビアンに払い戻す違約金をざっと計算し、うんざりしたように呟く。 「お前の値段」 苦笑いの意味がまだ判らないらしいチェスは、きょとんとそのシュアラスタを見つめ返しているしかなかった。
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