■ 前へ戻る   ■ 次へ進む

      
   
    占者の街    
       
第一章 保安官・ネル・アフ・ローの場合(3)

   

 ゴルドン・オーソン領主区ミムサ・ノス。例外なくその町を囲む壁のすぐ外側に立てられた三階建てのバスターズオーナーは、ルードヴィッヒ・エコーという名のインテリ元バスターである。

 カウンターで赤い表紙の分厚い本を眺めていたルードヴィッヒが、建て付けの悪いドアの開閉音に反応して顔を上げると、そこには、見覚えのある若い男がにこにこしながら立っていた。カーキ色のインバネスから覗くのは品のいい黒の詰襟ジャケットと、見事にアイロンの利いたスラックス。どこかしら女性的な白皙の美貌を飾った肩に触れない長さの豪華な金髪は美しく統制の取れた巻き毛で、長く密集した睫に縁取られた冷たい印象の目元と、感情の浮かばない正に鉱物のごとき碧眼を、なんとか人間的に思わせた。

 バスター・ハルパス・フロー。クラスXX(ダブルエックス)。強制執行権を持たないクラスZ(ゼット)からB(ビー)まで、強制執行権を持つクラスA(エー)、強制執行権に加えて、指名手配書に未記載の悪人を自己の判断で吊るすか否かという「賭け」を許されたクラスAA(ダブルエー)およびSA(エスエー)には含まれない、「判定員」という特殊クラスに属するバスター。

 クラスXXは、つまり悪党を「監視」する悪党でもあった。バスターがそれぞれ適切に仕事を行っているか、毎日どこかで行われる悪事をその時その場でバスター規約に抵触するかどうか見極め、手配書の追記を指示する場合もある。それから、AA以上のバスターがその「賭け」に勝ったかどうか、もし負けた(…、吊るすべきでない人間の命を取ってしまった)場合には、そのバスターを「裁く」役目も持っていた。

 冷たい視線だけはそのままで笑顔を作ったハルパスにやや硬い笑みを返しつつ、ルードヴィッヒはカウンターの中に立ち上った。

 悪党を吊るす悪党…。吊るす、とは、バスターたちが好んで使うスラングで、つまり、殺す事を意味する。

 別にやましい事がある訳でもないが、マスター・ルードヴィッヒは幾分緊張気味に会釈してハルパスにカウンターの片隅を勧めた。しかし件の美青年は白くてほっそりした手を軽く掲げ、その誘いを慣れた様子で丁重に辞退する。

「別に君を見張りに来た訳ではないよ、マスター・エコー」

 細くて涼しい声が、笑いを噛み殺しつつも支度されたセリフをすらすらと言う。鉱石じみた瞳といい、大きく動かない白皙といい、この青年からは、いつどこでどんな状況に陥っても自分自身を演出しその役割をきっちりとこなしている、という印象が拭い去れない。

 第一、判定員というのは悪党の中でもやはり特殊なもので、…この特殊なものの中には他に、「速足(はやあし)」と呼ばれる情報収集と連絡だけを専門に行う覆面クラスが存在する…、つまりは一般市民における保安官的なものだったし、悪人に金貨を掴まされて悪事の目零しをする事で懐を潤している保安官が決して少なくない事を考慮すると、判定員はもっとも悪党らしく凶悪なクラスとも言えた。何せ彼らと来たら、「アウト」の一言で、悪人が束になっても太刀打ち出来ないような悪党をばっさり斬り捨てる、などというのさえまったく持って平気なのだ。

 だからルードヴィッヒは、ハルパス・フローという悪党の芝居かがった人物像を、見た目の恐ろしいいかにも強そうな判定員よりも恐ろしい、と思った。数回このバスターズを訪れただけの美青年には失礼かもしれないが、大量の情報を処理しそれさえ武器にするバスターであるならば、この作り物じみた笑顔の下に虚空しかない事を見逃してはならないのだから…。

「見張られて困るような事もありませんよ、バスター・ハルパス。何せこの町は…」

 溜息を混ぜて続けようとしたルードヴィッヒに、ハルパスが得体の知れない含み笑いを向ける。

「キャピタルバスターズは、君の名を後世に語り継ぐ準備をするべきだな。暇があったら申請してあげようか?」

「結構ですよ。そんな、死んでから語り継がれるくらいなら、あの、町の真ん中で威張り腐ってる「館」をどうにかして欲しいものです」

 大袈裟に嘆いて見せたルードヴィッヒの横顔に怜悧な笑みを投げかけたハルパスが、自然にカウンターから離れようとする。

「バスター・ハルパス? お部屋の方はお取りしてよろしいですか?」

 そこだけマスター然としたルードヴィッヒの質問に、二階へ爪先を向けていたハルパスが足を止めた。

「一人だが、いっぱいかな」

「? お一人で?」

 普通、余程の理由でもなければバスターは一人歩きしない。例えばそれが西部最強であろうとも、大陸一であろうとも、判定員であろうとも変わる事はない。バスターというのは他人の命を軽々しく吊るすひとでなしではあるが、だからこそ、逆になんの躊躇いもなく殺されかねないのだ。

……………。例外もある。幸運か? 当の本人は「死神にも嫌われてたんだろうよ」と…笑うが。

「……。これから愛しい子猫に会うというのに相棒を引き連れて来るほど、わたしは無粋ではないからね」

 くすくすとそこだけ趣の違った声を漏らしてから、冷たい碧眼を階段へ向け直す、ハルパス。

「小猫? ですか…」

 つられて二階へ顔を向け、ルードヴィッヒは小首を傾げた。

「さて、猛獣ならば心当たりがあるのですがねぇ」

 多分、と今日の宿泊客に思いを巡らせるルードヴィッヒにまったく正体の掴めない一言を残して、ハルパスはさっさと階段を上り始めた。

「マスター・エコー、眼鏡を変えたほうがいいんじゃないのか?」

 ハルパスの、なぜかしらなまめかしい印象の拭えない口元に意地の悪い笑みを見た気がして、マスター・ルードヴィッヒ・エコーはぶるっと身震いした。

  

   
 ■ 前へ戻る   ■ 次へ進む