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    占者の街    
       
第二章 日常的に、悪党どもの場合(2)

   

「やぁ、君たち。元気?」

 刹那、なんの前触れもなくドアが開き、カーキ色のインバネスを翻したバスター・ハルパス・フローが、にこにこしながら…、づかづか部屋に踏み込んで来たではないか。

 タイミングを失ってただ口をぱくつかせたネルの変わりに、……なのか?…、シュアラスタが青くなって、なぜか、肘掛に腰を下ろしきょとんとしたチェスの身体に背中から腕を回して華奢な胴体を引っ張り寄せ、結局チェスは、狭い椅子から長くてすらりとした足の半分以上をはみ出させたまま、唖然とするネルの真正面で、椅子に収まって小さくなったシュアラスタの膝の上にどすんと座り込んでしまった。

「…………ちょっとぉ…」

 殆ど溜息のように呆れた声を吐き出して、チェスがうんざりと額に手を当て天井を見上げる。しかしそんなチェスとシュアラスタなどおかまいなしに、ハルパスは一直線に突き進み、唖然とするダーグとネルを無視して、少女たちの憧れる王子様のような面に満面の笑みを浮かべた。

「こんなところで顔を合わせるなんて、奇遇だね、マイハニー」

 ハルパスはわざとらしいほどうきうきと声を弾ませてそう言いつつ、ヌッフの後ろで硬直していたルイードまで一直線に突き進み、いきなり抱きついて可憐な頬にキスを浴びせ掛けたではないか。

「バ! ばばばばばばば…バスター・フロー! お客さんです!」

 ハルパスの腕から逃れようと暴れるルイード。ところが、背丈でさえ十センチ以上負けているのだ。上から押さえ込むように上腕を捕らえる、という見事なまでの封じ方に、結果少年は、ますます小さくなってハルパスの胸元に額を押し付けるくらいしか出来ない。

「気にしなくても大丈夫だ、ルイード・ジュサイアース。君一人のお客じゃない上に、立ってようが座ってようが保安官だろう?」

「うう…。ひ、人前で抱きつくのはやめてくださいって言ったじゃないですかぁ!」

 半泣きのルイードが、ついに情けない声で「ヌッフーぅ」と相棒に助けを求める。

「………そこの。いや、一応お前の人権を尊重してこれ以上キワドイ発言は差し控えるが。とりあえず、今踏み込んできた変態…、オレの前でマイハニーは禁止だっつたろ」

「マイスイートハートが禁止だと勘違いしていたな。では、改めて…」

 ヌッフの指摘を受けて、そうだったか、とやたら難しい顔で頷いたハルパスが、ルイードの肩に手を置く。

「会いたかったよ…」

 冷え切った声で甘く囁き、ぽかんとする少年を軽く仰向かせて……。

「つうか、ウチのガキ口説くのは一切禁止だつったんだよ、オレぁ!」

 寄り添ったというか抱き合ったというか、一方的に少年が押さえつけられているとうのか、とりあえずそんなハルパスとルイードを、ばりっ! と音がしそうな勢いで左右にひっぺがしたヌッフが、がっくりと肩を落としてうなだれる。

「誰か、この常識外れをどうにかしろ……」

「…それは聞き捨てならないな、ヌッフ・ギガバイト。あんな狭苦しい椅子の中で抱き合ってる二人を前に、わたしだけが非常識というのもどうかと思わないか?」

 背後に二・三歩よろめいて止まったハルパスが、くすくす喉の奥で笑いながら指差した先に目を転じ、ヌッフは溜め息を吐き出すのすらやめた。

「……………………もう慣れた」

 椅子の中で抱き合った(?)というより、膝に乗せたチェスを楯にドアから身を隠しているようなシュアラスタ。その決まり悪そうなうんざり気味の表情と、諦めた風のチェスの大人しさにちゃんとした理由があると知っていて、当然そっちはあくまでもシュアラスタとチェスの問題であってハルパスは隙あらば言い寄ろうと自分の相棒を狙っているのだから、とヌッフは、仲睦まじい美男美女を端から気に掛けてもいなかったのだ。

「面倒だから、あんたの方から廊下出てってくれない? そしたらあのきんきら声で文句言われなくて済むのよ、あたし」

「…俺の貞操はどうなる?」

「あたしの知ったこっちゃないわ」

「だったら、お前の言われる文句も俺の知った事じゃないだろ」

「原因はあんたでしょ」

「だから…、俺はさっぱり身に覚えねぇんだって」

 鼻先を突き合わせて、チェスはシュアラスタのシャツを掴み、シュアラスタはチェスの肩を抱き、まるで囁き合う恋人のように…。

 あえて言うならば、この二人、恋人同士などでは決してない。

「人間というのは、他人の秘密を見るのが好きな動物なのだと思う事はないかい? ルイード・ジュサイアース、ヌッフ・ギガバイト?」

「そうですね、その意見には大いに賛成です」

「だがなぁ、ハルパス。この二人の場合、こいつぁどっこも秘密なんかじゃねぇんだぜ。ありきたりの日常てぇトコだな」

「それなんだよ、問題は」

 ぶつぶつと言い争うシュアラスタとチェス。それを唖然と見つめて目を逸らす事も出来ない、ダーグ保安官主事とネル保安官見習い。それらを見下ろすように肱掛椅子の後ろに佇んだヌッフとハルパスと、ルイード。

「その、ありきたりの日常が気に食わない、とわたしの相棒は常に息巻いている訳なんだが…」

 ハルパスの相棒…、自称「シュアラスタの恋人」、ミディア・ミディ。

「今日は来てなくて残念だったよ。同席したのなら、是非ともそのありきたりの日常というもののどの辺りが許せないのか、今日こそ訊いてやろうと思っていたのに」

 ふー、とさも残念そうなハルパスの溜め息と、なぜか、ガツン! と鈍い音。それから、がたっ! とダーグとネルが後退さろうとしてソファの背凭れに邪魔された音が、微妙な間隔で室内に放出される。

「そういう重大な事はさっさと言いなさいよね、ハルパス」

 ふん、といつも通り不機嫌そうな顔でハルパスをじろりと睨んだチェスは、側頭部に痛烈な打撃を食らって呻いているシュアラスタの胸部に手をついて、悠々と椅子から…または、シュアラスタの膝から?…降りた。

「過剰反応じゃないか? シュアラスタ・ジェイフォード」

「同じセリフを、てめーのハニーとやらにも言ってやれ」

 握り拳の一撃をこめかみで受けたらしいシュアラスタは、しきりに瞬きを繰り返しながら軽く頭を左右に振り、なんとか身を起こして元通り椅子の中に落ち着いた。そこで、正に開いた口が塞がらない、という顔をしたダーグとネルに視線を戻し、本当に微かに、双眸を眇める。

 その横顔。無言の横顔。

 チェスは、ふと苦笑いした。

「で? なんだっけ? 保安官見習い」

「え? あぁっ! それで…この町のですね…」

 とりあえず何か話そうとダーグの顔色を窺いながら口を開いたネルの視界に、ぽっと朱色の閃光が瞬いた。続いて、少し甘い印象の煙。

「契約内容の方だよ。言ってみな」

 言われて、ネルは顔を上げた。

 瞬きしない、灰色がかった緑の瞳。何を見ているのか。

「その窃盗団を検挙するのに協力してください。「占者館」への立ち入りも許可します」

 いいね、それ。と素っ気無く答えたのは、なぜか、最後に現れて事情をまったく知らないだろう、ハルパスだった。

  

   
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